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恐怖にはおおまかにいって、2種類のものがあると思う。
ひとつは目に見えない恐怖。正体がわからないこその恐ろしさで、本作の上巻では、まさにこの恐怖が主人公たちにまつわりついていた。
ふたつめは、目に見える恐怖。正体が知れているからこその恐怖、たとえば敵が銃でこちらを狙っている。ああ、撃たれるかもしれない死ぬかもしれない、これが目に見える恐怖というわけだ。
下巻では敵が姿を現し、まさに目に見える恐怖と、タドリスと銀の刃は戦う事になる。
負傷してうまく体を動かせないという極限状況で、智慧をふりしぼって身を守るふたりは痛々しいというより、雄々しい。それは、ふたりが怖いこと、悲しい事、辛い事などを受け入れつつも、それに負けていないからだ。
一方、ふたりの親……スカンドゥラノンと琥珀の竜がようやく登場する。
ここがちょっと面白い。
自分の子が危ない眼にあっている事がわかった時、男親も女親もうろたえるのは同じだろうが、このふたりと、ふたりの妻であるザニールと冬の鹿の態度が、かなり違うのだ。
ここは、女の弱さと強さを描いてきたラッキーならではなかな、とも思うのだが、ホワイトグリフォンでは英雄とみなされているスカンドゥラノンと琥珀の竜の、人間的な弱みが思いきり発揮されるところは、シリーズ随一ではないだろうか。