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ブログ更新:『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』上間陽子
「聞く」態度は、次にそれを「編集」する欲望を呼び起こすが、著者はその会話の核心部分をテープ起こしそのままで再現する。現代の沖縄の若者のスラングであったり、突飛な連想であったり、微妙な間であったりが再現されることで、地の文とは独立して「当事者性」が読む者の優位性から守られる。
http://earthcooler.ti-da.net/e9385202.html
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沖縄県の平均所得は47都道府県中最下位の210.2万円と、306.5万円の全国平均に対して大きく落ち込んでいる(内閣府・平成25年度県民経済計算)。失業率、DV発生率なども高く、離婚率も全国ワースト。統計が見せる沖縄の姿は、牧歌的な南の島のイメージから遠く隔たっている。
この島で育った教育学の研究者・上間陽子は、12年〜16年まで、風俗業界やキャバクラなどで働く女性たちの実態をリサーチするために、継続的なインタビューを敢行。4年間のリサーチの成果として『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を上梓した。本書に収録された様々な女性たちのインタビューを読めば、DV、虐待、援助交際など、この島が抱える現実が見えてくる。「私たちの街は、暴力を孕んでいる。そしてそれは、女の子たちにふりそそぐ」上間は、育った島の姿をこのように表現する。
では、その「暴力」とはいったいどのようなものだろうか? 本書の中から2つの例を見てみよう。
兄からいつもひどく殴られて育ってきた優歌(仮名)は、16歳で妊娠して結婚、17歳で男の子を出産した。しかし、子どもが生まれると、夫は優歌に対して暴力的になる。目の前でつくった食事を捨てられ、仕事着を洗うと舌打ちされ、洗い直しを命じられる日々。そんな生活に嫌気が差し、優歌は夫と離婚した。優歌がひとりで子どもを育てていたにも関わらず、ユタの「一族に問題が起こる」というお告げから、8ヶ月になる子どもは夫の家族に引き取られた。
実家に戻った彼女は、キャバクラの体験入店などを行いながら暮らしていく。しばらく経ち、5歳年上の男性が彼女の恋人になったが、彼はDVの常習犯だった。周囲の反対を押し切り付き合った優歌は、些細なことで怒鳴られ、殴られながらも男性との子どもを妊娠。しかし、恋人は働いていた店の金と模合(メンバーが一定のお金を出し合い、順番に給付し合う頼母子講のようなシステム)の金を持ち逃げして、街から消える。彼は、他の女も孕ませていたのだった。優歌は、キャバクラで働きながらひとりで子どもを産んだ。
街に戻ってきた男は、優歌の兄に謝罪し、5万円を詫びとして支払った。彼にとって、謝罪する相手は、孕ませた優歌ではなく、先輩である優歌の兄の方だった。優歌は今も、ひとりで子どもを育てている。
優歌よりもさらに悪質な暴力にさらされているのが、翼(仮名)だ。
彼女が幼いころに両親は離婚。母親に引き取られた翼は、スナックのママを務める母から、ネグレクト(育児放棄)されて育った。ご飯も作ってもらったことのない彼女にとって、「母親の味」の記憶はない。
高校に進学しなかった彼女は、友達の誘いでキャバクラ嬢になる。16歳になった頃、7歳年上のボーイと付き合うようになり、2ヶ月で妊娠。不安はあったものの、彼女は結婚し、出産することを決意する。しかし、結婚すると夫はその態度を一変させる。生活費を家に入れず、翼が不満を言えば、暴力をふるい、馬乗りで殴る蹴るの暴行を加えた。その暴力は、鼻が折れて、眼が開かなくなるという壮絶なものだった。出産後、翼はすぐにキャバクラに戻ったものの、夫からの暴力で顔に傷ができると、仕事を休まなくてはならない。そんな翼を見て、男は「お前が悪い」と自分の行為を棚に上げて罵った。
親からの虐待、夫からの家庭内暴力のほか、レイプ、援助交際など、少女たちが直面する暴力の数々は想像をはるかに超えるものばかりだ。彼女たちのインタビューをした経験を、上間は「予想していたよりもはるかにしんどい、幾重にもわたる困難の記録」だったと振り返っている。唯一の救いは、本書に登場する少女たちがみな、自分の子どもたちを愛していることだろう。せめて彼女たちの子どもは、そんな暴力とは無関係に育つことを願ってやまない。そのためには、多くの人々がこの暴力の実態に目を向けることが不可欠だ。
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沖縄。女性。DV。沖縄の女性たちについて。提言するわけでなく非難するわけでなく、ただ、どういう状況なのか伝えてくれる。読みながら、女性に暴力をふるってしまう男性側に寄り添った人が書いた本ってないかな、読んでみたいなと思った。
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丹念な取材に頭が下がります、オキナワだけの問題ではないのかもしれませんね、確かにオキナワはシングルマザーが多いと言われていますが… しかもDVも多いと… いわゆる「内地」では覆い隠されているものが、オキナワでは表に出ているのかもしれません。 オキナワでは いわゆる「カルト」団体、怪しげな宗教団体が跳梁跋扈しているのが見えてくるのも オキナワならではのことかもしれません
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少し基礎統計を調べればわかるが、沖縄は所得格差が極めて大きい。その背景にはシングルマザー比率の高さがあり、実際に離婚率も顕著に高いのであるが、本書では沖縄の若年女性が「裸足で逃げ」ざるを得ないような状況になぜ追い込まれるのかを、女性たちへの丹念なインタビューで明らかにする。
著者は、女性たちの声に丹念に耳を傾け続ける。おそらく、彼女たちにとって、そうして自身の話を聞いてくれる人はこれまで非常に少なかったのではないだろうか。それゆえ、著者と女性たちの間には次第に親密さが構築され、徐々にそこから聞きだされる話も生々しいものとなっていく。なおかつ、本書の凄さは、著者が女性たちの話を聞きながら、そこに一切の「解釈」や「指導」のようなニュアンスを含めることなく、ひたすらに話を聞き続けて寄り添い、自然な形で手助けをするその姿勢にある。これには教育学の研究者、ソーシャルカウンセラーとして活動する著者の高い職業的プロフェッショナリズムを感じざるを得ない。
自身も含めて、これを読んだ多くの人は沖縄の貧困の問題の一端がこのような形で顕在化している点に驚かされるはずである。そして、その歴史的経緯からリベラルなはずの沖縄で、一方ではこうした女性問題に目を背けてきて沖縄県政の怠慢にも疑念を感じることだろう。
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2007年に全国の小学校中学校ではじまった全国学力・学習状況調査において、沖縄県は最下位になり、それからはその対策と称して、家庭で「早寝早起き朝ごはん」をさせようという運動が起こった。
その運動は、学テの出来不出来が早寝早起きという習慣や朝ごはんの摂取と関係しているとみなして、点数を上げるために、子どもを早寝早起きさせて、朝ごはんを食べさせることを親へ要求するものとなった。そのとき、試験の点数と生活習慣が関連しているという単なる相関を示すデータが、早ねと早起きをさせて、朝ごはんを食べさせれば成績があがるという、原因と結果を示す因果関係のように間違えて解釈され宣伝された。また、よく指摘されている「早寝早起き朝ごはん」は、単なる経済格差・貧困の疑似相関ではないかとという検証も、沖縄では十分に行われることはなかった。(p69)
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小説じゃなくて現実ということに、嫌な気分になりました。インタビューを受ける側にも最大限に配慮した姿勢は、メディアスクラムのマスコミとは一線を画します。それだけに、全体的(構成・時系列・音声の文書化)に、もう少し読みやすくならなかったものかと。危険とは言え、なんとか暴力を奮った側の声も載せて欲しかったのです。
あとがきによると、沖縄固有の問題との印象を受けたのですが、ならば、その根拠にも言及して欲しかったのです。
P47 生活保護の申請:支援団体に頼るとか、もうちょっとやりようがあったのでは。行政も、医療でいうと「総合診療」みたいなのを作って、こまったらまずココへな部署があるといいのですが。P101の警察の保護拒否といい、弱者には冷たいのが日本の実体です。
キャバクラやキャバ嬢に変な偏見が起きないことを望みます。
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感傷的な書き口と説明不足がところどころ気になるものの、著者の訴えかけたい沖縄の実情が胸に残る。ひと昔前ならまだしも、自分より10歳も下の女の子たちの話なんだよなぁ。上さんは、そんなん沖縄ではいまさらの話さーって言ってたけど
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無理。やっぱり無理。
ヤンキー嫌いの私に元教師の両親が勧めた一冊。色々な環境に居る人の事を理解させたいと思ったのはよく分かる。でもやっぱり私には無理だった。
読んでいて疲れた。
著者の文章が下手過ぎる事、当事者の言葉遣いが酷過ぎて読みにくい事。
そして、
主張し過ぎる彼女達の環境云々…。
全ては環境のせい?その結果は本人が選択した先にしかないと思う。
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読売新聞201735掲載
毎日新聞201742掲載
newsweek201751web掲載pocket保存
東京新聞2017625掲載
朝日新聞2017716掲載
毎日新聞2019526掲載
日経新聞20201114掲載
毎日新聞20201121掲載
読売新聞2021613掲載
朝日新聞20211030掲載
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性産業に従事する女性たち
そういういわゆる 汚れ役 がなければこの世が機能しないことは重々承知である 何故なら私がその中の一人である
最後の一人以外はみな、キャバクラ勤めであるのが少し力が抜けた気がした。どちらが大変、辛いというわけではないが 一線を越える のはいつだって重い。
男がなければ生きていけない、そんな男たちによって殺される間際までいく
愚かだと、蔑んで見捨てたりはしない。けれど、頭が良いとはいえない。男がいなくても、生きれるようになってくれ頼むから
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家族にも友人にも恋人にももしかしたら話せないかもしれないような話。でも多分彼女たちは話したくて著者に話すんだと思う。こうやって自分の人生が聞き取られて、文章にされること。その気持ちを、想像した。
岸政彦さんが言うように「かわいそう」や「たくましい」を挟まずにただ話を聞くのは難しい。涙は余計なのか?
彼女たちは自分のことを「かわいそう」や「たくましい」と思っているだろうか。
わたしはわたしのことを、この人生を、「かわいそう」や「たくましい」と思っているのだろうか。
家族でも友人でも恋人でも(お店の客でも)ない誰かに人生を聞き取られること、聞き取ることはとても大切なことで、大切な時間だと思う。
質的調査とは、こんなにも近く、深いのだ。こういうことが、学問としてあることを全然知らなかった。冷たくはない。とても優しい。
けれど余計な熱っぽさを持ってかわいそうと言う人とも、ましてや軽視する人とも、関わりたくないと思った。自分ですらそうしないことは難しいのだけれど。
当たり前にたくさんの人のことを知らずに生きて死んでいく。
そのことがとても切なかった。記録するということは少しあたたかいことだった。
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10代で出産を経験し、生活のために
キャバクラで働く少女たち。
暴力や貧困、DVという言葉を言葉として知る前に
身をもって知ってしまうような環境で育ち、
自分が何者であるかを考える暇もなく
生きるために性を切り売りするようになっていく。
眼をそむけたくなるような過酷な環境の中を生きる少女たちの心を、著者は丹念に掬い取り記録に残している。
この本で語られる少女たちの言葉は、
あまりにも拙く、幼く、
注意深く気持ちに寄り添わなくては、伝えようとしている言葉をここまで深く聞き取ることはできなかっただろうと思う。
青い空や美しい海に眼を奪われて、
沖縄の貧困や暴力の連鎖に私たちはなかなか気づくことができないし、すぐに何かを変えてあげることもできない。
だけれど、満足に自分を守る言葉さえ持たない少女たちに
この本が『あなたたちは、本当は守られるべき存在なのだ』ということを
きっと伝えてくれると信じたいと思う。
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私の知らない恐怖、私の知らない痛み、私の知らない世界。
それがこの本にありました。
言葉もつたなく、自分の思いを表現することに長けていない彼女達。
十代で未婚の母になり、生活のために夜の世界に入り、ダメだといってもDV男の元に戻ってしまう。
幼い頃から暴力に晒されていると暴力を振るわれても「当たり前」だと思ってしまうようになる、という事を聞いて衝撃を受けた。
そんな世界から裸足で逃げてきた。
上間さん達に過去を語り、自分の感情を吐露することでなにか変わったのだろうか。
彼女達と上間さんたちとがじゃれあいながら笑い合いながら‘日常’を送っているシーンの数々がキラキラしすぎて眩しい。
もしかしたら、私の知らない幸せの味わい方を知っているのかもしれない。
彼女達をジャッジせず、ただ寄り添うように話を聞き、描いた筆者の姿勢は好感が持てた。
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沖縄で、援助交際やキャバクラで生計を立てる10代の女の子達の実態。
予備知識なく読みはじめて、戸惑いを感じ、ネット検索してみたところ、沖縄県はDV発生率、離婚率、シングルマザー率、いずれもワースト1位との事。
中卒や高校中退の人数も多く、女の子はキャバクラや風俗、男の子は鳶職が多い。
地域差はあるんだろうし、そうじゃない子ももちろん多いのでしょうけど。
本に出てくる女の子達は、親の愛情を受けられなかった子が多い。
居場所がなく、家出したり、彼氏と同棲したり。
家を出たら、お金を稼がないといけないからキャバクラや、援助交際に走る。
ここまでならまだいいのかもしれない。
更に、望まない妊娠や、彼氏からのDVが重なる。
何故避妊しない?何故DV?これは男尊女卑の意識が根強いせいもあると思う。
付き合いを解消した後も、援助交際していた過去に苦しみ、新しい彼氏ができても、バレたら別れを切り出されるのではないかと常に不安が付きまとう。
それでも前向きに人生を歩もうとする彼女達。
どうか、信頼できる人と、安心して過ごせますようにと、願わずにはいられない。