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投稿者:ぽんぽこ仮面 - この投稿者のレビュー一覧を見る
久々の登場のこのシリーズですけど、もう思いっきり北村さんの趣味に走ってます。走りすぎてちょっと置いてきぼりにされた感も無きにしも非ずですけどそれでもやっぱり楽しめます。
紙の本
びっくり
2020/03/09 15:00
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投稿者:nap - この投稿者のレビュー一覧を見る
本シリーズを比較的最近読み始めたので、前作から13年経っての出版だとは気づきませんでした。
出てくる皆さんが一気に年令を重ねててびっくり。
この主人公、この登場人物だからこそ書ける内容だったんだろうなあと思います。
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10代の半ばから読み始めたこの「円紫さんと私」シリーズには途中で幻滅した。文学をまとうように暮らす多感な「私」の生活に現れる謎を解き明かす物語から、文学そのものに関する謎を、生活の断片をまといながら解き明かす物語に様変わりしたからだ。
久々の高野文子の表紙にひかれて思って手に取ったものの、『太宰治の辞書』も表題通りその手の物語で、私はあくびを噛み殺しながら読んだ。70年前に亡くなった作家の一編における矛盾がどうであろうが、興味は引かれない。
ただ中にひとつだけ、謎が謎として意味を持つ掌編がおさめられている。これだけを読むのでよかったと思った。
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忘れた頃に(というか本当に忘れていた)シリーズの続巻が出るのというのは、ホント罪なものです。
結局、最初から全部読み直してしまいました。
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太宰をそこそこ知らないと、楽しめないかも。
残念ながらあまり知らないので、面白さも半減か。
というわけで評価なし。
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ずっと待って、さらに文庫化を待っていた作品。
「舞踏会」なんだか知っている話だと思っていたら、高校の教科書に載っていた作品だと思い出した。こんな背景があったとは。あらためて、読んでみたら、確かに印象深い小品。
「女学生」これも既読。元ネタがあったことは知らなかった。単なる女学生の日常を描いてみただけかと思っていた。
「太宰治の辞書」上野の鈴本演芸場にも行きました。ようやく円紫さんが登場。でも、謎解きはしてくれない。辞書を追いかけることになるとは。
面白かった。
シリーズを読み直そう。
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私が一気に年を取っていて、前作の終わりで気になってたこともわからず(連れ合いはあの人ですか?)、でも、変わらないものは変わらず(正ちゃんだー!)、さみしくてか、そして、幸せな作品。
残念なのは自分がボヴァリー夫人とか、読んでいないものがいっぱいあって、「そうそう」と一緒になって感じられないこと。でも、この作品が新しい本との出会いを誘ってくれるんですよね。
それにしても、太宰治の「生まれてすみません」がそうだったとは。
あ、短編の「白い朝」はファン必見です。
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単行本が出たときは本当に吃驚した(出版社が違っていたことも含めて)
今回文庫が東京創元社から出たことに安心し、小説の中の私も円紫さんも、そして読者の私も歳を取ったのだな、としみじみ思いつつ読み終えた。
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北村薫の「円紫さんと私」シリーズ、十数年振りの新作!文庫で読了。
前作で社会人になった「私」は成長し、結婚し、息子も・・・今回は芥川、太宰をめぐる謎・・・そして真打:円紫さんの登場(^_^;)
解説で米澤穂信も書いてますが、「まさか、また読めるとは思わなかった」な一冊でした。
果たして続編は??
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17年ぶりの続編。懐かしい面々にもう一度会えるというファンサービス的な側面はあるものの、作品は国文学入門的な側面を持っていた「六の宮の姫君」に近く、旧シリーズの日常の謎を期待しているとツマラナイかも知れない。
前作含め文学通ではない私のような人には今までの自分にはない物の見方と博覧強記な知識に触れられるのが楽しい。この文学探偵のような側面を知ると学生時代の国語の授業がもっと面白くなる可能性があったのだなと今回もつくづく思う。
やはり「六の宮の姫君」に当てられた米澤穂信氏の解説も北村愛が感じられ一読の価値があります。
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20171106 最後の本から17年!も経ったとの事で手にしない訳にはいかなかった。シリーズのその後と言う意味では繋がったのだと思うが円紫さんと私のシリーズそのものを期待していた自分としてはついていけず自分だけ置き去りにされた寂しさを感じた。
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これは贅沢な本だった。
電車の中や仕事の合間など
今の私は隙間時間にしか
読書ができない境遇にあるが
片言隻語も見過ごしたくなくて
何度も戻りつつ夢中でページを繰った。
シリーズへの懐かしさから手に取ったが
そんな郷愁を一掃してしまうほどの
新たな驚きと意外な出会いが
太宰愛用の「掌中新辞典」を巡り
私を訪れた。
クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さん
古典部シリーズの米澤穂信さん
北村薫氏と合わせて
私がその文体を敬愛する作家たちが
この本に、いるのである。
もちろん「わたし」と円紫さん
それに正ちゃんとの再会は
かつてと変わらない懐かしい部分も
歳月を経て変わったところも
北村さんのあの聡明で抑制の効いた
美しい文体で大いに堪能した。
歳月の中で変わるもの変わらないもの。
そんな当たり前のことを
当たり前に受け止めさせてもらえた。
物事の「定義」の時代ごとの変遷。
このことの正しさは
国語教育に携わる者として
心に強く刻みたい。
文学の謎を追う旅。
その豊かさに羨ましさと憧れを
いつまでも持ち続ける人でいたい。
これから読まれる方にはかならず
解説まで残らず目を通されることを
お勧めします。
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主人公の「わたし」。かなり久しぶりの刊行の気がします。巻末の解説を見ると、17年ぶりとか。
太宰治が使っていた辞書の謎を追いかける。
主要登場人物の正ちゃんは学校の先生に。円紫さんは落語の真打ちになって、時間の流れを感じました。そして主人公のわたしには、中学生の息子がいて。
辞書と言うとWikipediaが思い付いてしまうのは時代かなと思ってしまいます。彼女たちと同じ学生時代は現代新語辞典に良くお世話になっていました。三浦しおんさんの「舟を編む」も辞書の話でしたが、かなり大変な作業だった記憶もあります。
ネットになって便利になったなと思う反面。ネットは字の暖かみの様なものを感じなくいと思うのはわたしだけでしょうか。勿論、利便性の方が遥かに大きい訳ですが。辞書を引いて、途中で思わぬ言葉に出会うって最近ないですね。
「若い頃だったら、本をちゃんと返せよって言っていたのに。でも、この年になると違うな。自分の好きだった本が、友達のうちにずっと置いてあるのも、悪いことじゃない。」
今ならわかる気がします。自分も年を取った証拠かなと。
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17年前に完結したシリーズのまさかの追補。書店の棚で見かけた時には目を疑い、間違いではないとわかった時に小躍りしてしまった。
ただし、今回の主役は《私》ではなく本であり作家(芥川龍之介、太宰治)。そこは少しがっかりしてしまった。学生時代の親友、正ちゃんの出てくる第二章は二人の会話のピンポンが楽しくかつてのシリーズを思い出してなごむ。でも他の章は(前作『六の宮の姫君』で出ていた方向性ではあったけれど)本の謎、作家の試行錯誤を追いかける謎、複数の作品を結びつける謎を追いかけるミステリーになっている。
ちょっとモヤモヤしていたけれど、米澤穂信の解説を読んで納得。前作の円紫師匠との会話を引用して、成長小説としての私と円紫シリーズは終わっているのだ、という。これにはお見事、と拍手。本のミステリーの見事な実践。
ちなみに、解説は米澤穂信がミステリーというジャンルに進もうと思ったきっかけか北村薫の本シリーズを読んで「ミステリーは懐の広い豊かな可能性のあるジャンルだ」と思ったからと記してあって、胸が熱くなります。
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前作、「朝霧」を読んでから何年が経ったのか、もはや思い出せない。
私の記憶では、まだ就職したてだった「私」は、いつのまにかオトナになり、結婚し、中学生の息子までいた。
「私」の成長を表すかのように、円紫さんの登場回数は減り、謎を解くのは「私」自身になる。
そして、「一年後の『太宰治の辞書』」を読むと、「私」が辿った謎解きの足跡は、北村薫氏の足跡だったのだと気付く。
過去の著名な作家が、何を想って、それを書いたのか。
想像、予想は出来るけれども、真実は永遠に分からない。
でも、だからこそ、残っている資料から、掘り下げていく作業は面白いのだと思った。
たった数十年のことだけれど、歴史を紐解く歴史学者のよう。
作家というよりも、文学者だなぁ、と、感じさせる一冊だった。