紙の本
「ファニア歌いなさい」について
2018/01/27 23:54
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
30年余り前に邦訳(原書がフランス語で、邦訳者からして、多分、英語からの重訳)が出た「ファニア歌いなさい」を、著者がアルマ・ロゼの囚人オーケストラにはふさわしくない、ただのシャンソン歌手でポーランド人を反ユダヤ主義者と見做している人物だと人格を含めて幾度となく批判している。アルマ・ロゼの囚人オーケストラという囚人達からは憎まれた「特権的」なところで過ごしたフランス人を酷評するのは、「ファニア歌いなさい」の訳者あとがきで手を入れるように著者から指摘された事が書かれているが、どうやら「チェロを持った少女 アニタ」の著者のアニタ・ラスカーと姉のレナーテなのは、読み比べて分かるように、実際に起きた事をねじ曲げて自分を立派な人物だと書いているようだ。「チェロを持った少女 アニタ」ではファニア・フェヌロンは遠回しに批判しているが、アニタ・ラスカーと一緒に映った写真が掲載されているので、この本の著者と同意見なのだろう。
もっとも「ファニア歌いなさい」でベルゲン・ベルゼンに英軍が到達した時に、よりにもよって、あのイルマ・グレーゼがファニア・フェヌロンに「親切にも」英軍が来た事を教えた事が書かれているところを見ると、この人物が実際はとんでもない人物なのかもしれない。つまり実際にアウシュヴィッツやベルゲン・ベルゼンにいた人物でも、信用出来ない本を書くという事だ。
紙の本
音楽を楽しめる「当たり前」をいつまでも
2017/05/21 10:35
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投稿者:ヤッツ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「人生が終わりを迎えようとしている今、そんなことを書く価値はあるのでしょうか?それは読者のみなさんの評価に委ねることにします」と著者はエピローグで書いています。私はこの本を読んで、とてもよかったと思います。
強制収容所では、単に強制労働をさせられて、そして死にゆくのを待つだけだと思っていましたが、音楽を使って気持ちを盛り上げさせていること、また収容者の中にも地位をつけて、秩序を維持させようとしていたことなど、ある意味、うまいやり方をやっていたのだと知りました。こんなシステムを考えるなんて、ある意味すごいけれども、人はひどいことを平気でやってしまうものなのだと感じました。
著者は、バイオリンを弾けたということで、収容所の中でも比較的よい環境に身を置くことが出来たとのことですが、強制収容所で演奏することに対する葛藤の気持ちというのは、想像してもとても想像できるものではなかったのではないかと思います。同じ演奏をするのなら、純粋に音楽を楽しめる環境で演奏をしたいし、聞く側としても純粋に演奏を楽しめる環境で聞きたいものだと思います。音楽など文化は、戦争などではない、何かに対する恐怖や不安がないからこそ楽しめるものなのかなと思います。
ナチスは過去のことかもしれませんが、ナチスの歴史は繰り返してはならないと思います。単にナチスだけでなく、戦争は人の命を奪い、生き延びたとしても体や心に多くの傷跡を残すものだと、改めて感じました。楽しいことを楽しいと思える、美しいものを美しいと感じられる、そんな環境はとてもありがたいもので、それが当たり前である状態を維持し続けなければいけないと、強く感じさせてくれる一冊でした。
自らの体験を語ってくださった著者に感謝し、その思いを少しでも受け継ぎたいと思います。
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自分自身が下手ながらヴァイオリンを弾くことから手にとった本。
ヴァイオリン自体の描写はわずかながらこの著者にとってそれは(他の収容者よりも)悲惨な状況を回避し、収容所でもその後の人生でも友情と人の縁を結びつける大きな存在になったようだ。
ドイツ親衛隊員の一人が著者にやさしい気遣いをした部分がとても印象に残っている。
登場人物の名前が覚えられず、誰が誰だかわからなくなってきて、人のつながりの妙がとらえられなかったのが残念だが、それでもこの本の訴えたいことは読み込むことができたと思う。重厚な読後感に浸った。
ナチスドイツによる強制収容関連の本を読むのはこの1年半の間に4冊になった。
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ナチスは重労働や屈辱的労働にユダヤ人を利用しました。ソ連撤退後、彼らに各刑務所に埋めていた死体を強制的に除去させただけではありません。犯罪の跡を消すためにヴレツキェの丘で殺害したルヴフの教授たちの死体をも発掘させました。ユダヤ人の手で掘り出された遺骨は焼かれ、残りはルヴフの東の郊外にあるレシェニツキの森に埋められました。ルヴフのユダヤ人はドイツ占領初期から悲劇的運命に見舞われました。戦争前にはルヴフに15万人のユダヤ人が住んでいましたが、ソ連占領時代にはさらに5万人増えました。それは絶滅への第一歩でした。ユダヤ人に手を貸したり、救出したりすることは非常に困難で危険でした。ルヴフ市内の東部を走る主要道路の1つがドイツ占領時代にマツェヴァ(死者の経歴が刻まれたユダヤ人の石の墓標)によって舗装されました。その仕事に強制的に駆り出されたのは、やはりユダヤ人でした。彼らにとっては何と心痛む労働だったことでしょう。
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図書館の本 読了
内容(「BOOK」データベースより)
もしもバイオリンがなかったら、アウシュヴィッツを生きのびることはできなかった。101歳の生還者の“警告のための記憶”。
若い頃からビルケナウは必ず読んだり調べたりはしているのですが読むには覚悟がいるというのは長らく忘れていた感覚を思い出しました。
あの過酷な環境の中で発狂する人間はいなかったのかと疑問に思っていたのですが、はじめてそこを文章で書いてもらった本だった気がします。
収容所のスラングでその言葉があると言うことはいったいどれだけの人が発狂していたのか。
でもこの過酷な環境での発狂は静かな発狂。心が壊れて無くなるとこうなるのかという恐ろしさ。
そしてユダヤ人で無くてもビルケナウに送られた人がいるというのが改めての衝撃。知ってはいてもやはりアーリア人に虐げられるユダヤ人という図式にとらわれていたので、きちんとドイツ語を話すアーリア人が囚人でいたという恐ろしさも追加。
あのナチ政権での息苦しさはどれほどだったのか。
音楽が身を助けるのでは無く、音楽に疑問を持つ環境で、演奏することが肩身が狭くなるというのは本当にかわいそうです。
ただでさえ過酷な環境で音楽がすくいになるかと思って読んだのですが、所詮ビルケナウ。
ユダヤ人だけではなくいろいろな国の囚人がいて、いろんな組織があり、地下活動で救済の手が伸びていたことも知りました。
数日息苦しいまま読みました。
良書です。
Drogi mojego życia
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戦後すぐには語ることが出来なかった強制収容所での体験
生きてビルケナウを出られたのは奇跡であり、今だからこそ真実を語り伝える事ができるヘレナさんの存在に感謝したい
想像を絶する体験が実直にかかれている
収容所用語も解説してあり、それが現実として実感できる一助となっている
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オシフィエンチム・・これはポーランド読み。独逸語ではアウシュヴィッツ。まず、此処から認識しないといけないと自分は感じた。
WW2が終わって、昭和30年代に入ると徐々にアウシュヴィッツ、ナチス、ヒトラー独裁の所業と虐殺の事実の細部が暴かれ始め、日本に紹介され始めた。
もっとも有名なのは「アンネの日記」当作品内では「ユダヤ人が書いた収容所の記録」と紹介される。
こう言った区別すら、無知だった。更にはビルケナウ収容所ではユダヤ人だけではなく、ポーランド人、ロマなど多彩な人々が収容されていた事。
作者は執筆当時すでに95歳であったヘレナ、日本での刊行時は101歳であった。
ビルケナウに楽団が存在した、その中身は秘されていたし、各人は種々の難解な理由で自らの立ち位置を秘密にしたまま終戦を迎え、その後を過ごしたとある。
内容、経過も実に複雑・・・反ユダヤ主義、コミュニズム。。。ヘレナ自身、そう言った考えに基づくものを忌んでいる。特にロシア人、更にドイツ人への憎悪の気持ちの強さは理解できる。
今、平和が叫ばれる一方、戦争は続いている。
平和を願う気持ちは、世界各地の人々とこういった自国の惨状を経ての苦しみが有った人が等しくあるとは思えなくなって行った。
ポーランド人が受けた100年以上の血の憎悪は乗り越えて平和へと繋げる事は出来るのか大いに疑問を感じた・・そしてそれはロシアとの関係においても。
巻末に有る独特の組織用語一つ一つに塗り込まれたドロドロした人間関係は読書中、心を苦しめ、読むのが辛く、日中しか文字を追えなかった(夜は寝られなくなる)
その組織の頂点で生を燃やしついえたアルマの姿が痛かった。
ヘレナ・・あなたは素晴らしい、素晴らしかった。生き抜いてくれてありがとう。