投稿元:
レビューを見る
神社で憲法改正のための署名を集める活動が問題になったことを切り口にして、神道と政治の問題を、著者が依拠する公共哲学の観点から考察している本です。
著者は、明治憲法下において神道が宗教ではなく国家祭祀とされたことが、現代にまで及ぼしている影響について比較的ていねいな解説をおこなっています。戦前の国家神道は、習俗的な道徳としての性格をもつことになりました。そして戦後になると、政教分離により宗教法人として扱われることになった神道は、私的道徳となりかねない状況に陥ってしまったと著者は指摘します。そのうえで、戦後における神道の最大のイデオローグとして活躍した葦津珍彦の議論を検討し、彼が神道に公共性を回復することをめざしていたことに一定の評価を与えながらも、公共哲学の観点から国家的な意味をもつ「公」と「公共性」を区別し、さらに折口信夫の提唱した「人類教」なども参照しながら、より開かれた「公共性」を具備する宗教としての役割を、神道が担うことができるのではないかという見通しが示されています。
公共哲学の観点から神道の可能性を発掘するという著者の戦略は、神道が仏教やキリスト教などと異なり、世俗的な道徳と宗教的な境位とのあいだに明確な断絶を設けず、むしろ両者がなだらかにつながっているからこそ可能になったように思います。正直なところ、神道は著者の主張するように公共哲学に包摂されてしまうようなものなのか、もしそのようなものだとするならば、それは本当に宗教と呼べるのか、という疑問もあります。
なお巻末には、薗田稔、小野貴嗣、千勝良朗、鎌田東二、藤本頼生へのインタビューが収録されています。ただしそれぞれ2ページずつの分量で、各論者の主張を十分に理解することのできるような内容ではありません。