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マジメに天皇の問題について論じているのは前半のみで、この部分は天皇という存在を考察するのにとても役に立つ。しかし、予想の範疇を超えるような内容ではない。漠然と感じていた天皇という存在に対する畏怖や畏敬の念に根拠を与えてくれるといった感じ。
後半は天皇論を離れて日本人論というところまで風呂敷が広がる。しかしほんとうに面白いのはこの後半。海洋民族的な性質と農耕民族的な性質が周期的に顕在化するという点はほんとうにこちらの想像を超えた広がりを見せて、夢中で読んでしまった。北方謙三先生のような天才が、国家という強大な権力に抗う者を書く際に、なぜ海戦に執着するのか、よくわかった。北方先生は天才だとよくわかった。
自分が政治思想的には左側の世界にいてその界隈の人々の言論に違和感を持つ理由は、日本的な小情況に足を取られて思うように動けないでいることに気づいていないことが、右を経て左の世界に入った自分には否応なしに見えてしまうことが原因なのだと思った。
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今上天皇の退位を来年に控え、天皇や天皇家の報道や
様々な天皇論が語られていますが。
確かに民族の特殊性を下手にとらえると大変なことに
なるとは思いますが、天皇が存在するという日本国の
特殊性はあるのだろうと思います。
そこに立憲民主と天皇性の2項対立の中の矛盾や、
そこからくるであろう抑止力というのも
ありえるのだと思いますが、そこに全能性を持つのも
怖い気がします。
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内田先生が天皇について、特に今上天皇についてお書きになったものを読むたび、これを天皇は読んでおられるだろうか、読んでおられたらいいなぁと思っていた。もし、今までその機会がなかったとしても、今回1冊の本にまとめられ、お読みになる可能性が高くなったのならいいなぁと思う。
個人的には、いつもながら、本になる前から読んでいる文章が多かった。でも、それはいつものごとく構わない。
能楽師の安田登先生が最近書いておられる文章の中に
「内田さんの本は、読んでいると自分の思考が刺激されて、途中から内田さんの本の内容ではなく、自分の思考に集中してくる。何度も本を閉じて、コーヒーなど飲みながら外を眺めつつ、ぼんやりと思索してしまう。そんな本が多い(あ、僕にとってはね)。」とあるのだが、全くその通りだ。
そういう意味で、あまり天皇論とは関係ないが、3ヶ所引用。
"道徳心がない人間のことを「今だけ、金だけ、自分だけ」とよく言いますけれど、言い得て妙だと思います。「今だけ」という考え方をすることは、それ自体が不道徳的なのです。(略)道徳的か不道徳的かというのは、どれだけ長いタイムスパンの中で自分のふるまいの意味を思量するかによって決定されるということです。" 34ページ
"私たちが「問題」と呼んでいるものの多くは長期にわたる私たち自身の努力の成果である。だから、それは「問題」というよりむしろ「答え」なのである。" 112ページ これに関しては、今まで何度も読んでいる。内田先生が書かれたものなのか、一般的によく言われていることなのか…
"ほんとうに力のある人間は、自分と対面している人間の最良の人間的資質を引き出すことができるのである。" 199ページ
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人間が生きるために要るのは「もの」ではない。知識でも技能でも情報でも道具でもない。風儀である。作法である。必要なものを必要なときに「はい」と取り出すことのできる力である。
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20180210 今の政治の状況について自分なりに理解したいと思い、天皇論のタイトルで読む事にした。安倍政治が何故長期政権になり得たのか?結局はうまく争点をはぐらかされて経済優先、グローバル化という響きの良い言葉だけに流されているせいだと理解した。
大衆が本筋を理解するためには曇りなく論じてくれる作者のような存在が必要だと思った。自分のことなので自分で判断するのは当然なのだが、、、
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今の世の中で
起きていることを
自分なりに
すっきり
させたい時には
内田樹さんの本が
とても良い
読みながら
考えたり
考えながら
読んだり
思考のストレッチを
させてもらっているような
気がしている
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2016年8月の天皇の「おことば」について内田さんの考えは新聞等で読んでいたので大枠はわかっていたけど、初めて読んだ内容もたくさんあった。
これは改憲を考え直すよう促したものだと諸外国では報じられていることとか。
後半の天皇論以外の文章が意外と(?)めっぽう面白かった。
吉本隆明の「大衆」についてとか、源平合戦は馬を操るのがうまかった源氏(陸)と、船を操るのに長けていた平氏(海)の戦いだったとか、能はもともと死者を鎮魂するために生まれたとか。
ほかにもいろいろと面白い視点がてんこもり。書ききれないのが残念。
(メモ)鎌倉仏教のことを知りたければ以下の本が良さそう。
・鈴木大拙「日本的霊性」
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2018.5.3
あまりというか、ほとんど考えてこなかった天皇という存在。これほど日本人そして世界の安寧を強く願い、行動してる人はいないですね。
本当にそれしか考えていない。それだけを考えてる。ありがたい存在です。
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「おことば」から展開する天皇制のみかた。その視点ははなかった。源平合戦や日本書紀に遡り梅原猛とつながってるのが面白い。
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40 街場の天皇論
共同体にとって、広く死者を悼み、苦しむ人によりそう人間がいかに、求心力を持っているのかというところから、始まる。なぜ内田樹が天皇主義者になったのかということにも納得できる。内田樹も良く言っているが、動物と人間を隔てたのは、死者をそこにいるかのように扱い、その人を悼む、生物学的奇習であり、その中心人物として、あまたの宗教的な権威は存在してきた。天皇もまたその一人であり、日本という国を保つうえで、必須の存在であるとしている。
宗教というものは原理主義者の排他的な行動によって批判される部分もあるが、人間が共同体として生きる上で必要な倫理的な示唆を多く与えてくれる。各々の宗教にとって何が正しいかであるとか真理とは何かということは一度括弧に入れて、人が宗教を信じていることで得られる礼節や思慕の情は共同体が生き延びる上で明らかにプラスではないかというのが私の立場であるが、天皇というある種の日本的宗教的権威が存在することで保たれている秩序はあると思う。それもまた、失ってからではわからない類のものであると同時に、一度失ってしまうと再構築することが困難なものでもあるだろう。
最後の、海の民と天皇の考察も面白く、日本の歴史を、海民的国家にするのか、陸運的国家にするのかの複数回のせめぎあいと、その中で、全国の無縁の民の頂点として求心力を持ち続けた天皇という考察も面白かった。
いまの改憲案が、天皇に強権を持たせようとしているのは、戦前の統帥権干犯のように、責任を天皇に集中させたまま、その周辺の人物が実権を握ろうとする体制へのステップであるという考え方も、目からうろこだった。一見して、天皇に強権を集めることは、現政権の力を弱めることになるかと思いきや、戦前日本のように、天皇の強権の下で、取り巻きの暴走があったというパラドキシカルな道筋をたどることを志向しているという考え方は面白い。
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興味深い、しかし読みづらい。
本書は書き下ろしではなく、月刊誌やブログにある天皇関連記事をまとめただけの天皇本である。1つの項で興味を惹かれたとしても、次の項では全く繋がりのない内容が書き綴られており、思考の整理が上手くできない。しかし筆者の考える天皇論は非常に興味深いので、入門書として本書の半分までを読む価値はある。後半は、だめだ。編集者は少しは手を入れて欲しい。
私は天皇制について、何も知らなかった。それを気づかせてくれた本書は読む価値はあるが、買うほどの価値はない。
象徴的行為とは鎮魂と慰藉であると、平成天皇は理解し務めてきた。
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天皇制については、その歴史的な変遷も含めて現在の天皇制について考察する際、どうしても太平洋戦争中に多くの日本人がその名の下に亡くなったということが、今もって天皇について論じるということを難しくしていると思われる。そういう意味でも、まことに論じ難い(と思われる)テーマを扱われたことに対して、まず何よりも敬意を表したい。
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死者とか敗者、忘れされれようとしている者、なかったことにされている者への想いを持つことが、今、自分が生きるために必要なのだ、と言われた気がした。
読んでいて、気持ちが軽くなった。気持ちが軽くなったことで、俺は自分を死者、敗者の側に置いていたのだと気づいた。
誰かから、負けや死を宣告されていたわけでもない。自分で自分をそういうふうに勘定していたのだな、と。
今の社会情勢がそういう気持ちを喚起していたのかもしれないし、ひょっとしたら誰でもそういう気持ちをもつものなのかもしれない。だからこそ、死者をおもうことは、自分をおもうこと、救うことになるのかもしれないな。
多くの友、同志を失うことによって、リーダーとしての卓越性をもつに至ったという西郷隆盛について、ちょっと読んでみたくなった。
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【概略】
日本国憲法第1条に登場する天皇は、現在「日本国民統合の象徴」とされている。天皇を含めた皇室の存在と民主主義は、相容れるものなのだろうか。2016年に現在の上皇陛下の「おことば」より紐解けた「天皇という存在」について、天皇主義者を標榜する筆者がエッセイとして綴る。
2021年01月06日 読了
【書評】
ずっと疑問に思っていたのだよねぇ。日本って立憲君主主義だと思っているのだけど、色んなところで「天皇は君主なの?」みたいな発言を見てさ。君主制と立憲主義や民主主義って相反する・・・というより君主制=よろしくないもの、みたいな空気感があって。民主主義だって欠陥だらけな訳ですよ。君主制にしたって属人要素が強いから当たり外れはあるよ。でもやっぱり形態に変化はあれど、天皇という存在は日本の君主であり、現在は日本(そして日本国民)の象徴というお立場で君主してくださってる(君主を動詞としてみた)訳で。某大国が数年間、脂っこい方がトップにいたじゃない?色んな権利もってさ。あの脂っこい方の上には、あの国では誰もいなかった訳だよ?振り返って日本・・・カタカナ化されるぐらい嫌われてたトップがさ、天皇陛下がいない状態で、本当にトップだったとしたら?2600年単一王朝として(そりゃ時代時代においては天皇自身が表に出ることもあったけど)「そこにいらっしゃる」という状態が、見事なバランスとれてるじゃん?・・・って思ってたの。よかったー似た感覚の方がいらっしゃったー。
乱暴な考えだけど、自分は天皇という存在は祭祀を行う方だと思っていて。宗教じゃないよ、祭祀ね。そして、「祈る存在」だと思っていて。事務色の強い国事行為は順位としては低くて、常に祈っていてくださる。その祈りの対象は、もちろん日本国民もそうだけど、そんなの関係なくて。戦争にせよ自然災害にせよ、国籍や肌の色とか関係なく奪っていくよね?そんなある意味、悲しい平等の扱いを受けた人類に対して鎮魂の意味を込めて祈る。そして、辛い状態で下を向かざるをえない方々に対して祈る。無理やりに「綺麗でいろ」と押し付けることはできないけど、そんな純粋な存在。宗教とか関係ないもん。だから自分にとっては(宗教上の)崇拝というよりは、尊敬であり、感謝の存在かなーと思ってる。それが日本という主権国家を包んでる訳ですよ。中では(自分も含めて)我執にまみれた人間が蠢いちゃってるけど(笑)そんな包まれてるその様さえも立憲主義のもとで定義されてる訳だから立憲君主制度が成立してる訳なんだよね。
筆者の内田樹さんは、(ごめんなさい、レッテル貼りはよくないけれど)リベラル色が強くて「天皇制」に対して嫌悪感があるのかなと思ってたけど、違った。びっくり。あと、行間から、日本のおかれてる情況を憂う空気感を覚えたのだけど、その雰囲気は、どちらかというと(本人は嫌がるかなーごめんなさい)保守の方達を連想する。もうあれだね、右とか左とか、保守とかリベラルとか、分けるのは意味をなさないね(笑)
エッセイということもあって途中、少し本論とは外れた話題などもピックアップされてたけど、すごく面白く読めた。願わくば、参考文��として紹介されている部分の引用については、書籍として出す時は(少なくとも同じ書内においては)引用ルールを統一してもらえるとありがたかったかなぁ。内田さんのお考えのように見えて・・・あ、これは引用先の著者の考えか!あ、こっちはちゃんとカッコでくくってある!とか、バラバラで。これはきっと編集する側の問題だね。