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空海さん、、とあると、どうもすぐ買ってします、、なんか信じている人が、書いているって感じ、、安心ではあるが、、ちと、、
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新書/文庫紹介
『空海に学ぶ仏教入門』
吉村 均 著
筑摩書房(ちくま新書)
2017/10 240p 800円(税別)
1.空海の生涯
2.伝統的仏教理解へ
3.苦しみを減らしていく段階
4.苦しみを根源から断ち切ろうとする段階
5.空を体験した者に現われる世界
6.言葉を超えたさとりの境地が直接示される段階
終.道としての仏教
【要旨】仏教の瞑想を由来とするマインドフルネスが欧米で流行するなど、
キリスト教をはじめとする一神教とは異なる仏教の教えや精神が世界的に脚
光を浴びているようだ。だが、日本では明治以降の近代化のなかで伝統とは
異なる説明がなされ、本来の理解が失われてしまっている。そのため、多く
の日本人が、人間の「苦しみ」に関わる仏教の本質や、それが現代人のもの
の見方に関連していることを理解できないでいる。そこで本書では、真言密
教を大成した空海が、主著である『十住心論』『秘蔵宝鑰』の中で説いた「十
住心」を足がかりに、仏教特有の教えや修行の意味などを一般向けに解説す
る。チベットの諸師からも学んだ著者は、公益財団法人中村元東方研究所専
任研究員。日本倫理思想史、仏教学が専門であり、多数の大学で非常勤講師
を務める。
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●自分が捉えた対象を「実体」と考えることが「苦しみ」の原因
現在、日本でおこなわれている仏教の説明の多くは、伝統的な仏教理解と
はまったく異なる発想に立っています。現在の説明は、明治時代に近代化の
ために様々な知識、技術が西洋から取り入れられた際に、当時のヨーロッパ
の仏教研究を、学問的な仏教理解として受容するところから出発したものです。
仏教には膨大な経典が存在し、異なる内容が説かれています。伝統的には、
それは対機説法──釈尊が一律の教えを説かず、相手に合わせて異なる教え
を説いたことで説明されてきました。それに対して、19世紀のヨーロッパの
研究では、それらの大半は後代の変質や他思想の混入として説明され、それ
らを取り除くことによって、オリジナルの思想に到達することが目指されて
いました。
伝統的理解は、仏教が何に苦しみの原因を求めるかということと、密接に
関わっています。仏教が考える苦しみの真の原因は、我執、すなわち実体視
にあります。仏教では我執──私たちが普通疑っていない、自分がいて、自
分が捉えた通りの対象、世界があるという捉え方に実は問題があると説きます。
私たちの心に、欲しいもの/嫌なものはありありと映っており、私たちは
それを手に入れ/排除しようとします。しかしそれらは、心にありありと映っ
てはいますが、それを欲しいもの/嫌なものと捉えているのは、私たちです。
もしそれが本当に実体なら、それは誰にとっても欲しいもの/嫌なもので
なければなりませんし、常に欲しいもの/嫌なものでなければなりません。
しか���、食べ物を考えればわかるように、ある人にとっておいしいものが、
他の人にとってはまずいものです。私たちの心には、欲しいもの/嫌なもの
はありありと映っていますが、それは実体ではないのです。
欲しいもの/嫌なものがありありと映っているのは私たちの心ですから、
たとえ仏陀であっても、他人がそれを変えてあげることはできず、自分でそ
れを変えるための訓練をするほかありません。それが修行です。
しかし、大多数の人は自分の感じていることこそが「現実」で、それに疑
いを抱いたり、変える必要があるとは思っていませんから、物の捉え方を変
える修行法があったとしても、それをやろうとはしません。そのため、一律
の教えでは役に立たず、一人一人に合わせ、その人が納得する目標設定をお
こなう必要がある、これが伝統的な仏教の考えです。
●空海の理解による仏教の全体像を知ることができる十住心
伝統的には仏教はどのようにして学ばれてきたのでしょうか? 相手に合
わせて異なる教えを説く仏教は、医学的な発想の教えといわれています。教
えは薬のようなもので、症状に合ったものを飲まなければ、正しい効果は得
られません。
ちょうど医者が大学の医学部で医学を学ぶように、寺院に付属の学習機関
が設けられ、僧侶はそこで倶舎、唯識、中観など、異なる視点から教えを理
論化したものを学び、その相互関係を理解する形で、仏教を学習していました。
この学習法の最大の問題は、時間がかかることです。十数年~20年を必要
とします。
しかし、長い年月をかけなくても、伝統的な仏教理解の全体像を知る方法
があります。それが、空海の十住心です。
弘法大師空海(774-835)は、中国(唐)に渡り、体系的な密教を日本に
もたらしました。主著の『十住心論』『秘蔵宝鑰』は、淳和天皇が出した、
仏教の各宗派それぞれに宗義を差し出すようにとの勅命に応えて書かれたも
のです。天皇や官人など、僧侶以外が読むことをより強く意識した、空海に
よる仏教の全体像の紹介ということができるでしょう。
●自分自身の苦しみを作るものだから「十悪」をやめる
インドや中国からの様々な仏教の教えを、十の心のあり方に体系化した「十
住心」は、大別すると、対象を実体視する私たちの心に合わせた段階(第一~
第三)と、仏教固有の段階(第四~)に分けることができます。さらに後者
は、それぞれの関心や理解の度合いに合わせて、実体視からの解放を目指す
段階(第四~第七)と、すでに空の境地を体験した者に現われる仏の世界(第
八・第九)に分かれます。
言葉は対象を実体と捉える働きそのものに関わっているため、実体視から
完全に解放された境地は、言葉で表わすことができません。それを言葉を介
さずに直接示すのが第十の密教です。それまでの教えが言葉を用いて言葉を
超えた境地に導く教え(顕教)であるのに対して、体験がなければ言葉だけ
で理解することはできないため、秘密の教え、密教とされ��す。
私たちはあまりに近視眼的で、自分の眼の前のものがリアルに映っている
ため、それに反応して、どなったり、腹を立てたり、時によっては殴ったり、
殺したりしてしまいます。それによって得られるのは、自分がおこなったこ
とに見合った結果です。
仏教の説く十悪とは、殺すこと・盗みを働くこと・性的に淫らなことをす
ること、嘘をつくこと、荒々しい言葉をぶつけること・二枚舌をつかうこと・
意味のない無駄話をすること・腹を立て憎むこと・欲望を抱いて執着するこ
と・間違った考え(邪見)を持つことです。
神や仏が定めた決まりだからやってはならない、というのではなく、それ
は自分自身にとっても苦しみを作るものだから、そのことに気づいてやめま
しょう、というのが仏教の考え方です。
地獄も、神が裁きによって突き落とす、永遠の苦しみの世界ではありません。
仏教の説く地獄のひとつに、等活地獄と呼ばれるものがあります。そこに生
まれた人は、目が合うと殺し始め、最後の一人が死んでしまうと、空から「活
きよ」という声が聞こえ、再び全員が生き返り、また目が合って……という
のを果てしなく繰り返す、そういう地獄です。
等活地獄で殺し合うことを延々と繰り返している人も、もしそのリアリティ
から解放されれば、そこから離れることができます。仏教では地獄は輪廻す
る世界のひとつであって、永遠の苦しみの世界でも、神の裁きによって突き
落とされる世界でもありません。
●仏教の実践は自分の行為をより広い視点から考えること
お腹をすかせた肉食動物は、自分の眼の前を獲物が通りかかれば、飛びか
かって食べてしまいます。しかし、人間には、他の選択もあります。眼の前
に欲しいものがあったり、性的に魅力のある異性を見て欲望にかられたとし
ても、「いや待てよ」と思いとどまることができます。その結果がどうなる
か、相手はどう思うかなど、より広い視野で自分の行動について考えること
ができるのです。
仏教の実践というのは、簡単にいえば、自分の行為をより広い視点から考
え、その視点をどんどん広げていくことにあります。状況そのものを変える
ことは簡単ではありません。しかし、より広い視野で考えることができれば、
意外な解決法があるかもしれませんし、少なくとも、今の状況がさほどたい
したものではない、耐え難いほどのものではない、と感じることができるよ
うになります。
どこにも不変の実体はない、というのが仏教ですから、どんな悪人でも、
変わらないということはなく、何かのきっかけがあれば人は変わりうる、と
いうのが仏教の考えです。
悪いことばかりやっている人がいるのは、それが習慣になっているからで
す。健康に悪いとわかっていても、タバコやお酒をなかなかやめることがで
きないのは、それが習慣になっているからで、それをやめるには、それと反
対の習慣づけをおこなう必要があります。
仏教の修行は、そのためのものです。仏教は、教義を信じたり、それに従っ
たりする教えではありません。
コメント: 最先端の量子力学に至る物理学のエッセンスを解説した書籍『目
に見える世界は幻想か?』(光文社新書)のタイトルを見るだけでも、空海
の説いた仏教哲学と量子力学をはじめとする西洋由来の物理学が、同じ視点
に立っていることがわかる。とくに量子力学の「人間が観測することではじ
めて世界が客観的に存在する」という発見は、約1200年前の空海による「実
体」の説明とほぼ一致する。現代を生きる私たちは、宗教も科学も渾然一体
となった「全体知」とでも言うべきものが形成されるプロセスに立ち会って
いるのではないか。その全体知が人類の幸福にどのように資するのか、ある
いは人類は幸福というものをどう捉えるようになるのか。それらを考えるに
は、物理学やテクノロジーの発展を横目で見ながら、古典的な仏教に遡って
みるしかないのだろう。
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空海の『秘蔵宝鑰』における十住心の階梯をたどりながら、大乗仏教の教説を空海がどのように受け取り、みずからの信仰する密教の立場へとつなげていったのかをわかりやすく解説している本です。
ちくま新書では、すでに竹内信夫の『空海入門―弘仁のモダニスト』が刊行されていますが、竹内はマラルメやベルクソンを専門とするフランス文学者であり、独自の視点から空海の思想が論じられていました。本書は仏教学を専門とする著者による入門書で、とくに大乗仏教の正統として空海の密教を位置づけるようなかたちで説明がおこなわれています。
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空海の生涯
伝統的仏教理解へ
苦しみを減らしていく段階
苦しみを根源から断ち切ろうとする段階
空を体験した者に現われる世界
言葉を超えたさとりの境地が直接示される段階
道としての仏教
著者:吉村均(1961-、東京、仏教学)
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空海の主著『秘蔵宝鑰』『十住心論』の内容を引きながら、「十住心」についての説明を展開していきます。
空海という人物の名前は知っていても、実際に空海の仏教がどのようなもので、真言宗がどういう教えを説いているかについては、何も知りませんでした。
本書の「はじめに」で、"空海の十住心を学ぶことは、空海の教えを知るだけでなく、現在、西洋社会で関心を持たれている、心のあり方に苦しみの原因を見、心を変えていくことによって苦しみをなくしていくという仏教の発想法と、そのなかで様々な教えがどのような位置を占め、どのように役割を果たしているのかを学ぶことにもつながります"と書かれてあります。
なので、知らない言葉・概念が多く読み進めるのは大変でしたが、じっくりと読んでいけば仏教(十住心)を基に現実での心の持ちようについても参考になる考えを学ぶことができると思います。
カントの純粋理性批判、ハイデガーの存在と時間、ヘーゲルの弁証法や止揚といった考えとも親和する考えがあるように思います。
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一部、用語や考え方など難しい部分があった。他の本で勉強してからもう一度読みたいと思う。
苦しみの原因は、世界が実体があると思っていること。
瞑想中に空を経験すると、「私」「私の」から解放され、苦しみが消える。