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投稿者:ぽんぽん - この投稿者のレビュー一覧を見る
吃音症の少年が主人公。
吃音症って、トレーニングで治るものかと思っていた。
知らないことがいろいろわかって、理解が増したかな。
おもしろかった。
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吃音症をもつ中1の悠太。
「練習すれば上手にはっきりと声が出せるようになる」という放送部のチラシで、勇気を出して入部を決意するが…
回りの優しい人たちもステキですが、それと対比するような本人の「話す」ことの辛さが、目から文字として読むことで、そのまま胸にまで響いてきます。
問題は現実と同じで、簡単には解決されません。
だからこそ、主人公の前へ向いた思いがきらきらと輝いて見えました。
表紙も凝ってるからブックコートフィルムをかけたくなかった…図書館だから仕方がないけど、あーもったいない!
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読友はこちゃんさんからのオススメ。
広義で区分けすれば中高生向けのラノベであるのだが一般書として十分大人の鑑賞にも耐える本…と言うか読まなきゃいけない、大人が理解していなければ誰が子供たちを教えるの?
私も身近に障がいを抱えて手帳を持つ人持たない人両方がいた、そしてその人たちと接するなかで「わかってもらえない」悩みを自分なりにでも理解した。
世の中の人でそれに気付く人が1%増えれば悩み苦しみはその数字以上に消えていく。
この本の中の人たちのように理解して行動出来る人を増やしていかねばならない、まずはそこから
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主人公と深く関わる少女を美人にする必要はなかったと思う。
アニメの台本をなりきって読むと治るという考えも一方的で、私が治すというのも不遜である。文章も特別上手いわけではない。
しかし、この本で吃音の若者は勇気づけられ、吃音でない人は吃音の人の苦しみをある程度理解できるようになるだろう。だから、この本の価値はある。
『ペーパーボーイ』も良かったが、あれは吃音の少年が様々な人と関わることで成長する物語で、吃音そのものがテーマになっているわけではなかったが、こちらはより吃音そのものを描いているので、その苦しみがリアルに伝わる。
また、この生々しさは、まだ書き手自身が吃音と格闘中だからだろうと思う。『ペーパーボーイ』も重松清も大人になり、自分の中で吃音と一定のけりをつけ、客観的に見ることができるようになってから書かれた作品で、作家の心に余裕があるのだが、これには殆どない。
現実はこんなに甘くはないだろう。でも、これくらいのことがあってほしいと、きっと悩んでいる若者は思うだろう。物語の中なのだから。とりあえず、それでいいと思う。
学校の図書館には置いてほしい。
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中学校入学後の自己紹介も仮病で逃げるほど吃音で悩む悠太は、その帰りに部活紹介のチラシを受け取る。その中の放送部のチラシが気になり、翌日見学に行くが、きちんと喋れないことが恥ずかしく、逃げ出してしまう。そんな悠太に部長の立花孝四郎と隣席の美人女子古部は、温かく接し、彼は吃音を克服する努力を始める。
吃音に悩む思春期男子の葛藤を、自ら吃音を持つ著者が温かく描く。
英語教師が授業中生徒を当てない(特に中学校1年でありえないでしょ)とか、演劇コンクールで主役を務めた姉が、その芝居の脚本に意義があるからと言って本番でそれを無視した演技をするとか、それが元で演劇部でいじめられたけれども教師からも1年間無視されながらも部活にただ通い続けたとか、美人クラスメートが吃音の彼を友達にしたいがために他の友だちを排除しようと思っていたとか、現実的に考えにくい点は多々見受けられる。
また、周囲の人物が優しすぎることと、その外側の生徒たちが意地悪過ぎることが、不自然に感じられる。
それでも、悩みを持った人の心理描写には納得させられる。
読み物として、というよりも、悩みを持つ少年の気持ちを理解するためにおススメしたい。
中学生向きとなっているが、内容は平易。高学年からイケます。
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できすぎな感じはありますが、周りの優しさにだんだん気づき、最後は演説ができたあたりはジーンときました。
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児童書ということもあって字が大きいのとすこし分厚いかな?と思いきやそんなことはなく、かなり読みやすい内容になっている。
知り合いに一人似たような子がいたのだけれども、ふざけたりしてやっているのだとばかり思っていて、この本を読んでとても後悔した。
確かに障害だというにはあまりにも優しく、障害だとは認めにくいかもしれないけどこの障害を抱えている人達は、話したくても話せないというのが多いと思う、障害と受け入れがたいからわかってもらえず話すことが嫌いになってしまったらそれはとても悲しいことだと思う。
処女作とは思えないほど素敵な作品だった。
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泣けた。普段いかに自分が恵まれている存在なのかをわからせてくれる、改めて考えさせてもらえた本。自分が障害がないだとかまわりの人といっしょだとかで恵まれているとかではなく、自分のまわりに自分を心からわかってくれる存在が一人でもいることを気づかさせてくれた。
一つや二つの頑張りで終わるのではなく、新たな大きい波が来ても、それを吸収してその先にもうひと踏ん張りできる心のスタミナがあるかどうかでも人生変わるのかなと。
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【図書館】うまくしゃべれない吃音症の中学生の男の子の話。結局は理解ある人が側に居てくれるかと自分に自信を持つことで変われるってことなんだ。
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主人公の柏崎悠太は、6歳の小学校の劇で台詞が言えなかった。その時から自分は上手に話せないと意識した。
舞台は良い子が集まってくる公立中学校。悠太は入学式のクラスの自己紹介が言えなくて保健室に逃げてしまう。
悠太は吃音でずっと友達が出来ない。自分を変えたいと放送部に入部するがー。
努力しても問題をクリアできない不甲斐ない自分に向き合い成長していく青春物語。
私も人前で話せない、恐怖すら覚えるので共感して、でも吃音っもっともっと大変なんだろうと思いながらズルズル泣きながら読んでしまった。
ただ、立花先輩や美人のクラスメイトで同じ放送部員の古部さん、担任の椎名先生の秘密というか背景があまりにもすぐに分かってしまい以外性が無くて工夫が欲しい。それから中学校の設定の一部がこんなところある?と思って残念だった。
中学生に大いにおススメ。
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吃音を扱った作品。
自分も今ではだいぶましになったし、吃音と重ねられるものではないかもしれないけれど、中学くらいから滑舌が悪くて舌がもつれることが多くなった。
「はっきり話せ」とか頼んでもないのに忠告をしてくれる大人はいたし、同級生によるからかいもあった。
それだけに、うまくしゃべれないことにコンプレックスを抱いている主人公の思いが痛いほど伝わってきて辛かった。
本当にしゃべるのが嫌になるんだよな。
作中で描かれていたように、悩み事って人それぞれで、見えやすいものもあれば傍目には分かりにくいものもある。
それって当たり前のことなんだけれど、しんどい思いをしているときにはそこまで思いを巡らすことってできない。
やっぱり優しさって大切ですよ。
自分が中学のときにこの本に出会っていたらすごく救われただろうな。
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まわりの人たちがほんとに優しくて、こんなに支えてくれたらがんばれる。
ちょっとストレートすぎるかな。
でもやさしくなれる、気がする。
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中学1年生の吃音症の男子が主人公、自分を思ってくれる姉や母、友人が熱心であればある程、失敗を考えて「やめてくれ、放っておいてくれ、喋りたくない」と心を閉ざしてしまうが。
あとがきによれば、著者自身がもう20年以上の吃音症とあり、言葉が出なくて焦る気持ちや、からかわれたり相手の態度が変わるのを見る気持ちが、詳細に描かれている。まれに治ったり軽減する人もいるそうですが、治療法や原因は解明されていないようです。
フリーアナウンサーの小倉智昭氏も、家族の前ではとても吃ると語っていますね。他にも著名人は国内外に沢山いますし、そんなに気にしなくて良いのでは?と思うのは、喋れるからで、喋れない苦しさはとても大きいと思います。小学生は兎角苦しむ人達の気持ちがわからず、笑ってしまいがちですが、それはとても酷いことだとわかりますし、他にも様々な問題を抱えた人への想像力を広げるキッカケになるかもしれません。
久しぶりに、本を読みながら涙が止まらない一冊でした。
夏休みの読書感想文にも良いかもしれません。小学4年〜
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"私ね、普通の人はみんな嫌いになっちゃったの。みんな……嫌いなの"
ここから始まる古部さんの一連の独白に、自身も吃音で悩んでいたという作者の思いが一番強く込められているのではないか。わたしにはそんな風に感じられた。そしてこれもわたしの想像でしかないけれど、このような本音を登場人物に吐き出させることは(しかも児童書で)とても勇気のいることだったのではないかとも思う。読んだ時、ああここまで書いてしまうんだ、思ったから。
抱えている悩みが"吃音"という非常に重いものと比較対象となるかは別として、悠太が悩んでいる間、姉もまた辛い思いをしていたという構成はWonderにも通じるものがあった。
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中学1年生になった柏崎悠太には吃音があり、うまく喋る事ができない。このため、小学校では友達も出来ず、寂しい思いをしてきた。けれど、家族(母と姉)はそれを責める事もなく見守ってくれて、学校でも大きなイジメもなく過ごしてきた。
けれど、普通にしゃべることが出来ないから、中学最初にある自己紹介は気が重い。初日から笑われるなんて辛い。具合が悪い振りをして、自分の自己紹介前に保健室に行き、自己嫌悪になる。また、逃げてしまった、と。
部活の勧誘チラシをいくつかもらった中に「放送部」があった。「しゃべることが苦手な人でも大歓迎。発声の方法など丁寧に教えます。練習すれば、あなたも必ず上手にはっきりと声をだせるようになります」と書かれている。
無理だ、自分にはできないと思いながらも、姉が「いつまでも逃げずに」「自分からしゃべる機会をつくろう」「部活に入ったら」と勧められ、放送部の見学に行ってみることにした。
部活見学で放送部まで行きはしたけど、自分の名前が言えず、また逃げてしまった悠太。やはり自分には部活なんて無理だと思うのだが、先輩は3年生の立花先輩だけで、1年生が2人入らないと廃部になってしまう。ぜひ放送部に入って欲しいと言われた。
同じクラスの女子、古部加耶(こべかや)さんも入部希望だと知る。
悠太は普通にしゃべれないから、2人に迷惑をかけてしまうと心配したが、立花先輩も、古部さんも、悠太の話をきちんと聞いてくれて、出来ないことはフォローする、と言ってくれた。
中学生活は思いのほか順調に進み出したのだが、国語の授業で音読があり、クラスメイトに吃音のことがわかってしまう。
古部さんは普段は無表情で、クラスでも誰かとつるもうとしないかんじだけど、悠太がはじめてクラスで吃音と知られて辛い思いをしているのを助けだすように、お弁当を一緒に食べようと誘ってくれた。
立花先輩は3年生で、受験勉強もあるので、早めに引退しなくてはならないけど、古部さんはそれも了解して、悠太の発声の練習を一緒にする。
古部さんは、他に人にはアニメが好きなのを隠したがっていたけど、アニメの台本を読んで悠太にしゃべる練習をすればいいと勧めてくれた。
吃音に悩む主人公が、まわりの人の優しさに助けられながら、成長していく物語。