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とにかく問題解決するポジティブ・ケイパビリティに走ってしまう日常。そんな中で寛容にネガティブ・ケイパビリティで対応していく意義を感じた。
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すぐに答えを求め、秒単位で情報をかき集めようとする現代の人たちには最も必要な力だと感じた。
最後に語られるアメリカの少年からルワンダの聾唖の子供に贈られた手紙のエピソードだけでも、この本を読んだ価値があるくらいに素晴らしいエピソードだった。
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ネガティブ・ケイパビリティとは「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」、あるいは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味する、とのこと。なるほど、確かにこの時代にあっては耐える能力が必要なのはよく分かる。
ただ、このケイパビリティの発揮の仕方をまちがえてはいけない、ということを強く思う。「どうにも答えが出ない」と感じたとき、じっと耐えるのがいいのかどうか。実はじっとしていないで自分が動けば解決策を見出すことができる可能性がぐっと上がるんじゃないか。つまり、重要なのは、このケイパビリティの存在を知って発揮することよりも、これを発揮するか否かの判断基準をきちんと持つ、ということなんだと思う。そうしないと、本来動き出さないといけないところなのに「ただ今、ネガティブ・ケイパビリティ発揮中」という言い訳を与えるだけになってしまう。
著者が伝えたかったポイントとは少しズレているとは思うけれど、ワタシとしては得るところがあったので、許していただきたい。
それにしても、この本で源氏物語のあらすじを知ることになるとは、完全に想定外。なんでも著者の見方によれば、光源氏はネガティブ・ケイパビリティの具現者なんだとか。
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ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」。
答えがなく、対処のしようもない事態にずっといることは、耐え難いことだ。だからこそ、人はなんとか解決しようと動き回る。それは、よい結果をもとめるから動くのだが、耐え続けなければならない状況もあるということが驚きだった。
この能力があることを知ると、踏ん張る力がつくらしい。なるほど。
印象に残ったのは
・大事なのは、相手を思いやる心
・キーツが生涯かけて発見したネガティブ・ケイパビリティの概念は、百七十年後、ビオンによって見事に甦った。
・医師は即座の判断が求められるので、ポジティブ・ケイパビリティ。精神科医は、ネガティブ・ケイパビリティ。
・誰でもひとりで苦しむのは、耐えられない。誰かその苦しみを分かってくれる、見ていてくれる人がいると、案外耐えられる。
・遺族を苦しめ続けるものの大部分は、後悔。「もっと何とかしてやれなかっただろうか」「受診させるのが遅すぎたのではないか」「モルヒネを頼んだので死期を早めたのではないか」と、いくつもの後悔が遺族を苦しめる。これはもう間違った認識としか言いようがない。
・「あれ以上の介護と献身は、考えられません。主治医である私がよく見て知っています」と言ってあげるだけで、遺族の心の重荷は軽くなる。
・実は私も開業二年が終わる頃、前述のビオンと同じ急性骨髄性白血病を患い、半年の入退院治療を繰り返した経験がある。同じ血液系の癌なので、患者さんの不安な気持は、よく理解できる。しかし予後は人それぞれ。せめて、免疫力を高めるために、元気に満ちた明るい毎日を送りましょうと、患者さんを慰めるくらいしかできない。こうなると、祈りに近い臨床になる。祈りをかたちに出してしまうと祈禱師や宗教家と同じになるので、ひたすら胸の内で祈るのみ。
・楽観的希望の効用は、医学的にも証明されている。心臓疾患でも、楽観派のほうがより多くビタミン類を摂取し、低脂肪の食事をし、運動もして、心筋梗塞に至る率が少なくなっている。
・明るい未来を想像することによって、ヒトは困難を生き延びて来たと考えられる。ヒトは誰もが必ず死ぬのだとは、全員が知っている。たまに死を思いながらも、やはり明るい未来を思い描きつつ生き続ける。
・プラセボ効果とは、本来効力のない物質や処置に対して、生体が効力があったように反応する事実をさす。
・どうにもならないように見える問題も、持ちこたえていくうちに、落ち着くところに落ち着き、解決していく。人間には底知れぬ「知恵」が備わっていますから、持ちこたえていれば、いつか、そんな日がくる。
・戦争では、指導者は踏みとどまって一考も再考も三考もすべきだった。ネガティブ・ケイパビリティが完全に失われていたから、戦争になった。
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精神科医であり小説家でもある帚木さんの、40年の臨床経験から不確実性や不安定な状況に耐えていく力について書かれている。まさに今の時代の中で必要とされているもの。シェイクスピアや紫式部の作品をその観点にたって分析している内容が非常に面白い。不寛容の事例としてトランプさんも出てくる!サポーター活動でも、何か答えやアドバイスを見つけなきゃみたいな気持ちに駆られることもあるんだけど、ただそこに居て話を聴くサポーターとして、応援できるチカラのヒントがここにあると思う。
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解決策を示す、方法を示す本ではない。
ネガティヴ・ケイパビリティの考え方、どのような場で用いられてきたか、それが今の社会にどれだけ必要か。
ネガティヴ・ケイパビリティで、苦しくなくなるわけではない。
すぐに解決したがるのを、じっと我慢する力。
日薬とは、時間が解決してくれること。
苦しさは続いても、いつかは良くなると希望を持てるようになる為の力。
何とか生き延びる力。
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ネガティブ・ケイパビリティとは不確実さの中に性急な結論を持ち込まず、神秘さと不思議の中で、宙吊り状態に耐えていくことだと定義されています(手を替え品を替え定義がされていますが、言っている趣旨は同じです)
僕は人生で一番大切な力は「漠然として不安に耐える力」だと思っているますし、なんでもかんでも白黒を仕えたがる風潮はヘタレだと思っているので、とても深く共感しました。
ネガティブ・ケイパビリティについて、歴史から、自身の体験から、時事問題から、さまざまな事例を持ち出して解説しています。くどいと感じるかもしれませんが、わかりやすいとも言えます。
日本のみならず世界中、現代はネガティブ・ケイパビリティが欠如していると思えてし方がありません。右とか左とか保守とかリベラルとかはどうでも良くて、「議論ができるか」「話し合えるか」が大事だと思うのです。
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今の世界は「問題解決能力の開発」に
偏重していて、
「ネガティブケイパビリティ(=どうにも答えの出ない事態に耐える能力)」の重要性が説かれていないのではないか、と筆者は指摘する。
特に日本では、教育の段階で、課題設定とその解決方法ばかりを教えてしまっており、「世の中には簡単に解決できない問題で満ち溢れている」という事実が子どもたちにきちんと伝えられていない、と筆者は主張する。
自分自身、そうした日本の学校教育を受け、いわゆる難関の国立大学を出た身として、その筆者の視点には深く頷かされるものがあった。
本書の中でも繰り返し述べられるが、
"問題解決能力だけが能力ではない"、ということを知ることは、前途多難な人生を生きていく上で大きな支えになると思う。
私自身、今後の人生で、途方に暮れるような現実に直面するたびに、この本を開いて、救いを求めるのではないかと、そんな気がしている。
人生のさまざまな分岐点が訪れる二十代後半にこの本に出会えて良かったと思う。
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詩人のキーツが書いた手紙にあった「ネガティブ・ケイパビリティ」の記載をもとに、精神科医である著者が、同じく精神科医であるビオン、シェイクスピア、紫式部など他の様々な人物や彼ら/彼女らの作品の解説を通じて、ネガティブ・ケイパビリティに関する解説を行っている。
我々の脳が不確実性を嫌い、拙速な理解を望むというのは大変説得力のある話だと感じる。筆者は、このような欲望に抗い、事実や理由をせっかちに求めず、懐疑の中にいられる能力(ネガティブ・ケイパビリティ)を養うことが、精神科医の診療にも、我々の教育の場にも、また広く市民社会における寛容の養成にとっても不可欠であると論じる。
もちろん、筆者がその必要性を強調しているネガティブ・ケイパビリティだけで全ての物事がうまく行くとは限らない。なぜなら、特定の結果についての詳細な理解や問題解決を一旦ペンディングしておくというのも、ネガティブ・ケイパビリティの帰結であると思われるからだ。例えば、もしもネガティブ・ケイパビリティが重要だとしても、小さな範囲に絞った問題解決であれば人間は日々行うべきであるし、そうでなければ日常的な意思決定までままならなくなってしまうだろう。
ただ、これらのことを加味した上でも、現代社会では、拙速な「問題解決」が求められすぎているきらいがあると個人的には考えている。戦略コンサルの人たちはスピード感のある「解答」を用意してくれるし、本屋にはハウツー本が山ほど並んでいる。
これらのコンサルタントや書籍類が定義している「問題」とは一体なんなのか、何がそれらの視点からは抜け落ちているのか、問題定義が難しい場合は一旦ペンディングしておくことはできそうか、などの可能性を我々は考えるべきだと思う。
このことを想起させてくれる点で、この本はとても有益な示唆を与えていると感じた。
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まだ1月なので、ちょっと気が早いけど、今年のベスト3候補の1冊。
この性急に答えを出したがる時代にこそ、答えの出ない事態に耐える力、ネガティブケーパビリティに目を向けることが大事とのこと。確かに、仕事でも、教育でも、ますます「すぐ」に答えを出す傾向が強まる中、中途半端な状態に我慢できなくなっている。
長く、新規事業探索のような仕事をしてきたが、そこで感じていたのは、新規事業探索とは中腰でいるようなものだということ。新たな事業は、なかなか芽が出ないので、思いっきり伸びをするような状態にもならず、かといって、しゃがみ込んで休むこともできない。中腰のような中途半端な状態にい続ける。そんな状態は、長くは続けられないので、個人も、そして、チームも、ある程度やったら休ませてあげないといけない。そんなことも感じていたが、この「中腰に耐える」というのは、まさにネガティブ・ケイパビリティだったのかもしれない。その考え方そのものがないと、確かに、耐えられないかもしれませんね。この本は、今まで、漠然と感じていたことに、呼び名と輪郭を与えてくれた。
そのネガティヴ・ケイパビリティが、創造性や寛容ともつながっているというのも興味深い発見。森本あんり『不寛容論: アメリカが生んだ「共存」の哲学』もあわせて読んでみたい。
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崇高なもの、魂に触れるものというのは、ほとんど論理を超越した宙ぶらりんなところにあります。むしろ人生の本質はそこにあるような気がします。
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ネガティブ・ケイパビリティは知っていましたが、最初に使ったのがキーツとは知りませんでした。
普段の仕事の多くは、落としどころがあり、限られた期間と費用でいかにそこへもっていくかがキーです。できるだけ当てはまる事象を調査し、見つかればそれでほぼ終了です。
その方法を、例えばカウンセリングなどに使ったら最悪です。クライエントをラベリングして理解した気になってしまいます。たとえ、すぐに答えを求めてるクライエントがそれを望んでいても、それでは何も前に進みません。あえて安易な道を避ける勇気が必要です。
社会はますますせっかちになり、ネガティブ・ケイパビリティを培う経験をすることが厳しくなっています。できるだけ意識して生きたいですね。
余談ながら、キーツは純朴で繊細な青年と勝手に思い込んでいて、「遊蕩がたたり、性病にも罹患し水銀を服用」はチョット意外でした。
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モヤモヤすることが多いので考え方を整理するのに最適だった。第3章が特に面白かった。
ビオンの断言。ネガティブ・ケイパビリティを培うのは「記憶もなく、理解もなく、欲望もない」状態。
分かる、を言い換える。
もともと分からない、いまも分からない、すぐに分かりたがらない…
でもヒトはどこかで分かってしまうのではないか。それは1週間後かも1年後しれない。しかしそれは、その時点で分かったことにして区切りをつけたがるのだろうか。だから、分かったけど分からない、という姿勢をもってみようと感じた。
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最近、よく考える事、子供達の自己中心的な言動、答えを求める大人。他者の言動を批判するあまり自分は何もせず、ただただ無責任に振る舞う人。そんな状況に何かできないか考えまだまだ答えを出せずに悶々としている…これで良いんだとわかっただけでもこの本を読んだ甲斐があった。
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難しいこと、複雑なこと、混沌なことを
保留しておく力。わかったふうに無理に
理解することを戒め、答えのない状態に
耐えられる、そんな自分でありたい。