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思っていたより、かなり楽しく読みました。
でも、それだけではなく、気づきや学びが
また、時代を振り返って省みることができました。
127 放送は、物を生み出すことはできない
139 皮膚感覚
177 大宅壮一の言葉
185 神は細部に宿る
204 語順
213 ニュアンスのある無表情
217 自分の意見を言う
268 映ったものが真実とは限らない
298 サッカーは、野球よりもはるかに
自己犠牲が多いスポーツ
335 とにかく、ちょっとやってみるか
336 よほどの聖人でない限り、
なかなか他者のために生きるのは難しいと思う。
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えっ、久米さんってタモリさんより年上だったっけ?と初めて気がつくくらい、久米さんのビジュアルのイメージは確立しているはずです。ある世代までにとっては。
気がついたときにはベストテンの司会をしていて、
そのあとはニュースステーションに落ち着いていて、
世に出る前の久米さんのことは、この本を読んで初めて知りました。
久米さんが、ラジオの時代とテレビの時代をつなぎ、テレビの黄金時代を作った一人なのは間違いありません。
そんな久米さんが、そのキャリアで一番の大勝負を仕掛けた日々が、本人の言葉でしっかりと描かれています。
特に40代の、今まさにキャリアのトップにあたる毎日を送っているひとにぴったりの一冊です。
カバー写真のとおり、不安げで、でも確信をもって勝負にでる瞬間に自分を重ねると、勇気がわくような気がします。
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音楽を知ったのはザ・ベストテンだったし、ニュースを見て世の中を知るようになったのもニュースステーションだった。
TBSのアナウンサーとしての苦節時代から、人気司会者、人気キャスター時代までを振り返る。
何か大きな出来事があると、久米さんはなんてコメントするんだろうって思いながらニュースステーションを見ていた気がする。彼も、いろんなことを考えて言葉を選んでいたんだなということを知る。
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書名になっている放送史に残る二大ヒット番組。ジャンルは全く異なるが久米さんがMCとして臨んだ心構えはどちらも一緒だったのではないか、というのが読後の感想である。
否、この2つの番組だけでなく、「ぴったしカン・カン」や「おしゃれ」、「TVスクランブル」、そして過去の原点であり現在の主戦場であるラジオ番組においても、久米さんは攻めの姿勢を崩さず、共演者やスタッフのみならずゲストに対しても決してブレていない。現在、ニュースステーションの代名詞のように語られてしまっている(それはあの番組の関係者にとっては非常に不本意なことと思うが)「所沢ダイオキシン事件」については、その攻めの姿勢が行き過ぎた結果でもあり、両刃の剣であることは恐らくご本人も自覚していると思われる。
私自身があっ、と思ったのは、ニュースステーションが小泉政権において「テレビと政治のいわば『不義密通の関係』」にあったことに久米さんが気づいて嫌悪感を覚えた、という下りだ。当時、あのような大改革ができる政治家は他にはいない、とある意味感服しつつ、マスコミがまんまと乗せられ、行政改革が取り返しのつかない方向に向かって行くさまを苦々しく眺める視聴者かつ当事者の立場でもあったので、当時テレビ側の当事者であった久米さんが小泉劇場の正体に気づいていたというのは少々意外であったとともに、あの旋風は最早誰に止められるものでもなかったのだ、と実感した。
もちろんこの本はそうした堅苦しい話ばかりでなく、単純にテレビ史としても面白く読めるし、久米さんの活躍をリアルタイムで視聴していた世代には懐かしいあの番組の裏話としてもとても楽しく読める本でもある。
そして久米さんや彼を取り巻く人々の武勇伝としても読める。この本に書かれていない事件も含め、昔は良かった、とは決して言ってはいけないが、番組出演者の失言や私生活の不始末に対して、昔は本当に大らかな時代だったんだな、としみじみ思わずにはいられない。
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BSの池上彰さんの特別インタビュー番組に久米さんがゲストとして登場した回をたまたま見ました。
「ニュースステーション」関連の話がおもしろくて、でも、池上さんとテンポやノリがあまり噛み合ってなくて、しかもあっという間に別の話題に移ってしまって、見ていてとても残念だったので、そのものズバリなタイトルのこの本を読んでみました。
正直、BSのインタビューの方がおもしろかった。
インタビューで、80年代からミレニアムまでの激動の時代について、キャスターとしてどう感じていたか、を述べていたところが非常におもしろかったのですが、本ではそこは非常にあっさり触れるだけで、あとは割と想定範囲内な裏話ばかり。はっきり言って、報道の核ではなく外周にあることや、内輪の小さな物語という印象で、読んでいてやや退屈・冗長でした。まあ勝手な感想なんだけれど。
私たち大衆は、そんなに彼の思惑通りに反応していたかしら?と首をかしげてしまうことも。
TVのインタビューでも、ニュースステーション時代に起こった事件については興味深いコメントをされていましたが、現在や未来についてのコメント(トランプ政権とか北朝鮮の話)は、ちょっとズレている、という印象。
本でも繰り返し「報道は素人」と述べていましたが、確かに時事問題については素人っぽいな、という印象を強く感じた本です。素人であることと、プロであることを、悪い意味で自分の都合に合わせて使い分けていると感じた部分もありました。
とは言え、ニュースステーションとベストテンが、両方とも革命的な番組だった理由はよく分かりました。
「言いたいことが言える日本にしたい」という久米さんの番組開始時の思いには、基本的にはとても共感します。そこは想定外でとても意外でした。
(昨今の、匿名で言いたいことが何でも言えちゃう、という話とは別の話として)
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久米さんの自伝的エッセイ。
どのようにして
・ザ・ベストテンという番組が出来たのか
・ニュースステーションとは
久米さんのTVへのあくなき挑戦が綴られる。
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ニュースステーションの背景などが書かれており非常に面白かった。子供の頃は必ずと言っていいほど毎晩観ていたので背景を知れたのが感慨深い。
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著者の半生記です。
著者が出演してヒットしたTV番組はどれも見た記憶があり、その裏事情がわかり楽しんで読めました。かなり詳細に書かれています。
「とにかく、ちょっとやってみるか」これは結構大切なのだ。そして、乗りかかった船は、とりあえず一生懸命漕いでみる。それぐらいのことしか人間はできないのではないか。
一生懸命舟を漕ぐ時間は、長そうでいて、短い。
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久米宏のテレビ番組の自伝的内容。久米宏をよく知っている世代にはかなりオススメ。テレビでの活躍をよく知っているだけに、その裏の心の葛藤は非常に興味深かった。
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ラジオから始まって、ぴったしカンカン、ベストテン、そしてニュースステーションへ至った裏話が書いてある。興味深く読んだ。構成がわかりやすく読みやすい。ラジオ時代にやった外中継とか、TVスクランブルがニュースステーションへの布石だったとか、倉本聰に会いに富良野へ行った話とか、知らなかったことが次々出てくる。久米と永六輔との関係もこの本を読むまでよく知らなかった。
それにしても、70~80年代のラジオ・テレビのなんと自由なことか。今のラジオ・テレビからは考えられない。ラジオ外中継の無茶苦茶ぶりや、TVスクランブルに出演していた横山やすしの無軌道ぶりがおもしろい。やすしと一緒に選挙特番をやったのも驚きだし、当選確実ならぬ落選確実を報じるなんて、今なら炎上間違いない。当時でも炎上気味だったようだけど。
ニュースステーションについて書いた箇所では、その細部へのこだわりに驚かされた。セット、声、表情、原稿はまだわかるが、服に合わせてペンまで変えるとは尋常じゃない。今のテレビでそこまで細部に気を使うことは難しいのではないか。ニュースステーションには、予算が潤沢だった時代の産物という側面があったのだろう。
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アナウンサーではなくパーソナリティーとして自分自身の役割・見せ方をよく考えていた事は良く分かった。
そういった点について5章では色々と説明されており読み応えがあった。
ただしニュースステーションが「反権力のスタンス」だったとは言う点については、テレビ朝日の政治的スタンスや椿事件等を考慮すると、その説得力は薄いと思える。
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幼少期、久米宏と共に過ごしたテレビっ子の私。同じような方は必読。
ニュースステーションがいかに型破りなチャレンジだったのか。久米宏がいかに「神は細部に宿る」をやり抜いたのか。今のテレビ人気復活の参考になると思った。
実はこの本を読む前からたまにyoutubeで久米宏を見てた。(今でもそうだが)アナウンス技術、生放送を仕切る技術、ものすごいです。作中にも少しテクニックが披露されてます。これも注目。
さんまさんと久米宏はコミュニケーションスキル、質問力のお手本だと思います。まじで。
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ベストテン、ニュースステーションをリアルタイムで見ていた世代には興味深い裏話。横山やすしとタッグを組んだTVスクランブルも懐かしい。やすしが言ったとされる言葉「久米くんはワシを必要としているんか」。天才やすしも久米宏にしゃべりで負けたと自覚したのか?
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ニュース原稿をそのまま読むアナウンサー上がりでないが故の、記者志望の好奇心旺盛な発想が久米さんの柔軟な放送姿勢に結びついているとわかった。常に視聴者視点の企画が、ザ・ベストテン→ニュースステーション そして今の池上彰さんらのニュースバラエティーにつながる。新時代を切り開いたと思う。彼が切り開かなかったら、今も硬いニュース形式だっただろう。TVとラジオの違いに注目し、原点回帰しているが地方では「ラジオなんですけど」が聴けない。
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ニュースステーションより、ザ・ベストテンより、ラジオなんですけど、が面白いと思うけど。
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タレント本というのは滅多に読まないのだけど、『久米宏 ラジオなんですけど』を聞くたびにこの本の名前が出てくるので、つい。
ラジオで聞いたことのあるような話が出てくるが、ラジオのほうが面白い。初めて聞くから? いや、違うと思うんだけど、なんでかな。
久米宏の半生を綴る、といえば綴っているのだけど、結局のところ、ニュースステーションをやめた理由を書きたかったのではないだろうか。その理由はぜひ読んで下さい。
ニュースステーションが失敗だったか成功だったか、著者には判別がつかない、という。取り返しのつかない前例をつくったのでは、というが、確かにそうかもしれない。
ニュースステーションは、この国の「悪くないところ」も映し出したので長く続いたのでは、と分析する一方で、しかしテレビというのは、わかっていないのにわかった気にさせる装置でもあるから、まさに功罪あわせもつ、というやつか。
ただ僕自身は、ニュースステーションが終わる頃にはテレビを撤去していたので、テレビがどうなっているか、知らないし、知ったこっちゃないのだが。
テレビは「演じた」、ラジオは「生きた」という感覚なのだという。どちらも100%そう、ではないと思うが、しかし、わかる気がする。