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聖路加の日野原先生の遺作は、インタビューを書き起こす形で行われた。
自身の経験、医師としての経験から、多くの苦難、死と向き合って行きてこられた先生。それでも死ぬのは怖いですよと、さらっと書き残す。
奥様を亡くされ、多くの別れを経験してきた105歳の先生から、生と死はセットで誰もがその運命から逃れることはできないとか、先生のお好きだった「星の王子様」を引かれて「悲しみはいつかは和らぐよ。いつかその悲しい気持ちが和らいだら、僕と出会ってよかったって思うよ」と言われると、いつかそんな日が来るのかもしれないなと、ほのかに希望を抱くことができる。
そんな、愛を貫かれ、生を全うされた先生の言葉の数々。
自分に何か迷いがあるとき、落ち込んだ時など、開くことができるように手元に置きたい一冊になりました。
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素晴らしの一言だ
キリスト者として生きかみに仕えた人生を全うした先生が我々に残して言った言葉が書きつくされている。これから何度読み返すだろう。
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生きておられる時から、何て素晴らしいお方だと思っていたけど、遺された言葉を読んだら尚のことその稀有な存在感がわかった。キープオンゴーイング!
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生きるとは他人のために時間を使うこと。
大人に近づきつつある自分にはこの言葉が刺さった。
人の知性や懐の深さは歳をとってから分かってくるものなのだなと思った。
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日野原先生の真摯な生き方に感銘を受けました。
慈愛に満ちた共感の姿勢が伝わり、例えば斜に構えながら読みはじめた人でも胸に響くものがあるのではないでしょうか。
「人生の午後をどう生きるか。選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の羅針盤を持たなくてはならない。午後は午前よりも長いから。」
本当にそうだなあ、と思いました。
私の人生はまだ半分なんです。
残り少ない時間をめいっぱい使って、人のために捧げ、その過程で未知なる自分と向き合い、自己発見をすること、それを最期のその時まで絶え間なく続けていくこと、それが先生の生き方でした。
また、そうやって日々を大事に過ごしていく過程で、耐え難い悲しみに出逢うことがあります。例えば愛する人の死・・・
でも先生はこうおっしゃいます。
「死ぬということは、まるでとかげのしっぽが切れるように終わるものではなくて、亡くなった後の方が、むしろ生きていたときよりも、その人の姿が鮮やかになっていくのです。」
そして、辛い経験をし、本気で泣いた経験のある人は人の痛みを知ることが出来るそうです。傷ついている人にただ寄り添ったり、励ましの言葉を掛けたり、そんな慈愛の心が育まれるのです。
先生の言葉にはキリスト教の教えが根底にありますが、説教じみていたり宗教臭いということはなくて、人間としていかに生きることが幸せなのか、生きる目的はなにか、素晴らしいお話を聞くことが出来ました。
ご冥福をお祈りいたします。。
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本書を読む前の日野原氏の知識は以下くらいだった。
・医師
・長寿
・福祉や講演活動に熱心
しかし、この本に出合うことで、なぜ彼が多くの人に尊敬されているのかが分かった。
・無私
・上品
・前向き
・気さく(「星の王子様」からなどの引用が分かりやすい)
人生の大先輩の教えとして参考にしたい内容が多々あった。
また、企画構成者の輪嶋氏の力量にも驚嘆。的確な質問を選択していたと思う。とても本業が音楽プロデューサーとは思えない。
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評価は高いようだが、私にはあまり心に響かなかった。宗教観をわりと前面に出した感じなので、あまりそういうのが得意ではない私には合わなかったのかもしれない。理想論というか、100歳を超えた人だからこそ言えるような話が多く、煩悩の真っ只中にいる30代の私には遠い世界のように感じた。
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日野原先生が執筆されたのではなく、インタビューという対話の中で、先生が語られたことが綴られた内容になっています。
お亡くなりになる1年前くらいのインタビュー内容になっているので、ご自身の死を感じつつ、生きていく私たちに向けての優しい愛ある言葉が詰まっていると感じました。先生ご自身が執筆された他の本で感じる力強さはあまり感じられず、ただただ優しい穏やかな感じです。
クリスチャンとしての物事のとらえ方も多く語られており、ここは、親近感を持つ方と壁を感じる方に分かれるかもしれません。私は残念ながら後者。
いろんなたくさんの方の最期を看取られた先生ですが、この本は、何故か先生ご自身による先生を看取るがための本のように感じました。
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命とは時間の中にあると思っています。そしてその時間をどう使うか、使う目的がある以上、生きる価値がある。命を使うと書いて使命といいます。使命のある限り、生きる意味があると信じている僕です 穏やかな物腰、感謝の笑顔、いたわりの言葉、心がこわばっている状態ではできないことだらけです。だから心を柔らかくしなくちゃいけない 家族とは何かと問われたら、僕は一緒に食事宅を囲む存在だと答えます。そこに私のつながりは関係ありません べー・チェチョル
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105歳の医師の言葉には、さすがに説得力というか重みが違う。太平洋戦争を軍医として生き延びてきたんだから。
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凄い方です。
感謝の気持ちを持ってキープオンゴーイング
聖書とか宗教からのお話は多いですが、日々生きていくことへの心の持ち方を改めて、清くありたいと思った。
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友人にオススメ本を聞いたら、日野原氏の「十歳のきみへ」という本を紹介された。
著者の日野原重明氏は、もと聖路加国際病院院長であり、その本を書かれた当時は95歳だった。95歳から10歳のこども達へのメッセージが綴られた本だ。
さっそく図書館に予約を入れたが、1月に予約を入れて、6月末の今日現在いまだ順番待ちの状態だ。入れた当初で64人待ちだったので、「それほど皆が読みたい本なのか」と少し驚いた。
その本と並行で、この「生きていくあなたへ」という本の存在も知り、一緒に予約しておいた。こちらは、サブタイトルが「105歳 どうしても遺したかった言葉」となっており、上記の本から10年後に出された本である。
この本は、インタビュー形式で著者から取材し、その内容を編集して出版されたようだ。そのインタビューが行われたのが2017年の1月、そして日野原先生はその年の7月に105歳で人生を終えられた。従って、本書は日野原先生が後世の人々に残しておきたいと思われた言葉のエッセンス集と言えるかもしれない。
平均寿命をはるかに超える105歳まで生きてこられたからといって、人と異なる経験を多くされているかと言えば、そんなことにはほとんど触れられていない。
特別な体験としては、赤軍派による「よど号」ハイジャック事件に巻き込まれたことと、地下鉄サリン事件で被害にあった多くの人を聖路加病院に受け入れたことが書かれていたが、それらのエピソードも含めて、人が生きていく上での本質的なことについて、深みのある言葉で終始語られていた。
著者の言葉で印象に残ったこと。
著者は、80歳から自分自身の新たな発見を意識され、105歳まで毎日、新しい自身の発見を楽しんでこられた。「生まれ変わる」というのは死んでまた生まれるということでなく、「生きながらにして生まれ変わることができる」と。死ぬのは「古い自分が死ぬのだ」と語られていた。
サンテグジュペリの「星の王子さま」から、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目にみえないんだよ」を引用され、目に見えないもの(例えば「愛」とか)の大切さを語られていた。
命は、時間の中にある。つまり人のために自分の時間を使うことが命だと。命を使うと書いて「使命」と語られた。10歳の子どもや人々に言葉を遺そうされたことも、著者が「使命」と感じられていることだろうなと思う。
ありのままでいるためには、「あるがまま」であること。苦しい現状があっても、それをそのまま受け入れた自分であること。そして「キープオンゴーイング」が、最後まで貫かれた著者の生き方のキーワードのように思う。
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偉大な方だったのだなあと改めて感じた。悲しかったけど、教えてくれたことがたくさんあった。自分に当てはまることもあり、答えをもらった。最後の語りが心にささり涙が出そうになった。一人でも多くの人に読んでもらいたい。(蔵書)
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105歳まで生きられた日野原重明氏の最後の著書(と言ってもインタビューを編集したもの)。
長生きをされた方でかつ医師として様々な経験をされてきたからこその言葉なので重みがあるし、説得力もある。
がしかし、内容的にはよく言われる言葉であり、本書から何か新しいことを得られるというよりも、今までの読書で忘れかけていたことを思い出させてくれる内容であった。
また、著者がキリスト教信者であることから、宗教色が出ている点はちょっと気になってしまった。
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100歳過ぎまで現役の医師として働いた105歳の著者、日野原先生が、いよいよ自分の死期が近いことを悟り、今後も生き続けていく人たちに向かって発するメッセージ。こういう本は自分の人生の自慢話になりがちだが、あくまでも著者の長い人生で学んだこと、悟ったことからアドバイスされていて良かった。主に医療を語った著者の他の本と比べ、人生哲学が書かれているので、キリスト教色が強く出ている。
長く生きると、それはいろいろな経験をするだろう。そして、最終的には悟りのような境地に達するようだ。興味深いのは、彼が100歳を過ぎても、インスピレーショナルな出会いがあったり、新しい趣味を始めたりしていること。
私はキリスト教ではないが、クリスチャンの人がうらやましいと思う点は、迷った時にはっきりとした道しるべというか、基準があるというところ。
亡くなってちょうど1年。人間ドック、生活習慣病など、彼の日本医療界への貢献はめざましかった。合掌。