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脳神経外科医として死と向き合ってきたポール・カラニシが肺がんになる。
症状から自分ががんであるとわかったときの気持ちはいかばかりであろうか。医師としては患者をひとつのプロジェクトと捉えることで仕事の効率化を図ることができる。しかしそれは一部分でも人間を人間として扱わないことに他ならない。
ポールはそれを決して否定はしない。しかし医師から患者へと立場を変化させることでその残酷さを体感することになる。
人として生きることとはどういうことか。生きる意味とはなにか。「がん患者」ポールにとって脳神経外科医の仕事はあまりに過酷だ。睡眠時間も体力も私生活も削って向き合わなければならない。
がんから一旦復活したのになぜ激務に戻るのかはポールにしか理解できないし、ポール以外の人間は理解する必要もない。ただ受け止めるだけだ。
もしかしたら医師としての仕事ががんの再発を促したのかもしれない。しかしポールは後悔しない。
ポールは病を理解し、受け入れた。
それだけの能力があった。
ある人は民間療法に頼り、ある人は宗教に頼る。それも選択だ。その人たちにとっては生の時間を延ばすことだけが生きる意味になる。
それ以外の選択を排除すべきではないのだ。
生きるために生きるという選択肢は、ある人にとってはもはや死んだのと同じなのだ。
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本当の生とはアイデンティティを確立していく過程(意味の獲得)。決して、生物学的な生ではない。生きながら生きていない人はたくさんいる
-私たちのアイデンティティとは、この先も長く生きられるという見通しと密接に結びついている(短いなら家族、中くらいなら本、長いなら外科医)
-エマはかつてのアイデンティティを取り戻してくれたわけではなかった。新しいアイデンティティを作り出す能力を守ってくれたのだ。そして、私は悟った。新しいアイデンティティを自分で作らなければならないのだと
-人間関係 :家族、子供
-目的(他人):外科医、人を助ける
-目的(自分):相対論の完成
-優秀な脳外科医でも、自らが死を前にするとアイデンティティが揺らぐ。私の人生には意味があったのだろうかと
-データを分析することはできるが、それがルーシーと私に子供を持つべきか教えてはくれなかったし、自分の命が消えつつあるなかで新しい命をはぐくむことにどんな意味があるのかも教えてはくれなかった。統計を超えて、死を個別に向き合わなければならなかった
-自分にとって一番大切なものは何か、考え「続け」なければなりません。脳神経外科がだめなら、父親になること?脳神経外科でいること?教師になること?
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サブタイトルは「末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」です。先日読んだ、「最高の老後」の中にあった推薦図書です。カラニシ博士は脳神経外科医。当然医師としても生死というか、患者の生きる意味を考える立場にいた。手術のリスク、場合によっては何か障害が残るかのうせいがある、障害によって何かができなくなる場合、その何かは生きることよりも意味があることなのか?そういうことですね。そういう彼が、これからという時に自らの病を認識した。自分にとって生きる意味とは何か?それは、「手術をして人を救いたい」ということだった。家族を残したいということだった。そして、再び手術室に立つために、どういうリハビリをしなければいけないか。簡単にいえばそういうことなのだけど、人間は死を意識した時、考えるのは死ぬことではなく、何のために生きるのか、生きる上で何が大切なのか、生きる上での価値観ということだったということ。つまり、自分の死を考えることは生きることを考えることなんだということでした。
人間はいつかは死ぬ。それは変えられない事実だし、誰もが知っているけど、その割に何のために生きるのか、生きる上で何が大切なのかを改めて考えることなく過ごしてしまっていないか。こういうことを機会に、自分の価値観、生きる上で大切なこと、そのために何をすべきかを考えるべきと改めて思いました。
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あとがきに、著者がこの本を書いた目的について、親友に宛てたメールの中で「(読者は)僕の靴を履くようにして僕の境遇に身を置き、その靴で少し歩いてみて、そうか、ここからの景色はこんなふうに見えるんだな…遅かれ早かれ、今度は自分の靴を履いて、この場所に戻ってくるんだろう”と言うんだ。僕の目的はたぶん、そういうことなんだと思う。…道の先に待ち受けているのはこれなんだと示すことなんだと思う」とある。
著者の目的は充分果たされている。
死へのカウントダウンの中、著者がよくこの死と誠実に向き合った記録を残してくれたと思う。
死が目の前に見えてきた状況での心の準備、予行演習という点で、とても読む価値があった。
と同時に、健康で過ごせる今を充分に生きなければと励まされた。
また、大病を患うと読書が出来なくなるというくだりがあり、大好きな読書であるが、いつまでも読めると思わず、読めるうちに読まねば!と思った。
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末期の肺がんとなった脳神経外科医 Paul Kalanithi の記録。
これからと言うときに、自分の命の限りを突きつけられた。でも、希望を捨てず、医療現場への復帰を目指し、現に復帰したポール。そして、激務に身を置く。そんなに頑張らなくてもいいじゃない、と思った。体によくないんじゃないか、と。
でも、彼は言う。
「奮闘しない命を描くことは、縞模様のない虎を描くのと同じ」
「最も楽な死が必ずしも最良の死ではない」
小さくなっていた癌が再び大きくなったのは、もしかしたらあの激務も大きな要因なのではないかと思ってしまう。自分の病状にあわせて生きてもよかったのではないか。でも、どう生きるか、それはその人自身が決めること。
彼は最期まで希望を捨てることなく、あのように生きることができた。彼の生きるということに対する姿勢は勿論だけど、彼を支える人たちの存在も、その大きな要因。
ポールは自分にあとどのくらいの命が残されているのかが分からなくなってしまったとき、アイデンティティの危機に陥った。その彼を導いてくれたのが主治医のエマ。
「エマは私にかつてのアイデンティティを取り戻してくれたわけではなかった。新しいアイデンティティをつくり出す能力を守ってくれたのだ」。
あきらめないこと、やりたいことをもつこと、人との関わりを大切にすること、当たり前のことだけど、それは人を守るんだって思った。
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末期がんに侵されて死の意味を考えさせられ、妻と子供との離別に悲しみにくれるというドラマチックな話だ。人はたいてい死ぬまでは死の意味を考えない。だからこそ生きる大切さを普段から考えることが必要だと思う。生きる価値があるのはどんな人生か、死や病気を理解できるように患者や家族を導く、自分という存在の真の意味、死にゆく男の日々を喜びで満たした娘、感謝の気持ちを持て、感動のストーリーだ。
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人生の成功を掴み掛けていた時に末期の癌が発覚した著者。癌との闘いは厳しいものだったのは間違いないと感じるが、著者が癌になってから過ごした時間の全てがその闘いの苦痛に満ちただけの時間でないことも確かだと感じた。
本文中にいくつか惹きつけられるフレーズを見つけた。それはいずれも著者が懸命に生きようともがいた結果生まれた言葉である。
死は誰にも訪れる。しかし、その死を迎える方法は自由だ。著者の生きる姿からは、「死を身近に感じていない自分は、果たして精一杯に生きることができているか」「今ある時間を生きるってどういうこと?」という問いについて考えさせられる。自分なりの生き方を見出し、ただ死に向かうのではなく、死ぬまでの時間を生きるような在り方でいたいと思う。