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母・娘・祖母が共存するために。信田さよこ先生の著書。以前、信田さよこ先生の「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」を読んだことがあって、思うところも多かった。母・娘・祖母という関係は時として不健全で異常な共依存関係になりがち。それが不幸をもたらすこともある。不健全で異常な共依存関係ではなく、健全で爽やかに共存するためのヒントが示されている良書だと思います。
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母が不幸しか語らないこと、タブーのように幸せを語らないこと。おそらく母はなんの罪悪感をもたずに、当たり前のように語り続けている。これが娘にとってどれほど怯えと緊張をもたらすか。その残酷さを思うと、「自分の不幸を効かせ続ける虐待」という定義を新設してほしいというグループ参加者たちの要求に、納得させられてしまうのである
見返りを求めないこと、これこそ無私の愛ではないでしょうか。
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蔵書なし
20180501Mリクエスト
愛知県立図書館より借受
P178
母親は、娘を理解して反省などしない
P184
母に対して丁寧語を使う(距離をとる)
P206
愛情という名の支配をしてくる母親は、娘が異議申立てをしたとき
あんないい娘がおかしくなった原因は
うつ、新興宗教、男、更年期
だと言う。
P220
娘からの抗議を正面から受け止めようとしない、病気だと片付けようとする。
どれも思い当たる。様々な私に対する言葉、行動を覚えていない、忘れたフリ?
金銭をちらつかせる母親から、それに惑わされず、距離をとるのが一番良さそう。
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たくさんの著書があり、いつも気にはなっていたが、あまり自分には関係がないような気がして、手に取ることがなかった。
いや、母であり娘であるのだから、全く関係ないわけではない。関係ないと言い切る方が問題で…
「毒親」というのは著者の造語かと勘違いしていた。著者の活動があり、間接的にこの言葉も生まれたのかもしれない。とてもインパクトのある言葉だ。自分は「毒親」に育てられてたのではないか、自分は「毒親」ではないか、とチェック、反省、客観化できる。言葉として、美しいとは思わないが、意味のある造語だと感じている。言葉としての寿命はどうであろうか。
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『毒母』最近良く聞く言葉ですネ。WOWOWでもドラマでやってたけど、この本を読む前と後では全然違う意味の言葉となって私の過去の記憶が蘇ってきました。祖母、母、私全く問題無く生きてきたようですが、今にして思えば都会ではなく田舎で育った為余り重たく感じる事が無かったが、少なからず感じていた矛盾、忌避感は本書を読んで納得しました。たくさんの人に読んでいただきたいですね。
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小説より気持ちを大きく揺さぶられる。
個別の具体的なエピソードはハラハラするし、絡み、粘るような言葉の数々に気持ちの悪さや吐き気を覚える。思わず顔を顰めてしまう。それくらい胸にぐぐっとくるということ。
不在の父親、他人事の父親について、その時代の国家の政策を絡め言及しているのが読み応えあり。
父親について書かれたものを今まで読んでいなかったから、問題として挙げてくれているのがとてもいい。
時代、世代で捉え、俯瞰して眺めることのだいじさ。
団塊とはなんなのか、この切り口で話されるとふっと納得できるところがある。
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#英語 タイトル不明ですが、「共存」は live together ではなく coexist のほうが本の内容に合う気がします。
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信田さよ子先生の言葉は明確だ。
女性の努力のみで共存するのは困難。これを読むと逆に父親の不在というものを強く感じさせる。