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‘「わたしにとって、見知らぬ人に話しかけるのはちょっとした冒険だ。それは、楽しみであり、反抗であり、解放でもある。つまり、わたしの生き方なのだ」’
著者のキオ・スタークは他者との出会いを日々研究している物書きの方。
ニューヨークのブルックリンで暮らし、毎日見知らぬ人に声を掛けつづけている。
...もしかしたら日本でやっていたら変人かもしれない。いや、こうして本になるということはアメリカでもそうなんだろう。‘不寛容の時代’と言われて久しいし、『知らない人』を排除する動きもある。日本でも『知らない人』が『知らない人』を傷つけたり、命を奪ったりする犯罪も多い。「誰でも良かった」なんて、まるでテンプレートのように言わないでほしい。
閑話休題。
その『知らない人』に話しかけることのメリット、デメリット(この言葉にも違和感あるが)。いろいろな方の『知らない人』とつながる様々な試みや実験。話しかけるためのメソッドなどが紹介されている。暗黙のルールも時と場合と場所によってかなり違うので注意が必要。
もちろん、話しかけられたくない人に無理矢理話しかけることや乱暴な言葉を放つのは論外。
あと、交流に大きな喜びを得られる事もある代わりに、ネガティブな結果に終わる場合も多々ある。
人間はポジティブな事よりネガティブな事の方が脳に刻み込まれやすい。
それでも、彼女が知らない人に話しかけることを推奨し、自らも実践するのは何故か。
それはレビューの冒頭に引用した言葉にも現れている。
他の方の言葉でこう言った人がいる。
「人と繋がった、と感じる瞬間のために私は生きている気がする。」
彼女もそうなのかな、と思った。
もひとつ。
知らない人に相対する際に気を付けたいことは‘「感じとることであり、定義したり分類したりすることではない」’
そして‘「相手が自分を人間として見てくれそうか」’が重要。
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TEDトークをもとにした「TEDブックス」シリーズというものがあるんですね。
知らない人に声をかけた時に人はどんな反応をしたり、どんな事が起きるのか。
とても面白い視点でなるほどーと思いながら読みました。
面白かったです。
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"断片的なものの社会学" をよんだ後に、気になってこの本を手に取った。既に私が考えてることを研究してる人がいたか!という感じだった。
束の間の親密さ=ここにいるわたし、ここにいるあなた、をただ認識し合うことで感じる緩く柔らかく暖かな社会とのつながり。何かを成し遂げずとも、何かを買わずとも、少し自分の中の異なるもの知らないものへの恐怖心からくる壁を取り除いて社会に自分を開くことで、ただ生きているだけで幸せが感じやすくなるんじゃないか。そんな気がする。自分なりの小実験を実生活の中でしていこう。
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たまたま出会った一期一会の人とのコミュニケーションについて細かく分析してその効能が書かれていた。確かに電車で隣に座った人とか目があった人に話かけるとか意識してみると面白いのかも。
なかなかできないけどね。
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20190822読了。
TEDブックスのシリーズおもしろそうと思って、手にとった。
タイトルから分かることだが、当たり前(一歩踏み出して知らない人に声をかけることで世界が広がる)な話ではあった。
特に部署の後輩などは、普通のカフェでも気軽に隣の人に話しかけて会話する、と言っていたので驚いた。
オープンに一歩踏み出して話しかける気持ちは忘れがち(保守的になりがち)なので、意識するようにしようと思う。
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見知らぬ人と話すことはその人の人生に少しだけお邪魔すること。まさに読みたかった内容の本だった。
私はよく、ふらふらと当てもなく町を歩いたり海をお散歩したりする。知らない人と話すことが大好きだから。
名前も知らないその人の暮らしや仕事、好きなこと、今日あったことを聞く時間が特別でその数分、時には数時間が幸せでわくわくして、ずっと忘れられないあたたかい思い出になる。
同じことを考えている人がいてなんだか嬉しかった。
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【知らない人との貴重なつながり】
見知らぬ人と話すことの可能性について、話されています。
見知らぬ人との会話、都会に生きているときに私たちが他者と一定の距離を保っていることを、「儀礼的無関心」と呼んだりするらしい。
この社会的距離は、公共の場や街中での快適さを保つためという目的がある。
一方で著者は、この無関心をときに破ってみることを勧めていました。
なぜなら、ずっと無関心を貫いていたら、人と経験を共有する機会を失ってしまうから。
・生の経験の意義。
著者は、他者と意識を通わす経験には、目には見えない心の作用があり、意義があると強調します。
注意深く、普段の無関心の儀礼に風穴を開けることで、今ここでのつながりを生で感じ、 意識が覚醒する、とのこと。
現在進行形で思いもよらない人間同士が交わり合い、影響し合うひと時を通して、私たちは今存在していることを感じる、これはまさに生きることであり、人生に欠かせないことであると述べられています。
この本はコロナ以前のものですが、オンラインでの情報交換手段が普通となり、
直接対面で人と関わらずに多くのコミュニケーションがなされる今日。
偶然性の中にある、生の体験の意義をあらためて考える方も多いのではと思います。
・コスモポリタニズムの実験
知らない人同士が、見な世界市民のように、言葉を交わし、心を通わすことは可能なのか。
結論、ポジティブにもネガティブにも働くという実験結果が出ている。
ひとつに、
知らない人同士が言葉を交わせばそこに関係が生じ、寛容の精神や互いへの敬意と理解が生まれること。そして、背景となる状況が重要な役割を果たすことを強調しています。
__コスモポリタンであるためにはー寛容でオープンで好奇心旺盛で、みんなを仲間だと信じるためにはー共感が必要になる。他者の視点から世界を見て、感じているところを想像できなければならないのだ。そこには、自分自身の意思決定のプロセスも含まれる。
ある神経学の研究によると、感情のひとつである共感は、身体的な経験の影響を受ける。人間であれネズミであれ、他者に共感する能力は生理的なストレスの大きさに左右され、ストレスが小さいと共感する力は増えるという。たとえつかの間であれ、誰かとつながっているという感覚が持てると、相手の感情や体の状態をわがことのように捉えて共感しやすくなる。(本文より)
接触仮説では、共感を生む機会が生まれることで、見知らぬ人に対する偏見を減らす効果がある、という。
一方で、カート・イブソンなどは、寛容になることの限界も示している。
状況によっては、他者への偏見や不快感を高めること。
信頼できる環境か、警戒しないといけない環境か、立場か、
読者の間でも、自信の経験から分かる部分が多いと思いました。
いくつかの実験結果が紹介されていますが、
著者は、現実はより複雑な条件下にあるとも述べています。
だからこそ、ひとは意図的に無関心でいる。
それでも、この生きる術として発展した無関心をあえて破ることは必要なのか。可能なのか。
・やり取りのメカニズム
暗黙の了解は、そのルールが破られたときに見えてくる、といいます。
なので、可能な状況下で、好ましいやり方でルールを破る時に重要なことについても書かれていました。
お互いの寛容性を生むには、まず、相手への関心、敬意、礼儀を忘れないこと。
視線から試してみることや、誰かとすれ違うときに微笑みかけてみれば、ちよっとした一体感は味わえる、とも言います。
いつもどこでも話しかけるのは違うと思うし、
自然さがいるとも思いました。
いくつか紹介されていましたが、このような環境づくり、場所づくりをしているサービスもどんどん出てきているように思い、たしかにニーズがあるなーと。
また、そのニーズは、人に依るのかとも。
世界の知らない人とのつながりをつくることが好きな人、そうでない人もいる、
著者は圧倒的に、知らない人との間で生のつながりを感じるライブ感にワクワクを感じる方で、 私も読んでいて自らの経験を振り返り、
似ているところがあるなーと感じました。
旅行もそんな体験を少し楽しみにしてひとり旅に出てみたり。
たまたま隣に座った方と少し会話をした経験、
旅先でその場限りの知り合いになった経験、
単調な日常の中にそんなランダム性をとりいれることで、
今、ここに生きていることを感じてより生き生きと生きられるのではとあらためて思いました。
___わたしの場合、見ず知らずの人の心の内を理解できたとき、何よりも深いつながりを感じる。もし街角であなたと出会って話を始めたとすると、それはただ時間潰しにちよっとしたつながりを持つためではない。わたしは何かを、たとえばはんの小さなひび割れを探し出し、そこを開いていって、あなたの中にある真実を見たいのだ。あなたのきらめきや輝き、そして裂け目からわずかにのぞく不完全さを。(本文より)
完全なコスモポリタンは中な難しい現実ですが、
だからと言って人とつながる機会を締め出さない、
少しでも他者への共感を高め合える、ポジティブな経験が増える環境を作って行きたいと思いました。
なにかできないかな。