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2018/08読了。大人がいなくなった世界で少年少女だけが生きていく、という設定の話は、この『蠅の王』に影響を受けたものが多いという印象があり読んでみたかった。
少年だけで秩序は保てるのか、協力しあって生き抜けるのか。しかし話が進むにつれ集団は愚かで無残な行動に出る。
特にラストのラルフが追い詰められるシーンは息をのむほどの緊迫感。最後に救出されて、思わず自分のことのようにほっとした。恐ろしい本だった。
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孤島に漂着した少年達を通して、表面化した心の闇と狂気が島全体を支配していく様を描くディストピア小説。子供の組織における階層付けやグループ対立、虐めのスケープゴート作りなどがリアルで不気味になる。子供の残酷性を発見した作品というよりも、解り易く描写表現したところがノーベル賞受賞の理由だろうか。戦後の英国作家のゴールディングの作だが、英国らしい作品だと思う。イギリス児童文学は、もともと子供の純真さを否定する傾向にあるように思える。子供はシニカルであり時に残酷性を見せている。本作を読んでピーターパンを連想した。ピーターパンでは少年達の残酷さに対してウェンディという母親役が抑止力になっていたように思えるが、本作では母性の不在が狂気の増大に拍車をかけていったように思える。
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【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
・読む前にMGS5TPPで、そういうタイトルのエピソードがあるというのは知ってて、それで興味を持ったという側面はある。
【目次】
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ドキドキしながら読み終えることができた。長年に渡って本書が愛され続けている理由が分かった。
物語は無人島に不時着した少年たちにフォーカスを当てている。今までに読んだいわゆる「無人島モノ」はどうやって無人島から脱出するかを描いていたけれど、本書にその要素は少ない。それよりはむしろ、少年たちの人間性が無人島という閉ざされた空間でいかに変化していくかという過程を生々しく描いている。
清潔とはほど遠く、髪の毛もボサボサで口の中も汚い。食事も雑で、まともに労働もせずただ遊んでいる少年たちが多い。そんなリアルな子ども像を描けたのは、教師としての勤務経験がある作者だからこそだと思う。
子どもたちだけの無人島生活がどのように終焉を迎えるのか、ぜひいろんな人に読んでもらって、感想を教えてほしい。
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類似作品に宝島や十五少年漂流記があるらしいがどれも読んだことがない。これらの物語はハッピーエンドで終わるらしい。しかしこの蝿の王は、現代的な法国家で生きてきた(しかし歴史において人々がどのように集団で国家を作り、法を作ったかを知らない)子供たちが手探りで集団組織を作った結果最も原始的な国が出来上がり、全てが終わった瞬間途方も無い虚無感と罪悪感と後味の悪さが残るという、ある意味とても現実的な終わり方になっている。集団心理に流されれば人は容易く原始的な行動に走ってしまうということか。
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元祖デスゲームもの(?)。無人島に漂流した子供たちが殺し合うっていうシチュエーションが先駆的でおもしろいですね。
子供のひとりが豚の生首と会話するシーンは戦慄しました。
というか近年は特に葛藤もなくパタパタと人が死んでいく作品が多いので、本作で勉強して欲しい。『葛藤なく死んでいく』というのは、技術的な問題ではなく、時代を反映した結果なのかもしれませんが。
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墜落した飛行機が、南太平洋に不時着した。飛行機の残骸は海に流されてしまったのか、押しつぶされた草を見て、ここから滑っていったのだろうと考えるしかない。冒頭から曖昧な部分が多く、話も少し御都合的かなとも思ったが、この小説は、細かく書かないことで寓話性を高めているんだということが分かった。聖書的な部分が多く見られる。
大人のいない無人島で、子供達は楽園だと感じて楽しく過ごす。メンバーは沢山のチビたちと、リーダーのラルフ、聖歌隊を率いているジャック、ラルフと最初に会った太って眼鏡で頭が良いピギー、不思議なサイモンなど。だが、それも長くは続かず、次第に恐怖に支配されて行く。顔に痣のある少年は恐ろしい獣がいると言った。これは人の内にある闇に対する恐怖の感情が増幅されたものだと思われる。
リーダーのラルフは、火を絶やさないで煙を出して助けを求めるのが第一だと言った。だけど、仲間たちは遊んでばかりで手伝わずに、聖歌隊を率いているジャックは豚を狩ることに執着していく。豚を木の槍で突き刺し、赤い血で手を染める内に豚を狩ることが第一となっていった。ジャックたちは、野蛮な獣になってしまったのだ。子供達が血によっていく姿は怖い。純粋だから染まりやすく、人の奥にあるものは良いものばかりではないと作者は言っているのだろう。最後に助けに来る将校は惨状を見て「イギリスの子供ならうまくやれそうなものだが」と言った。これが世間の意見で、作者は、この小説の子供達の姿を通してそんな単純ではないと伝えたかったのだろう。ノルマンディー上陸作戦に参加した事で見た現実が影響していると思う。
巻末の解説でサイモンという少年は使徒ペトロから取られていて、役割としてイエス・キリストだと書いてある。サイモンは不思議な雰囲気の子で、変わったことを言ってみんなから不思議がられている。獣は人の外ではなくて、人の中にいるんだという事を言っていた。サイモンはジャックが捧げ物として置いた豚の頭から、蝿の王の言葉を聞く。蝿の王は「お前は知っていたんだな。わたしがお前たちの一部であることを。ごく、ごく、親密な関係にあることを!」と言って、サイモンに邪魔をするな、邪魔をすればラルフやジャックたちと一緒にやっつけると言われた。蝿の王の言っている事は、獣の正体と恐怖と狂気の生まれる場所は、人の内だといことだ。サイモンはラルフたちが見たという、山の上の獣の姿を見る。それはパラシュートで落ちてきた人の死体で、パラシュートが風で揺れることで鼓動のように感じていたのだと知る。みんなに獣はいないんだと知らせようとしたが、ラルフとジャックの対立する中に飛び出てしまい、蝿の王の言った通りサイモンはみんなに殺されてしまう。ラルフは現実から逃げようとして輪の中には居なかったといった。ジャックは現実をすり替えて、獣はサイモンに化けてきたと言った。子供達が何が正しいのか分からなくなっていき、近代的な道徳という希薄なものは消えていくのが恐ろしい。
子供達は大きい年の子達と、おチビたちで別れている。おチビたちが何人いるのかは分からないし、ラルフたちも、そこまで気を止めはしない。上の子らは��事を自分たちで決めて戦いを始める。その間に、おチビたちの中では何かあるかもしれない。きっとあるだろうし、怪我をしたり死者が出ているかもしれない。この2グループの構造は、戦争を始める上層部が上の子たちで、下の子たちは、自分たちの意見など言えず言うことも分からずにただ流させれていく一般市民に思えた。ラルフは最後に将校に死者はいないかと聞かれて2人と答えた。その二人はサイモンとピギーで上の子たちのグループだ。本当はもう一人、最初の山火事で死んだ顔に痣のある子もいたのだ。これは上層部は下の者の死など意識にあげてはいないということを示唆しているのではないだろうか。
聖書からの影響もあるし、小物などにもサブテキストがある。子供達をまとめるために使ったほら貝は、持っている人の話を聞くというもので、文明や秩序や民主主義の象徴である。火をつけるのに重要なアイテムの眼鏡は知性や科学の象徴であるといった解釈ができる。作者は「この小説はあらゆる方法でとても周到に練られている」といっているので、深読みができる物語なのだ。
本書は新訳ということだが、かなり文章が良くて読みやすい。行ったことのない無人島の風景が浮かんで来るようだった。
MGSとの関係性も書いておこう。まずピギーを見たときにヒューイを思い出した。頭が良くて、眼鏡で、運動は出来なくて、空気が読めない。エメリッヒの発言の正否は分からないが、ピギーは正しいことを言っているけど好かれていないのは、人柄と間が悪いのだろう。ピギーは理性的であろうとしている。科学の象徴である眼鏡をかけているピギーと、物事の真価を心で感じることが出来る神聖な感覚があるサイモンは、一度も狂気に浸っていないのが面白い。ラルフは時折、自分を見失っていた。ヒューイとピギーのつながりはそこまで分からない。正しいことを言っても行動しないといけなくて、人柄が尊敬されないと話を聞いてもらえないばかりか嫌われるということかな。なんだが、悲しい。
ピギーは眼鏡をジャックに取られた時に、僕はもう目が見えないと言った。この発言がカズと一緒だったのが気になる。あまり似ているとは思えないが、狂気に浸っているように見えるカズの中にも、ピギーのような冷静な部分があったとい示唆かもしれない。ジャックとロジャーはラルフを恨んでいる。ジャックはリーダーの座を奪われたからというのがあるが、ロジャーはなんでラルフを恨んで殺そうとしているのか分からない。これはカズが、なぜビッグ・ボスを討とうとしているのかが分からないのと似ている。大事な時にいなかったという意見もあるが、ビッグ・ボスは公の場には姿を表せなかったし、そこまで薄い関係でもないだろう。その後にビッグ・ボスもカズもフォックス・ハウンドに所属するので、仲は良くなったのかもしれないが、カズの思惑を一番知りたい。
ラルフはイーライのモデルではあるだろうが、イーライはピギーの知性と化学と、ジャックの狂気と、ラルフのカリスマ性を持っていると感じた。
MGS5で子供が死ぬという事故があった。その時にはイーライが近くにいたということだが、イーライは仲間が雑に扱われると大人の兵士に過剰とも思えるほど怒ったというので、イーライが殺したわけではないだろう。蝿の王では、子供が死ぬのは3回ある。一度目は顔に痣がある少年が火事に巻き込まれて、二度目はサイモン、三度目はピギーだ。つながりで言うと一度目の子のことを取り上げて、MGS5でのことも事故だったと思うのが分かりやすいかもしれない。ピギーはヒューイだとして、サイモンとつながりのあるキャラは誰だろうか。キリスト的というとソリッドだが、もしかしたらクワイエットという点もあるかな。なんとも言えない。
全体的なイメージでは、集団が狂気に染まっていく様は、まるでダイヤモンド・ドッグズだと思った。ラルフたちの狂気は、外から来た船によって一気に冷める。DDも同じように天国の外からの影響で消えていくのだろう。それはソリッド・スネークの物語とつながることになる。
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誰が悪いというわけではなく、みんな良いところと悪いところを持っていて、過酷な状況で悪い部分に耐えられなくなったように思う。
ジャックは嫉妬心を初めは隠して協力できてたし、ラルフは考えの足りなさが面に出ていなかった。あと、普通に狩猟隊への仕事の偏りがおかしい。
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この本の主人公は子供たちで、最初は楽しく暮らしていくが、やがては仲間を殺すことになってしまう。
殺したあと、何人かはそのことを気にやむが、何人かはそのことを正当化しようとして、また殺そうとする。
これらの行動を取ったのが、大人であれば、その大人の持っている個人の人格の問題にできたのかもしれないが、殺したのは子供たちだ。つまり、人間は潜在的に悪であるということではないのだろうか?
現に、読んでる途中、殺す側の子供たちの熱狂に、共感してしまう自分がいたような気がした。
そう考えると、とても怖くなる本でした。
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単なるハード版十五少年漂流記(二年間の休暇)ではなく、途中から「地獄の黙示録」的な狂気を含む展開になって行く。歯止めが効かなくなる群衆心理が恐ろしい。
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2020/03/27読了。
お正月休みに古本屋で購入したのに、読み終えるのに3か月。
更に感想をメモに途中のまま放置して一年近くorz
高校の頃読んでかなり衝撃を受け、印象だけは強く残っていて、何かの拍子に断片は思い浮かぶものの、ずっと読み返しておらず。そして久々に手に取ったこのタイミング。よもや主人公の年齢が、あの頃の自分よりも、自分の娘に近いとは…orz
お陰で何か新しい発見があったかというと、正直どうだったろう…
かなり朧げな記憶が明確になったのは確か。
戦争の疎開中と思われる飛行機事故により英国の小学生くらいの少年たが、無人島で楽しくも秩序だった生活を送る…ことが出来ず、内部分裂を経て、極限状態の中で人間に潜む凶暴性が暴き出される、そんな物語。
小学生とは言っても下は低学年くらいのおチビから、高学年くらいの子どもたちだけ。しかと語られる訳ではないものの、どうやら飛行機の事故によりパイロット等の大人はいなくなった様子。
所謂恐るべき子どもたち系とでもいうんですかね。
南国の強い陽射し、ラグーンの透明なブルー。
果物はあるし、野豚もいるからなんとか生きてはいけるけど、お腹は壊すしお布団がある訳でもないし、快適じゃない。
この野豚獲りも一筋縄では行かず。
冷静な秩序を求める子と、無秩序な中にも強さという一本の芯を求める子たち。
それらの綱引きの果てにある、カタルシス。
ずっと心に残っていたのが主人公のラルフ(わたしがかつて読んだのはラーフでした)のラストシーンでの無垢の喪失の自覚。
それから彼の親友、ピギーのこと。
ラルフのライバル、聖歌隊にして狩猟隊のリーダー、ジャック。
控え目で冷静な目を持つサイモンのことは、実は正直そこまで覚えてはいなかったです。
でも大人になって読み返したら、ラルフよりも実はサイモンこそが真の主人公だったのかもしれない?なんて、ふと思いました。
当時のわたしはラルフに非常に肩入れしていて、ピギーとジャックは覚えてたけど、サイモン、ごめんよ。
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人間が本来持っている暴力性を描いたもの。主人公のラルフは、理性の象徴だろうか。
ジャックに従った集団は享楽的で刹那的。ラルフを追い詰めるために、食料を失うことを考えずに、島を焼く。早晩、破滅することになっただろう。
人間が必ずしも理性的な判断を行わない様は現実の鏡と言える。
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『蝿の王』(1954)
読んでみた。言われるほど怖い話ではないと思う。そりゃ、こうもなるかもしれんという当たり前に感じる部分があって、それが怖いと言えば怖いかも。
核戦争の影響で疎開する途中の少年たちが、無人島に不時着し、最初は大人の居ない島の生活を楽しむんだけど、グループが割れて、一方のグループが野蛮人になっていき、もう一方を襲うというのが基本の筋なんである。
子供に限らず、いろんな悪行の根本は意志の弱さとか、自己制御ができないところかなと思う。『ロビンソン・クルーソ』とか『神秘の島』などは無人島で生活する知恵とか、生き抜く意志があるんだけど、『蝿の王』にはそんなもんはない。水や果物が簡単に手に入るので、サバイバルでは苦労もないのだが、6歳から12歳くらいの子供たちは小屋を建てるなどの地味な労働をしたがらないし、焚き火で助けを求めようということになれば全員でわーっとやって火事を起こすし、狩猟のスリルに身を任せて「部族」化していくし、狡猾に豚肉を使って権力を得ようとするし、勢いで殺人はするし、人の労働の成果は強奪し、言うことを聞かなければ縛り上げて脅迫する。とにかくやりたい放題なんである。
でも、こういう「悪」というのは、毎日のニュースで伝えられているようなもんで、治安維持の装置がないと、大人でもこうなると思う。
「人の性に従ひ、人の情に順はば、必ず争奪に出で、犯文乱理に合して、暴に帰す」(『荀子』性悪論)そのままである。
著者によれば、「この少年たちは人間であるという恐ろしい病気にかかっている」そうで、「ミツバチが蜜をつくるように悪をなす」そうである。
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皆に慕われるカリスマ的な子、リーダーになりたくて必死な子、真面目だけど周りから相手にされない子。こんな子いたなぁと自分の子供時代を思い出しました。
ある状況下と戦時下のストレスが相まって、子供たちの無邪気さを残酷さに変えるのだと恐怖を感じる物語でした。
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性悪説的人間観が好きだから読んでいて楽しかった。でももっと破滅して行くことを期待してしまっていた。
その後の彼らがどうなっていったのかを考えている。
訳者あとがきが面白かったなあ。