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アーレントのもっとも信頼性の高い伝記である「ハンナ・アーレント伝」(1982)の著者で、アーレントの数少ない直弟子ブルーエルによる約4半世紀ぶりのアーレントについての本。原著は、2006年の出版。
日本版は、新装になって、かなりおばあちゃんになったアーレントがカバーになったんだけど、これがなんともいい感じに年を取ってんな〜、とどうでもいい感想がまずでてくる。
ブルーエルは、いわゆるアーレント研究者、哲学者にはならずに、精神分析の世界に進んだので、議論の哲学的な厳密性はあまり期待できないのだが、そんなことは全く問題にはならない。
これは、アーレントから直接の薫陶をうけた著者が、「全体主義の起源」「人間の条件」「精神の生活」などの主著を踏まえながら、アーレントだったら、今の世の中(911以降の「テロリストとの戦争」など)をどう見ただろう?といった自問自答をベースとした本だ。
シニカルでシャイで予想不能な方向から現実に迫っていくアーレントの晦渋さになれてしまった私には、ややストレートすぎる感じもなくもないが、やっぱそういうことだろうなと納得するところが多い。
とくに、未完となった「精神の生活」の解説はすごくいい。
「精神の生活」の第3部「判断」は、アーレントの思索の到達点として、おそらくは、カントの「判断力批判」をベースとした議論が書かれるはずだったと考えられている。
ブルエールの推察も概ねそんな感じではあるが、さすが晩年のアーレントを身近でみてきた著者ならではの説得力がある。
つまり、カントの「判断力批判」の議論を「人間の条件」の「活動」の思想、「全体主義の起源」の「絶対悪」、「エルサレムのアイヒマン」の「悪の凡庸さ」など、アーレントの主となる議論・キーワードとつないで、自らは本を書かなかったソクラテスに一つのあり方を見出していくという方向である。
そして、その到達点は、たとえば、アーレントの師匠のヤスパースや夫のブリュッヒャーによって生きられたもので、アーレント自身も明確な言語化はしないままにそれを生きた思想であったのだ。
そして、アーレントが政治的な理想としていた「評議会」は、ユートピア的だと当時は思われていたのだが、アーレントの死後に、それは、ポーランドの「連帯」、チェコの「ビロード革命」、南アフリカの「真実和解」など、現実のものとして、生まれ出ているのだ。
あらためて、アーレントの根底にある「世界への愛」に感動した。