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実際のヒトラーの娘のことが書かれた本ではない。
女性がホロコーストに加担していたなどと考えたこともなかった。しかもその残虐性と言うか罪の意識なくゲームのように殺していたというのはショッキングだ。
特別な人が殺人者になるのではなく、ごく普通の人でも殺人者となりうると著者は言う。
それはあの頃の話として済まされることではなく、現代社会の不安定な世情があの頃に似てはしないかと訳者も語っている。
読み進むのにややしんどい部分もあったが、重厚なドキュメンタリーだ。
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さまざまな問題を孕む本なのだが、実際のところ、問題が何なのか、自分でも少し掴みかねている。整理のためを兼ねて書く。
本書の主題はある意味、シンプルである。
ナチスのホロコーストにおいて、主導権を握っていた指導層や、実際に手を下した実行者は圧倒的に男性が多かった。そのため、戦犯として裁かれたものも圧倒的に男性であるわけだが、しかし、戦時下のドイツにおいて、ナチスに協力的であった(または心酔していた)女性もいたわけで、そうした中で彼女たちはどのように行動し、どのような役割を果たしたか、史料に基づいて、検証を試みようとしている。
まず押さえておくべきなのは、戦時の(あるいはナチス支配下の、というべきか)ドイツで、女性に許されていた「役割」はそう大きなものではなかった点かもしれない。ヒトラーは女性の居場所は「家庭とナチ運動」にあるとしていた。政治や学術といった分野で才能を発揮するよりも、健康な体で家庭を切り盛りし、アーリア系の子どもをたくさん産み、健全なるドイツの発展に寄与するか、働きに出るならナチ党のために、というわけである。
そうした中で、例えば田舎の農場で、あるいは旧弊な家庭の中で暮らす女性が新天地を求めようとすると、あまり多くの選択肢はなかった。教師、看護師、(党関連の)秘書、そして妻となり、「今いるところ」から出るしかなかったのだ。
ナチ党のためという制限はあれど、職業人として働けるという選択肢は、野心のある女性にとっては魅力的だったとも言える。
ちょうど、ナチスは東部戦線の拡大に伴い、東部への人員配備を必要としていた。党組織だけでなく、郵便局や鉄道などインフラに関わる部分、学校や病院など、女性も働ける多数の職場が生まれた。ポーランドを含む東欧に50万程度の女性が移住したとも言われる。
こうした中で、秘書としてユダヤ人移送の手続きに関わったものもいれば、物見遊山気分でゲットーに立ち入ったもの、ユダヤ人所有のものを権利なく持ち去ったもの、ユダヤ人虐殺を「止めなかった」もの、積極的に虐殺に加わったもの、女性のなかにもさまざまなものがいた。
本書では、記録から幾人かの女性を丹念に追っており、戦時下を女性達がどう生きたか、戦争犯罪とどの程度どのように関わったかを感じさせる上で非常に興味深い。
だが、実態に迫る上で、いくつか不利な点がある。
1つは記録として残されているものは、圧倒的に男性のものが多いことだ。女性は補助的な役割についていることが前提であったため、彼女らの行動は、公式記録に残らないことがほとんどなのだ。したがって、たとえ裁判になったとしても(裁判になること自体が非常に少なかったのだが)、秘書として、妻として、部下として、上に立つ男性の指示にしたがっただけだと主張されれば、彼女がどのような行為で糾弾されていたとしても、詰め切れないのだ。
そして前項とも関わるが、公的な記録がない彼女らの行動は、証人の証言によるしかない。目撃者の多くが命を落としているホロコーストのような犯罪では、生き残った証人は数の力には頼めない。時が移れば、貴重���証人も減っていく。
そしてもしかしたら大きいかもしれないのが、時代の変遷である。「戦時の空気の中、当時は仕方なかった」と戦後に主張されると、途端にすべてがぼやけてしまうのだ。敗戦とともに、戦時のあれこれに口をつぐむ人々は多かったはずだ。積極的に嘘をつかなくても、「本当は悪いと思っていた」、「でもみんながやっていたから」等の思いを抱いたり、記憶の上で行動を薄めてしまうことはあるはずだ。現代の規範の中で、過去の行動を裁くことは、想像以上に困難なのではないか。
サディズムはおそらく、性別や民族という属性にはよらない。女性がサディストに「なりにくい」傾向はあっても、「なりえない」わけではない。さらには、サディストでなくても残虐な行為に荷担することはありうる。
ホロコーストの中で女性が果たした役割という本書の問いはなかなかに意欲的だが、その問いにこの本1冊で答え切れたかといえば疑問は残る。
だがこの問いから派生する視点は、考え続ける価値のあるものであるような気がしている。
*女性とナチズムという点で思い出すのはベルンハルト・シュリンクの「朗読者」(新潮クレストブック、新潮文庫)ですが、個人的には、少年と年上の女性の愛に加えて、女性のある「ハンディ」を盛り込んだ時点で、ナチズムの観点からの問題提起がぼやけた印象を受けています。そういう意味では、ノンフィクションの「黙って行かせて」(ヘルガ・シュナイダー(新潮社))の方が考えさせられる作品だったかもしれません。
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1918年の敗戦直後のベビーブームの中で生まれた女性たちがこのテーマの主人公たち。攻撃的でないはずの女性たちが、大量殺人に加担するその心理が怖い。彼女たちは看護婦であり、事務職であり、行政管理職であり、そして親衛隊員などのエリート男性の妻であった。癒しと看護の体験との勧誘の言葉で看護婦になった使命感とは全く逆に殺すための役割を与えられ、大人しく遂行した女性たち。戦地で傷害を追った兵士たちを果たして帰還させたのか?との疑惑さえある。ホロコースト時は、妊娠中であり、実行できるはずがないとアリバイを主張して、無罪を勝ち取り、罰から逃げた女性もあった。これらの犯罪が東欧・ウクライナなどのドイツ占領地で多く行われたことが、辺境の地における彼女たちの役割を示している。そしてそこは劣等国への優越感に基づく、犯罪への心理的な壁の低さもあったのか。確かにホロコーストは、一部のナチ幹部だけで実行できたわけではない。キリスト教国において熱心な信者である多くの男女市民たちがどのようにして国家を挙げて犯罪に走って行ったのか。中には犠牲者の物を欲しいという物欲も大きかったとは浅ましく、怖い限りだ。人間の弱さを改めて感じる。
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普通のおじいさんだった
20年ほど前に、戦争(太平洋戦争)の話をお聞きする機会があった。矍鑠としておられ、村の中でも周りの人々からは「あの方が言われるなら」と一目も二目も置かれておられる方であった。
(戦場としての)中国に行かれたのであるが、微に入り細に渡りその時のことを話してくださった。
戦争は人を狂わせてしまう。戦場では狂っていなければ生きていけない。人を殺すことは人に殺されることです。
何度もお話は中断してしまう。その沈黙の中に語ることのできない出来事とどうにもできない禍根を感じてしまった。
本書では、二次大戦下のドイツという異常な状況下ではあるが、その時その地での大虐殺(ホロコースト)に加担することになってしまった女性が特別ではなく、一般の人たちであったことを丁寧に取材し、その行為を立証していく。読み進めていくだけでもつらい、陰陰滅滅としてくる。それでも、私たちは知らねばならない。
私たちは自分の中に潜む「殺人鬼」を自覚しなければならない。
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戦争そのものが男性の行為という認識が強いせいか、「女性の戦争犯罪」というものはあまり表に出てこない。ナチ党自体は男性主体であり、(ほぼ?)すべての役職や兵士は男性であったが、看守や看護師など女性職員がいなかったわけではないし、男性党員に配偶者や恋人として同行した女性もいた。
ナチ党の女性の行状を一つ、本書から引用。
『Aが得意としたのは、ある生存者に「卑劣な習癖」と言わしめた子ども殺しだった。目撃者の話では、Aはしばしば飴で子どもを誘い出し、子どもがやって来て口を開けると、いつも脇に抱えていた小さな銀色の拳銃で口へ向けて撃ったという。』
(イニシャルは本書内では実名)
本書はこうした「第二次大戦下におけるドイツ人女性の戦争犯罪」の記録である。組織や伴侶の男性に犯罪行為を強要された女性ももちろんいるが、その野心から、攻撃的性向から、あるいは自衛のため、積極的に犯罪行為、具体的にはユダヤ人の殺害を行った女性は少なくない。少なくないのだが、戦後裁判の根拠となるような公的記録に、そうした女性の姿はほとんど、あるいは全く見られない。
その理由として、公的記録を残すような業務(いわゆる秘書やタイピスト)が女性の仕事であったこと、また男性党員の伴侶としての「私的な行為」は公的記憶に残らないし、目撃者のうち被害者はほとんどが死んでいるし(ウクライナなどの東部地域で戦争を生き延びた現地ユダヤ人は2%未満だった)、加害者は互いの秘密を強く守り続けたことが挙げられる。戦後の激しい尋問や粘り強い捜査によってようやく僅かに見えてきた「女性の戦争犯罪」を、著者ロワーは丹念に追っている。
監訳者は『ロワーが私たちに突きつけたのはむしろ、ドイツ人女性たちが「良き」人生を送りたいという「普通」の願望を抱き、人生においてこうした基準でもって選択をしてきた結果、ホロコーストの加害者という場所に行きついてしまったという事実である。(中略)彼女らが職業的な自己実現や妻や恋人としての幸せを追求した時代や背景が犯罪的なものであった結果、そこでの選択の積み重ねは、彼女らを殺人者にした』と解説している。
他者を、特に子どもを慈しむ心は人類普遍のものであり、とりわけ女性のそれは深く強いなどという認識は先入観でしかなく、社会や制度が歪んでいれば、「我が子をいとおしげに抱くその手で、直後にユダヤ人の子どもをライフルで撃ち殺す(あるいはバルコニーから突き落とす)」ことはありえるし、実際にそれはあったのである。
歴史に学ぶというが、その歴史が覆い隠されていては学ぶべき教訓も見出せない。こうした地道な「発掘作業」を続ける人たちの意義を改めて考えたい。
本書の内容に興味を持った方は「ヒトラー・ユーゲントの若者たち」もお勧めしたい。
http://booklog.jp/item/1/4751522175
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ヒムラーは敵を破壊し、アーリア系の血統を広めることで、ドイツ民族を保護し増強させるという二重の責務を負っていた。ナチ運動はヨーロッパの歴史を新たな方向、すなわちドイツによる派遣の時代へと導くことを追求していた。その中心をなす反ユダヤ主敵世界観は、ユダヤ人の人種的、政治的影響力からの解放を意味した。危機の時代にユダヤ人をスケープゴートにすることは、当然ドイツ人がおもいついたことではないが、ナチのイデオロギーの特徴はこのような他者の重要性だった。
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ヒトラーの狂気の時代に、その一翼を担っていた女性たち。教師、看護師、秘書。
ジェンダー問題と微妙に関わる、でもそことも微妙に違う、時代を考慮してもこんなにもエスカレートするナチスの狂気。読んでいても辛い。
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ナチス政権下でホロコーストに関わった女性たちについて。
戦争や虐殺についてのジェンダー神話(女性は戦争や虐殺を本能的に忌避する等)について一石を投じるもので、条件と環境が整えば、女性も殺人者、戦争犯罪者になるということが史実をもとに説かれる。
詳しい経歴や行動の具体的描写が多く、ページ数が多いが飽きずに最後まで読ませる。
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田舎からでてきて暮らしたい、新しい服や靴を買いたい。そういった日常での何気ない豊かさを望む気持ちが一般の多くの女性がホロコーストに巻き込まれていったという。そして、そこから逃れる術がなかったのだろうと思う。そのようにして、戦争に巻き込まれるのだと思った。
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最初にタイトルを見たときに、ヒトラーに子供がいたっけと思ってしまったが、そうではなくてナチス体制下でナチスの一員として働いた女性のことを指していた。ユダヤ人の迫害、虐殺に関与した女性のことを調べて書いているのだが、女性は大勢で組織的に虐殺にかかわった人たちはあまり多くなく、割と個人的な立場からかかわった人が多かった。だから調べて書かれている内容も、個人個人のことが書かれていた。なかなか資料も少ないだろうに、綿密に調べて描かれていたが、あまり読みやすいものでも読んで楽しいものでもなかった。
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ドキュメントなので文体は控えめだが、かなりショッキングな内容である。戦争がどんな異常な状況を作り出すか、戦争に限らず集団心理が罪の意識にどんな影響を及ぼすか、考えさせられた。