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判型も小さく目立つ本でもないが、書名「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」が目にとまり。引き寄せられるように手にとった本。
ネガティブ・ケイパビリティという概念に出会えたこと、その意味するところを知ることができたのは、本当にありがたい。
ネガティブ・ケイパビリティ、寛容、共感、の欠如がこの今の世界の生きづらさの根源にあるのだということが理解できた。
多くの人に読んで欲しい。とくに、子育て中の方、これから親となるような方には、ぜひおすすめしたいと思う。
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ある機関紙で紹介されていたので、買ってみた。「ネガティブ・ケイパビリティ」の能力を強くして、もっと生きやすくなりたいという思いから。
読み始めは興味深くページを進めたが、6章あたりからペースが落ちて来て、9章(教育)は再び共感しながら読んだが、10章は飛ばし読みしてしまった。飛ばし読みをすることはあまりないのだけれど…
意義深い主題だが、読みながら構成上ついていきにくいところが時々あり、1冊の本としての完成度は高くないと感じてしまった。(編集の問題か…)
詩人キーツが兄弟宛ての手紙の中で、シェイクスピアは「ネガティブ・ケイパビリティ」を有していたと書いていたことを、後に精神科医ビオンが見つけ、精神分析の分野でも「ネガティブ・ケイパビリティ」の重要性を説いた背景があるそうだ。「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念の誕生秘話についてはもっと短く紹介して、5章くらいのボリュームでまとめたほうがすっきりするのではないか。キーツやシェイクスピアから始まった「ネガティブ・ケイパビリティ」という定義に縛られ過ぎている気がする。「答えの出ない事態に耐える力」だけでは、ありきたり過ぎるのだろうか…
「答えの出ない事態に耐える力」は、シェイクスピアや紫式部、ユルスナールなどの大作家だけでなく、芸術活動を続けているほとんどの人が、多少の違いはあっても有している能力だと思う。また、「答えの出ない事態」は、研究者、事業家、サラリーマン、闘病者、介護者など、あらゆる立場の人々が日常的に直面している問題だ。なので、大作家の作品を殊更多くのページを割いて取り上げていることに違和感を覚えた。
「答えの出ない事態に耐える力」で思い浮かべるのは、大震災の後、仮設住宅に住み続けている人たちだ。日々生きていくために、否応なく「ネガティブ・ケイパビリティ」を持たざるを得ず、共感のない事態にも直面し闘っていかなければならない。「ネガティブ・ケイパビリティ」を持ち続けるためには、何よりも共感が大切なのだとあらためて気づかされた。
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負の能力もしくは陰性能力。「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に堪える能力」である、Negative Capabilityについて語った本。
昨今、というか、もう高度経済成長の頃から、なんなら産業革命以降の趨勢であろう「マニュアル化」に一石投じるかのような内容で、非常に示唆に富んで面白い考え方だ。
詩人のキーツが兄弟に宛てた手紙の中でその考え方を示し、後の世に精神科医のビオンが見いだし、著者は論文で目にして注目してきたという概念。本書の前半は、キーツの生い立ち、ビオンの半生を紹介するので、なかなか本題というか、この能力の効用について語られないのでイライラする。 が! それこそ早急に回答を求めてしまう近代教育の悪弊、現代病なのかもしれないところだ。
それをこの読書体験からも分からせようとする著者の深慮遠謀だとしたら見事なものだ(多分そりゃ違うとは思うが)。
こうしてこの能力が発想され、発見に至り、世に膾炙された一連の経緯のあと語られるネガティブ・ケイパビリティであるが、今は、そんな悠長な考え方は認められにくい世の中だ。究極の対局が、なんでも分かったものとして片付けようとするマニュアル。
”マニュアルがあれば、その場に展開する事象は「分かった」ものとして片づけられ、対処法も定まります。ヒトの脳が悩まなくてもすむように、マニュアルは考案されていると言えます。”
人は、こうして考えることをしなくなると警鐘。現代の教育がそもそも、如何に早く正確に”解”を吐き出すかを目的としているため、「不確かさの中で事態や状況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力」なんてもっての外ということだ。しかし、そうした、不確かさの中に身を置くことで、モノゴトの本質に深く迫ることができる。それをやってきた個々の偉人がシェイクスピアであり、紫式部だったと説く。人間の本性を赤裸々に描いた洋の東西の文学界の巨人はネガティブ・ケイパビリティの体現者でもあったということだ。
この能力の効用として対人間の場合、
「相手を本当に思いやる共感に至る手立」と、本書は説く。
相手を思いやる、自分ファーストじゃないんだよとなと、ふとあの人のことを思いながら読んでいると、ドイツのメルケル首相との対比で、トランプ氏のことも取り上げてあり、やっぱり、そこ、言いたくなるよな、とほくそ笑んだ。
斯様に、このネガティブ・ケイパビリティは、国際社会の問題でも、文学の創造性においても、教育問題や、もっと身近な対人関係でも重要で大切な能力だと、現代のあらゆる風潮に対するアンチテーゼとして提示している。
著者の本業である精神科医としての臨床の例だけでなく、作家としてシェイクスピアの発想、池波正太郎と編集者との会話、黒井千次の書評委員会でのエピソード、フランスの作家モーリス・ブランショ(1907-2003)の言葉などを引用した喩えも示唆に富んでいる。
ー La reponse est le malheur de question. (答えは質問の不幸である)
なかなかいい言葉だ。
とはいえ、謎を謎のまま置いておかない性分は、これはひとえに現代教育の賜物ではなく、記憶と理解を通じ、こうありたいという欲望をかきたてる、他ならぬヒトという種族の脳の成せる業。こうしてホモ・サピエンスは地球上の覇者となり得たので、その方向や勢いにいまさらブレーキを掛けることは非常に難しいはずだ。
ただ、そろそろ、立ち止まって考えることも必要なのかもしれない。そんなことを思わせてくれる面白い一冊だった。
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自己啓発?
かかった時間60分くらい。ただしナナメ読み。
わからないことをわからないまま保留するチカラを、ネガティブ・ケイパビリティという。本書はそのネガティブ・ケイパビリティについて、詩人のキースやシェイクスピア、紫式部、または精神科の臨床例等々から、必要性を主張している。
どちらかといえば、新しいことを知るための本というよりは、ネガティブ・ケイパビリティ(この言葉は使っていないにしろ)の重要性を知っている読者に再確認させる意図の方が強い本だと思った。いわゆるファン向けの本かと。
前述の、キースやシェイクスピア、紫式部等々について、それぞれまあまあ詳細な説明がしてあって、薄め広めの雑学本みたいな感じもある。
それでも、筆者のいう、この、ネガティブ・ケイパビリティは今の世の中ではより大切だよなあと思う。
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ネガティブケイパビリティの生みの親である2人と、その広まり、関連等が主に記述されている。
個人的に、歴史的事実や過程よりも、ネガティブケイパビリティという概念そのものに対する筆者の見解や掘り下げを読んでみたかった(それを踏まえて自分でも考えてみたかった)ので、とても興味深いテーマだったけれど、内容に関しては少し期待とは違った。
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世の中には解決できない、しようがない出来事が満ち溢れている。
しかし、人間は理解したり、早急な対処を求めたりする生き物です。
そのため、学校でも、いち早く正解にたどりつく力や、スピーディな問題解決能力をもとめる力をつけようとします。
私も教員として、問題解決のための思考の仕方や、大量の問題を早く答えるような課題づくりをしていました。
この本では、ネガテイブ・ケイパビリティという能力、答えが出ない!という本来ならマイナスの状態であり続けていく能力の重要性を説いたものです。
最初から読んでいても、このネガテイブ・ケイパビリティがどういうものかわかりにくかったのですが、要するに考え抜く力であったり、解決できない状態を受け入れたり、問題に向き合うことを諦めなかったりという力を総合して話しているようでした。
筆者は精神医学にこの力を発揮しており、患者さんとのやりとりで、医者は早急な対処を求められるけれど、実際は解決できないこともあるため、カウンセリングのときには、この力を意識して、患者さんを見守り続けることなどをしているそうです。
この本では医学のみならず、創作や、政治ついてもネガテイブ・ケイパビリティが発揮される例や、早急に解決しようとすることで起こりうることなどが挙げられています。
問題解決のためのノウハウ、スキルといった効率重視の本が大量に出回っている中、どっしりと腰を据えて、相手と向き合い続ける力について述べた本は新鮮でした。
解決できなくてもいい、その対象と向き合い、考え続けていく中でたどり着けるものもある。
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「ネガティブ・ケイパビリティ」とは
「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや
不思議さ、懐疑の中にいられる能力」です。
(言い換えると、問題を解決しない能力。)
キーツはシェイクスピアが備えていたこの能力を
詩人こそ身に付けるべきとしました。
しかしこれは簡単なことではなく、なぜなら、
人の脳は、分かろうとする生物としての方向性が
備わっているから。
だけれど、人生における問題はだいたいがそんなに
すぐに解決しないもののほうが多いので
「宙ぶらりんでいる」能力、ネガティブ・ケイパビリティが
有効だということでした。
個人的にすぐ正解を求めてしまう癖があるので
「宙ぶらりん」に耐える精神力を身に付ける
努力をしたいです
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ネガティブ・ケイパビリティとは何か、それを人生に生かすには、というあたりが知りたかったのだけれど、歴史上の人物の誰がその能力を持っていたとかそんな話ばかり。なのでパラパラと斜め読みして終わった。
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レベッカ・ソルニットの「迷うことについて」でネガティブ・ケイパビリティに触れられていて、興味を持ったので読んでみたのだが期待していたような本ではなかった。
「ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐え抜く力です。その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力を生み出すのです。」
とあるけれど、私はネガティブ・ケイパビリティ自体には「希望」の要素は含まれていないように思う。むしろ、理解できるかどうかすら分からないところに留まるもののような気もする。共感こそネガティブ・ケイパビリティみたいなことも言うけど、それもちょっと違うような…。
どうしようもない状況の患者さんたちの話とか、プラセボ効果の話とか(ここ長かった)でちょっとずれてきたなと思ったけど、文学作品のあらすじを長々語り出したあたりではっきりおかしいなと感じ、ヒトラーと同一視してのトランプ批判と旧日本軍批判が始まってもう斜め読みになった。
「寛容さのひとかけらもない」「軍隊はネガティブ・ケイパビリティとは全く無縁の存在」と声高に批判するけれど、本当に寛容を求め、本当に戦争を止めたいと思うのなら、戦争の悲惨さを延々書き綴るのでは足りないのではないか。むしろヒトラーやトランプや旧日本軍の心にこそどこまでも潜って、早急な価値判断で断罪せずに考え続けるべきなんじゃないのか。
戦争は腐っても手段なんだから、悲惨さを主張してその効用の宣伝をしたってしょうがないというか、むしろそこに至るまでの経緯と手段としてのメリットをきりきり考え詰めて、はじめて対抗する策も生まれるのでは?と思う。メルケル首相を称揚する文章を読む限り、現実に進行中の戦争そのものには著者は興味なさそうなので、本当はどうでもいいのかもしれませんが。
理解できないものこそ、放り出さず、寄り添って、留まる、自分の知っている理論から安易な答えを貼り付けない。キーツのネガティブ・ケイパビリティに言及し世に送り出したビオンの言いたいことって、そういうことだと、著者自身が書いていると思うのだけど。
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コロナ感染症がちょっと騒ぎ出したころから読み始めた。当時はまだ飲み屋もやっていたが、送別会者などなどが自粛していたなぁ。でものみたい上司を止めるのが大変だった。
源氏以降の下りは正直いらなかった。話が飛んだような印象がある。著者の趣味に走った感が出ていた。
とはいえ、世の中は解決できない問題に溢れていて、確かにその中でいかに生き抜くかということはとても大切だ。
学校では解決策はすでに公式化されているものだから、世の中にぽーんと出されると、呆然としてしまうのも当然だ。面接訓練で、私の経験談を聞きたがった若者らも、私の答えを聞いて、自分の答えを出そうとしたのだろう…などと思った。
いつまで続くか分からない、どうなるか見えてこない、そんな中でも生きていく、よく考える。
そうなると、図書館が閉まっているのはなかなかしんどいことなのだな。
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"子供は見たまま感じたままを口にし、振舞い、絵に描きます。その絵の中には、大人が見ることも、理解できそうもないことが描かれています。それに対して、何かを定義し、解釈を与えるのは僭越ではないかとビオンは言います。まさしく、そのとき子供には記憶も欲望も理解もないからです。"(p.61)
"解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない。解決しなくても、訳がわからなくても、持ちこたえていく。消極的(ネガティブ)に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められています。"(p.201)
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答えの出ない事態に耐える能力。
不確実、不思議の中にいることができる能力。
それがネガティブケイパビリティー。
共感こそが人生をかえる。
答えを早く出せる能力だけが能力ではない。
解決しなくても、訳が分からなくてももちこたえてゆく、ネガティブ(消極的)に見えても大きなパワーである。
ドイツのメルケル首相と、トランプ大統領の対比が面白かった。
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フライヤーで読書
ネガティブ・ケイパビリティ
=分からないものを分からないまま、宙ぶらりんにして耐え抜く能力
人間の脳は、何かを理解しようという傾向があるため、
性急な結論を求めがち。
特に、人と向き合うことが必要な状況(精神科医による治療とか)では、ネガティブ・ケイパビリティが必須の能力になる。
【わかる】
には浅い理解と深い理解がある。
浅い理解は小さい理解の積み重ねによって全体を理解したさきにある。
一方、深い理解は、物事を宙ぶらりんなまま仮説検証を繰り返し観察し続けるさきにある。
現代教育は、問題解決能力=ポジティブ・ケイパビリティが重視されている。
その弊害としては、物事を単純化して捉えてしまうこと。
もちろんポジティブ・ケイパビリティも重要。
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「分かる」ことを先延ばしすることで得られる「能力」について書かれた本。紹介された有名/無名の人たちの生きざまを知ることで、その価値を実感できる。
「答えの出ない事態」が、スタンダードとなった“新しい日常”において、ネガティブ・ケイパビリティの重要度は増しているように感じる。
しかし、「分かる」ことなく生きるのは、苦しい。そこを耐えるためにも、人々がお互いに「目薬」と「日薬」をかけあうことが、寛容な社会をつくりあげるためには大切だと思う。
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結論より共感を。
私たちは、決まった解を出す教育を受け、ビジネスでも問いを立て、仮説→検証→結論を求められていることがほとんどである。これらはポジティブ・ケイパビリティと呼ばれ、必要なスキルではあるものの、ネガティブ・ケイパビリティの側面が軽視されがちである。この点には至極納得できた。
ネガティブ・ケイパビリティとは、答えを急がない、事実や原因をすぐに求めない姿勢であり、そのような状態に耐えうる力である。これが共感には必要であり、相手の思うことに納得も同意もしなくてよいのなら、答えのない状態に耐えうることこそ必要なのである。
精神科医やヒアリングを主とする人が読むべき本であるが、ビジネスの世界にも通用するのではないか。例えば、1on1などでも、ひたすら聞くことに徹するには、まずネガティブ・ケイパビリティが必要だろうと。
ハートドリブンが感情を大切にすることで新たなビジネスを生むように、共感の肝となるネガティブ・ケイパビリティも今後のビジネスにおいて、社会の中で極めて重要な要素になること間違いなし。
本の評価としては、この本を読むことこそネガティブ・ケイパビリティが試されているのではないかと思うほど、曖昧な内容で頓挫しかけた。筆者の主張よりもキーツを始めとする他者の引用や紹介が長く、そこから何を読み解くかは読者次第という、ネガティブ・ケイパビリティのない私には厳しい展開だった。