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こういう不思議なお話大好き♪
自分自身をモデルにしているようなしていないような、そういう曖昧さが一層本当の話らしくみせていると思う。
お茶屋さん、行ってみたいわ。
近所の人たちとのお花見も。人と接するって面白いことをいくつも発見することなんだろうね。
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恋愛小説家という肩書きが嫌で、怪談作家になろうと決めた、わたし。
知り合いや友人から時々教えてもらう不可思議な話と、ふと遭遇する不思議な出来事。
知り合いから聞いた話。
つがいでいた蜘蛛を殺してしまったことの蜘蛛の恨み。
山登りで出会った同年代の集団の声。
電車にずっと乗っていた人を追跡して迷い込んだ世界。
部屋を借りようと内見に行った先での閉ざされた押入れ。
わたし、が、お茶屋さんで見せてもらった古地図に浮かび上がる手形。
古地図を持って帰ろうとするわたしを、梯子の上から見ていた黒い顔。
ずっと忘れていたこと。
同級生だったたまみと一緒に行った、廃墟の青い色のマンションでの出来事。
不可解!不可思議!
あれはなんだったんだろうって思うようなことが、やっぱり怪談なのか。この話のように。
私は真相を知りたくなってしまう。
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ちょっと見えたらいいなっておもう反面、実際見えたら怖いだろうか...ともおもう。ざわっと寒気がしたり、イヤなにおいがフッとしたりそういうことはたまにあるんだけども。
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著者が怪談を書く必然性があるのか疑問。怖さやスリルが足りない。
自分は、著者が普段書いている純文学寄りの小説については、労力やパワーを費やして解釈をし想いを巡らし作品世界に入っていこうとする読み方をしている。他方で怪談を読むときには迫ってくる怖いものにひたすら襲われることを楽しむような読み方をしている。なので純分寄りの書き方で怪談を書かれるとどちらの読み方をすればよいのかわからず十分に楽しめない。
でもさ、怪談ってそういうもんじゃない?
4代目とのにえきらない関係や失言をしてしまいたしなめられるシーンなどはよかった。やっぱり著者はそういう人間関係の中で指にささるトゲみたいのを書く方が向いているのでは?
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恋愛に興味はないが、ひょんなことで恋愛小説家と呼ばれるようになったわたし。一念発起して怪談小説を書くことにしたが、霊感もたいした恐怖体験もなく行き詰まる。しかし、私はとうの昔にひどくこわい思いをしていたのだ。霊感も恐怖体験もないわたしが、中学時代の同級生のたまみや回りの人の日々の中に入り込んだ些細な体験を書き連ねていく。なかにはわたしが体験した話もあった。幽霊ではないが変な物体が見えたり、やんわりした話が多かったが、何回かに一回こわい話があった。日常のなかにすっと入り込む小さな怪異や恐怖体験と触れ合う日々を繰り返していく。そんな中同級生のたまみがわたしに「思い出したか?」と聞き始めるあたりから、わたしが昔体験した恐ろしい出来事を徐々に思い出し始める。正直最初は少し退屈だと思っていた。だが、話も読み進めるうちに、わたしが昔体験したという怖い体験が気になりあっという間に読みきってしまった。ハラハラする怖さというわけではないが、数回うわっ、と思う話があってどきどきした。
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恋愛小説を書くのをやめ、怪談を書くことにした小説家。
その取材の時に聞いたり、自分が体験した何だか不思議な話の数々。
幽霊が現れてギャーというより、ジワジワ忍び寄ってくる怖さ。
そして不思議なまま終わった。
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自分の肩書きが「恋愛小説家」となっているのを見て、考えた末に怪談を書くことにした小説家の話。『文藝 2021年秋季号 特集 怨』の作品ガイドから興味を持ち、図書館で借りた。
前半はちょっと不思議、なんか不思議、ぐらいの話なんだけど、後半では結構不穏な話もある。でも具体的に事象や怪異が現れるわけではない。
恐い話系の本の紹介を見て興味を持ったけど、著者の柴崎友香さんは『寝ても覚めても』を書いた人なのか。と知ってからは著者自身を主人公に重ねながら読むことになった。
藤野可織さんのエッセイ集『私は幽霊を見ない』と続けて読んだのも、なんかよかった。幽霊を見たことがなく、怪奇現象に遭遇したこともない小説家、という部分が共通。
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柴崎友香、いいね。これもよかった。内田百閒みたいな、と言ったら褒めすぎか。
恋愛小説家と言われるのがしっくりこなくて、怪談小説家になろう、というのもかわいらしい。
そう、かわいらしいのよ。文体が。
日常の裂け目からにじむ怪がおかしみの中から浮き出してきて怖い。あとからじわじわ怖い。