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「移民をめぐる文学」より。
https://note.com/michitani/n/n9fd9f6292a4d?magazine_key=me352ff536670
著者は『偉大なるときのモザイク』(https://booklog.jp/item/1/4896424964
)と同じ カルミネ・アバーテで、物語の舞台も同じく南イタリアのアルバレシュのホラという村。
物語は10歳のマルコ少年と、父のトゥッリオが交互に語っていく。
彼らの家は、トゥッリオ父さんは家族のためにフランス出稼ぎに行っていて冬のナターレ(NATALE。イタリア語でクリスマスのこと)の祭りに帰ってくる。息子のマルコ少年(父は彼を「ビル」と呼ぶんだが)はトゥッリオ父さんの帰りを待ちわび、帰ってきたトゥッリオ父さんは厳しくそして大きく、人生の大切なことを教えてくれる。ナターレの祭りの大きな焚き火の前で、村人たちは集い、父と息子は大切な話をするのだ。
マルコ少年には20歳で大学生の姉エリーザと、まだ小さい妹ピッコラがいる。マルコ少年と妹のピッコラの母親はホラに生まれ育っているフランチェスカ。そしてエリーザの母はトゥッリオが初めてフランスに行った時に結婚したモレーナだった。しかしモレーナは亡くなり、トゥッリオと再婚したフランチェスカ母さんが幼いエリーザの母親にもなったのだ。
一家にとってトゥッリオ父さんが出かけてしまう「フロンチァ(フランスのこと)」という言葉は特別な思いを呼び起こす。せっかく帰ってきた父さんがまた行ってしまう場所。エリーザが生まれた場所。
トゥッリオ父さんは、ある冬のナターレの帰郷で自分の過去を、最初の妻モレーナのことフランスでの労働のことを話す。
物語はマルコ少年のホラでの日々と、トゥッリオ父さんのフランスでの話が交互に語られていく。
マルコ少年は地方で言われる「崖っ子」だった。その地域の畑や野山や谷間を知り尽くして遊び尽くしている腕白少年。犬のスペルティーナを従えて野山を駆け回る。幼い頃に大病を患ってそれが完治してからはもう手がつけられないわがまま少年になっている。
ある時彼らは旅人を見かけた。後に明らかになるのだが、彼はエリーザの愛人だったのだ。…いや男に妻がいるので、エリーザのほうが愛人なんだろうけど。
秘密を知ってしまったマルコ少年だが、エリーザが抱えている複雑な思いも現れる。フランチェスカ母さんは本当のお母さんになってくれたし、トゥッリオ父さんは私を大学に行かせるためにフランスで重労働をしている。でもやっぱり自分だけ母親が違う。たしかにホラは故郷になった。でも自分の本当の故郷はパリだ。そして本当の家族だっていうならどうしてトゥッリオ父さんだけ遠くにいるの、私だったら絶対に夫だけ違う国になんか行かせない!やっぱり私はこの家に居場所なんかない!
トゥッリオ父さんだって出稼ぎになんか行きたくはない。しかし行かなければみんなが困窮する。そう、頭に銃を突きつけられて「お前は出発するか?それともこの弾いてやろうか?」と脅されているようなものだ。
家族が第一だ。だから家族に何かがあったら毎日でも電話をかけに来るし、本当に危ないときは駆けつける。
だがまた出発しなければいけないんだ。家族のために。
アルバニアから逃れた祖先がイタリアで作った共同体だが、そこでは仕事がない。さらにフランスに行けば軽んじられる。だが家族のために生きる。抗う。
そして今年もナターレの祭りが行われる。焚き火の前にたったトゥッリオ父さんは今までの鬱屈を、今までの努力を晴らすようにある宣言をする。
父トゥッリオ、マルコ少年、エリーザ姉さんそれぞれが自分の道を見つけた。
そしてマルコ少年は「父さんは僕がホラに残れるために働いている。だけどきっといつか僕はここを出発するだろう。」という予感を思うのだった。
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ナターレの祭りは父の帰郷の祭りでもある。そして「帰郷」とはもちろんホラに帰ってくることを挿すのだが、だがラストで生まれた街のパリに旅立ったエリーゼが、そのためにむしろホラはもう一つの故郷で、半分血の繋がらない家族が本当の家族だと思う、体は遠くても心という意味では「帰郷」を果たしたのだろう。
小説としてちょっと読みづらかったかなーというのはある…。語り手がマルコ少年とトゥッリオ父さんの二人で、時系列も真っ直ぐではない。そのような形式の本はたくさんあるけどさ、ちょいとこれは読む流れに引っかかっちゃったんですよね。それでも十分読みやすいんですけどね。
あとこの作者、性行為場面が浮いているというか、無理に書かなくて良いと思う(^_^;)