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24歳の看護師が、95歳の患者の24歳だった時にタイムスリップして、1944年から1945年の1年間をフィリピンに派遣された従軍看護婦として過ごす。
悲惨な体験をした従軍看護婦の物語を描くこともできただろう。しかしその時代の教育を受けていない主人公の、命に対する考え方の違いや、軍歌ではなく「晴れたらいいね」を歌わせるために必要だった設定。
この時代からすれば、今の普通がユートピアに見えるかもしれないけど、貧困も差別もあるのよ、とちゃんと言わしている。
皆が生き延びたことが描かれたラストが良かった。
ウクライナの人たちも死なないで欲しい。
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戦争ものは今まで読んでこなかったからなのか、中盤までは中々スムーズに読み進められず。
今現在も世界ではこんな事が起こっているのかと思うと信じられず。。結局自分事としては考えられていないのだなぁと、、
自分は恵まれているという気持ちだけでは薄っぺらい
何も悪くない沢山の人が亡くなるなんて、あってはならない
ただ世界平和を願います
読んで良かった
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良書です。
その一言に尽きる一冊でした。
看護師の紗穂は夜勤中、長く意識が戻らない高齢女性患者が意識を取り戻した瞬間に遭遇する。
医師を呼ぼうとするも大きな地震が発生し、気付いた時、彼女は目の前にいたはずの患者の若き日の姿となり、1944年のマニラにいた。
従軍看護師として戦争に巻き込まれた紗穂は、仲間の看護士と共に厳しく苦しい日々を乗り越えていくー。
かなり突拍子もない設定ですが、主人公の紗穂の明るさと、戦時下のマニラにおける看護師の視点で描かれた第二次世界大戦の悲惨な描写に引き込まれ、あっという間に読み終えました。
20歳前後の女性達が従軍看護師として負った任務の過酷さ、目の当たりにした戦争の悲惨さ、無意味さ、それでも絶望せず前を向いて生きようとした精神力。
全くもって頭が上がりません。
そして改めて感じる、戦争の恐ろしさ。
ノンフィクションでは伝わらないことがあります。
史実に基づいた良質なフィクションの存在価値を示す一冊だと思いました。
この荒唐無稽な設定に違和感を覚えなかった理由が解説に書かれていました。
「戦争のおろかさを相対化するためには、戦争の外で生き、戦争の結末を知る人の視点が必要だから」だそうです。
だとしたら、戦争を知らない私達にもできることがあるはず。
もう二度と、あれほど恐ろしくて愚かで無意味なことが起こらないように、今を生きる私達に何ができるのか考えていかなければならないと思いました。
2020年11冊目。
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夜勤中に起こった地震で気を失った紗穂が目を覚ますと、そこは1944年のマニラで、雪野サエという人の中に入り込んでいたというタイムスリップ物語。
1944年のマニラというと、そう、雪野サエは従軍看護婦で・・・という戦争の物語。
「手のひらの音符」が素晴らしかったので、それと比較すると少し、残念な感じではあった。サエに入り込んでしまって、サエとして生きていくことを決意する(せざるを得ない)紗穂の感情の部分や、親友のサエが今までとは別人になっていると気づいた美津の感情の部分が伝わってきづらく、少し読者側の感情が置き去りにされているような感じがあった。
それでも、戦況を考えると感情云々の前に生き延びないといけない、という状況だったのだろうとも思う。
紗穂の「生き延びる」という決意と、それを上官や周りの仲間に堂々と発言する姿勢に、「よし、よく言った!」と清々する気持ちになった。戦後に生まれ、戦争の悲惨さを知り、二度と戦争を起こしてはいけないとわかっている現代からの使者、紗穂だからこそできる発言、姿勢。
どこかで聞いたことのあるような、と思うタイトルは、予想通りあの有名な歌からだった。
少し紗穂の感情に追いつけないところはあったものの、反戦小説として素晴らしかった。
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明るい感じの表紙と題名に反して戦争もの。現代からのタイムスリップなので、スッとその世界に入り込めた。
看護婦の紗穂が地震に巻き込まれて気を失う。目覚めたときには1944年のフィリピンのマニラにいて、従軍看護師として働く身になっていたという設定。
終戦1年前の南方での戦いは泥沼化して凄惨な状況であったことは有名。直接の戦闘が描かれることはないのだけど、若い看護婦たちの任務の過酷さを通してその悲惨さが伝わってくる。傷ついた兵士の看護はもちろんのこと、転身する時の爆撃を避けながらのジャングルの移動も本当に過酷。
こう書くととてもつらい小説のようですが、紗穂の持ち前の明るさとバイタリティーに勇気づけられながら読むことができます。本当にしんどい中、タフだし若さゆえの明るさもあり、彼女たちが助け合い支え合い集団生活を送る様子は青春すら感じます。戦争さえなければもっと明るい希望にあふれた青春を過ごせたであろう彼女たち。登場人物たちの個性も豊かです。献身的で愛情深い美津、上から目線で皮肉屋だけど憎めない民子、たくましく頼れる白田、新藤、梅、そして佐治軍医と菅野婦長も人として深い。
つらいことがたくさんある中でも、絶対に生き抜きたい、仲間を誰も死なせはしないという紗穂の強い思い。前向きなエネルギーが途切れることないストーリーに引き込まれました。祈るような気持ちで読み進めました。
反戦小説あり、同時に医療小説でも青春小説でもあった。従軍看護師の目線で見た戦争のリアルが伝わり、読む価値のある一冊でした。
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藤岡陽子さんの作品を初めて読見ました。
タイムスリップの物語だとは思いませんでしたが引き込まれてしまいました。
良い作品です。
藤岡陽子さんにハマってしまいました。
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現代の女性看護師が終戦間近のマニラへ従軍看護婦としてタイムスリップする物語。 爆撃や飢餓によって常に死が身近にある将兵や看護師たちを平成の看護師が彼らに生きる勇気と希望を与えるストーリーだけど、ちょっと出来過ぎかな・・・。きっと自分を含め戦争未体験者は、戦争当時のジャングルへ突然放り出されたら、周囲の環境を見ただけで生きる希望をなくすことだろう。戦争ものというよりもタイムスリップものとして手に取ると楽しめる小説だと思う。(o^^o)
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看護師の沙穂が夜勤中に地震に見舞われ、気付くと戦時中のマニラで、従軍看護師であるサエという女性になっていた、、ていう始まりで割りと気楽に読み進んでいたんだけれど、途中からがっつり戦争のお話。
従軍看護師の部分は結構細かい事まで書いてあって、赤紙で召集されたのは男性って思ってたけど、こういう形で戦地で働いてた女性もいたことを改めて考えさせられた。
ただ全体を通して見ると、タイムトリップ、入れ替わり、そしてドリカムで。なんだか頭ん中でうまく混ざり合わなかった感あり。
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ヘイセイにいた看護師が重病患者の入れ替わり、終戦一年前のフィリピンに従軍看護師として、バツクツーザフイーチャー、反戦の看護小説。
夜勤中に地震に見舞われ意識を失った看護師の紗穂。気がつくとそこは一九四四年のマニラで、さっきまで病室にいた老女の若き日の姿になっていた!困惑を抱えたまま、従軍看護婦として戦争に巻き込まれる紗穂。それでも、持ち前の明るさで数々の理不尽に抗いながら、過酷な日々を駆け抜けていく。反戦の意志と、命を背負った女たちのかけがえのない青春が紡ぐ圧倒的感動作。
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不思議な感覚の小説でした。その中で
今では考えられない戦争中のことを思い、沢山の人がいろいろな意味で戦いぬいてきたんだと改めて平和の大切さ感じました。
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日本赤十字社から戦地に派遣された従軍看護婦も、戦争末期のフィリピンの惨状も知らなかった私だったが、本書を読むに当たって、あまり影響がないと思われたのは(勿論、これを読んで興味を持つことはあると思うが)、本書で教えてくれる大切なことは、また別のところにあったからだと感じられたからである。
平成生まれの看護師、「高橋紗穂」が夜勤中に見舞われた地震によって意識が遠退き、気が付いたら、1944年のマニラの地で倒れており、彼女の意識は紗穂のままであったが、その身体は、つい先程まで看護していた「雪野サエ」のものであり、当初紗穂は、何故こんなことになってしまったのかと悲嘆し、早く元の世界に還りたいことばかりを願っていたが、その心境は戦地に於ける青春時代を約一年間共にした、日赤救護班の仲間たちと生きることによって、少しずつ変わっていった、それは当たり前のことができることの幸せであった。
『そばにいる人が生きていて、ご飯を食べて話をして歩いて笑って。そんな当たり前のことがこんなに嬉しいということを、私は教えてもらった』
そして、そんな幸せを現代人の彼女が噛み締めることで、如何に戦争が愚かで悲しいものなのかを、より実感させられた、それは命も心も粗末にすることなんだと思う。
『自分は命が産まれる手伝いをする看護婦だ。だから、命を簡単に懸ける戦争を決して許さない』
日赤救護班看護婦は、目の前にいるすべての傷病者を救護するよう教えられており、そこには性別も年齢も国籍も関係ない、そんな彼女たちだからこそ実感できることもあり、時には『看病した兵隊が敵を殺せば、あなたたちが殺したのと同じ(一部、言葉づかいを変えています)』や、『看護婦っていっても戦争の加担者』などと、理不尽な事を言われることもあったが、それでも当時の、『私たちは求められてここにいる』ことを誇りに、できることをやりながらも、心のどこかでは誰が起こしたのか分からないものに、召集令状の紙切れ一枚で派遣されて、巻き込まれることへの虚しさも抱いていた。
しかし、そうした思いは決して口には出さずに、心の内に留めたままにしていたのは、周りの仲間たちのみならず、当時の風潮でもあった『国のために尽くすつもり』で、命は二の次であることを、まるで美徳のように捉えていた時代的背景が確固として立ちはだかっているからであったのだが、そうした、『弟のために死のうと考えていた』から、やがては『弟のために生きて帰りたい』という心境へと奇跡的に変化していくことで、戦争の虚しさと命のありがたみを教えてくれた、そうした当時の時勢からはまずあり得ないような、ある意味、痛快で爽やかな思いを引き出させてくれたのは、平成の時代からタイムスリップしてきた、紗穂のおかげなのである。
『いまの自分の唯一の武器は、この戦争の終わりを知っていること』
本書に感じられた、戦争を描いた小説としての独特さは、まずここにあり、過去にタイムスリップした人間が歴史を変えるような大活躍をするというのは、割とあると思うが、ここでの紗穂は、平成生まれならではの常識や価値観を身に付け���いるので、当時の人達からすれば、『あなたの常識は、私たちが持っているものとは違う』といった不思議な人となり、それが却って、物語を面白くも痛快なものにしている一方で、そんな彼女の当時とは違った常識に、皆が憧れを抱いていく展開に考えさせられるものもあったが、かといって、歴史は大きく変わるわけではない、寧ろ、とてもささやかな一人一人の命を繫ぎ止めるような役割ではあるが、実はそれこそがとても大切なのだという、至極、現実的な視点で描いていることに、私は女性ならではの慈しみを感じられ、それは、一気に形勢逆転して勝利を収めるようなすっきりする話でもなく、とことんリアルで凄惨な描写をしかと見ろ的な話でも無いということである。
『命を生み出し、そして育むのに、女たちがどれほどの時間と力を費やすのかを、男は知らない』
そして、そんな眼差しは上記の言葉からも感じられるように、女性側から見た男が引き起こした戦争といった一面を持ちながらも、そこにくどさを感じさせないのは、300ページ以上ある本書を書き上げた藤岡陽子さんの、丹念に紡ぎ上げながらも、どこか軽やかで爽やかな雰囲気を持つ文章力にあるのだと感じながら、別に男性蔑視の視点ではない、寧ろ、それぞれを平等に眺めている姿に好感を持ちつつ、目を覆いたくなる場面もありながら、上空を飛ぶ敵機よりも体を這う虫の恐怖に気をとられていた描写が表れるのには、やはり女性でないと書けない奥ゆかしさがあるようで、そこに戦争を描いた小説として、もう一つの独特さがあったことに、もしかしたら、これが藤岡陽子さんの作品の魅力なのかもしれないと感じられた、どんなに苦難を伴う時代に於いても、それは紛れもなく彼女たちにとって、かけがえのない青春の日々であったのだ。
そうした魅力は、平成からやって来た紗穂も、当時のサエの仲間たちも、お互いに教えられることがあったことに、それぞれの時代性を考えさせるものがありながら、もう一つ、女性的な眼差しの素晴らしさを取り上げなければならないのが、斎藤美奈子さんの解説にもあった、タイトルについてである。
このタイトルを見た瞬間、私はすぐにある曲を頭に思い浮かべたのだが(世代なので)、まさか本当にそれだとは思わなかった上に、歌詞についても新たな発見があったのが今更のように嬉しくて、この曲が恋人に向けたそれじゃ無かったことを、本書で初めて知った。
『昔みたいに 雨が降れば 川底に
沈む橋越えて』
特に上記の部分は、物語の展開とも相俟って心打たれるものがあり、また、これが1944年のマニラで歌われているというのが、なんとも不思議な感覚でありながら、なんて清々しい光景なんだろうと感じられて、特に皆で黙々と険しい山道を歩む中で、ふと誰かが歌い出した瞬間、堰を切ったように、次々とそれに続けとばかり、皆の声が重なり合って、やがては一つの大きな感情を伴った力に変わる、歌には、そんな皆の心をまとめ上げる叙情的高揚感がありながら、これを従軍看護婦たちがやっていることに、また違った感慨を抱かせるようで、当時の戦争の状況も正確に分からず、時折現れる敵機の影に怯えながら、食べ物もろくに無い中を、漠然とした目標に向かって歩まざ��を得なかった彼女たちの心境を、まるで慮ったような温かみのある『if』の物語には、女性だからこそ書ける、そんな眼差しの必要性を証明するのに充分なのではないかと感じさせる程の、その軽やかさに、私は未来の可能性を見た思いがした。