投稿元:
レビューを見る
【 見てみたい、イザヤと七平の腕相撲 】
かつて “イザヤ・ベンダサン” 名義で出されていたものの新装版。
ベンダサン=山本七平だってことは未亡人も認めていたのに、頑強に認めようとしなかった人たちは、どうするんデショ? (^^;)
なお、本書を読んだら、必ず 『にせユダヤ人と日本人』 も読んでください。「目からウロコが落ちる」 というのがどういうことか、体験できますよ (^^;)。
投稿元:
レビューを見る
日本人論としても良書ですが、やはり、ユダヤ人から見習えることは多いと思います。水のように生きたい方へ・・・
投稿元:
レビューを見る
イザヤ・ベンダサンこと山本七平の比較日本人論
「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思い込んでいる」
凄い面白い
山本七平の考えが色濃く反映されてるから好き嫌いがあるかも
投稿元:
レビューを見る
ユダヤ人との対比から書かれた日本人論。
他国(特に欧米)と比較して批判されがちな日本人の曖昧さを秀でた特質として評価しているところに感銘を受けました。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
ユダヤ人との比較というユニークな視点から展開される卓抜な日本人論。
高いコストをかけて保険に入るユダヤ人、安全と水は無料が当たり前と考える日本人。
機密を守り通すユダヤ人、「青竹を割ったように」「腹蔵無く」話す日本人。
ユダヤ人とは、道路に裸のまま放り出された子供であるのに対して、日本人は甘やかされたおぼっちゃんだと著者は指摘する。
ユダヤ人がなぜ迫害されてきたのかを徹底考察、アメリカという「帝国」亡き後の日本にも国際社会からの迫害が起こり得ると警鐘を鳴らす。
みずからの戦争体験を踏まえ東西の古典、宗教を追究した深い歴史観を抱く山本七平ならではの日本人論の金字塔。
[ 目次 ]
安全と自由と水のコスト―隠れ切支丹と隠れユダヤ人
お米が羊・神が四つ足―祭司の務めが非人の仕事
クローノスの牙と首―天の時・地の利・人の和
別荘の民・ハイウェイの民―じゃがたら文と祝砲と西暦
政治天才と政治低能―ゼカリヤの夢と恩田木工
全員一致の審決は無効―サンヘドリンの規定と「法外の法」
日本教徒・ユダヤ教徒―ユーダイオスはユーダイオス
再び「日本教徒」について―(その二)日本教の体現者の生き方
さらに「日本教徒」について―(その三)是非なき関係と水くさい関係
すばらしき誤訳「蒼ざめた馬」―黙示的世界とムード的世界
処女降誕なき民―血縁の国と召命の国
しのびよる日本人への迫害―ディプロストーンと東京と名誉白人
少々、苦情を!―傷つけたのが目なら目で、歯なら歯で、つぐなえ
プールサイダー―ソロバンの民と数式の民
終りに―三つの詩
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
日本人は安全と自由と水は無料で手に入ると思っている……。
ユダヤ人との対比で日本人を語る山本七平の日本人論。
投稿元:
レビューを見る
日本人論の中核にもなっている名著の本。初版は、イザヤ=ベンダサン(ユダヤ人)であったが、実際は山本書店店主の山本七平氏であった。
ユダヤ人と日本人の考え方の相違から、日本人は「安全」と「水」はただで与えられると思っているとか、日本人は無宗教ではなく、「日本人教」であるとか、日本人とはそろばんの操作のように思考を除外して、答えが「出る」のであって、「出す」のではない。意識的思考を排除していくところを含めて、現代の日本人の考え方につながることがたくさんある。
一時期流行った、「日本人論」にもつながるので、一読しておいて損はないと思う。
投稿元:
レビューを見る
■全体として何に関する本か
戦前の日本に生まれた山本七平(イザヤ・ベンダサン:ユダヤ人)が日本人論について書いた一冊。島国である日本は侵略、日本人は世界的にも非常に特異な性格を形成するに至った。日本とは全く逆の「迫害」という暗い歴史を歩んできたユダヤ人として日本人を論評している。
■何がどのように詳しく述べられているか
日本人の特徴として「安全と自由と水がタダだと思っている」「時間に追われている」「無宗教」といったものが挙げられており、これらについて詳しく書かれている。この中でも特に印象的だった「安全がタダだと思う日本人」についての感想を述べる。
安全と自由と水がタダだと思っているのは世界中で日本人ぐらいなもので、これは日本が国内で戦争を経験したことがないからだと著者は言う。戦争を経験したことがないというと反論も多いだろうが、世界の歴史から見れば日本は常に平和であった。実際に、日本国内が戦場となった戦国時代に日本を訪れた異国人は、世界中を見て回った結果、日本は世界で最も安全で平和な国だという感想を持ったという。
世界と比べてはるかに平和な歴史を歩んできた日本人であるから、保険といった考え方も極めて希薄だという。日本人の保険に関する考え方は貯蓄の一形態であり、これは他国とは全く異なる。安全というものがタダだと思い込んでいる日本人に、保険をそのままで売ることは不可能であり、セールスマンは一種の貯蓄という形で売り込むしか方法がないため、日本では保険という考え方が定着していない。個人の安全も国家の安全保障も同じであり、防衛費などというものは一種の損害保険で、掛け捨てになったときが一番ありがたいのに、日本では防衛費が税金の無駄遣いのように扱われる。しかし、自衛隊が災害の復興などに従事したときには、マスコミや市民の反応も穏やかになる。これも安全は当然という考え方が身にしみついている日本人特有の問題といえる。
■その本は全体として真実か、どんな意義があるのか
この本を通して、いかに我々が日本人的な視点で物事を見ているかということに気づくことができる。何度も迫害を受けてきたユダヤ人である著者からすれば、安全というものは多少生活の質を下げようが大金を払ってでも手に入れたいものである。しかし、戦争や迫害を経験してこなかった日本人にとっては安全は当たり前でお金など払う必要はないと考えている。
安全に対する意識だけではなく、日本人が原爆や環境問題に敏感であるのも日本の歴史的背景が大きく絡んでいる。教育やメディアなど様々な要因によって、我々も自然のうちに日本人という民族的な視点(パラダイム)を強く植え付けられているのであろう。
■一番面白かったのはどこか、なぜ自分は面白かったのか
本書の中に【少々苦情を!】という章があり、ユダヤ人に対するあまりにひどい誤解を解くために書かれている。著者によると、ユダヤ人はパレスチナを一度も去ったことはないという。確かに、我々はユダヤ人が2000年ぶりにパレスチナに帰ってきて自分の国だと主張しているという認識を持っているが、これが全く事実と異なるという。2000年間、ユダヤ人はパレスチナを占領され、その政治的独立を失い、国籍上はパレスチナを領有する国家の国民に編入されていたに過ぎない。よって、2000年間ユダヤ人がいなかったとする主張は、30年に渡る日本の統治期間に朝鮮半島には朝鮮人がいなかったという主張と同じだという(なぜなら、その期間は彼らも日本人であったから)。しかし、この著者の主張が正しいことが証明されても、政治的プロパガンダによって全く意味はないという。本書を通じて他にもイスラエルやユダヤ人の歴史に関して新たな知識を数多く獲得することができる。
投稿元:
レビューを見る
現代は戦後の日本のイメージが強いが、確かに古くから日本は実力主義の部分も多くあると納得させられてしまいます。
新たな視点をも得た気がします。
投稿元:
レビューを見る
歴史認識がない私にはちんぷんかんぷん。再度読み直し。
私の世代で山本七平読む人ってどんな人なんだろう。
投稿元:
レビューを見る
昔途中まで読んでやめてしまった本である。ユダヤ人からみた日本人の特質をまとめているがよく理解できる。特に海外で生活して日本人の当たり前が当たり前でないと言うことを経験した人は共感するだろうと思う。よく西洋人が日本人は神秘の民族だと聞くが今は少しわかるような気がする。
投稿元:
レビューを見る
ユダヤ人を名乗った日本人によるユダヤ論・日本論。最初の刊行は1970年。
「日本人は水と安全を無料だと思っている」という言葉はあまりに有名。日本と比較しながらユダヤ人の考え方を解説し、日本のよいところを挙げながらも当然所々に批判を挟む。
日本人とは、自覚できないほどに浸透した「日本教」の信者であり、その宗教の根本理念は「人間性」である。その「人間性」は法外の法で規定され、言外の言で語られるため異教徒が理解するのは非常に困難だと著者は言う。
ユダヤ人を自称するだけあってユダヤ文化や聖書の知識が豊富で、ユダヤ人の考え方、そして異文化から見た日本の特殊性を知ることができる。
投稿元:
レビューを見る
山本七平「日本人とユダヤ人」。この本は1970年にイザヤ・ペンダサンの名前で刊行され、300万部を超える大ベストセラーだったのだというが、恥ずかしながら読んだのは今回が初めて。しかし、既に40年以上経つ今においても頷かされる鋭い見識には驚かされると云えようか。
もっとも共感を覚えたのは、「ユダヤ人は、迫害されたが故に人類に対して何らかの発言権があると思ってはならない」。そして日本人は、「唯一の原爆被爆国なるが故に、世界に向かって何らかの発言権があると思ってはならない」。但しこの言葉はなかなか受け入れられることができず、時には強い反発を受ける、と著者は云うのだが・・・・。では、広島の場合はどうなのか。広島の人間としては、原水爆禁止を声高に云うのが当然のことのように見られている中で、広島の人間だからこそあえて云うべきではない、という考え方はおかしいのだろうか。思うに戦争で惨い扱いを受けたのは広島の人間に限らず、東京の爆撃でも同じくらいの人間が死んだのは事実だろう。そして何よりも、もともと戦争を引き起こした日本人がそもそも被害者であることを前提に世界にモノを云うことができるのかという疑問。それが原爆という例のない場合であったとしても。世界的に見ても、ユダヤの人々のことはもちろんのこと、もっと悲惨な戦争被害はあったろうに・・・・と。
この新書版は、2004年初版で2012年の第11版だが、最初の発刊から40数年経って版を改め発行されること自体がその価値を明らかに示している。ユダヤ人に対する深い認識とそれと対比してみせる日本人の特性が明らかに。米国の力を背景に躍進した日本は、現在はあたかも擬似欧米人のごとき扱いを受けているとは云え、将来(例えば米国がこけた後)はいつ迫害を受ける立場になるやも知れず、という警告が現実味を持って突き刺さる。卓抜した日本人論と云うべきか。
投稿元:
レビューを見る
評論家の山本七平が、「イザヤ・ベンダサン」というユダヤ人の名前で刊行した本です。
本書では、「律法」を行動原理とするユダヤ人と対比する形で、「人間性」や「人間味」を行動原理とする「日本教徒」の特殊性を浮き彫りにしようとしています。イザヤ・ベンダサンという日本社会の外部からの観察者の視点を借りることで、そうした特殊性をよりいっそう際立たせようという戦略が採られています。
なお、朝見定雄『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫)で、本書のユダヤ教に関する議論の誤りが徹底的に暴かれました。もっとも、特殊な例を一般へと拡張する「エピソード主義」は、本書に限らず日本文化論一般の通弊であり、小谷野敦の『日本文化論のインチキ』(幻冬舎新書)でも、そうした本が批判されています。アカデミックな観点からは本書の意義はなく、あくまで山本七平という個人の、日本と日本人についての見方が示された本と捉えるべきなのだろうと思います。
投稿元:
レビューを見る
著者も指摘しているが、日本には評論家と呼ばれている人が実に多い。特に、大きな事件が起きると、すぐに○○評論家がテレビに登場する。しかし、評論家と名乗る以上、それなりの実力が必要である。単に知識が多いだけであれば、それは○○博士としてはどうだろうか。あるいは、好き勝手な持論を展開するだけの人もいる。これなどは、テレビに出るのはやめて、自分のブログで吠えてみてはどうだろうか。
正確で豊富な知識があるのは当然としても、普通の人が思いもしないような新鮮な切り口(物の見方や考え方)で、目の前の事象を分析できるような人を、私は評論家と呼びたいのである。
筆者の山本氏の分析は興味深い。例えば、鎌倉幕府以降大政奉還まで続く武士の時代を、「朝廷・幕府併存」と呼び、高く評価しているのである。こういう見方は、一般的にはあまりされていないように思う。実際、歴史の学習では、朝廷の話がほとんど出てこない。
私はつい最近まで山本氏のことはよく知らなかったのだが、これを機会に少し読んでみたいと思っている。