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紙の本

疾走感が半端ではない読書会

2017/10/19 17:27

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る

60年安保闘争のルポ「1960年5月19日」で一番文章が光っていたのが、藤田の書いた部分だった。アカデミアの人ながらジャーナリスティックな文章もよくする。彼の筆力の高さには信頼を置ける。さて、語る藤田、ということで、彼のおしゃべりはどうだったろう、と興味が湧き、本書を手にした。彼のお弟子さんたちが、本書を編集されたわけだが、きっと彼らだけの記憶上の宝物にしておくのはもったいない、という出版動機があったのは明白だ。師匠を慕うお弟子たちの心情にほろりとさせられる。
 本書は、主に彼が主催した読書研究会の記録をもとにまとめている。浅い読み込みをした学生さんに与えるコメントは容赦なく厳しいが、しかし、参加者皆、彼の独演会に委縮しているわけではなく、論点の鋭さ、飛躍の鮮やかさ、余談の楽しさに魅せられ、彼の話を聞くのが楽しく本当にわくわくしていたのだろうということが伝わってくる。
 既に固定された一般論から部分を眺める、というやり方に、多くの学生が嵌ってしまう。皮相的な見てくれの良さという陥穽である。世の中で言われている正解とは本当なのか?そこから疑って自分の読みに徹せよと師匠は言う。どんなに難解な書でも、自分自身の人生をかけてそれに対峙する、という真面目な姿勢が必要なのだ。人生経験の浅い読者がそうやすやす気の利いた読みができるわけではない。しかし、それを言下には否定せず、却って激励する。例えば、藤田によると、ジェームズ・ジョイスの作品は、細部の一点に宇宙を凝縮しているという。だから、筋、内容、主題主義で読もうとしても、その本質をつかむことはできない。そこで、以下のようなコメントをする。
 
体系的、概説的報告と違って、俺にはこれが面白い、この一行にひっかかるとか、全然分からない、とか言うことはみっともないと思うかもしれないけれど、そのみっともないことを敢えてすることが大事。
もっとぶざまになった方がいい。
この一句、この一行がいいと言う。知識として覚え込むのではない何かが出てくる。それを期待している。
単なる知識にしては駄目。

そして、ジョイスの文学空間を語っている次の瞬間に、

親鸞は名号だけでいいという。念仏を唱える時、相当激しく上半身を動かしたらしい。そして勇躍歓喜した時に出てくるのはたった六文字の名号。この素晴らしさ。

とくる。この飛躍、飛翔感、疾走感。ほとんど一流奏者による真剣勝負のジャズセッション。

 課題図書の選択眼も、藤田の面目躍如。物をとおして人間を「翻訳」した尾崎翠の「第七官界彷徨」、近代日本政治学の先駆けたる荻生徂徠の「政談」(藤田の師である丸山真男へのオマージュも入っているだろう)、ショースキーの論文Politics and Humanistic Culture, The Case of Basel に基づく小国寡民の思想性の深さの議論など。特に、徂徠の「仁政安民」観における次の指摘にははっとさせられる。

 仁とは心のことじゃないのだ、憐れむ心だとかそんなもんじゃなく、客観的なものだと。即ち、仁とは面倒をみることなんだ、と食えるようにすることなんだ、と。

そして次の「政談」の言葉を引く。

 「国の治ト云ハ、譬ヘバ碁盤ノ目ヲ盛ルガ如シ」

これは、今の言葉で言うならば、ソーシャルセーフティネットの構築である。これこそが、解釈を捻じ曲げて、朱子学者たちが実際の経世済民に生かすことが思いつかなかった、本来の儒教の仁愛の形である、という指摘は重い。現代においてすら十分構築できていないものであり、我々にとって耳の痛い指摘でもある。そしてこの指摘をした藤田の世の中をみる目も確かである。

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2017/09/26 20:44

投稿元:ブクログ

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