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原題は"Frankenstein's Cat ---Cuddling Up to Biotech's Brave New Beasts"
動物(または生物)に科学技術を適用して「改変」することについては、さまざまな立場があるだろう。どちらかというと批判的に捉える人が多く、まったく受け入れられない、許されないと思う人も多いだろう。
本書の著者は、テクノロジーと動物の出会いを、(もちろん「節度」や「配慮」は求めてはいるが)比較的好意的に捉えている。それは端的に、副題に"Cuddling Up"(寄り添う)という句を選んでいることにも現れているように思う。
歴史上、動物を家畜化・ペット化する際に、より乳を多く出すもの、より肉質のよいもの、より性質が温厚であるもの、狩りなどの目的にあったもの等を選び取り続けてきたこともまた、ある意味(消極的な)改変と見なすことはできる。
近年、バイオテクノロジーや電子工学・コンピュータ技術の発展に伴い、人為的に(積極的に)手を加えられた動物が増えてきている。中には従来の家畜化・ペット化の延長線上にあるようなものもあるし、いやそれはちょっと踏み出しすぎではないかと思われるようなものもある。
著者はこうした「新しい」改変動物を追う。
近年の改変の2つの柱は遺伝子改変と工学的な改変である。後者には、大まかに、ハードの部分の補轍(義肢に代表される、身体の欠損した部分を補うもの)とソフトの部分のコンピュータ制御がある。
遺伝子改変では、ペットとして売られる光る魚、ミルク中に薬剤成分を分泌するヤギ、迅速に成長するサケ、ペットや競走馬のクローン作製、クローニングを利用した絶滅危惧種を救う試み等が挙げられる。
工学的改変では、人工尾ビレを装着されたイルカ、触覚への電気刺激で進行方向を変えるゴキブリ(「ロボローチ」)、災害現場の探索にラットを使う試みなどがある。改変という意味では少し拡大解釈だが、海洋動物などにセンサーを付けて行動を探る例もある。これをさらに拡張して、装着された動物自身のデータに加え、温度や位置など周囲環境のデータを集め、総合的に環境を「見える」ようにする試みも進んでいる。
上に挙げたラットの例では、ラットの脳にワイヤを埋めておく。この部位は「快楽」を感じる部位である。ラットに人の臭いを覚えさせ、臭いを探知したら、「ご褒美」として電荷を掛け「快楽」を与える。予備実験で得られた成績は非常によかったという。
同じようにして、地雷探査も実行できるのではないかという提唱もある。ラット自身は体重が軽いため、地雷を検知する過程でその上に乗ったとしても、爆破させる恐れはない。
このように操作されたラット自身に苦痛はなく、寿命もむしろ延びるほどだという。
だがやはり、「倫理的」にどうなのかという点では割り切れなさが残る。
イルカの人工尾ビレは、あるイルカの子の不幸な事故に端を発する。カニ漁の仕掛け縄に絡まり、傷を受けた尾ビレが壊死してしまったのだ。イルカの子は何とか生き延びたが、胸ビレだけを使う無理な泳ぎ方から、脊椎が曲がり始めてしまった。このままでは深刻な障害を負う。ニュースでたまたま知った義肢装具士���、人工尾ビレを付けたらどうか、自分なら作れる、と申し出た。
開発は苦難の連続だった。海中で暮らすイルカの皮膚は濡れて滑りやすい。尾ビレには強い力が加わるため、しっかりした固定が不可欠だ。皮膚を傷つけずに固定することが果たして可能か。試行錯誤の末、通称「ドルフィンゲル」と呼ばれる、粘着性があり、丈夫で伸縮性が高く、かつ熱可塑性(熱を加えると思い通りに成形できる)を持つ素材が生まれた。
この素材は、イルカを助けただけでなく、義肢のアスリートにとっても恰好の素材となった。汗をかいても義肢がずれることもなく、快適に固定が得られる点が人気となった。動物の研究から人にも役立つものが生まれた形である。
イルカの子はまた、義手・義足の多くの子を笑顔にし、励ましてもいる。
だがおそらく、この子は生涯、野生に戻ることはできない。成長する身体に合わせて、尾ビレやゲルに微調整が続けられてもいるし、人工尾ビレを長期使用してどうなるかも不明であるからだ。
動物の視力を矯正したり、記憶を高めたりといった試みもある。人間が技術で生活の質を向上させてきたならば、動物にもその恩恵を分けてもよいのではないか、というわけだ。逆に、タカの視力、イルカの遊泳能力などを人に取り込むことはできないか、という発想もある。
種を越えた生物としての可能性ということか。
ここまで行くとSF的過ぎて、少なくとも近いうちにその域に達することはなかろうと思うが、発想自体がなかなか衝撃的である。
人間のために動物を利用することはどこまで「許される」のか。どこで「線を引く」べきなのか。
動物が不快を感じていなければよいのか。動物にとっての福祉とは何なのか。
クリアカットの答えが得られる本ではない。むしろよくわからなくなる本である。
だが、よくわからない混沌を抱える時代になりつつあることを、豊富な事例と共にまざまざと感じさせる1冊として、一読の価値がある。
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刺激的で示唆に富む内容。
単に動物の利用だと片づけられない。
義肢によって動けるようになった動物たち、そしてその技術を人間に応用した例。
もちろんゴキブリに電気信号を送り込んで操作するなど神経系を乗っ取るやり方のように人間のためだけの改造もある。
いろんな境界があって簡単に切り分けられない面倒な問題が散見される。
動物と人間の関係における新たな倫理観の構築はもはや避けられないと思った。
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遺伝子組み換えの蛍光色の観賞魚。
幾ら当局が抽象的な倫理論を振り回して規制しようとしたって、愛好家達が「珍しいじゃん、コレ欲しい!」と思ってしまったら、歯止めがかからないのが現代資本主義経済ってもんよね。
でもペットはともかく、人間の口に入る家畜となると話が別で、経済優先にしてほしくないってのはご都合なワガママか。
でまた同じペット枠(?)にクローニングの話があり。一体作るのに何百何千の妊娠失敗が蔭にあるとなると、複雑な気持ちになる。理屈じゃなくて嫌悪感や愛着といった感情の問題になってくるしなあ。でも絶滅危惧種をクローンで増やすってのはなんか違う気がするし、「ウチのワンちゃん」の細胞を冷凍保存しておくのはもっとナニな気がする。
更に、傷ついた動物に人工装具を装着するのは、まあ、動物にとって有用なのか迷惑なのか、聞いてみる訳にはいかないけど、人間の都合で去勢しといて人工睾丸を装着するとか…せめてもの罪滅ぼし?もはや訳が分からない…(-_-;)
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原題は、Frankenstein‘s Cat.
動物に対するバイオテクノロジーの適用分野、事例を紹介するもの。
遺伝子組み換えで発光する熱帯魚(売るため)、有益な成分を多く含む乳を出すヤギ(薬剤、有効成分の大量生産のため)、ペットのクローン(飼い主のため)、事故で失った尾びれの代わりに人工尾びれを装着するイルカ(イルカ自身のため)。
様々な理由で様々なレベルのテクノロジーの介入がある。本書では、それらを一方的に良い、悪いと判断するのではなく、事実として行われていること、それに対する賛否の意見をバランスをとって紹介する。
自然や動物に対する介入自体を否定する立場もあるが、人間の通常の活動が既に動物の生存、環境、進化に影響を及ぼしている現状に於いては、単に気持ち悪い、何となく反対では済まない。自分にとってはどこまでOK、あるいは積極的に肯定する範囲なのか、自分で考えないとダメよねということ。
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サイボーグ化というタイトルと表紙の絵で、先端科学万歳の話かとちょっと誤解をしたが、生命倫理の話であった。
「バイオテクノロジーは動物を幸福にするか?」という見出しにドキッとした。バイオテクノロジーは人間を幸福にするために生み出された技術だという刷り込みが自分にあった。あまりやられていないが、もちろん動物のためになることも出来るはずだ。
とはいえ、本書はやはり、人間が動物をいじる本。
発光するクラゲの遺伝子を組み込んだ観賞魚、グローフィッシュ。
グローフィッシュが幸せかはわからないが、苦しんでいるようには見えないのは確かだ、なる記述。
遺伝子組換えは背徳の技術、というイメージと、それが娯楽用だとなると、ますますなんだかなあ…と思ってしまうのだ、が。
ペットのクローンなる話。大抵の場合、飼い主より先に死ぬペット。これをクローニングでやり直すことが出来たら? これは光る魚と違って、急に自分にもリアリティがある話だ。なんだかよくないような気がするが、それ以上に失われるはずのペット(に近い生き物)が、また家族に加わってくれるなら。
でも、これが絶滅しそうな動物をクローニングで救う、となると、また別の世界の読み物として楽しむようになってしまう。人間(つうかオレ)はなんと勝手でバカなのか。
後半はまさにサイボーグ化で、動物にメカを仕込んで使役するというお話。いや、使役だけじゃなくて、装具で動物を救うことも出来る。
つまるところ、バイオテクノロジーはいいこともあるし悪いこともある、という印象。これは印象。ようするにどちらにも使えるということだ。バイオテクノロジーがいいわるいではなく、何に使うか、ということだ。その倫理、葛藤を愉しむ本、かもしれないが、なんかスッキリ愉しめないんだよなあ。
生命に手をいれるべきでない、と思いつつも、自分のことだとコロッと変わってしまうダメな自分に気づいたからかもしれない。けれど書かれていることは結構エキサイティングであるので、傍観的読書をするならおすすめ。