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知識がなければ偏見や差別はなくせない、本書全て読んでさらにこの言葉が刺さる。
理解していたつもりだったことも、偏見なんて無いつもりだったことも、まだまだ知らなかったし見通せていなかったなと痛感。。。
多様な性のあり方は知識ありきの「なんでもあり」であって、クィアスタディーズの基本的な視座を使ってニュースのあり方、報道の仕方、記事の読み方をどこまでも奥深く出来ると思う。
昨今ジェンダー差別発言やらで問題になってる方とかもいるけど、これも知らないからこういう発言ができるんだろうわけで。
自分全然世の中のこと知りません!!って堂々と発言してるようなもんだし。
色々書きたいけどどれも薄っぺらくなる気がしてまとめれない!
とにかくあの、色々な人にいろんなことがあって、マイノリティやマジョリティはあるけど普通なんてこの世になくて。完全な分類なんてできないしみんなが過ごしやすい世の中を作るなんてめちゃくちゃ難しいけど、作れるようにこういう学問があって、これまでの歴史やこれからの制度があるのかなと思う。薄っぺらいな。笑
クィアスタディーズの基礎のあたりは図も欲しかったな、慣れないカタカナが多くてなかなか整理できず、、、
まだまだ知らないし根付いてないから理解にも時間がかかるんだなーーーー
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( ..)φメモメモ
「普通」という暴力を解除できないアプローチ=セクシャルマイノリティについて不適格なアプローチとすると、「普通」の性を生きろという圧力に傷つく人々をセクシャルマイノリティと言い換えることができる。
暴力や差別は悪意を持つ人が行うものなので悪意を持たないようにすることが重要だと、良い人になれば良いと思いがちだが、暴力や差別を防ぐには良心や道徳ではなく知識が必要。
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仕事の関係で読みましたが、基本的な知識を得るにはちょうどよい内容でした。
漠然としたイメージしかありませんでしたが、頭の中を整理しながら、読むことができました。
しかし、外国の小説で登場人物が途中でわからなくなるように、横文字の分類に苦戦し、中々読み進みませんでした。
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本書は、クィア・スタディーズという新しい学問が蓄積してきた概念や知識を用いて、性の多様性やセクシュアルマイノリティに対する差別など、性にまつわる現代的な問題を考察していこうとする。2017年。
著者が本書冒頭で強調するのは、セクシュアルマイノリティの問題を考察するうえで重要なのは「良心」や「道徳」ではなく「知識」である、という点である。性の問題というのは、誰にとっても最も身近にあり、かつ多くの者の心身をその内側から衝き動かす強い力をもったものであるため、誰もが性について何某かを語ることができるしまた語りたがってしまうものであるのだが、それゆえに性に関する語りは個々人のさまざまな予断や偏見が入り込んだものになってしまいがちである。そうした主観的な偏りを極力排して客観的に問題に向き合うためにこそ、学問という厳密な手続きに則って蓄積されてきた「知識」に基づく議論が重要である、ということだろう。と同時に、クィア・スタディーズはセクシュアルマイノリティ当事者らによる社会運動の歴史的な蓄積の上に成り立っているものでもあるため、そうした「歴史」を参照することも重要であるとされる。
マジョリティとは誰か。それは「何が「普通」であり、何が「普通」でないか」を決定することができる者のこと。マジョリティは、自己の諸属性を「普通」と規定することで、「普通」でない者を外部化=他者化=異物化する。この権力にこそマジョリティの特権性があるのであり、暴力性がある。そしてマイノリティとは、マジョリティから「普通」を強要される者であり、「普通」でないことを以て排除される者のこと。このように「普通」という観念によって作動する暴力が「差別」というものの一般形であろう。
以下、本書で取り上げられた諸概念について、本書読了後に自分で調べてみたものも含め、いくつか要約やメモを書き留めておく。
□ 身体的性/性自認/性的指向/性表現
【身体的性】とは、身体の解剖学的差異に基づく性のこと。【性自認】とは、自分の性をどのように認識しているのかに基づく自己認識上の性のこと(「自分は女である/男である/(その他)である」)。【性的指向】とは、性愛がどのような対象に向かうのかに基づく区別のこと(ヘテロセクシュアル/ホモセクシュアル/バイセクシュアル/パンセクシュアル/アセクシュアル/(その他))。【性表現】とは、外見や言動を通してどのような性を表現するのかに基づく区別のこと(「自分は女性的に/男性的に/(その他)的に自己表現する」)。
一般に「普通」=マジョリティとされてきた「身体的性/性自認/性的指向/性表現」の組合せは、「男/男/女/男」か「女/女/男/女」のみであった。というよりも、そもそもこの四つの区別がそれぞれ独立な組合せをとり得るという認識がなかった(「身体的に男なら、当然、性自認も性表現も男であり、性愛の対象は女である」)。この四つの性の区別の組合せが上記二つに固定されているとは限らないという認識が重要なのであり、そうした認識が可能になったからこそ身体的性以外の区別が考えられるようになった���いえる。
LGBについて整理してみれば、【レズビアン(L)】は「不問/女/女/不問」(身体的性と性表現は不問。則ち、レズビアンの身体の解剖学的特徴が女性的であるとは限らないし、また外見や言動が男性的であるとも限らない)。【ゲイ(G)】は「不問/男/男/不問」。【バイセクシュアル(B)】は「不問/不問/男女/不問」。ここで注意すべきは、四つの性の区別において上記二つの「普通」の組合せ以外は全てセクシュアルマイノリティといい得るのであり、それはLGBTの四類型に収まりきるものではない、ということ。
□ トランスジェンダー
【広義トランスジェンダー(T)】とは、身体的性に基づいて外部から割り当てられる性別(「あなたは男である/女である」)またはそれに基づいて強要される性規範=ジェンダー(「あなたは男だから男らしくあるべきだ/女だから女らしくあるべきだ」)と、性自認(「自分は女である/男である/(その他)である」)または自身の性表現(「自分は女性的に/男性的に/(その他)的に自己表現する」)とが異なっていることに違和を覚え、それを一致させようとする人々のこと。広義トランスジェンダーの下位カテゴリーとして、身体的性が性自認と異なる人々のことを【トランスセクシュアル】、身体的性に基づいて割り当てられる容姿や服装に関する性規範が自身の性表現と異なる人々のことを【トランスヴェスタイト(クロスドレッサー)】と呼ぶ。広義トランスジェンダーのうち、トランスセクシュアルにもトランスヴェスタイトにも当てはまらない人々を【狭義トランスジェンダー】と呼ぶ。
【性同一性障害(GID)】とは、身体的性が性自認と異なっており、かつ外科的手術(性的適合手術)によってその一致を望む状態を指す医学用語であり、トランスセクシュアルの下位カテゴリーであるといえる。ただし、トランスジェンダーの当事者が、必ずしも自身の状態を「障害」「病理」として捉えているわけではないことに注意。
最近SNS上で議論となっているトランスジェンダー排除(そこにはフェミニストも加わっているらしい)の問題を考える基本的な視座が得られたような気がする。自分のなかにもトランスジェンダーの傾向がなくはないという気もしてくる。
□ クィア・スタディーズの基本的視座
【差異に基づく連帯の志向】。個々の多様なマイノリティがその多様さを抑圧されることなく多様なまま連帯していくことを志向する。個々の多様なマイノリティが多様なまま肯定される社会を目指していく。
【否定的な価値づけの積極的な引き受けによる価値転倒】。抑圧者によって否定的なイメージを付与されている語彙を敢えて自らに用いることで、自分たちのイメージを自分たちで定義する力を取り戻そうとする。
【アイデンティティの両義性や流動性に対する着目】。マイノリティはマイノリティとしてのアイデンティティをもつことで、自らが置かれた状況を自覚することができ、同じ境遇の者たちとコミュニティを形成することができ、以て力のある政治運動を展開することができる。しかし、固定化したアイデンティティに縛られてしまうと、そのアイデンティティ自体が抑圧に転化してしまうという危険性に自覚的であろうとする。
□ クィア・スタディーズの基本概念
【パフォーマティヴィティ(performative)】行為が反復されることによって生じてくる最大公約数的な意味は、あたかもはじめからある本質のように見えてくる。と同時に、反復がズレや綻びを生むことによって最大公約数的な意味は変化し得る。則ち、不変的な本質に見えるジェンダーやセックスも、実は可変的な構築物である、ということ。「セックスは、つねにすでにジェンダーなのだ」。オースティンの言語行為論をデリダが批判した議論を、バトラーがジェンダーに応用した。
【ホモソーシャル(homosocial)】
【ヘテロノーマティヴィティ(heteronormativity)】身体的性と性自認が一致する人々によって「普通」に営まれる異性愛(恋愛、結婚、出産、子育て)のみが社会的に正しい性愛の在り方である、とする思想を批判的に捉えたもの。ホモフォビアやヘテロセクシズムを深化させた概念。
【新しいホモノーマティヴィティ(homonormativity)】社会変革を志向せず、差別的で抑圧的なヘテロノーマティヴィティに無批判なまま、裕福な消費者として市場に阿り、新自由主義のなかで有利なポジションを獲得しようとする同性愛者の在り方を批判的に捉えたもの。セクシュアルマイノリティのあいだに分断を生み、「差異に基づく連帯」を否定するものとして批判される。
【ホモナショナリズム(homonationalism)】社会変革を志向せず、差別的で抑圧的なヘテロノーマティヴィティに無批判なまま、体制順応的なナショナリストとして体制に阿り、国家のなかで有利なポジションを獲得しようとする同性愛者の在り方を批判的に捉えたもの。
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良書であることに間違いはないのだが、性同一障害に関する記述はもう一段階踏み込んでほしかった。物足りない。というのも、トランスジェンダーが「障害」であることを否定する時、そこに障害者を劣った者として扱う優生思想があってはならないと思うからだ。この辺りの話は思想2022年4月号に収録されている藤高和輝氏の論考、「トランス・アイデンティティーズ、あるいは「名のなかにあるもの」について」が詳しい。文献案内は田崎英明氏の「ジェンダー/セクシュアリティ」に負けず劣らずと充実している。
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こういうことがマイノリティへの差別にあたると丁寧に書いてある本。
LGBTに偏見はないけど、から話始めることの差別性。
とくにトランスジェンダーの項目は知らないことが多くて勉強になった。セックス、ジェンダー、異なる性別の服を着たいかどうか、などが複合的に絡み合っていること。
もちろん全部覚えるのが一番いいけど、とりあえずこれを読んだことでトランスジェンダー=体と自認の性が違う人だ、と安直に考えなくなったので「トランスの人にはこう接するのがいいのかな」という偏見がなくなった。