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普段の自分から程遠い話題、論点から自分自身の身近に急に着地する展開はアツい。
前半へぇと思いつつ淡々と読み進めていくうちに、後半にきてタイトル回収し出す展開。
狩猟採集から農耕への変化、多様性の話へと展開していくが、前段の気候の話からの論理展開までスッと入ってきた感覚があった。
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地球は温暖化が進みつつあるが、果たして100年後の気候がどうなっているかは誰にも分からない。
本書はそれを想像するヒントを与えてくれる。
水月湖の特殊性や世界基準となった経緯、数万年単位の気候変動など初めて知る事が多く、知的好奇心も満たしてくれる。
この先の気候変動がどうなるかは分からないが、氷期も生き延びた人類の賢さと多様性が今後ますます問われると思う。
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古気候学研究のフロントランナーたる著者とその研究チームは、地道で繊細な研究を通じて過去数万年分の気候変動の解像度を上げることに成功します。
地質学的分析で判明する植生景観をヒントに対象年代の気候を推定するアプローチは、非常に高度な操作や分野横断的な知識、また複数の研究機関との協働・分業を必要とするものでした。彼らの驚くべき知性と根性、ファクトに対する真摯な姿勢には敬服するばかりです。
「自然は、人間が引き起こすよりもっと激しい気候変動を、内部から発生させる力を潜在的に持っているのである」という記述が印象的でした。
人間の活動に起因する環境問題を矮小化している訳ではなく、農業や科学技術に立脚した現代の文明が氷期のより大きな気候変動にどのように適応するのか、というさらにシビアな問いかけです。
その問いに対する答えを出すにはD&Iが必要である、というのが着地点でしたが、著者は膨大なデータを通して地球と対話し続けたのですから真に迫るものがありますし、共感できる結論でした。
研究の過程と成果を一般向けの書籍にわかりやすくまとめてくれたことだけでも価値がありますし、筆致も良質で面白かったです。あと、全体を通しての構造が非常にロジカルで、章から章へ展開を追いやすいのも素晴らしいと思います。
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水月湖、年縞。聞きなれない言葉だが、考古学と気候をつなぐ貴重な場所とそこからだけ得られる尊い過去の記憶。研究に対する熱量にあふれた著者が、過去の気候変動の波の中に誘ってくれる。緩やかにそして唐突に訪れる激しさに、気候さながらに導かれる先には、すっかりこの分野の魅力を感じる自分を見つけることでしょう。良い本です。
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人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか。中川毅先生の著書。人類と気候の10万年の歴史を振り返ると現代の温暖化問題をはるかにこえるような気候変動問題や気候激変問題があった。そのような気候変動問題や気候激変問題を乗り越えてきた人類なのだから現代の温暖化問題や気候変動問題なんていとも簡単に乗り越えられるなんて思うのは現代人の傲慢な思い上がり。現代の温暖化問題や気候変動問題に真摯に向き合う謙虚さが現代人に必要。
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現在は来る2050年・2100年に向けての温暖化対策が世界で講じられているところですが、本書で扱う時間軸は10万年であり、2度や4度をはるかに超えるスケールで寒冷期を含む気温サイクルがあることがわかります。果たして現在の脱炭素化取り組みは正しいのかとふと考えてしまいそうですが、それだけ地球の歩んだ歴史が人類史対比であまりにも長いということの証左であるといえます。
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もっと評価されてもいい本。とても面白かった。
気候変動に関する予測はどれも絶望的なものばかりで、これに関する一般書はその事実を開示することで我々を憔悴させて終わるものが多い気がする。温暖化をすぐに止めることが現実的に不可能である以上、必要なのは気候が変わることが止められないならどういう心構えが必要なのかを多少なりとも提示してくれる本だ。本書だって、何も今後の気候変動に関してあえて楽観的なことを言ったり、まして温室効果ガスの排出による温暖化を否定するような内容では一切ない。ついでに言うと、今後我々が向かう方向に関して明確な答えを示してくれるものでもない。ただ、そもそも地球にとって、生物にとって、あるいは人類にとって気候変動とは何であったのかという前提を抜きに、今後を悲観するばかりでは何も建設的な議論ができないのだということに気づかせてくれる。
自分は文系であるとはいえ環境問題に関心がある方だし、今までも気候変動を深刻に受け止めているつもりではあった。でも本書を読んで、そもそも気候変動とは何かについて全然知らなかったんだなと思った。
あと、学者が問題解決に取り組んでいく中での苦労の話とか、学説が国際的な学術ネットワークの中でどのように編まれていったのかという話が散りばめられていたのも良かった。そういうのを読めるのは、学者が書いた一般書を読む醍醐味の一つだと思っている。水月湖の湖底の調査についての苦労話は著者の別の本により詳しく書いてあるらしいので、ぜひそちらも読みたい。
相手が誰であっても、基本的に自信を持ってお薦めできる本だった。
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https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000057434
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福井県三方五湖の水月湖の年縞を掘削するまでの過程からその苦労話をまじえながら、過去の地球の気候を振り返り、未来の気候がどうなるのかわかりやすく説明した本。
非常にわかりやすいが、タイトルの10年史から歴史を古い方から振り返る本かと思ったら、著者が取り組んだ水月湖の話が中心だった。
今後100年で2℃~5℃平均気温が上昇するというIPCCの予想は、氷期の安定しない気候に比べるとむしろ穏やかとすら言える。もし今後氷期がきたら農耕が崩壊して増えまくった人類は激減するおそれがある。
本書で一番衝撃的なのは二酸化炭素・メタンガスの温室効果ガスは8000年前から増加しているという説。人類の森林伐採と農耕によって両者が増加しているということ。つまり人間が温暖化させていったことで暮らしやすい気候になっていたのだ。もはや温暖化がいいことのなのか悪いことなのかは哲学の領域。
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昨今では我々人間の活動が地球温暖化を進めていると騒がれている。
ここ近年のCO2濃度とか気温の上昇とかのグラフを出して、「このままではまずい」、「どうにかしないと」と。
もちろん人間の活動によって地球の気候が変動している部分もあるが、それは100年とかの話であって、地球からしたら一瞬の出来事だ。数千年、あるいは数億年単位で地球の気候変動を見ると、現代の気候は寒冷な方で、かつ安定している。
かつての地球の気候は変動が大きく、気候が大きく変わることを予測することは非常に難しい。
だから未来予測でグラフの線を単純に伸ばすだけは理にかなっていない。そんなのは分からないが正解だ。
多くの要因が存在してその影響を受ける気候の歴史を研究し、またそれを踏まえて未来を見据える。
大きいことをしているが、研究はすごく地道なことも多く、研究者には頭が上がらない。
終わり方もはっきり言えばこの先どうなるか分からないと書かれている。でも、人類の可能性も際限がない。それに期待を持ちつつ、今できることに全力で向かう著者は非常にかっこいい。
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気候変動を10万年単位で捉えるとどう見えるのか、今後どうなりそうか、わかりやすく解説されている。
温暖化が叫ばれて久しいが、10万年単位で見ると、現代は氷河期間の比較的安定した時期とのこと。すなわちまた氷河期に入る可能性があるようだ。
もちろん過度な温暖化に繋がらないようなアクションも必要だが、他方、近視眼的になりすぎず、冷静に気候変動を捉える必要性を感じた。
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内容はしっかり書かれているが、個人的に興味がない内容どったので評価低。
全体を通して、何がポイントなのかが分かりにくい。
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いままさに我々が目の当たりにしている気候変動について、超俯瞰で捉え直す本。
超俯瞰=数億年・数万年スケール。
このスケールになるともはや身近とは言い難い。
が、古気候学や環境科学のファクトをふんだんに紹介することで、非常に説得力がある。
何より、固定観念を丁寧に解除し、単純・近視眼的な「善し/悪し」ではない尺度で考えるきっかけを与えてくれる。
学術的な本に馴染みがない私は最初ちょっと苦戦しましたが、かなりの良書だと思います。
おススメです。
・地球の気候は、大きなスケールで見ると常に変動している
・ここ300万年は、大きく見ると寒冷化が進行している時期
・ただし常に一定で「寒冷」な訳ではなく、寒冷期(氷期)の合間に比較的温暖な時期がくる、繰り返しパターンを持っている
・約1万年前~現代は、この氷期と氷期に挟まれた温暖な時期にあたる
・そして8千年前~、過去の傾向で説明できない例外的な気温推移をしていて、すでに温暖期が長く続きすぎているかもしれない状況
(人間活動が、次の氷期に突入するのを遅らせている可能性がある)
=これが現在いわれる「地球温暖化問題」
で、当然気候変動についての本なので
このスケールで捉えたときに、温暖化って必ずしも悪なの?という問い。
(ビジネスに与える影響や、環境破壊に対する人道的な評価などの、狭いスケールでの問いではない点は注意。本書は決してプロバガンダ本ではない)
・氷期とは「単に寒い」時期ではなく、突発的な気温の変動(例えば、9年間に6回もの干ばつを引き起こすような)を伴う、つまり温暖期と比べると気候が不安定でほとんど予測不可能な時期。
・5万年前には世界中に広がっていた人類は、1万年前に温暖期に入って初めて、文明社会を発達させた。
つまり気候の「予測」が成り立つ時代に入って初めて、本格的に農耕を開始し、後の人口増大・産業の発達に繋げることができた可能性が高い。
・そもそも人間が気候を左右するようになったのは、産業革命よりも前、農耕や森林開拓の影響によって。そうであれば、人間活動が「気候を左右しない」はもはや不可能に近いかも。
異常気象や自然災害頻発のニュースを見るにつけ、今が例外的に不安定な時代なのだと思い込んでいた。
大きなスケールで把握したとき、逆にこれまでが例外的に安定していた時代だったのだとしたら。
そして見てきたように気候変動は常に起こり得る(実際に3年程の短いスパンで一気に変転した歴史がある)。
結局我々がすべきことは、来るべき変動に向き合い、どう備えるか
そしてますます予測しにくくなる時代に、いかに予測を成立させるか
しかないのかもしれない。
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1012
中川 毅
1968年、東京都生まれ。1992年、京都大学理学部卒業。1998年、エクス・マルセイユ第三大学(フランス)博士課程修了。Docteur en Sciences(理学博士)。国際日本文化研究センター助手、ニューカッスル大学(英国)教授などを経て、現在は立命館大学古気候学研究センター長。専攻は古気候学、地質年代学。趣味はオリジナル実験機器の発明。主に年縞堆積物の花粉分析を通して、過去の気候変動の「タイミング」と「スピード」を解明することをめざしている。
温暖化をあつかった書籍は、ちょっと大きな書店であれば棚をひとつ占有するほどだし、温暖化の主犯格とされる二酸化炭素に対してある種の敵意を感じる人の数は、商業的にも無視できない水準に達している。そのため、たとえば国際的なハンバーガーショップが南米の緑化事業に貢献したり、ハリウッドの芸能人が速くてスタイリッシュなスポーツカーの代わりに、燃費のいい日本のハイブリッド車を選んだりする。これらはすべて、 20 年前には想像もつかなかった現象です。
むしろここで問題にしたいのは、「気候変動を止めよう」という目的設定のほうである。1980年代に数百万人の命を奪ったアフリカの干ばつは、当時は「異常気象」という言葉で表現されていた。気象が異常であるとはどういうことだろう。言い換えるなら、正常な気象とはいったい何だろう。
そこで次に、人間社会の話をいったん忘れて、地球の歴史を気候という視点から振り返ってみよう。
また、現代が大きな傾向の中ではむしろ寒冷な時代であることも見て取れる。現在は氷期が終わった後の温暖な時代であるが、それでも北極と南極には夏でも消えない氷が残っている。いっぽう、たとえば今から1億年前から7000万年前頃の地球は今よりはるかに暖かく、北極にも南極にもいわゆる 氷床 が存在しなかった。これは、IPCCが予測する100年後の地球よりもはるかに温暖な状態です。
生態学は、多様性と生産性を基本的には「是」であると考える傾向を持っている。そのどちらの視点から考えても、当時はむしろ「いい」時代だったように見える。 同様に、今からおよそ2億7000万年前から2億5000万年前頃もきわめて温暖な時代だった。地質学的にはペルム紀と呼ばれるこの時代、地球の平均気温は、温暖化の進んだ現代と比べても 10 ℃近く高かった。また世界中でシダ植物の大森林が繁茂し、巨大な昆虫類がその間を飛び回っていた。この時代もまた、生産性と多様性を価値とみなす生物学の視点では、豊かな時代だったと表現せざるをえる。
図1・4のもうひとつの特徴は、温暖な気候には限度があるということである。地球の温度は、極地の氷がなくなるほど温暖になることはある。しかし海の水が沸騰するほど極端な高温になることはない。何らかのメカニズムによって、温暖化には上限が設定されている。温暖化によって生態系が豊かになると、地球全体で光合成がさかんになり、空気中の二酸化炭素が減って温室効果が薄れることが原因だとする説もある。いわゆる「負のフィードバック」がかかった状態です��
地球の公転軌道と気候の間に関連があることを最初に指摘したのは、セルビアの地球物理学者ミルーティン・ミランコビッチだった。日本での知名度は高くないかもしれないが、祖国セルビアでは、肖像画が最高額紙幣に使われるほどの英雄です。
「二度あることは三度ある」と考えるのが、人間に深く染みついた「癖」のようなものであることはすでに指摘した。だが人間にはおそらくもうひとつの癖がある。それは、しばらく続いた傾向を将来にまで延長したがる傾向、つまり「これまで続いたことは今後も続く」と考えたがる傾向である(バブル期の投資家の典型的な心理である)。 10 万年スケールで繰り返す氷期、そして数十年スケールで見たときの持続する寒冷化、この2つの「観測事実」は当時の人々にとって、世界がすでに氷期の入り口に立っていると判断するのに十分な状況証拠に思える。
グラフが直感的に本物「らしく見える」という感覚をきわめて重視した人に、ポーランド生まれの数学者ブノワ・マンデルブロがいる。マンデルブロは、従来の数学が現実の世界を必ずしも適切に表現しないことに強い不満を感じている。
18 世紀の英国の造園家ウィリアム・ケントは、「自然は直線を嫌う」と指摘して、大陸ヨーロッパで主流だった幾何学的な庭園の様式を拒絶した(図2・8)。たしかに、自然の風景の中に単純な直線はめったに存在しない。単純な円や、単純な三角形を見ることもほとんどない。そのいっぽうで、直線や三角形、円といった単純な図形や、それらを記述する単純な数式は、中学校で真っ先に教わる数学の基本中の基本である。現実の風景と数学的な図形の間には、それだけ深刻な乖離があった。それは同時に、初等数学の学習者の多くが「これがいったい何の役に立つのか」と自問してしまいがちであることの本質的な原因にもなってる。
マンデルブロは、数学と現実の間にあるこのようなギャップに正面から立ち向かった。彼が創始した「フラクタル幾何学」と呼ばれる数学は、それまでの数学とは比べものにならないリアリティーで自然界を描写することができた。たとえば植物の葉っぱを表現するのに、楕円と直線を組み合わせるのは誰でも思いつく方法である(図2・9左)。そのように描かれた図形は、たしかに植物の葉っぱであることは理解できるが、その表現が自然の本質に迫るものであるかというと、答えはおそらくノーです。
そのような区分で言うと、ボール200個のモデルは、楕円と直線で描かれた葉っぱよりは、フラクタルが産み出す葉っぱのほうに近い手触りを持っていないだろうか。本書ではもう少しだけ、私のこの「感覚」に沿って話を進めてみたいと思う。ある種の複雑な系には安定相と周期相、および乱雑な相が存在し、それらが予測不可能なタイミングで急激に切り替わるということをとりあえず受け入れた場合、現実世界にはどういう意味があるのだろう。
また人がどのタイミングで大病を患うかも、私たちは基本的に予測する方法を持っていない(そんな予測ができるようになったら、私たちの人生観はずいぶん違ったものになるだろう)。 保険会社は人生のシナリオを描いて見せることに非常に 長けているが、シミュレーションと現実の間におそらく乖離があることも、私たちは心のどこかで本能的に理解している。株とか健康の話になったときに私たちが発揮する、そのような冷静さとか知恵のようなものを、気候変動について考える場合にも持つ必要があるようになる。
もっとも深遠な知恵の多くは、経験を通して培われる。健康マニアになるには、強迫観念と読書だけで足りる。しかし、複雑系の代表例である人体が、どんなに気をつけていても常に意のままになりはしないことを理解するには、ある程度の経験を重ねて大人になる必要がある。いっぽう、さまざまな気候変動をじっさいに経験しながら知恵を育てることは容易ではない。ほとんどの地質学的な事象に対して、平均的な人間の寿命は短すぎる。それでも万が一の場合に通用する「知恵」を養おうとするなら、過去にじっさいに起こった事象について、経験ではなく研究を通して学ぶ以外に方法はない。
400年は人間にとっては長い時間だが、地質学にとっては一瞬に近い。図3・1の右端に、グレーの細い帯がある。400年はちょうどこの帯の幅に相当する。私たちが「観測」してきた気候変動が、地球が持っているさまざまな顔の中ではごく一面にすぎないということを、この図から実感していただけるのではないかと思う。
グリーンランドの研究は、気候が時として本当に激変することを教えてくれた。とはいえ、グリーンランドは地球の中でもかなり特殊な場所である。
最後に、笑い話のような笑えない話が人間による 浚渫 である。湖は歴史的に、水運の大動脈になっている場合が多い。いっぽう、湖の底にはゆっくりと土が堆積する。つまり水深が浅くなっていく。浅くなりすぎて船の航行に支障を来すほどになると、経済活動を維持するために浚渫がおこなわれる。それによって水深は確保されるが、貴重な堆積物は永久に失われている。
湖底に酸素がなく、しかも流れ込む川がないことによって、水月湖には理想的な堆積物がたまる素地が整った。じつは理想的な堆積物は、肉眼で見ただけですぐにそれと知ることができる。湖底の酸素濃度を測る必要も、周辺の地形を見る必要もない。条件を満たした堆積物を縦に切ると、断面にきわめて細かい独特の縞模様が発達しているのである。水月湖の底から見つかった堆積物は、典型的にそのような縞模様を持っていた。
この縞模様の正体は、1年に1枚ずつたまる薄い地層である。日本のように四季が明瞭な地域であれば、湖の底にも季節によって違うものがたまる。湖底をかき乱す生物がいなければ、季節ごとの層は破壊されずに保存されて、美しい縞模様を作る。
じつは、水月湖の年縞が世界でいちばん「美しい」かというと、必ずしもそうとは限らない。たとえば明瞭な雨期と乾期を持つ中南米や、春先の雪解け水が青白い粘土を運んでくる北欧などでは、水月湖以上に鮮やかな年縞が見つかることがある。しかし、水月湖のように7万年も連続してたまった年縞は他に例がない。それは、ほとんどの湖が時間とともに浅くなり、やがて埋まってしまう運命だからである。
福井県南部の景勝地、水月湖の湖底の泥は、世界でも例のない奇跡の堆積物だった。自然が最高の材料を提供してくれている以上、人間がそれをぞん��いに扱って台無しにするわけにはいかない。最高の試料を手に入れて、前例のない密度で分析をおこなう必要がある。
過去の気候変動の様子は、どうすれば復元できるのだろう。答えのカギは、高校の地理の教科書にかならず載っている、1枚の地図が握っている(図5・1)。この地図を作ったのは、ロシア生まれのドイツ人地理学者、ヴラディーミル・ペーター・ケッペンである。ケッペンは、世界の気候を分かりやすく分類することをめざし、生涯をその研究のために捧げる。
この問題に画期的な解決をもたらしたのが、花粉分析と呼ばれる手法だった。すなわち、植物の葉っぱではなく花粉に注目するのである。花粉の直径は数十マイクロメートル程度のものが多く、葉っぱよりも格段に小さい。また花粉症の方はよくご存知だと思うが、とにかく大量にまき散らされる。スギの例では、1本の木が生産する花粉の量は数十億粒に達する。とくに風媒花の花粉は空中に長くとどまるため、森から遠く離れた場所であっても、1立方メートルの空気の中に数百粒もの花粉が飛んでいる場合がある。
花粉は、植物にとっては雄の生殖細胞である。つまり、遺伝情報を担うDNAを雌のところに届けることが、花粉に期待される使命である。ところでDNAは、乾燥や紫外線によって比較的容易に損傷を受ける。もともと水の中で進化した植物にとって、陸上は私たちが想像する以上に試練に満ちた場所なのだ。それでも遺伝情報を無事に送り届けるために、植物はDNAを安全に包み込むカプセルを発達させた。それが花粉である。 そのような理由で進化しただけあって、花粉の膜はきわめて堅牢な物質でできている。
この3人の活躍については、拙著『時を刻む湖』(岩波科学ライブラリー)で紹介しているので、もし興味があったら手に取ってみてほしい。彼らがこれから 20 年は研究の前線に立ち続けるのであれば、少なくともこの分野はしばらく安泰だと思うことができる、それほど才気にあふれた若者たちだった。
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地球の気候変動を福井県にある”水月湖”の堆積物から調査し、気候のメカニズムを解き明かしていく。内容は、すっきりしていて読みやすい。ただ、私の場合、気候変動という巨大なスケールについてイメージをつかみにくく、流し読みになってしまった箇所もあった。
気候変動の歴史や予測は、酸素や水素、炭素の同位体から推測することができ、氷期と温暖期が定期的に入れ替わっていることが発見された。これは、地球の公転軌道の影響、すなわち離心率変動が原因であり、「ミラコビッチ理論」と呼ばれている。通常は、氷期の期間がほとんどだが、地球が楕円軌道を描くとき、温暖になる傾向にある。
水月湖の堆積物が上質な理由は、酸素が存在しないことやその地形により、水が安定状態で保持されるためである。酸素が存在しないのは、海水の塩分が流れ込むことで、水の温度が下がっても塩水よりは重くならないためである。この堆積物に含まれる花粉は、植生景観を判断することに役立つ。植生景観の重要性はケッペンの「気候区分図」が証明している。例えば、温暖な時代ではブナなどの照葉樹林、氷期ではスギなどの針葉樹林が分布しやすい。
気候変動は様々な要因が複雑に絡まっており、一概に一つの要因で決まるわけではない。加えて、その記録を詳細に残している堆積物を見つけ、長い時間をかけて記録を解析するのは、非常に骨の折れる作業であることが推測される。このような推測が先行きの見えない気候を耐え抜くカギになるのだろう。