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この本も今週末公開する映画も、映画『ザ・コーヴ』の反証ではない!
捕鯨に関わる二つの立場(正義)とその対立から、それを公平(中立)に見ることがいかに難しいかを浮き彫りにする。
著者であり、監督でもある佐々木女史の苦悩に、読んでいて共感してしまう。
相手にうまく伝わらない、受け入れてもらえない、責められる歯がゆさ……
相手の生業を「悪」として一方的に非難するのは、グローバリズムにもまた反するのではないか?
それは今、排他的な政権が支持され問題になっていることに関連する気がした。
世界を良くしようとしたアクションの“その後”それは本当に「善意」なのか?
捕鯨に留まらない、様々な問題提起をしてくれる。
勿論、映画『ザ・コーヴ』の問題点も指摘している。クジラ肉ではなくイルカである(また、絶滅危惧種ではない)とか。
そもそも関係ないや映像が、さもそうであるかのように作為的に編集されていることなど。(実際、映画では注釈付きらしい)
さらにイルカ類の肉に含まれている水銀データも実は未解明で、人間に有害な有機水銀と経口摂取では排出される無機水銀があり、後者の可能性がある等……
捕鯨反対の論拠そのものが、確固たるものに基づいていないという……
結局、人間の理性ではなく、感情論(義憤や罪ある他人を裁きたいと思う衝動)で世界は動いていたのだ……
読み手によっても様々な意見が出てくる――そんな深い読み物だ。
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本当に中立的なドキュメントとは何なのか、よく吟味された本。色々と怒りや許しがたい感情が込み上げて来たりもするが、それらも取り上げつつも個人の意見は表明せず、読み手の判断に預ける姿勢は素晴らしい。
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「ザ・コーブ」を観て強い違和感を感じた著者が、より中立的な目線で太地の人々を描いたドキュメンタリー映画を制作する過程を描いたもの。
シーシェパードがいかに自己宣伝に力を入れているかが良くわかる。
が、環境保護派は自らが絶対善なので、対話のしようがない。
「正義の反対は悪ではなく、反対から見た正義」とは正にその通り。
結局、「こちらから見た正義」を粘り強く発信し続けるしかない。
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ポップな表紙とタイトルだが、中身は骨太。捕鯨問題を題材にした同名のドキュメンタリー映画の制作者による、ルポルタージュ。感情と情報不均衡がもたらす混乱と洗脳。太地町 vs アングロサクソンという圧倒的不利な構図。そして、どちらにもある正義。この問題に対する理解が浅かったことを知らされる。
反捕鯨団体の行動と、我々の反発心は共依存関係にあり、実はクジラの消費量は激減中で、このような話題が無ければ、多くの地域野菜や伝統工芸品が無くなったように、消滅していたかも、との指摘も。
しかし、どうしても腹オチしない。ウサギや鹿、カンガルーを食べてる奴らに、なんで言われなアカンのや。。。
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『ザ・コーヴ』という映画によって、自分たちの意思とは無関係に世界中で有名になってしまった、和歌山県太地町のクジラ漁が題材の作品。
世界各地でクジラを獲って生活している人々は大勢いるが、なぜ太地町が特別目の敵にされるのだろうか。その大きな理由として、獲物を沖から大量に追い込むという漁法、そして捕殺の瞬間に海水が真っ赤に染まる入り江、という残忍なビジュアルが大きく影響している。
口下手な漁師町の人々と、SNSを駆使し世界中へ発信する事に長けている、シーシェパードのような環境保護団体が諍いを起こせば、その情報の内容と拡散の仕方は火を見るより明らかなのである。生き物や環境を保護する事自体より、弱きを守る自分たちの姿を発信し同情と寄付を集める事が、環境保護団体の本業のようにも見える。
クジラを生活の糧とする人々、そしてクジラを守る人々、今は情報量の差によって片方が悪とされてしまっているが、実は最初から悪など存在しないのかもしれない。全く同じ情報が、切り取り方やバイアスの掛かり具合によって、薬にも毒にもなり得るという事を、私たちは理解しておかなければいけないと思う。
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2009年、1つの映画が公開され、大きな話題を呼んだ。
"The Cove"(「ザ・コーヴ」)。
日本の太地町で行われているイルカ追い込み漁を描くドキュメンタリーである。
イルカが「残酷」に殺される漁を非難する視点から描いた本作は、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞など、数々の賞を受賞した。
世界で大反響を呼んだ映画であったが、日本の「伝統的」な漁に対する「不当」な非難と受け止められたこともあって、日本での公開には反対論が噴出。隠し撮りや過剰な演出、事実の捻じ曲げなど、手法に対する批判の声も上がった。少数の映画館での公開時には厳重な警戒態勢が敷かれるまでになった。
この映画をきっかけに、太地町には、イルカやクジラの外国人保護運動家が押しかけた。この小さな町は、捕鯨問題という大きすぎる問題を一手に受け止める、象徴的な場所となってしまったのだ。
本書の著者はニューヨーク在住の日本人映画監督である。
"The Cove"を見て、衝撃を受ける。映画がよくできていることは認めつつ、腹立たしさと不快感があった。動物保護の立場もわかるが、漁師たちをただ暴力的かつ野蛮であるかのように描くことに強い違和感を持った。
日本で育ち、アメリカで暮らす著者ならではの、両方の視点。それを活かして「バランスの取れた映画」が作れないか、と思い立つ。
本書はその映画『おクジラさま』ができるまでを綴るノンフィクションである。
著者の前作は、ニューヨークの市民アートコレクター夫妻を描いたドキュメンタリー(『ハーブ&ドロシー』)だった。じんわりと感動を呼ぶ佳作である。どちらかと言えば単館系の地味な作品と言えるだろうが、少なくともこの作品を声高に非難する人はいないだろう。
まったく毛色の違う主題に取り組もうとする著者に、反対する友人・知人は多かった。それだけイルカ・クジラ問題は「センシティブ」な問題なのだ。
取材を始めた著者の目には、対立する2つの正義が見えた。
賛成派・反対派の意見はまるで噛み合わない。捕鯨に関する国際会議は感情論が支配する政治問題となっていた。
日本では実際にクジラを食べる人はそう多いわけでもないのに、捕鯨問題となると賛成派が過半数となる。そこには捕鯨国が不当な非難を受けているという思いがある。もはや意地の問題である。
一方の反対派がイルカ・クジラの生態に基づいて科学的に批判しているかといえばそうとも言えない。絶滅に瀕している賢い動物を残酷に殺すのは許せないというざっくりした印象で反対している人がいかに多いか。漁が許されているイルカやクジラは絶滅が危惧されている種ではない。「追い込み漁」の多くは、湾が血に染まる漁ではない。
太地町での対立も、対話に基づかぬまま深まっていた。
乗り込んでくる外国人活動家は日本語を解さないし、町民のほとんども英語が話せなかった。ただ互いに別々の方向を向いて、それぞれの主張をしているのだ。
一方には、動物保護の観点から、動物の権利を守りたいという「正義」がある。
他方には、よそから来たものが背景も知らずに上から目線でこれを正せという��はおかしいという「正義」がある。
話し合いの場を持ったらどうかと仲介する政治団体代表者や、住み込みでじっくり腰を据えて取材する外国人ジャーナリストが、わずかな風穴を開ける。
著者は彼らからもじっくり話を聞き、フィルムに収める。
著者は本書の中で、センシティブな問題に取り組む心の揺れも正直に綴っている。この映画を完成させることはいかに困難であったことか。
捕鯨問題や太地町の騒動がこの映画で解決するというものではない。映画が本当にバランスの取れたものとなったのかについても議論はあるかもしれない。
だが、世に多くある、複数の「正義」を巡る問題に関して、本書が提示する示唆は相当大きいような気がしている。
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映画を観てから読んだので、すごく入ってくる。
佐々木監督がよく言ってた、正義対正義の話や中立という言葉を自分なりに考えさせられる。
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クジラ問題については一度、双方の言い分をちゃんと聞いてみたいと思っていた。日本側の言い分は耳に入ってくるけれど、欧米の反対派の主張はちゃんと聞こえてこない。
「くじらは頭がいいから獲ってはいけない」だとしたら、牛や豚はバカだから喰ってもいい、という理屈なんだろうか。
「数が少ないから獲ってはいけない」のなら、増えたならいいんだろうか。
「残酷な殺し方をするからダメ」なら、残酷な殺し方?じゃなければOKなのだろうか。
例えばくじらが養殖ができたら、牛や豚や鶏みたいに産業動物として扱ってもお咎めなし、なんだろうか? きっとそうじゃないよね。
一方、日本側の「伝統だから」という言い分にもモヤモヤする。アメリカの奴隷制度とか、日本の嫁いびりとか、体育系サークルのイッキ飲みが「伝統だから」と正当化されてはたまったもんじゃない。
人のやっていることに口を出すな、と言われても、親に虐待されている子どもを助けるには人のやっていることに口を出すしかない。
水産国である日本が、漁について外国の言うことをへいへい聞いていたら立ち行かなくなる、というのは単なる原則論だ。クジラやイルカを食わないと飢える、というわけでもあるまいに。
そういう意味で本書に期待していた。著者はアメリカ在住の日本人でこういうテーマを扱うにはもってこい。
でも途中であれれ?となった。日本寄りなのだ。「ザ・コーヴ」の公開でえらいことになった太地町に同情しており、映画の撮影隊やシー・シェパードのやり口に憤慨するのはわかるけれど、それは「クジラ獲り是か非か」という本題とは直接の関係はない。映画の一件でマスコミ嫌いになった町の取材をするために著者はお百度を踏むけれど、その過程で「自分は町の漁師の期待している映画を撮れるだろうか」と悩む。大丈夫なんだろうか?
だが読み進めるうちになんとなく腑に落ちてきた。クジラ問題は要は感情問題で、当事者以外の視座というのものはないのだ。シー・シェパードに反発しつつも、中国で犬を食うと聞くと穏やかならぬ気持ちになる人は多いのではないだろうか? ヒンズー教圏の人がアメリカに神聖な牛食うな!と抗議に行ったら、グリーンピースはどう反応するんだろう?
クジラ問題を通して、「ふたつの正義」という矛盾が見えている。ぼくらの考えている正義は、多くの場合は立場と状況で変わる相対的な正義だ。本来なら「正義」という言葉を使うべきではないのだろう。(その一方で、絶対的な正義というものもある、とぼくは思っている。例えばお腹を減らした子どもにアンパンをあげるアンパンマン)。
問題は、それを理解したところで「クジラ問題」は解決しないということだ。
ぼく自身は、ほかにも食うものはいくらもあるんだから、何もクジラ食わなくても、と思うし、水族館で芸をするイルカやアシカを見ると後ろめたい。動物園のライオンと一緒に、故郷に帰してあげたいと思う。頼まれたら署名や寄付くらいはするかもしれない。犬やネコは食わないで欲しいし、自分ちの犬が食われたら許さん。
その一方で、牛や豚や鶏や魚は美味い。ベジタリアンになれるとは思えない。釣りはやめられない。矛盾だらけだ。
感情問題を感情抜きで議論するのは無理だし、無意味だ。でも、となると解決策がないんだよな。
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奇妙な題名と表紙のイラストが、なんとなくユーモラスな雰囲気を醸し出しているが、いたって真面目な、そして極めて有益な本である。イルカを含む捕鯨について日本が強く非難されているのは周知のことだが、捕鯨を糾弾する側も、維持しようとする側も、それぞれの立場で鯨を大切にしていることが、本書を読むとよくわかる。
捕鯨に反対する側は、鯨、イルカをその知能の高さ、希少性から別格動物とし、特別扱いを求める。一方、日本、特に映画「ザ・コーブ」で取り上げられた和歌山県大地町にとって、鯨、イルカは、それなくしては生活できないと漁師が信じる特別な存在である。双方にとって、鯨は単なる動物ではなく、まさに「おクジラさま」なのだ。
映画を本業とする著者は、映画「ザ・コーブ」にも、それに対する日本側の反応の静かさにも釈然とせず、双方の主張を取り上げたドキュメンタリー映画を制作する。本書はその映画製作の動機、過程、様子等を綴った本である。
本書の副題は「ふたつの正義の物語」だが、「正義」は多分に情緒的、感情的な言葉である。対立する立場にある者がなかなか互いに歩み寄れないのは、相手の主張に、まず感情的に反発するからである。例えば、反捕鯨映画「ザ・コーブ」の中心人物リック・オバリーは、妥協点を見つけることはできないかという著者の問いに、こう答えている。
「できると思う。水銀の毒にまみれたイルカ肉を日本人に売るのをやめて、イルカを捕獲して中国、ロシア、北朝鮮、トルコに輸出するのをやめて、つまりイルカに一切手を出さないことさ」
彼の言う「妥協」とはつまり、己の主張を全面的に受け入れさせることである。このような、命令に等しい物言いには、言われた側はまず反射的に反発する。イルカ漁、捕鯨問題には、まず感情的対立があり、鯨の数や漁師の生活等のデータは、己の感情を正当に見せてくれるための補強材料となっている。捕鯨に関する対立の根底には、おそらくこうした構造がある。だから、話し合いを重ねても、適当な着地点をなかなか見つけられない。ぶつかっているのは、まず、己を正義と信じる感情なのである。本書を通して双方の主張にふれながら、私はそんな風に感じた。
興味深かったのは、映画「ザ・コーブ」でリック・オバリーが言及している鯨の水銀汚染である。「ザ・コーブ」では水俣病を引き合いに出して扇情的に紹介されているが、事実としたら大問題である。住民の健康を心配した大地町長は、熊本県水俣市にある国水研に調査を依頼する。その結果、大地町民の毛髪からは実際に基準値を超える水銀が検出され、鯨肉の摂取量が多いほど、毛髪水銀濃度が高くなることが判明した。
ところが、最高値を記録した70代の漁師を含め、健康被害が認められる人が、一人もいない。水俣病の初期症状が全く誰にも見られないのだ。そもそも、水銀含有量の高いクジラが、水俣病の魚、猫のような健康被害を全く受けていないのだ。これはどうしたことか。詳しくは本書を読んでほしいが、命の不思議、したたかさを見る思いで、大変興味深かった。
未見であれば、まず、映画「ザ・コーブ」を見ることをおすすめする。その後に���書を読めば、いろいろ考えるきっかけとなり、得るところ大である。私は、本書を読んで大変よかったと思っている。
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イルカの追い込み漁の町、太地。隠し撮りでセンセーショナルに動物愛護を訴えたアカデミー賞受賞作「The Cove」。静かな海沿いの町は、それ以降365日海外NGOのカメラ、動画のアップにさらされ続けている。
「アメリカ人は自分で考える訓練を受けている。だから情報があればきちんと判断する。太地の人たちが言い分を発信しなければ一方の情報だけで判断されてしまう」。この信念のもとに双方の言い分をフェアに取り上げようとドキュメンタリー制作に奔走する著者。
「The Cove」のあまりにも恣意的な編集(時間や場所の異なるものをミスリーディングにつなげる)には同じ映像作家として強い怒りを示しつつも、日本の「捕鯨ナショナリズム」にも冷静な目を向ける。
文化の違いを尊重しろ、そんなレベルでとどまらない名著。映画を見逃したのが悔やまれる。
どこかで必ず観る。
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日本の田舎vs世界
知らないこと、黙っていることが、世界においてどれだけ危険なのかを思い知りぞっとした。
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いや、これは大変な力作にして名著。感情的になることなく、個人の偏見や思い込みに走ることなく、反捕鯨・反イルカ漁と漁民や反捕鯨と対する側の状況、主張、活動を大変に公平に取材・考察され、各テーマごとにドキュメンタリー的にまとめられていて、この問題についての理解に大変に勉強になった。
捕鯨問題は異文化理解の難しさ…そこに政治的思惑や特定の思想を旗印にしたプロパガンダ(さらにそれがまた真摯なものから実はビジネス…金儲けのためだったりと玉石混交)が入り込んで来ると尚更問題は複雑骨折化…の典型例にして縮図。海外に住み、国際ビジネスに関わる者として大変に考えさせられます。
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「The Cove」を受けての(という認識でいいのかな?)「おクジラさま」と、その撮影にあたっての出来事、出会った人々、感じたことなど。
はじめの方に書かれていた通り、ドキュメンタリーに対するイメージが公平中立だったので、そうではない、撮影者・作成者の意見が反映されているものである、ということを知ることができた、というのが一番大きな収穫かもしれない。
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この著書の映画版を視聴しました。そのうえでの感想です。
わたしは関西出身で、小学生低学年の時一度くじらの竜田揚げが出ました。鯨なんて初めて食べるし、情勢なんて知らないから無知なまま食べました。なんて美味しいの!と感動しました。味を覚えてはいませんがその気持ちだけをずっと持ち、小学校で好きだった給食ランキングのベスト5には入っているほどでした。また食べたいななんて思っていたら、翌年から無くなりました。スーパーに行くと、たまに鯨の黒い肉や白くてふわふわした部位が売られていることも目にします。捕鯨反対の声があるのは知っていたけれど、ここまで過激というか批判を受けていたなんてこの映画を見るまで知りませんでした。
ざっっくり主張
◯シーシェパード(米、その他)
イルカの虐殺問題である
誇れる文化ならなぜ逃げ隠れるのか?
イルカは歌えて人間と意思疎通が出来哺乳類で
人間に近いじゃないか。
文化だとして長い歴史があるから正しいとは
限らない
イルカを殺す際痛みをなくすことはできない
◯太地(日本)
その町の文化を壊すのは勝手だ。もともと鯨の
町なんだからほっておけ
家畜の屠殺を隠しすのとイルカの屠殺を隠すの
の何が違うのか。そもそも人目に晒すようなも
のではない。
捕獲しているイルカは7種類に限定し、全て
絶滅危惧種ではない。
映画を見ていると論点がずれているんじゃないか?それはただの盗撮と暴言ではないか?一応敬意を持った話し方をしてくれているのに対して返答に歩み寄ろうという姿勢は感じられないなあ、など思うところはありました。価値基準が異なる場所にある議論なので一筋縄ではいかないという印象です。
けれど、気になったのは「日本人は鯨を食べるのは1.2割ほど。なのに捕鯨を文化だからやめようとは言わないという意見が7割(意訳)」というところです。まさにわたしもその一人でした。調査した方は「他国に批判され、反発精神から文化と主張しているのでは。どこかに捕鯨で生計を立てている人がいるのだろうから守らなきゃ。私は食べないけど。と思っているのではないか」と仰っていました。確かに。昔は食べなくてはいけなかったけど現代で鯨を食べる必要はない。それなら日本は捕鯨を辞めてもいいのかなと思ったものの私は第三者であるので太地町の人たちの思いは汲み取りきれていないはずです。
それなら他の家畜は?養殖は?犬食文化は?水族館は動物にとって危険がなくて、餌も必ずあって、でも狭くて‥悪なの?食文化という言葉を逃げに使ってしまっていることがあるのかな?色々と考えさせられる映画でした。
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クジラのことを知りたかったのにほとんどでてこなかった。捕鯨問題を事実に基づき深掘りしていて、勉強になったが。