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➖本書のポイント➖
★孤独の生活の友となるのが、本である
→とにかく、本を読みまくろう!
→酒や異性遊び、スマホやSNSに依存するのは、より孤独をマイナスに意識させ、精神を悪化させる!
➖メモとアクションプラン➖
★孤独の生活の友となるのが、本である
→読書とは、著者と一対1で対話するような行為である。体が衰えて外出ができなくなっても、誰にも邪魔されず、古今東西のあらゆる人と対話ができる。本は際限はなく存在するから、孤独な生活の中で、これほど心強い友はない。
★「老い」とは、「あきらめる」と言うことである
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いかに孤独と向き合うかの本ではなく、いかに老いるかを考察する本。または社会的問題としての高齢化社会の論考。
身体の衰え、認知機能の低下、社会からのリタイア...老後の孤独は若い頃のそれとは異なり、場合によっては大変苦しいものになるだろう。自分もそれに対する恐怖心はある。
諦める=明らかに究める。来し方行く末を想い、自分の現状、今後の見通しをしっかり見極め、次の世代に譲るべきものはちゃんと譲り、なるべく子供の世話にならずに往生していきたいもんである。しかしそうできなくなることも十分ありうる。
また、人口問題の結果、世代間の格差、対立があり、五木氏は「嫌老感」と呼んでいるが、我々第二次ベビーブーマーが高齢者になる頃には今よりもさら「本格的な嫌老社会」になっているわけで、どのように老いていくかは自分にとっても決定的に重要なことである。「豊かで元気な高齢者」という階級が生じ、若者との間に階級闘争が起こりうる不安にも言及。急激な少子高齢化に日本社会が何の手立ても見出すことなくここまできてしまったことがつくづく悔やまれる...
今更的なお話もあるが、下山の話、ガラクタの話、回想の話等なるほどーな言及も多く、じっくり考えさせてもらえた。しかし、宗教に対する著者のいいとこどり的な態度では一神教の心理や精神は理解できないだろうなとは感じた。
「私はこの世界がどう変わっていくのか見ていたい。日本だけではなくアジアが世界全体がこの先どのような変貌を遂げていくのが目撃したい知りたいそのために長生きがしたいと思う」
「もし自分が少しでも長く生きたいと願っているならばその原動力は一体何かという自問自答は老いの時代を送るためのひとつの糧になり得るのかもしれません」
「自分の死生観を託せる宗教を見つけ学ぶことは死に対する恐れを振り払う上でかなり有意義なことであるとふと感じます。それは宗教というよりも宗教的な生き方と言った方がいいのかもしれません」
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50歳を過ぎたら、働き詰めの人生を振り返り、より良い生き方とは何なのかを考えてみろと。
定年退職ではなく、心のリタイヤか。
10年前に読んでおきたかったな…
知らずに50過ぎて何年もずっと働き詰めで来ちゃったじゃん!
最近何となく頭と体と心がちぐはぐだったのは、そういうことだったのかな。山登りの頂上は過ぎたのに、それに気づかずに自分に「頑張れ頑張れ!登れ登れ!」と言ってた。知らない間にもう下りの道を歩いてた…みたいな感じ。
ダウンシフター。スピードは落としても心のトルクは落とさない…いいね!それ好きな走り方かも。
歩き方か。
人の一生は青春、朱夏、白秋、玄冬。
今は白秋の後半くらいかな。
低成長&高成熟の生き方。
山登りの醍醐味は下山にあり。楽しむプロセス。
膝が痛くなるけどな…街でのビールがうまい!
膝の痛みを何とかしなければ。
年齢に抗うアンチエイジングじゃなくて、自然の摂理に従うナチュラルエイジング。
でもトレーニングはしといた方が良さそうだな。
老害で世間様にご迷惑はかけません。
孤独を楽しむ生き方というと難しそうだけど、
自分はどうありたいかの軸を持つことだと思う。
これから死ぬまでの「在り方」だな。
補聴器のポルシェの話も面白かった。
たくさんいい話聞かせてもらいました。
お寺で説法聞いたみたいだった。
続編も読んでみよう!
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本書タイトルの「孤独」というようりも,本書の元となった単行本のタイトルに使われていた「嫌老」という言葉の方が,より心にずしりとくる内容の本でした。
「嫌老」という言葉は,著者の五木さんの造語で,今,ATOKで変換しようとしたけれでも,まだ変換用の辞書には入っていないようです(でも,嫌韓なら,すぐに変換できる)。そのうち,嫌老でも変換できるようになるのが,ある意味,怖い社会になってきたということですね。変換できなくてよかった。
さて,この「嫌老」。少子高齢化社会が生み出す新たな階級闘争の原動力となるのではないか…五木さんはそう危惧しています。元気なくせに働きもしないで年金で暮らしている裕福な老人。一方では,なかなか正社員にさえも慣れずに,いくつもの仕事をこなしているのに,生活にゆとりが出ない若者社会。この2極分化は,もう始まっているのかもしれません。
そこで必要なのは「元気な高齢者ははたらきましょう」「社会に貢献しましょう」ということになります。それこそ,高齢者の生きがいにもなるでしょう。ただ趣味で時間をつぶすだけではなく,何か,賃金をもらえるようなこともやりながら,老いていく。下山の思想は,そういう高齢者の働き方改革でもあるのでしょうね。
下山,孤独,嫌老,そして,非断捨離,どれもこれも,高齢化社会を見つめるための面白い視点です。
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今のの日本は「嫌老社会」になりつつあると著者は危惧する。若者の不安を考えると無理からぬこと。そうした状況を「自覚した老人」であるべしと言う。
年齢をとればとるほど、我が身よりも他者を優先できる人でありたい。
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何故人は、老いを重ねると孤独を感じるのか
またそのコンプレックスのルーツなども、意識と反対側の視点で語ってくれていて、頭の整理もできてよい
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五木寛之は年配の男性だ。年配の男性はおおむね孤立する傾向にあると言われ非難されるが、実は非難されるにはあたらないと論じてくれると思っていた。
なんだか若年層と老年層に横たわるのは世代間ギャップでなく、階級闘争だと言われてもなあ。
回想こそ老後の時間を豊かにすると言われると安心するが、もっと男性老人の孤独を応援してほしい。