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小説家 川上未映子が村上春樹にインタビューする形で進む対談。対談ものは、何となくしょぼく終わることも多いが、この本は川上さんが事前にもかなりしっかりと準備をして対談に臨んでいるおかげで、とても興味深いものに仕上がっている。村上春樹という作家が、その作品を仕上げていく過程におけるメソッドや込める想いを言葉にして取り出して読者に提示することに成功しているからだ。そこには、川上未映子の村上春樹に対する一ファンにも近い思慕が感じられる。その意味で、村上の本というよりもあえて言えば川上未映子の本と言えるだろう。
特にこの時点で直近に書き上げた長編小説である『騎士団長殺し』についてのモチーフや文体の話が興味深い。村上春樹によると、『騎士団長殺し』は上田秋成の『春雨物語』に入っている「二世の縁」がモチーフだったという。また、出だしの文章は過去のすでにどこかの時点で書いたものであるが、それと『騎士団長殺し』というタイトル、の三つが一つに結びついて生まれたとのこと。また、この小説は、村上春樹にとって久しぶりに一人称で書いた「私」が主人公の小説となっている。再び「私」が主人公となったのはチャンドラーの翻訳の影響であり、また「僕」でなく「私」であるのは年齢的なものもあるとのこと。
【作者の意図】
小説の中に隠された作者の意図、というものを村上春樹は拒否する。
「頭で解釈できるようなものは書いたってしょうがない」というのだ。そして、解釈できないからこそ物語になるという。「作者にもよくわかっていないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいく」と村上春樹は言う。
「結局ね、読者って集合的には頭がいいから、そういう仕掛けみたいなのがあったら、みんな即ばれちゃいます。あ、これは仕掛けているな、っていうのがすぐに見抜かれてしまいます。そうすると物語の魂は弱まってしまって、読者の心の奥にまでは届かない。
書いている人だって正解みたいなものは持ち合わせていないんだという、そのもやっとした総合的なものを、読者がもやっと総合的に受け入れるからこそ、そこに何かそれぞれ自分なりの意味を見出すことができるんです」
それでも「白いスバル・フォレスターの男」が主人公のオルター・エゴのように取れるとも思う、と言ってしまうところは川上さんとの対話の中で少し気が緩んだからだろうか。確かに「白いスバル・フォレスターの男」は気になるアイテムだ。
また、『騎士団長殺し』における『ギャツビー』へのトリビュートに関しても言及される。谷を挟んでわざわざそのために購入した家から家の明かりを眺める様子はギャツビーそのものである。語り手である主人公に訪問を仲立ちしてもらうところも同じだ。川上さん、そこをよくぞ聞いてくれた、というポイントである。村上さんの『ギャツビー』への愛を確認できるエピソードである。
【文体】
村上春樹は文体を大切にする。
これまでの40年間の作家生活でやってきたことは、文体を作ることだけだという。「とにかく文体をより強固なものとすること、おおむねそれしか考えていないです。...でも文体は向こうからは来てくれま���ん。自分の手でこしらえなくちゃならない。そして日々進化させていかなくちゃならない」
具体的に、『ノルウェイの森』でリアリズム小説を試し、『スプートニクの恋人』でそれまでの文体の総決算をし、『アフターダーク』で、シナリオ的な書き方を試した。『多崎つくる』ではグループを描く小説を書いたという。ここに挙げた中程度の長さの小説では割と突っ込んだ実験をしているのだと。それが理由か、おおむね読者の評判はよくないということだ。
【読者との信頼関係】
読者との「信頼」について語る。
読者がついてきてくれる理由について、次のように語る -「僕が小説を書き、読者が小説を読んでくれる。それが今のところ信用取引として成り立っているからです。これまで僕が四十年近く小説を書いてきて、決して読者を悪いようにはしなかったから」
「「ここには何かがあるし、それは決して悪いものではない」ということをある程度の数の読者と僕は多分、お互い理解し合っているんだと思う。というか、僕としてはそのように思いたいです」- 僕としてもそのように思いたい。
【小説の中のジェンダー】
女性に対する描写については少しはぐらかされる。
「物語とか、男性とか井戸とか、そういったものに対しては、ものすごく惜しみなく注がれている想像力が、女の人との関係においては発揮されていない。...なぜいつもの村上さんの小説の中では、女性はそのような役割が多いんだろうかと」と、川上さんとしては踏み込んだ、そして準備をしてきた質問をぶつけたのに対して、「僕は登場人物の誰のことも、そんなに深く書き込んでいないような気がするんです」と答える。
川上さんは「私はフェミニスト」と宣言してさらに切り込もうとするが、話は若干噛み合わない。それは川上さんがひとつの結論を前提として話を持っていってしまったからかもしれない。『1Q84』の青豆や『ねじまき鳥』のクミコ、『眠り』の話などが持ち出されて議論は進んでいるように見えるのだが、川上さんの期待する答えではないことによる戸惑いが見られる。果たしてどのような答えを川上さんは期待していて、どのように返そうと考えていたのだろうか。ちょっとした緊張が感じられて、もっとも面白いところでもあった。
【まとめ】
対談形式と思って高をくくっていたら、意外にやられた。特に『騎士団殺し』を読んだ後に読むとよいでしょう(読む前には決して読まないように)。
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印象的な箇所のまとめ
・ものを作る人って、やはり自分にしか作れないものを追求するのが何より大事になってくる。
・自分が見定めた対象と全面的に関わり合うこと、そのコミットメントの深さが大切。
・深さというのはどうしても必要。その深さを支えきれるだけの胆力がないと、どこにも行けない。
・家の地下二階で起きていることを書く
・できるだけわかりやすい言葉で、できるだけわかりにくいことを話す。
・言いたいことを直接言わないというのが小説の基本。
・ストーリーは向こうからやって来る。文体は向こうからは来てくれない。自分の手でこしらえなきゃいけない。そして日々進化させていかなくちゃいけない。
・地下1階はエゴ。地下2階はエゴの下にあるもの。
・小島信夫「抱擁家族」おすすめ。
・物語は5つか6つのパターンを繰り返す。それでも前進していると感じるのは文章のおかげ。文章が全て文章が新しくなれば、あるいは進化していけば、何度同じ物語を書こうと新しい物語になる。
・文章を磨き上げるという行為の中にある一瞬、体験こそが、自分にとっての小説家としての喜び。
・小説的な面白さ、発想、構築の面白さよりまずは文章が先。
・文体が大事。日本の文芸誌は文体について考えていないというか評価していない。文体は読んで数ページでわかる。(日本の純文学が評価する文体と村上春樹の評価する文体は違う)
・ドラマ、対立、葛藤を作る。そして比喩を入れる。読者が読み飛ばせない文章になる。
・読者にとっても面白いものになるという確信がないと長編小説は書けない。
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「騎士団長殺し」を読む前にこの本読んで良かったのか。逆だった。「騎士団長殺し」読み終えてまた読み返したい。
川上未映子さんもすごい。
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[語り語られ,書き書かれ]小説家である川上未映子が,小説家である村上春樹に対して行った4回にわたるインタビューを書籍化した作品。書くことについて,男女の性について,そして村上氏による新作の『騎士団長殺し』について,突っ込んだ対話が重ねられています。
インタビュアーの川上氏が村上春樹のファンであることもあり,かなり前のめりに質問している様子がところどころで垣間見えるのですが,その熱が村上氏にも伝わるのか,とても活き活きした対話であるように感じました。また,投げかける質問も興味深ければ,それに対する回答ももちろん興味深いので,一言一句を堪能しながらも,あっという間に読み切ってしまう一冊です。
〜リズムが死んじゃうんだよね。僕がいつも言うことだけど,優れたパーカッショニストは,一番大事な音を叩かない。それはすごく大事なことです。〜
『騎士団長殺し』を読んでから本作を手に取るのが断然オススメ☆5つ
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ノーベル賞絡みの下世話な祭りや、若い頃周りにいた青臭いナルシストのハルキストの影響で、私の村上春樹像は偏見に満ちた酷い物でした。だから作品もつまみ食いする程度。そんな知見の狭い私には目から鱗のインタビュー本でした。村上春樹さんご自身のイメージがガラリと変わり、そこにいたのはとても自由で誠意のある天才作家でした。今までの偏見は捨てて、今後はどんどん読んでみよう。作品を分析するようなことはせず、書いた本人のように自由な感性で受け入れようと思いました。川上さんの鋭いインタビュアーっぷりもお見事。
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フィクション嫌いの人に読んでもらいたい。こんなに真剣に真摯に創作して完成するのが小説なんですよ、ということがわかはずだから。
小説家という職業の人たちがこの世に存在する意味が、人は何故、食事を摂らなきゃいけないのか、というのと同じなのではないかと思わせてくれる対談でした。
実は、私は発表されて間もない小説を読むことができない。それは、刊行ほやほやの作品は、あまりにも今と連動していて、自分の中で消化できていないから。或いは、小説家が世の中から嗅ぎとって言葉にしていることが、あまりにも鋭すぎる先見の明を感じるから。でも、そうなる理由もぼんやりと感じ取ることができたと思うし、自分に合うスタイルで本を読み続ければよいのかな、とホッと一息。
村上春樹作品の再読を始めようかな。
そして、そろそろ1Q84を読んでもよいかな。
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昔はつっぱっていた村上春樹も、もうその必要もないから、という感じでこんなインタビューにも答えるようになった、ということかな。
「小説を書いていて、必要な時に必要な記憶の抽斗がぽっと勝手に開いてくれるというのがすごく大事」
「そろそろ読者の目を覚めさせようと思ったら、そこに適当な比喩を持ってくるわけ。文章にはそういうサプライズが必要なんです。」
「ものを書くっていうのは、とにかくこっちにものごとを呼び寄せることだから」
などなど、小説の書き方について、1章の最初の方だけでも、抜粋したくなるような発言がいっぱい。
「独立器官」や「ねむり」などの短編についての作者なりの解説も面白いです。
ただ、肝心の「騎士団長殺し」についての話はあんまり面白くなかったかな。個人的には、「二世の縁」とか仏教とか禅定とかについて、もう少し突っ込んだ質問をして欲しかった。
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こんな愉快になれる本は珍しい。
村上春樹は、自分の書いたもの、言ったことを忘れることが多い。というかこれからのことしか興味がない。また、彼の執筆のスタイルは精神世界に降りていき、展開される景色を描写していくスタイル。悪くいうと行き当たりばったり。
これに彼の熱烈なファンで、彼と彼の作品を正しく理解し、研究熱心な川上未映子がインタビューする。
その結果、
『「あの女の子、なんて言ったっけ?」と川上未映子に問い、彼女の方が「まりえです。なんて言ったっけって(笑)」』って会話になる。最近の『騎士団長殺し』の主要な登場人物なのにもう忘れている。なので川上未映子としてはあきれるばかりで、どうしたって責める感じになってしまう。
『「僕はただそれを「イデア」と名づけただけで、本当のイデアというか、プラトンのイデアとは無関係です。ただイデアという言葉を借りただけ。言葉の響きが好きだったから。』なんて言うものだから
『「村上さん・・・あのですね、原稿を書いていて、イデアっていう単語を村上さんが打つ、こうやってキーボードで「イデア」。イデアってまぁ有名な概念じゃないですか。そしたら当然、「ちょっとイデアについて調べておこう、整理しよう」みたいなこと考えませんか?」
「ぜんぜん考えない。」
「それは本当ですか。」
「うん。ほんとうにそんなことは考えない。」』
村上春樹がボケで、川上未映子がツッコミというところでしょうか。こうしたやりとりのおかしさは、二人のキャラクターがあってのことで、稀有なことと思うので特別なおかしさということになる。
『「これ読んでいる人、「川上も(村上の発言を)真に受けちゃって、くっく」って笑ってるんだろうか」というほど村上春樹のボケぶりがおかしい。ワタシは天然だと思うが。
また、「騎士団長殺し」完成直後のインタビューで、作品の裏話が聞けるのも興味深い。まずあったのは「騎士団長殺し」という言葉と書き出しと「二世の縁」という作品のイメージだけだったそうだ。それを長い間寝かしておいて、書き始める。落語の三題噺みたいだ。しかしその時は「騎士団長殺し」はどういう形で出てくるか分かっていない。
『「「騎士団長殺し」という言葉が絵のタイトルだとわかったのはいつですか。」
「それはずっとあとのことです。ずっとあと(笑)。穴を開いたあとで。」
「それはマジですか。」
「マジで。」
「穴を開くまで、「騎士団長殺し」は、まだ単なる言葉だった。」
「まずは「騎士団長殺し」ってタイトルが頭に浮かんで、それから書き始めて、書き始めてすぐに、主人公は肖像画家にしようときめたのは確かです。それで彼が、屋根裏から一枚の絵を見つける。そのタイトルは「騎士団長殺し」であった。そういう流れですね。
ああ、これでなんとか話をもっていけそうだなと、そのときにやっとわかった。」』
川上未映子が思わず「マジですか。」という言葉を使ってしまったほど驚異的な話だ。何も考えないってそこまで何も考えないで、物語というのは成立してものなのかと思う。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で違う話を書き出して、最後つながるのだが、これも頭の中で考えてつなげたのではなくて、自然に合体したそうだ。
村上春樹は巫女さんとか小説が通過する器官のようなもので、作品の中で起きている事件に意味とか考えないようにしている。考えて意味付けしてしまうと失速するので考えない。しかしそれで物語がキチンと完結していくという作用がなんとも不思議だ。
『「地底の世界。ここについてもちょっと聞きたいんですけれども、大丈夫ですか?」
「たぶん大丈夫だと思うけど。」
「では続けます。・・・」』
と一方的に攻め込まれてる。
最後、
『「しかしそれにしてもこれ、すさまじいインタビューだったなぁ(笑)。あと二年くらい何もしゃべらなくてもいいかも。」
「では、ぜひまた二年後に。」』
と終わるのもおかしい。
『「語り口、文体が人を引きつけなければ、物語は成り立たない。内容ももちろん大事だけど、まず語り口に魅力がなければ、人は耳を傾けてくれません。僕はだから、ボイス、スタイル、語り口ってものすごく大事にします。」「僕はもう四十年近くいちおうプロとして小説を書いてますが、それで自分がこれまで何をやってきたかというと、文体を作ること、ほとんどそれだけです。」』
と文体ありきという話が繰り返される。ある意味職人みたいなところがあるのだろう。どんな家を建てるかよりも大工としての腕が大切というようなことが。そしてどんな家になるかの部分は、物語が降りてくるので他人事のようなところがある。
それにしても川上未映子という人もエライ人だと思う。村上春樹も突っ込まれながらも自分の世界をうまく伝えてもらえるという確信があって、彼女をインタビューアとして選んだのだろう。村上春樹が好きな人にはたまらない一冊だ。
彼女の作品も真面目に読んでみようと思う。
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最新長編を書き終わった村上春樹さんに対して、川上未映子さんがインタビューするという形式の本。全4回に渡り場所を変えつつインタビューを繰り返し、川上さんが村上春樹の創作の秘密に迫る、という内容。村上春樹の過去作のネタバレ上等の中身なので、ネタバレが気になる人にはオススメできないけど、過去作を全部読んでいるというディープなファンにとっては、非常に濃厚な文章が読めると思う。とにかく川上さんの切り込み方が本当に鋭くて、また村上春樹もその問いに対して真摯に答えており、非常に読み応えがあった。オイラの脳内に新しい補助線がたくさん引かれた感覚があるので、最新作も含めて過去作に遡って作品を読み直したいな、と強く感じた。村上春樹ファンには諸手を挙げてオススメします。
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言葉を紡ぐという行為が意味することについてのお話が興味深かったです。
密度の濃いインタビュー集でした。
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インタビュアーの川上さんが、村上作品の愛読者として、また作家として、両方の視点を持っているところが良かったです。共感もできたし、読み物としても面白かったです。
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「みみずくは黄昏に飛びたつ」新潮社2017。
川上未映子、村上春樹。
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「騎士団長殺し」が世に出たのに合わせて作られた本のようですね。
川上未映子さんと村上春樹さんの対談本で、話題は「村上春樹さんの小説、創作、騎士団長殺しについて」です。
川上未映子さんもハッキリと、「文芸評論というよりも、私は村上春樹さんの小説のファンに過ぎない」というスタンスを名言しています。だから、ファンブックですね。
「騎士団長殺し」を読み終えたら、読んでみようと思っていました。ほぼ一気読み。
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個人的に、おそらくは1980年代終盤に「風の歌を聴け」を読んで以来、中断期間を経つつも村上春樹さんの小説は足掛け30年、大好きです。なんだかんだ言って、巨大な影響を受けていると思います。
村上さんの文章は、エッセイなども含めて読んでいるのですが、小説の創作について語っているものを手に取るのは初めて。ちょっとわくわくでした。
読んだ感じとしては、拍子抜けするくらい、「そうぢゃないかなあ、と漠然と思っていたとおり」でした。まあ、嬉しい気分もあります。
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どのあたりが思っていたとおりなのかというと、
●テーマとか狙いとか思想とか主張とか社会性に向かって小説は書いていない。少なくとも意識的には。(少なくとも、公にそういう言葉を語りたくない、ということでしょうね)
●大事なのは「文体」である。村上さんは、どんな物事でも、基本は平易な文章で、誰でも読める、敷居の低い、それでいて「面白い」文章、文体を目指している。
●「ノルウェイの森」は、全体をリアリズムで書いてみる、という実験だった。それはそれで出来たから、同じようなことはしない。いまのところ。ブームには辟易して、海外に逃げた。
●ぶっ飛んだ物事や事象が、小説の中で頻繁に起こるけど、それは解説できない。作者が解説できない、分からないから、面白いのでは。
●そんなことよりも、文体が大事。自分の文体を強固にすることをのみ、考え続けている。努力している。
●「騎士団長殺し」には「イデア」「メタファー」という言葉が大きく出て来る。けれども、語源とかソクラテスとか哲学とか、そういうことを意識して狙って使ってるわけぢゃなくて、「その言葉がなんとなく合うなあ」というくらい。どう読んでくれてもいいけれど、その言葉の意味を分かって裏の狙いを探って。。。というような読み方をしなくても全然良いのでは?
●(本文より)
本を読むことに僕が求めているのは、「なんとかイズム」みたいな理論武装を取っ払った自由さだから。
…と、いうような言葉たちっていうのは、「ああ、そうだろうなあ、と思って読んでいました」という味わい。
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あとは面白かったのは、例えば。
●村上さんといえば、翻訳含めてアメリカ文学趣味なわけですが、小説を読むとわかるように、日本の文学も相当に読まれています。研究?されています。まあ、40年職業作家をされているのだから当たり前かもですが。
●で、基本は「日本のいわゆる明治以来の純文学ってきらい」なんですね。なぜなら、文体をおろそかにしすぎている。とおっしゃられています。でも、面白いのは、「夏目漱石の”こころ”なんて、ぜんぜん面白くない」と言いながら。以下のようなことも言っている。
●夏目漱石が確立した語り口っていうのは、偉大で強力。結局その後はその模倣になっている。その中でも谷崎潤一郎とか川端康成とか太宰、芥川もいるわけだけど…云々。
●結局、漱石も谷崎も康成も読んではるわけですね。そして、認めるものは認めている。その上で自分の立ち位置や好みとして、一家言ある、ということでしょうね。
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村上春樹さんも、2017年現在で、もう68歳なんですよね。いやあ、びっくりです。そして、よく考えたら、70年代、80年代、90年代、00年代、10年代、と、5つのデケイドを経て、旧作も絶版にならず、新作も売れ続けている。
これ、ものすごいことです。
生存している現役の作家で、こんな人、いませんぜ。前人未到?
(死んだ人でも、「売れ方」だけで言っても、漱石、芥川、太宰、という3大レジェンドを除けば誰がいるでしょう?三島由紀夫、谷崎潤一郎、大江健三郎、司馬遼太郎、松本清張、山本周五郎、藤沢周平くらい?売れない物は店頭から消えていく。(消えていく中で素晴らしい本ももちろんあるのだけれども)
ポピュラー楽曲の世界で言うと、サザンオールスターズか中島みゆきか、というレジェンド領域です。
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というわけで、以下の発言もうなずけます。同感。
「僕よりうまく小説書ける人というのは、客観的に見てまあ少ないわけですよね。世の中に」
村上春樹さんのデビュー以来、いろんな理由で徹底的に批判してきた人たちっていうのもいまして。村上さんは文壇社交をしないそうですし、政治的発言も評論への反論もしないので、梨のつぶての一方通行の時期を経て。気が付けば国内ベストセラー作家になってしまい、あれよあれよという間に世界的な作家になってしまって。批判勢力としては辛いところなんでしょうが、上記の発言、すごいですね。アンチとしては、殺意を抱きかねない(笑)。
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でも一方で、実はデビュー以来ちゃんと読んでいくと、左右を問わず政治的な発言を遮断しながらも、底流には物凄く、近年で言うところの「リベラル志向」がはっきりしています。こう言われるのは村上さんは嫌いかもですが、近々で言うと、具体的な立ち位置傾向としては「アンチ安倍政権」(笑)。
「騎士団長殺し」では、南京大虐殺の話が出てきます。この対談本で村上さんが言っていたのは。
南京大虐殺を無かった、ということにしたい勢力がいます。それに対して、僕が例えば評論や講演で「間違っている」と主張しても、マニュアル化された不毛な反論や攻撃に晒されるだけです。僕は小説家だから、小説の中にそれを織り込んでいく。そういう迂回した方法で何かのメッセージも届いたら良い。
みたいなことです(本文通りではなく、うろ覚え)。
いやあ、僕は好きです。こういうこと言えて、できる人。
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インサイダーとかメイキングとか好きな人には楽しいのだろうな。
あと、熱烈なファンの人も。
私はどちらでもないので。
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村上春樹の考え方がわかる内容になっていて、インタビューのやり取りも面白い。ただ、若干くどく感じる部分もある。
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インタビュワーの方が、本当に村上さんが好きで、村上さんのことをよく調べてからインタビューに臨んでいらっしゃるのが分かって、
すごく踏み込んだ質問をガンガンしているところがとっても良かったと思った。