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1は対企業(もしくは個人事業者)の融資がテーマでしたが、2は個人顧客に対する投信等の販売がテーマです。
書かれていることはもっともですが、銀行が顧客本位に業務を見直せば、根本的にビジネスモデルを考え直さなければならないと思います。
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系列が作った商品のみを売り付けるメガバンク、高過ぎる販売手数料から逆算する販売計画、オススメ商品は高手数料のものばかり、、、貯蓄から投資へ!が進まない理由が良くわかった。
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今日の書籍は「捨てられる銀行2 悲産運用」橋本卓典著。
前作もレビューしましたが、なかなかの力作でなんと12万部のベストセラーだったそうです。
では、今回はと言うと銀行の資産運用について述べた書籍です。
でお前、銀行の有価証券運用か?と言われそうですが、さにあらず銀行が顧客から資金を受け取って運用するという、金融商品について本書は書かれています。
前作でも登場した森信親・金融庁長官は、自らの職責として銀行の資産運用改革にも乗り出したのです。キーワードは「フィドュ―シャリー・ドューティー」日本語では「受託者責任」と訳されてきたのたが、金融庁は「真に顧客本位の業務運営」とあえて定義を見直したのだ。
つまり「時代の価値観が変わったのに、顧客本位のビジネスモデルを構築できない金融機関は生き残れなくなる」ということだ。
銀行が、近ごろ最も力を入れてきた代表的な保険商品は、貯蓄性保険商品として分類される「一時払い終身保険」であった。
保険料をまとめて(契約時に)「一時払い」する商品である。10年後の解約返戻金は、一時払いしたお金よりも増えているため、「貯蓄に有利」と顧客に説明して販売してきた。しかしたとえ9年でも、10年以内に解約すると損失が発生するのだ。つまり、10年間は事実上、解約させない商品とも言える。なぜ10年なのだろう。
銀行窓口では、「貯蓄機能と保険機能を組み合わせた0.5%程度の利回りの保険商品」との触れ込みで販売していた。しかし、2000年代に入って10年ものの日本国債が年1%程度の利回りだったように、より有利な貯蓄性の金融商品はいくらでもあったのだ。
このため、保険会社では利回り1%の国債などで安定的に10年間運用し、顧客には利回り0.5%分を返戻金に上乗せし、残り0.5%分を銀行への販売手数料や諸経費として、運用益から差し引いていたのだ。
銀行の窓口で保険を販売する仕組みは、こうだ。保険商品を銀行が販売する際、銀行と保険会社は、まず販売代理店契約を結ぶ。保険会社は銀行に手数料を支払う。つまり、銀行の窓口で保険契約を結ぶ我々は、この手数料が含まれた費用を支払っているのだ。
森金融庁長官は、上記の手数料が5~7%にも上るというオーストラリア豪ドル建ての貯蓄性保険商品を強く問題視していた。顧客はオーストラリア国債そのものを持った方が高い利回りを享受できるにもかかわらず、窓口販売では高い手数料を考慮した貯蓄性保険商品を買わされていたのである。
デフレで給料の上がらない家庭で、スマホ等の通信費の増額で真っ先に削られたのが、保険への支出だった。
一部の生保では、コンサルティングをしながら保証性商品を複数提案していく「顧客目線の商品」を販売したり、保険加入と支払時だけでなく、健康支援サービスで顧客接点を増やそうとしているところもある。
しかし、現状は、手数料の高い変額保険・外貨建て保険を取り扱う生保がほとんどだ。国内勢だけでなく外資系も含めて苦しい台所事情の生保が、地域の顧客に信頼されやすい銀行にひれ伏し、すり寄ったのだ。
この現状に対して森長官は苦言を呈した。
「(前略)株式の安定保有により保険販売を増やそうと相手にプレッシャーをかけるより、顧客ニーズに応えた真に良質な商品の組成に傾注すること、また運用においては、投資先企業の価値向上のための建設的なエンゲージメント(参加)を含めた運用判断を行い、保険料を支払っている顧客への責任を果たすことが、経営の王道であると考えます。(後略)」
この森の苦言は、大手地銀にはすり寄るが、立場の弱い地銀には優越的な地位を使って迫る生保に対する痛烈な批判だ。
一方長引く低金利で、顧客の見えないところで、銀行と生保が結託し、高い手数料を顧客の見えないところでやり取りするという、持ちつ持たれつの関係を構築してきたのだ。失われたのは顧客の信頼、そして顧客のカネだ。
森は2016年作成したペーパーで、こう問うた。
・目先の利益にこだわり、顧客本位が言葉だけになってないか?
・顧客に良いサービスを提供し、満足できる企業が生き残ることは金融機関に限らずすべての企業に共通
・それができる金融機関は急な環境変化の中でも生き残れる
・金融機関が質の高い商品・サービスを提供し、顧客企業の価値や生産性を向上できること、個人顧客の資産形成に役立っていくことは、経済の発展につながるとともに、ひいては金融機関の収益の安定性に寄与する。
森金融行政が何を目指しているのか、その輪郭は分かった。では金融行政はそれをどう実現していくのか。森のメモにはこれについても方向性が書かれている。
・当局が金融機関をマイクロネージ(細部に至るまでの監督)して指図することは非効率的
・むしろ、金融機関のやっていることを個人顧客や企業に見える化する。素晴らしい取り組みを行っている金融機関は、顧客に正当に評価されるべき
そのための手段として...
・金融機関が顧客のために行っている取り組みを開示することを奨励
・我々が検査・監督で得た知見を発表
・金融商品やサービスの販売で顧客の情報の少なさを悪用できないように、手数料など商品特性の開示を強化
これらを言い換えれば、「パブリックプレッシャーを機能させる」ということに他ならない。つまり「自己都合の企業」は見捨てられ、退場を迫られるような市場機能を働かせようとする意図だ。
とここまで、本著を紹介してきたが、紙幅と著作権の都合この辺で止めておく。森長官の「日本を良くしたい、金融行政を通じて」という熱い想いを知りたい方は、ぜひ本著を手に取って欲しい。また銀行関係者はぜひ前著も読んで欲しい。元銀行マンからのお願い。
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捨てられる銀行2 非産運用
橋本卓典が森金融庁長官の改革を追った前作の続編。今回は銀行ではなく資産運用について。人口減少・高齢化社会において、医療と同等に成長産業であり、このままでは瓦解する公的年金を補助するものとして考える資金運用が、なぜ日本人に未だに受け入れられていないかという問題を探る。自分自身、先日内定先の確定拠出型年金の資料を読んだが、年率2%で36年運用すれば、元本は二倍になる。これは時間によって生み出された利益であり、さすがにキリスト教会も何百年も禁止していただけあるインパクトだ。資金運用に関して、日本とアメリカでは大きな隔たりがある。アメリカでは7割が確定拠出型、2割が証券会社に対して、日本では証券会社が4割、銀行窓口が4割を圧倒的に証券・銀行の割合が大きい。その上、日本の運用は手数料が高く、かつ投資信託会社が銀行などの子会社や系列であることが多く、企業が売りたいものを売っており、資産を持っている人にとって最適の決断が下されているとはいえない。これに対して、橋本はアメリカやヨーロッパのフューディシャリー・デューティーという概念を対峙させる。これは、売る人と買い手に情報の非対称性が明らかにある場合に、売る人が買い手にとって最適のサービスを提供しなければならないという不文律である。例えば、医者は医学的知識において、弁護士は法的な知識において、明らかに患者やクライアントとの非対称性がある。この状況で医者や弁護士が彼らが設けたいようにでたらめな診断や相談をすれば、たちまち世の中は立ち回らなくなる。これが、殊に資産運用の世界では軽視される傾向が強い。運用をするものは明らかに知識では資産を持っている者より上回っており、さらに今後の日本の年金問題を考えればフューディシャリー・デューティーに則って投資商品を売り、運用しなければたちまちに老後資金が瓦解していく。この異常な環境への危機感を、橋本は懸命に訴えている。さらに、なぜこのような形態になってしまったかといえば、金融ビッグバンにより不良債権の解消のみに重点を充て、メガバンクが誕生させたことを挙げ、これらの巨象の存在がこのような悲惨な運用を促進しているとしている。
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多くの金融機関は顧客の資産を預かるという自覚が足りない。多くの金融マンもそう。人の金を預かるという意味を分かってない。必読。
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金融庁(森長官)による金融機関のオープン化第二弾。今回は資産運用にフォーカス。
続きはこちら
https://flying-bookjunkie.blogspot.jp/2018/02/2-3.html
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先日紹介した「捨てられる銀行」の続編。
前回は「地域金融」についてでしたが、続編はぐっと身近になって個人の「資産管理」の現状についてです。日本の個人に対する資産管理を憂いて「非産運用」というサブタイトルが。。。笑
日本人のサラリーマンは「年末調整」「源泉徴収」などの制度により「確定申告」をする人が少ないことから「税」に対する意識が低いと言われています。
確かに自分がどのくらいの税金を納めているのか?どうなると税金があがって、どうすれば節税できるのか?ということを意外と知りませんよね。「そんなことない!」とおっしゃる方は相当意識されています。
でも、「老後の蓄えは重要だ!」なんてことだけ言われるから、何かはしなければ!?という気持ちはあるのに「How=どうすれば?」が分からず、結局塩漬け。。。笑
金融庁長官に森さんがなったことから、個人の資産運用に関する制度も格段に改善されていますが、正直複雑すぎて活用できる人は限られていると思います。(「NISA」「つみたてNISA」「個人型確定拠出年金iDeCo」と横文字だらけで意味不明!?)
ということで、ちょっと気になっていて、何かしたいなあという方が手にする入門書としてオススメです。かく言う私も塩漬けにしていたので、早速手続きしようと動き出しました。笑
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話題になった、そして金融機関の人間としては読まないわけにはいかなかった「捨てられる銀行」の続編ということで、見つけて即購入。
そしたら何とも偶然、最近興味のあった株式投資、運用についての話。実際に始める前にこれを読めて良かった。
そしてこれも読めば読むほど、銀行ってこれからどうするの?っていう感想。金融庁に振り回されて可哀想な面もあるけども、商品のことを知らずにノルマのために売るなんて持っての他……。これから無くなっていくところは、淘汰されるべくしてされるのでしょう。
世の中、そうは簡単に儲けられる話は転がっていないということを肝に銘じなければならないなぁ。勉強あるのみだ。
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大手銀行や証券会社の勧める投資信託やファンドラップが、いかにセルサイドの立場しか考えていない商品であるかが、その歴史的背景から理解できた。
IFAの可能性を感じつつも、変わらぬ金融業界、日本を感じ、このままズブズブ沈んでいく日本を感じてしまうのは私だけではないはずだ。ただ、本人はまったく勉強もせずに、アドバイスや知見、リターンにフィーも払わずに文句をいう民度の低い人が多過ぎる。そんなひとは大概たいした資産は持っていないものだが、空気もサービスも決して無料ではなく、ましてや自分の資産を守り、なかんずく増やしていくために本当に努力してくれるなら、それ相応の対価を払って当然である。社内闘争や人事の事しか考えない高級取りの銀行幹部の給与になるよりよっぽど実りある。
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前作「捨てられる銀行」の続編であり、特に銀行及び金融機関の「資産運用」についての取材を通じて、現状の問題点について述べられている。「フィデューシャリー・デューティー(Fiduciary Duty、顧客本位の業務運営)」がキーワードなのはわかったが、全編を通じてこのキーワードの連呼なのがいささか煩わしい。この「フィデューシャリー・デューティー」を理解し、実践する金融機関だけが市場と顧客から評価され生き残るというのは、著者の希望的結論に思える。旧態依然の業務運営でも、今のメガバンクはおそらく生き残れるに違いない。必要なのはメガバンク(金融機関)の変容ではなく、むしろ我々一般投資家のリテラシー向上であろう。
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フィデューシャリーデューティーの実践のために。
手数料に見合った顧客利益をもたらすことができるか。
税制優遇制度を使えているか。
商品がわかりやすいか。
長期運用できるものか。
為替リスクを考慮しているか。
フィデューシャリーデューティーを考えているか。
これに尽きると感じた。
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本書の内容は、至極正論だと思う。日本の金融機関ももっと顧客本位に変わっていく必要があるなと改めて思いました。個人的なは、筆者がバンガードまで取材に行ったことは、このテーマに関して本気度を感じて特に素晴らしいと思います。
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捨てられる銀行シリーズ第2弾。金融機関が顧客本位ではなく自分本位で金融商品を勧めている実態を鋭く切り込む。
今作も豊富な事例がある点はプラス。著者が説くように、我々が最低限のリテラシーを武装することが大切なのは全面同意。ただし、同じ主張が冗長に繰り返されている印象を受けたことに加え、手数料の高い商品を一概に悪と解釈している節がある点がマイナスだと思った。運用成績がよく、手数料以上の収益を上げていれば問題はないはず。
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フィデューシャリー・デューティーってはじめて聞いた。資産運用のマクロな話。業界の仕組みが、問題点含めよくわかった。