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『自伝的要素が強い』と言われている長編。
確かに要所要所に『記憶よ、語れ』と共通するエピソードやモチーフが見え隠れしている。内容も一見すると『ふつうの青春小説』だが、つい、『何処かに隠れている何か』を探しながら読んでしまうw
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特に筋らしい筋があるというわけでもない。
父祖にスイス人エーデルワイス家をもつマルティンは革命に故郷ロシアを追われ、ケンブリッジに入学し、長期休暇にはスイスの母の家に戻り...それから....と色々なエピソードや人物が出てくるものの一見すれば前後に必然的な繋がりやらがあるとは思えない、そんな小説である。
ところがどういうわけだろう。これがすごく面白いのだ。滔々と流れゆく文章、台詞による改行も滅多になく、頁には文字がびっしりと敷き詰められているにも関わずにである。確かにある種の読者を捉えて離さない何かがこの書にはある。
細々とした取るに足らない事柄に対する風変わりな主人公の嗜好の息遣いがこちらにまで移ってきそうだし(その細部への愛着が行間の隅々にまで行き渡っている)、処女長編『マーシェンカ』やその他の著者の作品にもしばしば見られるようなクリミアから船で黒海を渡り、ボスポラス海峡を通り抜け朝靄のなかのモスクのミナレットなどのイスタンブールの光景を横目に見ながら地中海に出る亡命ルートだったり、ベルリンの朝の空気などのナボコフの自伝的なモティーフといった魅力が読み進める内にいつしか互いに融け合っていって、得も言われぬ快感を引き起こすのだ。
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1932年作。私の偏愛する作家の一人、ナボコフの初期作品とのこと。
複文節を多用し、やたらと長いセンテンスを重ねる点はそういえばヘンリー・ジェイムズと共通点があるが、ナボコフの場合は変態的で、話がどんどん脱線していったりする。そんな妙な文章を味わうのがたぶん正しい楽しみ方であろう。
その上本作では、しばしば改行もなく、何の説明もなしに突然話が時空を超え、かなり未来やかなり過去の場面へと移り変わってしまうのだ。知らずに読んでいると「あれ? あれ?」となってしまうから、気をつけないといけない。私の知る限り、こんな妙な書き方をしているのはナボコフでも本作だけではないだろうか?
しかしそれも慣れてくると、不思議なトポロジー的飛躍をもったこの作品世界にも親しみが湧いてきて、何やらプルーストを細かくちょん切って分かりにくく並び替えたようなものに見えてくる。ゴダール監督がよく使うコラージュ的な切り替えにも似ている。
ただし本作ではさほど異常な事件は起きないので、比較的平穏な青春小説となっている。ちゃんと青春っぽい輝かしさもある。が、奇妙な書き方をどう受け取るかで人の評価は変わりそうだ。自分には面白かった。
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ナボコフの良さがわからない。10冊位読んだ。どれもよくわからんかった。なぜあんなに評価され、知名度があるのかがよくわからない。故に気になり、また手に取り、またもや。掘り下げる前に、「金持ちの五体満足ゆえのゆううつ」が鼻について、ムカムカしてしまって。ソローキンを表現する上で、今までのロシア文学をぶっつぶす、みたいな表記をよく見かけ、こういう感じのロシア文学ならば、どうぞやっておしまいなさい、と、それについては大いに共感する