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戦争と平和の経済学 世界は今、500年に1度の大転換期だ みんなのレビュー
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2017/05/04 18:00
投稿元:
平成元年に社会人になって多くの本にお世話になってきましたが、来年社会人30年になる今でもお世話になっているのが、この本の著者の増田悦佐氏です。こんなに長い間活動されていて、もうかなりのご高齢だと思いますが、読む度に新な気づきを得ます。
一年に何冊も書かれているので、数年にわたる期間に重要と思われていることが数冊の本で繰り返し書かれていることがあります。これは私にとっては嬉しいことで、それを見ると自分の中に定着していく気がします。
今回のテーマは、日本がなぜ魅力的なのかを、増田氏独特の観点から書かれています。私の理解したところでは、ある目的をもって人工的に作られた国家は、自然発生的にできた国より、資本主義により適合している。この500年は、戦争が得意な国家・民族が地球を制覇してきたが、現在、資本主義社会の行き詰まりが起きている、パラダイムが変換する時期に来ているかもしれないですね。
この周期を何年とみるか今まで読んできた本で色々ありますが、長い歴史のうねりの中で、西洋から東洋に軸が移る時期に来ているのかもしれません。世界史といえば、私のイメージでは1492年の大航海時代へ突入した時期から、とたんに詳しくなってきたようですが、今ではそれ以前の東洋における多くの王国・帝国の研究も進んできているようです。
現在はアメリカがダントツに強くて、それに続くのが中国でしょうか、これも歴史を長い目で見てみると、それぞれの国がいつ頃から新興国から列強に変れたのか、そのきっかけが何だったのか知りたくなります。今まで、その私が一番知りたい部分は、明らかにされていませんでした、この部分は一部の歴史学者しか知らなかったのかもしれませんが、少なくともその部分について、この本では明らかにしてくれています、やっぱり歴史にはドロドロした部分があるよな、と少し安心した気もしました。歴史(その時の事件の積み重ね)は人間が作るので、記録に残すもの人間でありますし。
過去の出来事について、いちいち批判するつもりはありませんが、今まで行ってきた出来事を顧みて、同じ過ちを繰り返さず、皆が幸せになるにはどうすればよいかを考えて行動していきたいものだなと感じました。
以下は気になったポイントです。
・世界中で人類は豊かになり、モノに対する需要よりサービスに対する需要がはるかに大きくなる変化があった。これは狩猟漁労採集経済から農業経済への転換、農業経済から工業経済への転換が不可逆的であったのと同じように不可逆でなもの。(p3)
・平和でデフレで、あらゆるモノやサービスが多くの品種にわたって少量ずつ生産され、固定資本の重圧によって動きが鈍重な大企業より、小回りのきく中小企業が興隆する世の中になる(p3)
・世界中を見回しても自然国境国家が少ない、四囲を海という完全な自然国境で守られているのは、イギリス・アイルランド・日本の3か国、アイルランドは清教徒革命ー名誉革命の間にイギリスにほぼ植民地化されてしまう、スコットランドはイングランドに借金のかたに主権をだまし取られたと思っているかもしれない(p18)
・人口国境国家は、ロシア帝国のように、ついに自国より経済・軍事の強い国と衝突するところまで領土を拡大して崩壊するか、戦う相手を失った強大な軍備の金銭的・非金銭的な不良資産化によって自滅する、アメリカがたどるであろう道筋となる(p20)
・イギリスにとってアメリカ13州植民地の喪失は、死守すべき領土はブリテン島のみで、重要なのは国土ではなく、港と太洋航路と自国にとって有利な貿易構造の確保だ、という教訓を与えた(p24)
・経済覇権が1国にとどまらず(政治的覇権:スペイン→オランダ→フランス→イギリス→アメリカ→日本?、経済的覇権:ベネツィア→アムステルダム→ロンドン→ロンドン→ニューヨーク→東京?)別の国へと移転していくかという最大の理由は、平和で豊かな国は、本来資本利益率が低く、投資対象としておもしろくないから(p26)
・ロンドンが長期間派遣を維持できたのは、本国経済が産業革命の担い手として活躍した前半と、インドその他の植民地経済を集約する大英帝国の主として活躍した後半があったから(p28)
・アメリカは宗派はプロテスタントのみ、人種はアングロサクソンしか認めなかった、後に宗教的にはカトリック、ユダヤ教も許し、人種的には南欧・東欧系も許すようになったが、アメリカは一貫して、キリスト教徒白人だけの閉鎖的なクラブとして運営されている(p32)
・18世紀初頭の北・中央アメリカ、カリブ海域の植民地状況によれば、英領・フランス領・スペイン領に分けられるが、英領は、13州とハドソン湾会社の担当地区のみで広くない(p34)
・7年戦争(1756-63)で英米側がフランス側に勝ったことで、イギリスはフランス領であったケベック周辺の土地を奪って、カナダ全体を支配するようになった(p35)
・普通の国では宗教的な心情が激変する際に、善と悪がコロコロ入れ替わらない、アメリカでそれが成り立つのは、高度に分散化し、効率化した説教師・伝道師の自由競争市場にありそうである、生まれ育った環境、受けた教育水準に依存せず成功できる、黒人白人でほぼ互角(p38、39)
・欧州大陸のほとんどの国とイギリスに対する戦争を共和国革命軍から引き継いだナポレオンは、1803年に破格の安価(1500万ドル内375万ドルは借金帳消し、オランダのポープ商会・イギリスのベアリング家が資金調達)で、ルイジアナと呼ばれていた植民地をアメリカへ売却した(p41)
・1941年のハワイ真珠湾攻撃は、ハワイが州となる(1959)前の準州だったころのことで、アメリカ本土への攻撃ではなかった(p43)
・イギリスが産業革命で欧州諸国に先行するための資本の本源的蓄積は、奴隷制を前提とした西インド諸島でのさとうきびのプランテーション栽培、搾汁・砂糖精製工程の大規模化に依存していた(p46)
・イギリスが1807年に奴隷貿易の禁止を世界に先駆けて行っているのは、西インド諸島の土地を粗放に使う、さとうきび栽培がこのころ行き詰っていたから、アメリカ南部で奴隷を使った綿花・たばこ業のプランテーション栽培が交流すると、後悔して、奴隷制擁護論者になっていった(p48)
・アメリカは50年ごとに政治暴力がピークに達する、1820年のみ例外、1770年はアメリカ独立革命戦争に向けた動きあり、1870年は南北戦争からの復興景気が一息、長いデフレの直前、1920年は第一次世界大戦後の短い深刻な不況、1970年はベトナム反戦、2020年はトランプ大統領の最終年度(p63)
・ジェノサイドやエスニック・クレンジングは、ナチスドイツのように失敗したり、セルビアやコソボのようにうまくいかなかったりすると、世界中から批判が起きるが、イギリス・アメリカのように上手にやれば褒められる(p66)
・メキシコの一部だったテキサスをメキシコが手放したのは、絶対にアメリカと合併せずに、アメリカとメキシコの緩衝地帯になるとの確約があったからであるが、1845年住民投票によりアメリカの1州として併合された(p68)
・1820年には、今後アメリカ合衆国に加盟する諸州について、北緯36.30分を境に、その北側が自由州、南側が奴隷州と政治的妥協をしていた。ところがその翌年にはミズーリ州は北側であるが、奴隷州として参加した。今後、奴隷州の影響力が先細りすることに自由州が譲歩した(p73)
・南北戦争は内戦ではなく、世界初の国民国家同士(アメリカ合衆国vs南部アメリカ連邦)が正規軍の正面戦で激突した戦争である、北側にあって南軍に投じたのはバージニア州のみ、新参のテキサス州を含めて南軍側は11州、準州はすべて北軍(p74、171)
・過去に純資産価値が最大だったのは、推定10億ドルのケネディであった、トランプは手堅い推計でも39億ドル、ダントツの1位(p79)
・アメリカは過去2度にわたって不換紙幣が無価値化する経験をしている、最初は独立戦争当時の、大陸会議が出した紙幣、二度目は、南北戦争当時の南部連邦が出した紙幣。これまでの2回は紙幣の価値はゼロになったが、アメリカ経済は生き延び発展してきた、それは不換紙幣の使い道がほとんど実物経済であったから(p88)
・飢餓や疫病のような深刻な時代が発生するのかは、気温のレベルではなく、上昇中か下降中かという変化にある(p104)
・中東、北アフリカ、中央アジア、西アジア、ロシアで20世紀に入ると戦争が激増した最大の理由は、オスマン帝国が一次世界大戦により崩壊したから(p113)
・決闘裁判は、裕福な人間は代闘士とか決闘士とか呼ばれるプロの格闘家を雇って、ほぼ間違いなく勝てる仕組みであった、最後の決闘裁判は、1456年であった(p117)
・火薬や羅針盤という技術を生んだ中国ではあまり発展しなかった、火薬はもっぱら花火・爆竹の材料、羅針盤は奇術のネタ程度(p118)
・84年周期の根拠として、家系や企業がだいたい27年半で代替わりし、84年はその3倍だというところか。創業の初代、守成の二代目、蕩尽の三代目で人サイクル終了、これを遡ると、16世紀初頭の1512年を中心とする20年間まで(p124)
・スペインのカスティリャ女王は、南下してアフリカの南端、喜望峰回りでアジアを目指す航路はポルトガルに抑えられていたので、大西洋を西に進んでアジアに到達する、というコロンブスの提案に乗った(p131��
・大地をたった一本の縦線で二分割するという発想は、地球球体説を確信していなければ意味をなさない。一方で大衆には、大地平盤説を教え続けて、無知で臆病な状態を保とうとしていた(p132)
・当時、オスマントルコ帝国は強大であったため、スペイン・ポルトガルも初めから地中海航路は断念して、アフリカ南端回り、大西洋回りでアジア進出を争っていた(p133)
・スペイン、ポルトガルは、現地の先住民が弱ければ、侵略・制服・掠奪・虐殺であったが、強敵とみれば平和な通商を求めた(p133)
・レパントの海戦(1571)は、大嵐のおかげでスペインの艦船が沈没したため、神風によるイギリス軍の勝利であった。(p136)
・イギリス、オランダ、フランスが東インド会社(カリブ海域を西インドと呼んでいたので)が設立されたのは、小氷河期のなかでも世界の気温が大底をつけた1600-1604年ころ、気温の高い地域に活路を求めたことが設立の背景(p138)
・オランダは、収穫済の香料を現地人から奪い取るか、買い取るというポルトガルの掠奪型の植民地経営から、現地の香料農園を直接支配し、収穫物を持ち込み高値で売るという生産過程の直接支配へ切り替えた。この背景は、世界中の土地は神様がおつくりになったが、オランダの土地だけはオランダ人が作ったという、自国本土についての経験が影響していた(p139)
・カリブ海の西インド諸島でのサトウキビ栽培は特定の島の固有種でなかったので、のちにイギリスに市場支配力を奪われたが、クローブ・ナツメグは、モルッカ諸島固有種であったので、長くオランダの収益源となった(p140)
・香料栽培の支配を通じて、オランダ人の中に、欧州には自生しない(トルコ産)植物の栽培には、巨額の利益がついてくる、という概念があったから、チューリップバブルとなった(p141)
・イギリスがオランダから覇権を奪ったときも、正面からオランダを征服しようとしていたのは、フランス、経済面ではイギリスはオランダの忠実な模倣者であった。イギリスで刈られた羊毛は、オランダ・ベルギーに送られて毛織物として製品化、南国向きの綿紡績・綿織物の機械化に精力を注力するのは、オランダ・ベルギーから毛織物の技術を盗めなかったから(p143、150)
・今度の覇権交代は、同じ投資主導の工業経済の枠組みの中での交代ではなく、投資主導の工業経済から消費主導のサービス経済へのパラダイム転換をともなう覇権交代である、サービス経済では広範な大衆の消費判断が決定的な要素となる、小金持ちの人数が多い日本が有利(p146)
・18世紀初頭には、戦争は、切羽詰まった貧者の逆襲から、すでに豊かな国が軍備を充実させることのできる時期に起きる、富者が貧者を食い物にするゲームへと転換した(p151)
・1701-13年の戦争後のユトレヒト条約で、イギリスにスペイン領南米大陸での奴隷納入独占権を与えたことは、フランスの大きな譲歩であり、イギリスの勝利であった(p154)
・1816年は夏のない年といわれるほど異常低温となり、農作物は不作、価格も高騰していた(p161)
・イギリスで平底の外輪戦艦をつくれるようになってから、東インド会社軍が圧倒的に強く、1852-53年の第二次ビルマ戦争で負けたビルマは海岸線を奪われ、内陸国家となり、1886年の第三次ビルマ戦争で国土をすべて失った(p166)
・なぜ大デフレ期は大不況期だった、という主張が繰り返されるかと言えば、企業にとっては利益率の下がる辛い時期だから(p175)
・1930年代の大不況のとき以外は、一貫してインフレの続く世の中になってしまった。これは借金をすればするほど得で、国や一流企業・大手金融機関・富裕層は大歓迎(p180)
・イギリス、フランス、ドイツを乗せた帝国主義第一陣のバスは出てしまった、あとはもう帝国主義化を目指す諸国としては、くたびれたオスマントルコから領土を奪い取るしかない、としして最後のバスに殺到したのが第一次世界大戦である(p191)
・アメリカ金融資本は、英仏ロの三国協商側のみならず、独墺トルコの三国同盟側にも巨額の借款を供与して、資金なしにはできるはずのない規模の資産の蕩尽をけしかけていた(p193)
・第一次世界大戦に参加した大国のなかで、多民族・多言語帝国がすべて、戦中・戦後に解体されるか、まったく違う政治体制に変わっている、近代総力戦に、他民族・多言語国家は耐えられない(p195、197)
・第一次世界大戦後、アメリカと日本において金準備は増加した、アメリカの増加額は1280億マルク、日本は1830億マルク、イギリス・フランス・イタリア(420,250,190億マルクのマイナス)は債務国となった、戦争以前は黒字であった。アメリカは最大の利益を日本にさらわれた(p204)
・アメリカ政府が、英仏によるドイツの過酷な賠償金の取り立てを抑止しなかったのは、「ドイツから金を搾り取れなければ、英仏にはアメリカの金融機関から受けた借款を返済する能力はない」と、アメリカ金融機関から突き付けられていたから。これで、ドイツに復讐戦をやらせる計画には、米英首脳の間で、日本もドイツ側で参戦させようという方針が決まっていた(p205)
・近代国家同士の総力戦という莫大な費用を調達するには、アメリカに無制限の信用供給と資金調達を実現できる中央銀行が必要であった。日本を参戦させるために、日本に対するエネルギー供給の締め付け、移民に関する差別的な制限強化があった(p218)
・フィリピンの反米勢力が1943年10月に日本政府と連携して対米独立していたのが、長崎への原爆投下の最大の理由だろう、あれは作戦行動にできなかった、米国内のカトリック勢力の反感を買うので(p223、225)
・新世紀の移行は暦通りではなく、14年後ろ倒しになっていたこと。2013年には確実視されていた米仏軍のシリア侵攻が、土壇場でつぶれ、クリミアにおいても軍事対決とならなかった2014年であった(p255)
・東芝が管理職社員に強制的な「自主的管理目標」をださせて、「未達になりそうならサバを読んででも目標を達成せよ」という、会社ぐるみの粉飾決算をしていたのが、2016年半ばに話題となった(p258)
・北朝鮮の国家予算は名古屋市、横浜市程度、その国はどこから資金を捻りだして���るのだろうか。アメリカ軍需産業利権集団以外にはありえないだろう(p259)
・レーガン大統領が、ソ連を解体させることを目指して、ネットバック価格という値決め法をサウジアラビア等に飲ませることで、原油価格は暴落してソ連経済が崩壊した。ネットバック価格とは、石油製品価格の加重平均から逆算した原油価格(p266)
・日本では、1970年以降、生産高に対するエネルギー資源投入量を削減しつづけている、これがいかに難しいかは、他国と比較すると理解できる。(p268,269)
・資源国で経済活動が発展した例外は、イギリスの蒸気機関や製糸・紡績業・鉄鋼業が石炭自体の用途を画期的に拡大したこと、アメリカの自動車産業がガソリン需要を激増させた、自前の資源の活用法を開発したこと(p273)
・アメリカ、中国、ブラジル以外の産油国は、生産量の大部分を輸出に回している、それらの国(ロシア、アラブ首長国、サウジ、イラン、クウェート、ナイジェリア、メキシコ、カナダ、ベネズエラ)はそのために周辺国よりも高い生活水準が保てている(p277)
・アメリカにおける暴力抑止産業の規模はGDP比較で15%、平和な社会・平和な世界が実現すればほぼ消えるはずの仕事が、アメリカでは富の7分の1を占める(p289)
・2015年1-9月において国内における銃撃による死者数は8512人で、1970-2014年のアメリカ国内の累計テロ犠牲者数(3521)よりも多い(p291)
・国民規模での肥満と、景気が悪くなればなるほど上昇する株価が、同時期に限界点に達したとき、軍事帝国はほぼ衰退期なしで突然爆縮するだろう(p302)
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