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中岡俊哉の数奇な運命
2017/11/24 20:53
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投稿者:モモタロウサムライ - この投稿者のレビュー一覧を見る
東京ポッド許可局の推薦図書で紹介されていたため購入。まず、中岡俊哉さんの半生に引き込まれ、さらに、怪談・奇談収集から超常現象など似て非なるものをまとめて引き受ける昭和の人間の凄まじいエネルギーに打ちのめされました。自分は超能力ブームに間に合いませんでしたが、オカルト(隠れるもの)とテレビという相性の悪いものを組み合わせてゴールが曖昧なまま突き進む、当時のカオスっぷりを味わうことができました。半信半疑、未解決など東京ポッド許可局でお馴染みのキーワードを楽しみたい人にお薦めです。
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昭和のオカルト・ブームの時、ちょうど私は小学生から中学生の
頃だった。超能力少年がスプーンを曲げるのをテレビで見て真似を
した。しかし、いくらスプーンをこすっても曲がらない。
テレビ画面からかのユリ・ゲラーが「念力を送る」と言うのを聞いて
一生懸命にその念力を感じようとしたが、な~~~んにも感じない。
遠足で行った日光・華厳の滝の前での記念写真に霊が写っていると
一部のクラスメイトが騒いでいたが、私の手元の同じ写真には霊
なんか写っていなかった。
放課後の教室でコックリさんに参加するも、「〇〇ちゃん、動かさな
いで」と言い放ち場をぶち壊した。だって、本当に相手が自分のいい
ように動かしていると思っていたのだもの。
「口裂け女」の噂が流行った時だって「は?刃物を持って追いかけて
来る?そんなもん、銃刀法違反で警察に捕まるだろう」と思いながら
も、「うわぁ、怖いねぇ」なんてヘラヘラしていた。
それもこれも、私の感性が鈍いのに原因があると思っている。だって、
幽霊だって、宇宙人だって、一度は目撃したいのだもの。
凡人には見えないものが見えたり、感じられない何かを感じることが
出来る人がいても不思議ではないと思うんだ。ただ、自分には特異な
能力がないってだけでさ。
本書はオカルト・ブームを牽引した中岡俊哉の評伝なのだが、息子さん
が書かれている為かきれいごとばかりになっている気がした。
馬賊になりたいと渡った中国での3度の臨死体験や、海外で受けた心霊
治療、そして、戦後に糊口をしのぐために中国時代に集めた奇談・怪談
を文章にすることから徐々にオカルトの世界に入ってくのだが、中岡氏
がどのような心霊研究を行っていたか、何を基準に自称超能力者を本物
と偽物に判別していたかがまったく分からない。
実際に自分の目で見て「本物だ」と確信したら本物なのだそうだが、
それでもトリックの不在の証明にはならない気がした。
心霊写真の判断にしても中岡氏が「本物」と太鼓判を押した写真でも
後年、撮影者本人が「あれはトリック」と告白した写真もあったはず。
オカルト・ブームが世間にどのような影響を与えたかを知るにはいい
が、物足りなさは否めない。
尚、本書のカバー裏にはコックリさんに使用する図案が印刷されている。
家人とやってみたのだが、やっぱり動きませんでした。私同様、家人も
感性が鈍いんだろうな。
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月刊ムーの愛読者だった小学生時代はまさに1970年代後半のオカルトブーム真っ最中に多感な時期を過ごし、いい意味で未知なるものへの恐れと驚き、そして何より夢のあるドキドキワクワク感を味わうことができた。
スプーン曲げ、ESPカード、コックリさん、心霊写真、、、この本に出てくる全てに夢中になったその背景にこれだけ情熱を傾けた方がいたことを今知る事ができてよかった。共同著者が息子さんなので、別の角度から見た中岡俊哉も読んでみたい。
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昭和の一時期、心霊写真やらUFOやらノストラダムスやら、何やらオカルトめいたものには一定の人気があった。うちは母親がテレビ視聴にやかましかったので、その手の特番などはほとんど見たことがなかったのだが、テレビを経由せずとも子供社会にも入り込んでくるものはあった。
「口裂け女」という一種の都市伝説があった。マスクをした髪の長い女が寄ってきて、マスクを取り、耳まで裂けた口で「私きれい?」と聞く。我が市にもこの女がうろついていると吹聴している子がいて、ご丁寧に「今夜は○○町(私が住んでいた町)に出るってよ」と教えてくれたこともある。「昨日△丁目の家で、押し入れを開けたらしゃがんでたんだって」とまことしやかに言うのだ。こういう人が噂を広めていくわけだ。
「コックリさん」も無闇と流行った。紙の真ん中に鳥居を書いて、周りに数字や50音表を書く。集まった皆で10円玉に指を乗せ、質問をするとあら不思議。10円玉があっちこっちと動いて「ご託宣」を下す。それだけならまああまり怖くないのだが、正式にコックリさんを終了する前に、誰かが指を離してしまうと、その子はコックリさんに取り憑かれる。取り憑かれるとどうなるのかは謎だが、とにかく大変なことになるらしいということになっていた。この「占い」の何が子供心をくすぐったのか、今ひとつ判然としないが、休み時間ともなるとあちらこちらでコックリさんをやっていたものだった。その当時、コックリさんがテーマの少女漫画まで読んだ覚えがあるから、人気は相当なものだったのだろう。
本書はそうしたオカルトブームの「牽引役」であった中岡俊哉の評伝である。
超常現象研究家であり、子供向けの怪奇もの・ミステリものの読み物を書いていた中岡は、1974年の超能力ブームを契機に、テレビに引っ張りだことなる。この分野では第一人者とされていたためだ。「コックリさん」一大ブームが起こる前、中岡は、これについてラジオで紹介していたらしい。
中岡の経歴はかなり異色である。
母は、明治から大正にかけて活躍した浪曲師・桃中軒雲右衛門の娘。花街で小唄を唄っていたところを、妻子ある地方の素封家に見初められる。昭和元年、中岡は庶子として誕生。母の実家の千葉で育ち、思春期を迎えた頃、満州へ行って馬賊になろうと決心する。母の猛反対を押し切って、満州に製鋼所を持つ会社に入社し、大陸に渡る。敗戦の混乱の中、中岡は仲良くしていた満人に匿われ、中国人として生きていくことになる。共産党の軍隊「八路軍」にも参加、その後、北京の放送局の日本語アナウンサーとしても働いた。そのまま中国に残る手もあったが、1956年、子供の将来のことも考えて帰国。文化大革命の嵐が吹き荒れる前のことだった。
帰国後は中国報道機関の仕事に就くはずが、日中関係が悪化してあてが外れ、逆に日本の外務省所管で共産圏諸国の情報を収集する通信社で働くことになる。ある種、180度の転身である。
それと平行して、中国時代にこつこつと集めた怪奇小説を元にした読み物などを書き始める。こうした怖い話への興味と、波乱の人生の中で何度か「臨死体験」を経験したことが、超常現象の研究へと彼を向かわせたようである。
テレビ番組の編集に関与し、また超常現象や怪奇現象をテーマにした本を精力的に執筆する(ピーク時は何と年間26冊)と言うと、手八丁口八丁の遣り手なのかと思わせるが、意外にも中岡は慎重居士で、「七疑三信(七割疑い、三割信じる)」をモットーにしていたという。また、基本的には自分の見たものしか信じないし、偽物と判断したものは手厳しく批判した。
そもそも本当に疑い深いならこうした現象を信じるのか、というあたりはよくわからないところだが、少なくとも過剰に扇情的な人物であったわけではないらしい。
本書ではこの時期のテレビ業界の内情なども描き出されており、昭和の特番の作られ方が垣間見られるのもなかなか興味深い。海外の透視能力者(クレヤボヤント)が来日した際に、殺人事件の被害者の遺体が発見されるなど、ちょっと衝撃的な展開もある。
中岡は昭和のオカルトブームを大きくする一定の役割は演じたのだろうが、本書を読む限り、ブームを「作った」わけではないように感じる。何かしら、時代の空気として、超常現象に対する親和性があり、その雰囲気を解説するちょうどよい「位置」に、中岡がたまたま「填った」ということなのだろう。
中岡自身は、超常現象に関して、「誤った知識」が広まったり、そうした誤った知識を元に悩んだり、高額の金をだまし取られたりする人がいることに心を痛めていたようで、大量の本の執筆は読者の不安を取り除く目的もあったという。
個人的には、超能力や心霊現象自体はともかくとして、1人の稀有な人物を軸に、戦中・戦後の日本を見るという点で、なかなか興味深く読んだ。
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中岡俊哉が中国共産党の放送局でアナウンサーだったのは驚き。クロワゼットによる犯罪の霊視に興味が湧いた。現在のオカルト番組の骨格は中岡俊哉にあるともわかる。面白い
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驚いた。中岡俊哉は真摯な研究者だったのか。
『UFOの嘘』における志水一夫の中岡批判を信じるなら、到底マジメな研究者とは思えない。(志水の気持ちは解る。UFOやオカルトが大好きなのに、先人がいい加減な与太記事を書き飛ばすため、一視同仁にインチキと思われるのが耐えがたいのだろう)。
しかし、共著者の一人が中岡のご子息だけに、礼賛気味になるのは宜なるかな。
なお、われわれ世代には忘れがたい超能力者クロワゼットの「あなた(中岡)は75歳まで旺盛な活躍をみせるだろう」という予言は感慨深い。
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ブログに書きました。
『コックリさんの父-中岡俊哉のオカルト人生』1
http://rimaroom.jugem.jp/?eid=2617
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面白かった!
私のオカルト素養はほとんど
中岡俊哉氏から生まれている。
いや、ほとんどの日本人のかな。
友達の家で読んだ彼の本がほんとに
怖くて、その名前が心に刻み込まれてから
はや30余年。
すごいバイタリティがもたらした
いろんな結果に脱帽。
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すっかり忘れていたけど確実に少年時代の興味関心領域に「中岡俊哉」という地下伏流水が流れていたことを知りました。当時の少年マガジンは超立体的で「ゲゲゲの鬼太郎」が連載されている時は世界の妖怪特集、「幻魔大戦」が連載されている時はエスパー特集が掲載されていて、隅々まで貪り読んでいたっけ。漫画の方は水木しげるや石森章太郎(石ノ森じゃない時代…)などの伝説のレジェンドたちがキラキラしていたし、グラビア特集の方は大伴昌司の先駆的仕事が再発見されていますが、確かに情報ページには、必ず、中岡俊哉って名前がクレジットされていた記憶があります。怪奇現象、超常現象は男の子たちの大好物だったからなぁ。しかも本書で楳図かずおの「へび少女」の原作が彼だったんなんて、びっくり。それを読みたいため少女フレンド、恐る恐る開いたことを思い出しました。でも、本当かなぁ。この本の著者の息子と弟子なので、取り上げている対象への距離感が近すぎるような感じもあります。それが、中岡俊哉の、なんかちょっとだけ「本当かなぁ…」という文体を思い出させ、ちょっと面白くもあり…。怪奇→超能力→コックリさん→心霊写真→透視能力→ピラミッドパワー→ハンドパワー、中岡俊哉が目をつけた領域は、彼の関心領域の変遷というより、高度経済成長末期から21世紀になるまでの日本人の心が求めたナラティブという感じがします。そういう意味で、「スピリチュアルの父」という題名が正しいかも。触れてはいないけど、オウムだって中岡チルドレンなのかもしれないな、と思いました。そんな「コックリさんの父」が、ライターになる前の中国での人生が「そんなこと、あるの!」というようなトンデモ変遷で、その部分でもおなか一杯です。そのパートが息子さんの担当、ライター時代がお弟子さんの担当とのこと。
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70年代から80年代の心霊ブームの立役者である中岡俊哉の人生。著者は息子と生前最後のインタビューを行った放送作家。
TVの影響で軽い扱いになってしまったが、心霊現象に真摯に取り組んだ中岡の勢力的なワークスタイルと、超能力番組や心霊写真、コックリさんなどの番組やブームの裏面史。ブームで大々的に扱われながら、見た目の割に研究が進まなかった残念な時代。
残念なのは大量の資料を死に際して廃棄させてしまったということ。埋もれた資料もあるだろうに、当人の意向は分からないが、大きな損失だろう。
またTVの相変わらず軽佻な方針も課題。