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やるせない話。だけどリアルで匂い立つ話。
それぞれに楽しみがあって、憂いがあって、悩みがあって、苦しみがある。それでも生きることは人の業であろうか。
そのなかで輝きたいと願うことは過ぎた願いだろうか。
愚鈍な娘、という言葉で片付けてしまえばそれまでかもしれない一人の女性の、ささやかでかぼそい人生の輝きを、そのどうしようもない人生に見る。
この人生に意味があるのかないのかわからないけれど、それでも人は、その生自体に自覚的であれ、無自覚的であれ、人生を生きていくし、主体的に選んでそうするのか、はたまた流れ流れてそうなるのかわからないけれど、生きていくのだ。
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『ねぇ、ブラジャー買おうよ。そんな大きなおっぱいに直接Tシャツ着てたら、周りの人に気の毒だよ』
…という引用からレビューを始めるのは流石に気が引けます。皆さんの さてさて を見る目が変わりそうで怖いです。でも、その場面がこの作品の中でとても重い意味を持つものであるなら、これはやむを得ないところでもあります。ということで、さてさて は怪しくありませんので誤解なきように。では、このままレビューを続けさせていただきます。
さて、母親が娘を育てる時、その身体の変化には特に意を払うところがあると思います。父親が息子を育てるのとはこの点全く異なる点だと思います。そして、そんな娘と何らかの事情で遠く離れて暮らす場合、特に中学生という多感な時代に、二年間も会うことがなかったとしたらその身体の変化は母親の想像を大きく超えることもあるのだと思います。
そんな久しぶりの母と娘の再会の時間を丁寧に描写した作品がここにあります。『すっかり大人びた千春の、駅でこちらに駆け寄ってきたときの胸に驚いた』という二年ぶりの再会。『歩くと上下に揺れて、ひどく挑発的だ。こんな大きな胸にブラジャーのひとつもさせないでいる実家の母を思い浮かべ、ため息をついた』母親。『ねぇ、ブラジャー買おうよ…』と娘に語る言葉の中に色々な思いが去来する母親の胸の内。『夜の世界に入ったころは生活が落ち着いたら娘を呼び寄せるつもりでいた。叶わないまま十年以上過ぎてしまったのも、男運の悪さと割り切ってきた』という母親。『二年ものあいだ娘に会わずに過ごしてきた自分を責め』る母親の『今まで男に向けてきた感情が、娘に向いたひととき』というその瞬間。下着売場で思い知る、娘の知らなかったあんなこと、こんなことに驚愕する母親。しかし一方で、離れ離れだった母親に久しぶりに会えた娘にとってはこの上なく幸せな瞬間と感じたであろうその時間。
そんな再会を経た、母と娘それぞれのそれからの人生が描かれていくこの作品。それぞれがそれぞれに納得できる人生を生き、そして納得しながら死んでいく。それは、夜空に煌めく星々も同じです。生まれながらにして、その質量がその星の一生のあり方を決める夜空の星々。そして、それぞれに命の限り輝き続ける夜空の星々。この作品は、そんな星々の輝きに、儚くも短い人の生き様を重ねる物語です。
『有線放送のリクエストはいつもと同じ伊藤咲子の「乙女のワルツ」だった』と『黒電話のダイヤルを回しながらヤマさんに向かって微笑む』のは塚本咲子。『名字はアキヤマだが、スナック「るる」ではママも咲子も「ヤマさん」と呼んでいる』というヤマさん。『咲ちゃん、ワルツを教えてあげるよ』と『げんこつひとつぶん体の隙間をあけてワルツを教えてくれる』紳士的なヤマさん。『好きといえばいいのにー』という『出だしで始まる歌が、天井のスピーカーから流れてくる』店内。『十九で夜の世界に入った。本当は三十一だけれど、二十五歳ということにしてある』という咲子は、ススキノ、旭川、そして釧路に流れ着き『その街ごとに、自分を捨てた男や咲子のほうから逃げた男がいる』という過去。そんな咲子は『仕事のない日曜の夕方は道央の実家に電話をかけ』ます。それは『実家に預けた中学一年の娘と』繋がるためというその電話。『生まれて初めてつきあった男とのあいだにできた子だった。相手にまさか妻があるとは思わなかった』という結果論。『千春、元気なの?ちゃんと食べてる?風邪、ひいてない?』と訊く咲子は『夏休みならこっちに遊びにおいでよ』と誘います。『行っていいの?』と『なにを質問しても平坦だった娘の声が、はっきりとわかるほど明るく変化した』その瞬間。『正月も帰らない年が二年続いていたことと、一緒に暮らしている男がいないこと。そして夏休み』とタイミングの良さを考えた咲子。『無邪気に喜ぶ娘も不憫だが、こんなことで母親気分になれる自分も安い女だ』と思いつつも『「待ってるから」と言って受話器を置いた』咲子。そして『現れたのは、千春には違いないが咲子の想像よりずっと成長している』娘でした。そんな娘を見て『Tシャツの上にくっきりと乳首が浮き上がっている。歩くと上下に揺れて、ひどく挑発的だ。本人にそんな意識がないぶんよけいにたちが悪い』と驚く咲子。『ねぇ、ブラジャー買おうよ…ばあちゃんは、なにも言わないの』と訊く咲子に『さらし巻いておけって。でも、暑いから』と返す千春。『大正生まれの母に孫のブラジャーまで要求するのは欲張りなのだろう』と思う咲子は早速千春に買い与えます。『これで先生に触られなくなるかもしれない』と言う千春に驚く咲子。『二年も娘の成長に関心を持たなかった自分への戒め』と考え込む咲子は『日曜日は一緒に動物園に行こう』と千春を誘います。そんな咲子の『罪滅ぼし』を『素直に喜んだ』千春。そして『咲子は「るる」に出勤』して、ヤマさんとまたワルツを踊ります。そんな時『咲ちゃん、次の日曜日はあいてるの』と訊かれ『妹が遊びにきてるの。日曜日は動物園に行こうって約束しちゃってて』と慌てて答える咲子に『あぁ、それなら僕の車で一緒に行こう』と誘うヤマさん。そして迎えた日曜日…と描かれていく一編目の〈ひとりワルツ〉というこの短編。咲子という人物の人となり、そして中学時代の千春の貴重な姿を垣間見ることのできた好編でした。
九つの短編から構成される連作短編の形式を取るこの作品。そこでは、咲子、千春、そして やや子という三代にわたって続く母、娘、そして孫が辿る人生が描かれていきます。そんな三人の中でも千春に最もページ数が割かれるこの作品では、千春という人物を見た目(身体的特徴)と、性格を極端なまでにはっきりと読者に印象づけていきます。そんな千春が初めて登場する場面は、『そんな大きなおっぱいに直接Tシャツ着てたら、周りの人に気の毒だよ』、『まさか千春の胸がこんなことになっているとは思わなかった』という千春の胸の大きさを心配する咲子の母親としての顔が垣間見れるシーンでした。あまりにも無防備な娘をなんとかしてあげたいと思うも『おサイズが』と『特別サイズ』しか合わず『咲子でさえ買わないような、色気も素っ気もない肌色のブラジャー』という選択を不憫に思う咲子の様子など、物語冒頭の夜の顔から一変した咲子の母親としての姿が描かれていきます。そんなこのシーンは、違和感を感じるほどに、咲子の胸の大きさを強調する描写が続きます。そして、この作品で母と娘��同じ場所で同じ時間を過ごす姿が唯一描かれる貴重な場面にもなっています。では、桜木さんはどうしてこの場面に執拗なまでに重きを置いたのでしょうか?二編目以降に読み進めた読者はそれが桜木さんの秀逸な演出であったと気づくことになります。連作短編の中心的人物として以降もずっと登場し続ける千春ですが、彼女自身に視点が移ることはありません。色んな街の色んな場所で、そして色んな人の元に現れる千春。そんな千春の登場シーンは『千春』という名前が出るより先に『作業着の胸のあたりで留めたボタンがはちきれそうになっており、そこだけ妙に目を引いた』とか、『胸元に、深い谷間が見えた。腰まわりや脚はほっそりとしているのに、胸元だけが妙に豊かだ』と、その人物の見た目(身体的特徴)が描かれます。一編目で執拗なまでに千春の身体的特徴を印象付けられた読者は、この描写によって、どういう形で現れようが、その人物が千春であるとすぐに気づくことになります。また、そこに一編目で執拗に描かれた『ひどく挑発的だ。本人にそんな意識がないぶんよけいにたちが悪い』と、母親の咲子が娘を心配したあの場面の母親の想いも合わせて重なっていきます。そんな身体の描写の一方で千春の性格描写も母親・咲子との再会の場面での印象が終始つきまといます。ブラジャーを買ってもらえて『これで先生に触られなくなるかもしれない』と咲子に話す千春は『ブラジャーくらいしろって、ずっと怒られてた』と母親に淡々と今までの事実を説明します。恥ずかしがるでも、怒るでも、ましてや悲しがるでもなく淡々と話す千春。それは、『清潔とは言いがたい風貌で、どこか愚純な気配が漂っていた』、『とにかく愛想のない子でねぇ。やたらと腰は低いんだけど、誠意が伝わってこない』という、どこか感情変化に乏しい千春の姿が自然と浮かび上がってきます。このように、千春の見た目(身体的特徴)と、性格の対比が全編に渡って一貫するこの作品。それは、そんな千春自身に視点が移動しないこともあって、彼女が本当は何を思い、何を考えているのかを掴むことができない悶々とした思いを読者に抱かせます。それが結果として曇天の下で鬱屈と沈んだような空気感を上手く作り出しているように思いました。
また、この作品では、咲子、千春、そして やや子という親子三代の母・娘・孫の人生が描かれていきます。こんな風に書くと、そんな三人の関係性が大河小説的に描かれていくのか?と思われるかもしれませんが、これら親子同士の関わりが描かれることはほとんどありません。それぞれの人生の中でお互いの人生が重なる期間はありますが、それは『道東で、少しのあいだ一緒に暮らしたことがあるの。でも、あの子のカード使ってお金借りて、そのまま逃げちゃったんだ』という咲子のなんともいたたまれない過去として語られる関係性程度です。咲子と千春、そして千春とやや子は間違いなく血の繋がった親子にも関わらず、色んな事情で離れ離れになった人生が描かれていくこの作品。そんな彼女たちの繋がりを『千春の娘は母の名前も知らないけれど、それでも血はつながっていく…会えなくても、思い合っていれば、どこかで生きていてくれればそれでいいのでは』と語る桜木さん。淡白にも感じられるその考え方ですが、世の中には家族の���も色んなものがあるのは事実ですし、血の繋がった親子と言っても、”サザエさん一家”のような暮らしが全てというわけではなくなっています。「星々たち」という書名のこの作品。そんな星々が煌めく夜空を見上げながらこの作品を振り返る時、『星はどれも等しく、それぞれの場所で光る。いくつかは流れ、そしていくつかは消える。消えた星にも、輝き続けた日々がある』と、やや子が語ったそんな感覚が彼女たちの人生に重なるのを感じました。この作品で描かれた親子三人、中でも千春の生きた人生は、決して幸せだったようには思えません。親から見捨てられた青春期、親から裏切られたその後の再会、そして…という彼女の人生を思えば思うほどに、あまりにも波瀾万丈な人生を彼女は送ったのだと思います。しかし、千春に視点が移動しないこの作品では、彼女が自分の人生を本当はどのように思っていたのかはわかりません。そこにあるのは千春は千春の人生を確かに生きたという事実だけです。一方でこの作品で視点が回った他の人物たちも決して幸せな人生を送ったとは言い難い側面も描かれていました。そのことは視点が移ったから分かるだけであって、他人がどんな時に幸せを感じているかなんて、ましてや他人が幸せな人生を送ったと感じたかどうかなんて本人以外には誰にも知る由はありません。そう、まさしくそれは、夜空に煌めく星々も同じこと。そこには星々の数だけドラマがあり、そしてそこには人の数だけドラマがある。三代に渡る女性三人の生き様を見るこの作品。そこには、この世に生を受けたからには、それでも生きていく他ない人の孤独さと、そんな中にも小さな喜びを見つけて前へ前へと歩んでいこうとする人のしたたかさがありました。
『人と人って、そばにいたらそんなに深く知り合う必要はないんじゃないかといつも思うんです』と語る桜木さん。『知らないからこそ一緒にいられる関係もある。わかった気になってしまうのが一番怖い』と続ける桜木さんがおっしゃる通り、人は一緒にいること、それだけで安心感を得る生き物だと思います。しかし、いつも一緒に暮らしている家族と、そうでない家族を比べて、必ずしも前者の方がお互いを知り合っているとも言い切れないと思います。離れていてもお互いを思う気持ち、たとえ顔さえ知らなくとも心のどこかに相手を思う気持ち、そういったものがあれば、人は繋がっていけるのではないかと思います。
『なんだかね、いいような気がするの。すべてが、良い方向に向いて、それぞれが自分で選択した場所で生きて死んだんだって、そう思えるの』。
それぞれの場所で、それぞれに一生懸命輝いた咲子、千春、そして やや子の人生の煌めき。終始重苦しい物語の中に、夜空に煌めく色とりどりの星々の姿に重なる人の生き様を見た、そんな風に感じた作品でした。
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自分もまた小さな星のひとつー。解説の、限りなく暗い世界をじっと凝視しているとその底に微かに光を発するものが潜んでいることがわかってくる。…そういう感じ。というのがまさしくそんな感じで好きでした。
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人は誰しも1人で生きて、1人で死んでいく。
そんな中で紡がれていく命や星々のような人々への愛を感じる作品。
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読んでいて苦しくなる。それは、この本が生きることの苦しさや不条理や苦しみから目をそらしていないからだ。真っ直ぐに、容赦なく直視している。
だからこそだろうか、身につまされて息ができないくらい一気に読み進めて、先が知りたくてどきどきする。そして、読み終えた後に、寂寥感が残る。それは人生の、生きるということのどうにもならない虚しさだろうか。
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図書館にて。
暗い。辛い。なんなのだこれは。
貧困、家族の不和や虐待、様々な問題がこれでもかと降り掛かってままならない人生。
選べない、地を這うような毎日を思うと何なのだろうと思う。
ラストにちらりと見えるかすかな希望で少し救われる。
この本の中では人生は悪くないなど簡単に言えないけれど、それでも生きていかなくてはいけないのだなとうっすら思う。
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たまに読みたくなる桜木紫乃。
今回もいつものように、うらぶれた町に怪しい男に酒・・・という始まり。
大好きな連作短編集なのだが、千春がねー、もうなんなんだろう。咲子も咲子だったんだけど、みんな短絡的で。
でも千春の書いた詩、ちょっと良かった。どういう人なんだろうと興味をそそられるのはよくわかる。
咲子も千春もあんなだったからやや子にも期待してなかったけど、祖父母に育てられたのが良かったのだろう、負の連鎖からは逃れられそうだ。
しかしこの人の小説はほんといつも曇天のイメージ。
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生き辛そうな母娘孫3世代の物語。
でも、当人たちは淡々と逞しく生きて生ききったように思った。
桜木紫乃さんの本は、どんな人をも肯定してくれていて、重苦しい話も不思議と心穏やかに読める。
心に残った一文-------
『優しく捨て合う関係や、愛情という呪いのような押し付けを欲しないことを、わかってくれるだろうか。声に出さず問うてみる。いつものように「わからなくてもいいのだ」という思いが気持ちの曇りをさらっていった。』
誰かに理解されなくても、存分に生きていいと、読み取りました。
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育った家庭環境がその人の性格、とくに性愛に関する傾向によく反映しているなあ、という印象。
生きづらそう、とは思ったが、それは私の価値観で彼女たちの人生を生きたらの話であって、彼女たち自身は至って自然に道を歩いているのだと思う。
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ある母親、娘、その孫の物語。北海道の田舎町が舞台で、薄暗く風が冷たい冬の空のような空気感。
必死で生きるなかで誰かを思う強い気持ちや煌めくような瞬間がある。
後先考えずに進んでいくタイプの主人公に共感は全然できないけど、こういうタイプもいるのかも知れないとは思う。