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とても楽しみに待っていた作品なのに、集中できていなかったのかなんなのか、どのように感想を書いたらいいのかわからずに戸惑っている。もしかしたら、これまで読んだシリーズのなかでいちばん地味と言えるかもしれない。ただ、地味だからおもしろくないわけではない。この物語を通して著者が提示して見せたものには、簡単には飲みこめない奥行きがあると感じられた。また、コンスル帝国の建国以前の話ということもあり、登場するひとびとの素朴さも際立つ。その無垢さ純粋さがこの小説の静けさを作り、祈りのような佇まいになったのかもしれない。
(冒頭に“戸惑っている”と書きはしたが、ぐわりと込み上げる衝動になんど涙目になったことか。この物語の主人公は、その純粋さゆえに利用されなぶられ打ちのめされるのに、しかしおのれが背負った宿命を手放さぬたくましい生命。彼を追い立て、もり立て、立ち向かわんと駆り立てるもの、希望を見出だしたものが何だったのか。それをいっしょに見つけられたような気がして幸せだった。)
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言葉という文化の力がテーマ、だと終盤になってやっとわかった。でも、分からなくても引き込まれるストーリーの力は変わらずで楽しめる。
これまでの物語に多かれ少なかれ関わってきた、コンスル帝国の建国前夜の時代。
故郷から連れ出され、破壊や裏切りや従属の苦しみを舐め尽くし、絶望に絡め取られそうになりながらも、意志と原体験を頼りに踏みとどまって前を向こうともがく「風の息子」の話。暗い部分が多いけれど、「雨の娘」と「三日月の望み」が再会してからの流れがいいなぁ。
全体的にちょっと説明過多というか、オーリエラントの存在理由について言葉を尽くしすぎている印象も受けた。主張が強すぎるというか。まぁ言葉は文化であり発展の基礎だというのはその通りなんだけれども。
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オーリエラントの原初の物語。
コンスル帝国建国の兆しも垣間見える。
とても心地よく、得心のいく結末だった。
はるか太古の物語としてとらえれば、
この物語の何千年も何万年も未来に
私たちの時間が成立しているのだとも言える。
どのような苦難や裏切り、生死の危機を経ても
希望を信じることをやめないヴェリルの存在は
人間世界が続く限り、失われるものではない。
アルデイラを秩序ある国家として成立させている
ホウと言葉(コンシアル)は、後の物語に繋がる
大切なものであり、たとえ百年単位の限られた時間
であっても、人間世界に安穏と平和をもたらす鍵で
あろう。
ステファヌス、デランダール、風森村の仲間たち。
魅力的な登場人物たちにも胸が騒いだ。
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「風の息子」とか「雨の娘」とか人の名前を開いているところがなんといっても好い。ネイティブならこんなふうに名前が脳裡に響くのだろうか、という印象。世界観がよく出ている。
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今までのシリーズでは、一番好きかも。
大好きな、ドラゴンが出てきたから?(笑)
それも含め、物語性が強いからなのかも。伝説、という感じがする。
個人的には、海賊王が好き。
かっこよすぎる。
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読了すると、この厚みの本にこれだけの内容が!?と改めてびっくり。面白い!!! 乾石智子氏、個人的に今イチオシです。
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この方の本はいつも女性キャラに疑問を抱いてしまうのだが(女性作家の割に結構男性目線に感じるので)、これは素直に心に入ってきた。面白かった。
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読むのを忘れていた模様。
ここから色々始まったのか… そして国の名前の付け方が面白かった。なるほど、そういう言葉遊びからできているんだ、みたいな。
ヒアルシュはなんて言うのか不運な人だなぁ。
良心や良識が無ければもっとラクに生きられたのだろうか…なんて考えてしまう。それを失ってはオシマイではありますが。とは言え自分は間違ってないと信じて戦いを続ける方が、本当は恐ろしい存在のように思ったりします。
最新作(だと思う)で年表を付けてくれるようになったのがありがたかったです。
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オーリエラントの魔道師シリーズの第六作。
コンスル帝国が生まれるずっと前、
オーリエラントがオーリエラントとなった頃のお話。
生まれながらにして風や雨や月を動かす純粋な子供たちが、
騙され連れ去られ裏切られるのは、
なぜか他の物語よりもつらいものがあった。
それと、
「北の蛮族」がどうも受け入れられなかった。
片や家畜をもち、畑を耕し、言葉を操る人間たちに対して、
それらを知らない持たない蛮族が同時に存在している世界に
違和感があるというか。
ファンタジーなので何でもあり、と言えば、ありなのだが、
人間よりも体も大きく、力も強い「蛮族」の姿に、
ホモ・サピエンスと同時代を生きていたネンデルタール人を重ねているのかもしれない。
その頃は、ホモ・サピエンスも大してしゃべれていなかったというか、
大した違いはなかったはず。
著者のあとがきに、
他人のために何かをすることに喜びを感じるのが
ホモ・サピエンスの本質だ、ということとが書かれていたが、
少なくとも、他の個体とのつながりが重要であり、
それは、より小さく弱かった私たちが
集団としてしか生き残れなかった結果なのだと思う。
それは喜びであり、ときには悲しい宿命でもある。