紙の本
自分とみんなのために
2020/04/29 22:47
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投稿者:いせ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『エミール』の内容だけでなくルソーの生涯や思想について、著者の見解も交えながらそのエッセンスが学べます。
この本の要である「自分のために生き、みんなのために生きる」人間こそが真に自由な人間である、という考えが新鮮でとても面白かったです。自分のためなんてわがままなんじゃ?と思ってしまいますが、私が考えているものとは随分異なり、ずっとずっと難しいことであるとわかりました。
ルソーは300年も前の人ですが、空気を読むことに慣れてしまった現代の私たちがどう生きていくか、そのヒントを示してくれていると思います。
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学生時代の教科書で名前は知っているけど、内容は全く知らなかった本「エミール」について書かれている本。子供の教育や生き方について参考になって良かった。この本を読んでルソーや「エミール」について知ることができて良かった。ルソーが思っていたよりも苦労していることを初めて知った。
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かつて原著で挫折したのでこちらで再読。
フランス革命期の思想家でもあるルソーの代表作エミール。
王政に対して「自由な社会」を構想。彼の考えた自由な社会とは平和共存するために必要なことを、自分たちで話し合ってルール(法律)で取り決める自治の社会。権力者が勝手な命令の押し付けたりできない社会。
そういう自由な社会を作るためにルソーは「一般意志」(皆が欲することーでも多数決とは違う)を提示。みんなが欲するものかどうか?一般意志のそってるかどうかを議会で法律を銀無する際にすべしと。法律は最終的に多数決ではなく、一般意志かどうか?という点が大事であり、いくら多数できまった法律でも一般意志にそぐわないものはだめだが彼の主張。こういうと多数決民主主義の否定におもえる。
が彼は、そういう議会をつくるためには社会の構成員を「自分の利益を考えるだけの人ではなくみんなの利益を考えれる人をどう育てるか?」をかんがえた。
その教育の書がエミール。
とはいえ国家主義的な、国のために自分を犠牲にしてみんあのために尽くすのではない。
人は自分の名誉、権力、富、名声のような社会的評価ではかるようになる。これを自尊心という。そして自尊心を満たすために承認欲求に引き釣りこまれそうになっていく。他社に褒められるために右往左往する人間になっていく。それでは真の自由な人とはいえない。
空気が読めないヤツをおそれずに自分のやりたいことをしっかりともち、その上でみんなのためにを実現できる人をどう育てるのか?
ルソー自身は独学の天才ともいえる人で自分で学んできた人。
まず幼少期は将来のことよりも今を楽しむ子育てをと。将来の予見、つまり先見の明がかえって人間を不幸にする。これはわれわれをいまから追い出し現在を無にしてしまう。未来を予見する先見の明と想像力は私達の欲望をどんどん膨らませていく。そして欲望と能力の間の不均衡のうちにわれわれの不幸がある。能力と欲望が均衡している状態を幸福という。
心理学における愛着理論には安全基地と探索行動という概念がある。子供の自由な活動(探索行動)は、親や教師の見守り(安全基地)があってはじめて可能になる。
詰め込み型の真理の連鎖ではなく、好奇心からの探求の連鎖が重要。
自己愛と自尊心。
自分への愛「自己愛」は自分のことだけを問題にするから自分のほんとうの必要がみたされれば満足する。けれども自尊心は、自分を他のものに比べるから満足することは決してないし、満足するはずもない。自尊心は自己愛とは違い競争軸から生まれるもので他者より優れた存在でありたいという欲望。
人間を社会的にするのは弱さからだ。
自分のために生きてみんなのために生きる。
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2021/2/22
371.235||ル (5階社会科学)
今から259年前にフランス語で刊行され、教育を志す方なら1度は手にすべき世界的名著です。
著者 ルソー自身が、0歳から20歳以降の架空の男の子 エミールの家庭教師となり、フランス革命から現代に至る「民主主義社会をどう生き、何を子ども達に伝えるのか。」を考えていきます。
『万物をつくる者の手をはなれるときはすべてはよいものであるが、 人間の手にうつるとすべてが悪くなる』 第一編より
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ルソーといえば、『エミール』『社会契約論』と名前だけは知っていたけど、これは一度読んだ方がいい。
「どんな社会が幸せか」「その社会をつくるために人は何が出来なければならないか」という、「社会」とか「公的なもの」に対しての理念から、「どんな教育が必要か」を考えるルソーに非常に共感した。
ルソーの原著はかなり読むのは重そうだったので、手始めにこちらを読んだら、めちゃくちゃ読みやすい。
エッセンスを抜き出した感じで、著者による現代的な視点や発達論的な視点からの補足もあり、教育に関わる人間として読んで損はないと思う。
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2021年5月18日
教育関係者として、エミールの基本的内容を押さえようと思い読んだ一冊。
内容も分かりやすくまとまられており、一気に読み切ることができた。コンサマトリーな教育を肯定しているところに、おもしろさを感じた。自身が作り上げてきた授業は意図せずルソーの思想に近いものであった。このことからも、自身が経験主義的な傾向を持っていることに気がついた。
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ルソーのエミールを踏み台に著者自身の教育観を押し売りされていると感じた。それがルソーと同調していれば原作の主旨を損なわず全く問題はないが、どうやら相容れない部分もあるようで(そんな事知ったこっちゃない)、ルソーの教育観を理解する上でノイズにしかならなかった。
原作を読む気概がない自分にも責任でもあるので、他責ばかりできないが、この著者はおこがましいにも程がある。自分の教育論を披露したいならルソーの名前を借りずにやってくれ。
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子育てをする中で、ふとルソーのエミールを思い出した。原文を読む体力はなかったので本書を手に取ったがよくまとまっていてよかった。
以下は本書の要約的なメモ。
一般意志について書かれた社会契約論。しかし一般意志を実現するためには、何がみんなのために重要なのか判断できなければならない。どうやってその判断力を獲得するのか。個人の自由と人類の自由を同時に考えられる人間とは何か。そんな人間のための教育論として描かれたのが本書である。
ルソーは、エミールの中で「こども」を発見している。子どもを自然人と社会人の間に位置づけた。
当時、ロックによる人権のベースとなった「人間には生まれながらにして権利がある」という主張に対してルソーは「人間には元々権利などなく人間たちの合意で権利ができている。人間はとても不平等なところに起源がある」としている。
子どもは12歳頃まで、自然と事物の中でのみ学ぶのが良い。そこではほぼ完全に自由にさせる。走り回ることで転び痛みを覚える。火に触り、熱を覚える。
現在を大切にするべきだ。人間の「先見の明」は、不確実なものをあるかのように語り、現在を追い出すいつわりの知恵だという。
欲望は肥大すると苦しくなる。欲望と能力が釣り合ったところでしか人は幸福を感じない。
西氏は、ルソーの考え方について「人工的」と言っている。私もこれ「ルソーの言ってることは合ってるかもしれないけど、それができる家庭教師&家庭ってどうやったらいいの?」という感じ。愛情と信念に基づいた監視だよな。もしかすると教育の本質と危うさってこれかも。監視するけど管理せず。
著者はボウルヴィも引用しながら「自由な活動ができるためには依存が必要だ」と解いている。自由な活動(探索行動)は親や教師の見守り(安全基地)があって初めて可能になる。依存と自由は完全に対立する二項ではない。ルソーは、子どもが人に頼るようなエピソードは全く書いていないが、西氏は社会福祉を学ぶためにも人に頼ることは大切だと語る。また、ルソーはエミールの中で全く子供を褒めていない。西氏は、愛情的承認だけでなく評価的承認も必要でほめるべきだという。
感覚のあとは、観念を学ぶ。
ルソーは「真理」の連鎖ではなく、「好奇心」からなる連鎖によって学ばせるべきだという。
だから家庭教師は知識を教えるのではなく、経験を仕込む。町の人にお願いしてちょっとした事件を起こしたりする。
今日の教育にもつながるアプローチ。
最初に与えられる本は『ロビンソン・クルーソー』。ロビンソンのような孤立した状況になることで、何が有用であるかわかるようになる。
好奇心と有用性は完全には矛盾しない。この2つを持つことで自活できる人間になる。
続いて職業体験。分業についても10人社会(社会を10人と仮定して、分業したほうが効率的かつ生産的であることを学ぶためのモデル)を通して学んでいく。分業から、交換や貨幣の重要性も習得する。
そしてエミールは15歳になる。これから観念を学んでいく��、その前に性の目覚めがある。ここに競争は不可避である。情念を考える。ちなみに情念は原文でpassion。ここには受動的な意味合いがあり、自分の意志から生まれるのではなく「やってきてしまうもの」というニュアンスが含まれている。
自己愛は、自分をただ愛するから常に良いもの。しかし、自己愛がわるい方向に変形すると自尊心になる。自尊心は他のものと比べなければ満足されない。
ルソーによれば、そもそも自分に対する愛があるからこそ他人を愛することができるという。自己愛がなければ利他の精神はない。
また、ルソーは「あわれみ」を説いている。「人間を社会的にするのはかれの弱さだ。わたしたちの心に人間愛を感じさせるのはわたしたちに共通のみじめさなのだ」
弱いからこそ、人は他者を必要とし、そしてそこにはかない幸福が生まれる。
あわれみを持つために何をしなければならないのかというと、富める者でも惨めな面がある。人間のみじめさをしっかり見つめられるようにならなければ、あわれみを持つことはできないし、うらやましいという感情ばかりが溢れてしまう。
また自分にも起こりうると思える他人の不幸にしか、人間はあわれみを持てない。
他人が不幸をいかに感じていて、また、その他人を自分がどのような人とみなすかによっても、あわれむことができるかどうかは変わってしまう。
自分に力がなければ苦しんだり、羨望に苛まれるばかりで、あわれむことなどできないのだ。滅私奉公などもってのほかで「自分のあまった力を他人にふりむけよ」
近しい人間から学ぼうとすると、関係性が邪魔をする。羨望や差別が介在してしまう。だから青年は特に歴史を学ぶべきである。しかし、歴史とは「そこに生きる人ではなく、そこに生きていた人が着ていた服について書かれている」から、自伝が良い。「人間を通して社会を、社会を通して人間を研究しなければならない」
しかしそれでも、知識を得たことにより傲慢になる可能性がある。だから、ルソーは規則を提示する。これが「サヴォワの助任司祭の信仰告白」である。
内なる理性を見つけて良き心を得るべきだと。
その後、エミールは、妻となるソフィーを見つけるが、というかエミールは男性だったと私は気付くわけですが、ここで披露されるルソーのジェンダー感はぼろぼろ。それはさておき、ソフィーに夢中になるエミールに対して、家庭教師は、欲望のままに生きることは大切だが、欲望に支配されない良心もまた必要だと説く。ソフィーと暮らすためには2年間、各国を渡り歩き政治や社会を学ぶ必要があるといい、ソフィーとの結婚はそれからでよいとした。
エミールは家庭教師と各国をまわり、結果的にはフランスに住むことを決めた。ソフィーと結婚し、やがて父になり、この本は終わるのでした。
なぜルソーを読むのか。ピアジェやデューイを読めばいいように思うが、ルソー独特の問は「社会をつくるための教育」という点が強く打ち出されているところ。社会形成を微分して人間形成を考えるとき、ルソーの態度は参照項になりうる。
西氏は「自己了解の力(家庭教師のいうところの「自分自身の主人になること」)を備えた人間へと育つのはかなり大��なこと。しかし『エミール』はまさしく、この点に焦点を当てた教育論になっている」
ルソーは神様をめぐる「思弁的な理論」よりも、まず「生活に役に立つこと」を学ぶことが重要だと考える。そして何が役に立つのかも一般意志を考える過程で、他者理解に基づいた広い人類の体験をもとに考えられるようになることを目指した。行き着くところは自由の先にある自治である。