投稿元:
レビューを見る
一般的な綱吉のイメージとは異なる、人として、為政者としての綱吉像を描いた一作。誰にとっても予想外の展開で将軍になり、旧弊と戦い、様々な天変地異や近い人たちとの死別に見舞われ、苦しみながらも、信念を持って誠実に情深く生きた綱吉の姿が切ない。
投稿元:
レビューを見る
綱吉のイメージ激変です。
「生類憐みの令」が、そんな思いで作られた政策だと思って考えると納得できる部分もあります。
たとえ乱世であっても、同じ価値観を持ち、皆が同じ方向を向いている方が分かり易い。
武力で抑えて来た時代から脱脚しようとする時、価値観も、向く方向も違う中で進んで行くのは難しいのでしょうね。
投稿元:
レビューを見る
犬公方・徳川綱吉。生類憐みの令で人よりも犬を大事にしたとか、「大奥」では家臣の側室に手を出すほどの女好きとか、どこまでフィクションかわからないけどそういうイメージだったので、この作品の綱吉には驚いた。
邪な気持ちも行動もなくただ一心に世のため民のために身を賭して働いた人。地震、火災、富士山の噴火に立て続けに見舞われ、子や信頼する家臣まで失い… 最後はちょっと出来過ぎじゃないかとも思ったけど、涙せずにはいられなかった。
吉保、100年どころか300年経ってもまだ悪評のままだよ…
あと、「玉の輿」ってここから?
投稿元:
レビューを見る
2017/5/22
まかてさんの本はどれも読ませる!
この将軍のことはほとんど知らなかったのだけれど、こんな人情味溢れる思いやりのある将軍
夫であったら、妻も支えたくなるのだろう
しかし、その民を思う気持ちを人々に伝わるようにするのは、当時としては難しいことだったと思う。
それ故に 分かってくれる妻とはお互い想い合うのでしょう
投稿元:
レビューを見る
と言われれば,そりゃ犬公方・綱吉だろう・って答えが返ってくるってもんさ!~長兄・家綱が不例となって呼び出されたが,酒井大老が言う宮家から将軍を招くのでなく,綱吉が考えるまでもなく兄・・松平綱重の子甲府宰相・松平綱豊が候補だ。新参の老中・堀田正俊は上意を示した。堀田には民と財を分掌させ,酒井を引退させ,堀田を大老に任じた。馬老や側用人の柳沢も引き上げ,文治を協調して武を斥け,母の桂昌院も従一位の官位を貰った。就任から命を助ける志は家綱公時代から始まり,綱吉は御救いの政と呼ばれているが,巷では男児・徳松を失ってから犬公方とも呼ばれている。穢れを嫌う綱吉は還暦間近,殿中刃傷事件が起こり浅野に切腹を命じ,打ち首にすべき赤穂浪人達には切腹の沙汰を下し,上杉家との縁を消すため吉良家も改易とした。火事・地震・浅間の噴火,長雨の後の洪水と天災に見舞われ,紀伊家に嫁いでいる鶴姫も死去し,後嗣は綱豊しかおらず家宣と改名させて西之丸に入れた。家宣に世子が生まれて喜んだのも束の間,富士が噴火し京の大火事・赤痢と麻疹がはやった。御台所・信子に綱吉は不徳の君主を天はお責めになっているのかと嘆くが,断じて最悪の将軍ではないと信子は思うのだった。麻疹後,朝餉の粥を吐いて喉に詰まらせあっけなく身罷った。死後十日,家宣の将軍職宣下前で生類にかかわる数多の令は撤回・停止された。「我に,邪無し」~…それほど酷い将軍でもなかったのにねがオチだ…ね
投稿元:
レビューを見る
学生時代に、「生類憐みの令」=犬公方=駄目な将軍=徳川綱吉。
そんな思いがインプットされていたのを、180度回転させるような小説であった。
徳川家の代々父から子への将軍受け継ぎを、兄から弟ヘという異例の中継ぎの将軍職へ。
廻りの反感もあっただろうし、今まで、反目していた輩達には、目の上のこぶであっただろう
泰平の世を目標に、頑張っているのに、自分の意志が、下へ通じず、中間の者が、自分にお咎めが無いように、捻じ曲げた考えを、世間ヘ、伝えてしまうもどかしさ。
不運にも、江戸の大火、富士山・浅間山の噴火、松の廊下事件に、赤穂浪士の討ち入り。
養子縁組等、、、そして、上に立つ者の定めで、波風の立たないように、江戸に戦争が起こらないように、苦慮しないといけないのである。
老後、綱吉と信子に子は無かったし、伝の子供たちは早逝してしまっていたし、麻疹で亡くなる前に、身近な臣下が、居れば、このような悪名高い将軍のように言われなかったのでは、、、、ないだろうか?
真理、推定を、逆さから眺めてみるのも一理ありと、思った作品でした。
投稿元:
レビューを見る
内容はともかくとしてタイトルがよくない…おかげで松たか子の歌が脳内流れっぱなし(あれは慶喜だがw)
で肝心の内容なのだが徳川十五代の中でも暗君のイメージが強い綱吉を取り上げるチャレンジングな作品。
武断から文治へと政の舵を大きく切れば反発は必至でそれに加えて大事件に疫病や天災などまでも御上のせいにされては堪らない、まさに「なぜわからぬのだ…」の歯軋りがリアルに聞こえてる悲運の将軍の物語。
しかしながらそれを描くのがまかてさんならば陰日向となり主君を支える正室信子の愛溢れる語り口がまごう事なき名君を演出する、犬公方様面目躍如
投稿元:
レビューを見る
犬公方徳川綱吉が主人公の小説。学校の授業と忠臣蔵で暗愚かつ人でなしと称されるようになった最悪の将軍、果たしてそうだったのだろうか?
朝井まかてさんは、この作品でそういう一元的な見方に否を唱える。
戦国の世は終わった、街中であだやおろそかに刀を抜くな、例え人の物じゃなくとも命をおろそかに扱うな。という意味を持った生類憐みの令。
幕府と朝廷の友好儀礼である大切な行事の直前に、その会場への道となる大事な場所で人傷沙汰を起した行事の責任者、本来なら打ち首当然の不始末を幕閣の情けをもって切腹に処した件、そんな(当時としては)当然の判例に、テロ行動をもって異を唱えた忠臣蔵事件。
そういう見方をすれば、なるほどそちらの見方も十分正当性があるわけで、むしろ今までの見方の方に変なフィルターがかかっているようにも思える。
武家だけでなく年貢の取り方だけでなく、世の中を統治する方法として法治を目指した将軍が綱吉なのだとすると、その価値観の変更について行けなかったアンチな人々が広めた綱吉像が、そのまま日本史の常識になってしまった可能性もあり、もしそうだとすると、ちょっと哀しいなぁとも思う。
この本を読んで、綱吉に対する見方もそうだが、何より忠臣蔵という演劇に対する見方が完全に変わってしまった。やっぱりテロを美化したらアカンて。
投稿元:
レビューを見る
「忠臣蔵」などでは暗君と描かれる事が多く、現に私もそのせいであまり良いイメージを持っていなかった。
だけどこれを読んだり最近の研究などからそんなに悪いイメージが少し払拭されて来た。
綱吉は民の為に。を1番に考え行動して来た。
ただ直に話す事が出来ない為歪曲される事が多々。
綱吉の意を汲み取る事が出来た堀田の存在のでかさよ。
その上天災が降りかかって来る。
天災は綱吉のせいではない。けれどどうしても「お上の政治が…。」と叩かれる。
忠臣蔵も稲葉が堀田を刺殺した真意同様敵討ちや忠義の為というよりお上に一言物申したい行動だったかもしれない。それにしても「将軍」というのは孤独だ。
たった四畳しかない用之間や駕籠の中でしか自分の感情を出す事が出来ないなんて。
正室・信子との会話が読んでいても唯一ホッとする場面だった。
将軍ではなく甲府宰相として一生を過ごせたらどんなに良かっただろう。
投稿元:
レビューを見る
タイトルよりだいぶ地味な物語である。
あー、ケンペル医師と今村通詞が出てきた。ボダルト=ベイリーの「ケンペルと徳川綱吉 ドイツ人医師と将軍との交流 (中公新書)」では、ほんのちょっとしか描かれてなかったけど、実際のところはこんな感じだったのかしら。
綱吉の正室・鷹司信子の目線で描かれているからか、柳沢吉保は地味な忠義者に終始している。桂昌院は、まあ、オーソドックスな関西風オバハンで、こんな感じかな。
投稿元:
レビューを見る
正直4代将軍綱吉は生類憐みの令を発行し犬公方と呼ばれた暗君というイメージだった。
しかしこの中の綱吉はそうではなかった。
文の力を信じ、武の時代は終わり学問の力で世を治めていくという思いを持ちながらそれが成し得ず苦悩する君主。
そしてそれを見つめる妻信子。
自然災害が天の怒りと信じられていた時に富士山の噴火、地震と見舞われたのは、綱吉の為政のイメージを悪化させてしまったと思う。
綱吉と
人を客観視ししてみることの重要性を教えてくれる人物なのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
最近様々な歴史上の人物や出来事の再評価がされているが、綱吉もその一人。
天下の悪法と名高い『生類憐みの令』だが、この作品に描かれているとおり、本来は生類なら人間でも動物でも、将軍でも町民農民でも、その命は等しく尊いものとして扱うべきという意味で出されたのだと思うが、最近はやりのおかしな忖度で間違った方向に行ってしまったのかなとも思う。
さらに綱吉の時代は天災や大火が続いたり、あの赤穂浪士の事件が起きたり、不運な時でもあったのかなとも思う。
綱吉の思想はあまりに高く清らかで、それは今日生きていくのに精いっぱいの庶民たちやドロドロした権力欲に塗れた政治家たちには届かないものだったのかも知れない。
『強く導かねば泰平は保てず、なれど人心はしばしばそれについてこられませぬ。さりながら世人の心におもねれば迎合となり、世は乱れましょう』
『政の目指すところとその果には、必ず齟齬が生じまする。善果をもたらした施策は善因と言え、悪果をもたらした施策は悪因と言えましょうが、それを判ずるには時を要します』
『思いだけではないのだ。政には、行いも含めて邪無きよう臨まねばならぬ』
今の政治家たちに聞かせてあげたい言葉の数々。
施政者たちにはその時々で難しい判断を迫られるだろうが、その時々で一番良い方法と信じて判断したのであろうし、またそういう施政者でなければ困る。
ラストシーン、野良犬を飼いたい兄弟とその兄弟に強い意志を確かめる父親の姿。
それこそが綱吉が『生類憐みの令』に込めた理想の形なのかも知れない。
投稿元:
レビューを見る
この表題を見ただけで、直ぐに誰のことか分かってしまうほど悪評高い将軍・徳川綱吉。
「正しき将軍になりてこそ、生類すべての命を慈しむ世がかなえられる」
慈愛・慈悲の心を抱き、忠孝・礼儀を常に重んじる、真面目で心優しき人であった。
幕府の大老から天下を治める器量がない、と罵られ、自らはただの一度も天下を望んだことなどなかった。
正に天から降ってわいたような江戸幕府第五代将軍職。
民の父としての覚悟をもって天下泰平のみを祈ってきたのに、やることなすこと全てが報われない不運の人だった。
描き方でここまで変わるとは…今まで抱いていた綱吉に対する印象がひっくり返る。
「断じて最悪の将軍にあらず」
まかてさんの優しさが伝わる作品だった。
投稿元:
レビューを見る
生類憐れみの令などで、史上最悪の将軍と謳われた徳川綱吉。
しかし、本書を読んでいると、民を愛し、争いごとを好まず、武から文へと政を変えた心優しき将軍のイメージが浮かんでくる。
やはり、描く人によってその人物のイメージが変わるから歴史小説は面白い。
投稿元:
レビューを見る
生類憐みの令や忠臣蔵で将軍としての評価の低かった綱吉ですが、最近の研究では、将軍権威を再向上させ、文治政治を推進し、経済政策で元禄期の好景気を支えた事などで、その前半の治世については再評価されつつあるそうです。
朝井さんもその流れに沿って、五代将軍・綱吉と妻の信子を主人公にこの物語を描いてます。
でも、朝井さんの描く綱吉は、私には「修身の先生」のように見えて、帝王の政(まつりごと)を行う人のように見えないのです。
母や妻なのど女性に対しては寛容な一方で、自分を支える老中などに対しては狷介・狭量。少々の相違を見過ごしにできず、政を任せることができなかった人の様です。その治世の前半では、綱吉が許容できる少ない人間である大老・堀田が、たまたま実務にも優れていために善政を敷くことができた。しかし堀田の死後は、許容できる人間(柳沢など)は幕府全体を仕切るだけの能力がなく、綱吉が自ら政に口を出した為に、実務知識の不足から上手く回らなかったように見えます。
「修身の先生」としての忠孝や弱者救済、動物愛護を目指す理想は素晴らしい。でも、その理想を実現するために(多少の事には目をつむって)有能な人間を働かせるという帝王の政治を行える人では無かった。
もちろんこれは小説、朝井さんの解釈で描かれた綱吉像を私の目で見るとそう見えるのです。
朝井さんは何を書きたかったのだろう。評判の悪い綱吉の再評価?それとも綱吉と信子の夫婦愛?
ちょっと掴みどころがありませんでした。