投稿元:
レビューを見る
最近めちゃくちゃ気になってるAIの執筆について。
実際の研究(意味の通る文書を機械的に作る方法の実現)と、その成果(AIがかいた※小説)の星真一賞への応募について。
論文まではいかない、その一歩手前で、だからこそ研究の真意や見通しも噛み砕いてわかりやすく書いてくれていて、とても読みやすく面白い。
言語をAIに認識させる研究、というもの自体にすごく興味がわく。
結局、AIはゼロからは生み出せない。
でも人間だって。これまでのインプットがなんらかあってのこと。
それはともかく、AIの場合は、いろんな制御パタンを与えて、パラメータを与えて、パラメータ同士の関係を与えて、、と、ルールに継ぐルール。ランダムなパラメータ設定でも、意味を成すように、ギリギリのラインの設定はされてたみたい。
最終的なAIのゴールとしては、世の中にある文章を限りなく読み込み、起承転結のトリックも含めて認識し、パラメータ化し、どの入力をさせるのかを決め、その結果としてはじきだす、ということなのだろうか?
後半の、AIを東大に合格させる研究も非常に面白い。
入試問題の各教科で、ベースになるのはやはり語学力。AIも、日本語を"理解"できないと(正確には、"理解""しているかのように")、いくら数式がつくれたって、問題文から直接数式を組み立てるところまではできない。
そして、今回の小説はAIが書いたといえるのか問題。北極システムと南極システム。レゴのセット。
境界は間にあって、つまりは受け取り方しだい。
コンピュータが○○をできた、というのは擬人的な表現でしかなく、本来の意味は、"○○のためのアルゴリズムがわかった"ということ。賢くなったのは人類であり、機械ではない。
→それを勝手に実装していくのがAIなのでは?それがシンギュラリティなのでは?
文法を満たす文を作っても、その文が意味が通る文かを判定する機械的な方法は明らかではない
研究者自身の言葉で書かれていることの意義
理性↔︎感性、ではなく、センス↔︎後付け論理で研究を語る筆者。直感で選択してから、うまくいったあるいはうまくいかなかった理由を論理で考える。納得。
現在の科学では、意識というものが説明できない、ゆえにコンピュータが意志を持って何かをするなど、現時点ではありえない。
→AIが意志を持たずとも勝手に"学習"していった結果、意志なき意志が生まれてしまうのが、こわいのかも
理系の学者が、ことばを扱うということの面白さ。
書かれている文章自体が非常に明晰で軽やかでわかりやすい
投稿元:
レビューを見る
・参考図書指定科目:「AI(人工知能)入門」
<OPAC>
https://opac.jp.net/Opac/NZ07RHV2FVFkRq0-73eaBwfieml/a63eOBOMxCf7KozwriFsP3dh1Lk/description.html
投稿元:
レビューを見る
AI作家の正体とは?
星新一賞は人工知能による作品も受け入れている。この本が出版された2016年から10年近く経って、私はこの研究がどうなったのかも、星新一賞がどうなった(AI作家が受賞したかどうかも賞の要項が変わったかどうかも)知らない。しかしChatGPTなどが文章を書いてくれると話題になって、レポート課題を肩代わりさせる事例が出てくる今、気になった。人工知能が文章を書くとは?
この本を読んで私が気付いたことは、プログラムによって型が決まった文章を生成することはできるということ、また、文章を生成するプログラムにどれだけ労力をかけるかが問題だということだ。著者の挑戦を読んだ限り、文の構造を決めて、そこに入るパーツを入れていくことで文章を生成するわけだから、本文でも触れられているが、定型文のメールなどや、天気予報やマーケット情報など報道関係で型が決まっているものは十分にできる。
文章を書く力、特にChatGPTのような文章生成AIが登場した今、人間はプログラムに頼りながら文章を作れる。では、人間に何ができて、プログラムには何をしてもらえばいいのだろう。出版された時点では、文の意味が通るかどうかの判定はまだプログラムには難しいようだ。ではそれが人間の役割だろうか。
プログラムが生成した文章を人間が修正しつつ使う。芥川賞受賞作家も生成AIを使っているそうだ。コンピュータには意識もなく自由意志もない。「書きたい」気持ちは人間にしかない。それならば、AIへの恐怖を語るより、AIと共になら何ができるか考えたい。適切な役割分担でよりよい小説ができるなら、楽しみである。