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著者は東ロボ君プロジェクトのリーダー。東ロボ君とは東大を目指すAIのこと。しかし、残念ながら、数学では合格点を取れても、英語や国語は届かないようだ。それでもMARCHに合格できるくらいの偏差値は取れているらしい。そもそも、AIには文章の意味が分からない。「私は山口と広島に行った。」と「私は山田と広島に行った。」の区別ができない。コンピュータは計算機だから、そもそも原理的に足し算・かけ算で表せることしかできない。そうだとしても、相当な仕事がAIにはできる。10年後にでも、我々の仕事の多くをAIが肩代わりするようになる。そのとき必要な力とは何か。本書の圧巻は第3章。全国読解力調査についてだ。著者がこんなことにまで手を広げているとは知らなかった。これはおもしろい。ぜひ自分も受けてみたいし、子どもたちにも受けさせてみたい。挙がっている例題については、ゆっくり時間をかければ解くことはできるが、短時間に焦ってやるとまちがうと思う。とくに182ページの問題は難しい。ということで、少し酔っ払い気味のパートナーに解かせてみると、とんちんかんな答えを言っている。さて、AIにとっては難しいという意味を読みとる力。実はいまの中高生もその力が足りていないのではないかと懸念されている。新井先生は、かなり力を入れて、読解力調査およびその結果に対する対処を考えていらっしゃるようだ。頭が下がる。私にも何らか協力できることがあればいいと思う。ところで私の読解力もかなり弱い。いま読んでいる「マルクス資本論の哲学」はほとんど理解しないまま読み進んでいる。時間をかければ理解できるというものでもないのだ。だれかの手助けがほしい。・・・ところで自分の読解力のなさを棚に上げると、やはり文章のうまい下手というのはあるのではないか。教科書にしても、もっと読ませようという努力が必要かもしれない。本書の論点からはずれると思うが、問題を解いた娘と話しながらそう思った。
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まず、新井先生の志が尊いので、みんな買って読んでほしい。
論旨は超明快。
この辺りの、インタビューでも語られている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20161114-00064079/
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180211-00081509/
本書には、この議論を補強する数々のエビデンスが提示されている。それが、なかなか強烈で、危機感を覚える。
AI技術が普及すると、人間にはこれまで以上に「読解力」が必須となる。しかし困ったことに、どう教育したらそのスキルを伸長できるのか、まだ具体的なメソッドは研究中らしい。
科学的根拠に基づく読解力向上の本を想定しているようなので、そちらも期待したい。
本書を読んで、個人的には、読解力もさることながら、数学ができないとダメだなと思った。
こうした活動が、文系の先生ではなくて、数学の先生によって担われていることが、それを示唆しているように思えてならない。
少なくとも、真のシンギュラリティが起きるまでは。
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最近AIが話題になっているが、この本の帯に以下のように書いてある。
「AIが神になる?…なりません!
AIが人類を滅ぼす?…滅ぼしません!
シンギュラリティが到来する?…到来しません!」
著者は国立情報学研究所の新井教授、人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか?」のプロジェクトディレクタをされている方だ。AIにバラ色の未来を期待する人たちにとっては興ざめかもしれない。しかし、本書の問題提起はより重要だ。本書の前半ではAIの技術的な限界を、後半では中高生の読解力の低下を指摘している。
ショッキングなのは後半の方。決して難しいとは思えない読解力テストで、多くの学生がサイコロの目以下の正答率しかとれないことを明らかにしているからだ。読解力テストは中高生を対象に実施した結果のみが詳細に語られているが、大人の読解力はどうなんだろうか?年齢とともに読解力が低下することはないんだろうか?…いろいろと気になってくる。
残念ながら、著者は読解力を向上させる明確な方法論を見出していないという。そのことが多くの人の不安を駆り立て、一部の人は本書に批判的なコメントを寄せている。確かに気持ちはわかる。でも、ネット情報はテキストが主体なのに読解力なしで、どうやって必要な情報を得るのだろうか?人が生涯現役で働かなければならない時代が来るのに、読解力なしでどうやって新しいスキルを身につけられるだろうか?
幸い著者は年を取ってからも後天的に向上させる可能性があることを指摘している。こうやってブクログに自分の感想を書くことが、ちょっとでも読解力の維持につながっていればいいのだが。
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AIができるのはあくまで計算。統計、確率から回答を予想。意味なんて分かっていない。AIが自ら感情を持つと思っている人は、読んで、冷静になりましょう。
私もその一人でしたw
もう一つのテーマが、人間側の読解力のないものが、AIに負けてしまうという危機感。教育関係者や子供を持つ親にも一読を進めたい。
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面白かった。
AIを盲信…はしてないけど、AIにある意味、夢見てた自分としては、残念なような気もしなくもないですけど笑。結局、AIは人のようにはなれないんだなぁと。人が持っている揺れみたいなもの(常識とか、言わずもがなの共通認識とか)は身に付けられない(少なくとも現状は)んだねぇ。まあ当たり前か。いやでも後半読むと、AIが人間らしくなるよりも、人が劣化版AIになる可能性の方が高いってことになりませんかね…。そんなSF的ディストピアに想いを馳せたりして。
ところで、AIに代替されないために身に付けるべきは読解力っていうのはすごい身につまされたというか。自分の読解力のなさを振り返ると、AIが台頭してきた時に自分にできる仕事はないんじゃないかっていう変な焦りはあながち間違ってないんだなぁなどと思ったのでした。
読解力ってどうやって身につけるの。。
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「AI」と「AI技術」。最近氾濫している「AI」という言葉は、文字認識技術・画像認識技術・情報検索技術などの「AI技術」のこと。
「AI技術」の現状と将来できること・できそうにないことが展望できる。
本書のタイトルにある「vs.教科書が読めない子どもたち」は、「AI」もそのレベル程度にしか成りえないと言っている。
後半は「AI技術」程度の読解力しかない大人たちは、「AI技術」に仕事を奪われるという警鐘を鳴らしている。
教育論に関しては著者の思い入れが全面に出すぎで視野が狭まっている感があるが、言葉や文章の意味を理解することの大切さが伝わってくる。
学校の先生に限らず、教育に携わる人は頭の片隅に入れておいて欲しいと思う内容でした。
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研究者が真摯に社会を考えて新書を書くとこうなるのだと感じた。AIや今後の未来について、論理的でわかりやすい文章で述べられている。
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興味を引かれるのは、やはり後半、「読めない子ども」の数が相当割合にのぼる、という部分なのですが
中でも気になるのが、何が「読解力」を左右するのかの因子が、今のところ見当たらない、という部分です。
読書習慣、学習習慣、得意科目…アンケートの結果からは、因果関係らしきものは読み取れない。
この点については、同じく本書を読み終えた夫も気になるようで、二人で何度も考えを巡らしては会話をしています。
一つ、考え当たったことがあります。
新井先生が指摘するところの「読解力」とは、「文章」を「読み取る力」とは、実はイコールではないのではないか。
私たちが、平易な「物語」を読む時、言葉を言葉のままに解釈するよりも、その情景を頭に浮かべ、いわばイメージで読んでいることがあります。
それに対して、国語のテストで、「説明文を読んで以下の中から正しくないものを選べ」と指示された時。この両者の読み方は明らかに違います。
「読める子」は、この2つの読み方を切り替えます。意識的か無意識的かは別として、「ゴンの気持ちを想像して述べよ」という時と、トラップがありそうな選択肢の中から「正しくないものを選べ」という時には、読み方を切り替えているはずです。
このことから、鍵は、「文章を読む」の、もう一つ上の階層にあるのではと考えました。
そして、それは、日常生活の「やりとり」の中にあるのではないか。
例えば、子どもは、靴の右左の判断がつきません。やがて、つまさきの形を見て判断するようになりますが、では、あの「形」が右あるいは左なのは、なぜか。
私が幼いころ、ゴムタイプのズボンの前後がわからなかったとき、母親は、又ぐりのところの縫い目の見え方を指して、尋ねました。こうやって見えるほうが、前。なんでだと思う?(文章だとわかりにくいですね。要は、お尻のほうが出っ張っていて布がたくさんいるので、平面状態にした時に前から見ると、お尻側の布が前に回り込んで又ぐりの縫い目が見える、ということです)
こういったやり取りを通して、子どもたちは、物事には理屈がある。理由があって現象がある、ということを学び取っていく。言葉であるところの「文章」を読み取る以前の、理屈を考える力や、物事の成り立ちを理解する習慣の有無が、その表記であるところの「文章」を読み取る力の有無へとつながっていくのではないか。
新井先生が、ツイッターで「家の中に文字がないことの問題」を指摘されていましたが、それもまた、こういった日常のやりとりの一部であるように思いました。
であれば、読書習慣や学習習慣との関連が見えなくても、おかしくはありません。
ジャーナリストの江川紹子さんが、本書について書かれた記事の中に、「私の意見や感じ方に同意や共感しない人がたくさんいるのは不思議でもなんでもないのだが、(中略)私が書いてもいない……どころか、考えたこともない「主張」に激しく反論するものも、かなりある。」という記述があります。
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180211-00081509/
書かれてもいないことを、「読み取って」しまう。
確か��これは大変困ったことですが、これは「文章を読み取る力」と、どういう関係にある現象でしょうか。
一般的に、人間は「自分の望むように解釈する」傾向があると言われています。主観や直感といったものも、この傾向に属しているといえましょう。この傾向は、しばしばとんでもない勘違いを引き起こしますが、時と場合によっては「能力」と読み替えることもできる。今までの経験や理屈では対応できないような緊急事態に直面したとき、それぞれが主観や直感で反応してそれぞれに動く。それが人類存続の鍵となったことも過去にはあったでしょう。
江川さんが書かれているところは、恐らくこの「能力」の発露です。(もちろん、悪い方向への発露ですが)
一方で、物事の理屈を捉えて、対応する力。これは、現代の社会生活を送る上での必須能力ですが、上記の、主観直感で判断解釈するという「能力」と双輪になるものだといえます。
片方の車輪である主観や直感と、それでは間違ってしまう諸々の問題について、事実に基づき理論立てて解釈し対応するための論理力。この双輪があってこそ、人間の高度に複雑な社会は成り立っている。
新井先生が指摘するところの「読解力」とは、こちらの車輪に属する能力であり、「読解力がない」はこの片輪がない、あるいは動きが悪い状態であると言えるように思います。
そうなると、テストで示された文章の成り立ちを慎重に検証できず、キーワードだけを直感的にピックアップして反応してしまう。あるいは、答えになってない答えを真面目に書いてしまうことになる。
江川さんが書かれている「書いてないことに反論される」のも、主観力は発揮しているけども、それを補完する論理力が欠けた状態の人が、結果として江川さんの文章を読み取れず、片輪走行で突っ込んでくるような状態と捉えられるのではないでしょうか。
私が本書を読み終えてから、少し時間が経っており、新井先生の検証も、さらに進んでいらっしゃることでしょう。拙い考えではありますが、「読む力」から少し離れて見えるものがヒントになるように思い、ここに記します
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自分がAIに対して抱いていた過度な期待をいい意味で裏切ってくれた。しかし「教科書が読めない子どもたち」問題はもっと周知され、研究されるべきだと思う。彼らの発展形である「話にならない大人たち」が世の中の5割近くを占め、現代の閉塞感を助長している。ことの重要性を理解していない大人が多すぎる。
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私も,通訳や自動運転などの未来に期待していましたが,AIが決して万能ではないことをこの本を読んで初めてよく理解することができました。
また,逆に人間の脳が,いかに優れたものであることを改めて認識しました。
このような本を読むと,脳を活かす生き方をしていない人,本当にもったいないと思います。
本書後半の読解力の低下については衝撃で,日本の未来が心底心配になります。
私が学生のころは,そこまで酷くなかったはず,一体,その間に何が起こったというのでしょう。
残念ながら,読解力向上の処方箋は今のところないとのことでしたが、そうはっきり述べる著者は誠実だと思いました。
国語力は何をするにも基本です。
子育て中の方,教育に携わる方は,是非本書を手に取っていただきたいと思います。
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人間にしかでない領域は確実にあって、シンギュラリティはすぐに起こらない。
意味を考えることは人間にしかできない。
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AIの限界と、日本人の読解力の欠如について、たいへん勉強になった。
AIは近い将来、万能になる・・・と思ったら大間違い。AIにはできることとできないことがある。その境界が正直に明快にわかりやすく説明されているところがよい。
「教科書が読めない」については若干、異論も感じる。読解力調査の結果について。
家で子どもに何問かやらせてみたところ、真剣に取り組まなかった高1の長男はぼろぼろ間違えるが、同じ問題を一生懸命考えて答えた中1次男は1問も間違えなかった(念のため、次男のほうが優秀というわけではない)。つまり、時間をかけて真剣に考えれば、(全ての、とは言わないが)多くの人は正答できる問題なのではないか。
ただし、「優秀な人」は時間をかけずに簡単に見ただけで正答できるということなのだとも考えられ、そういう意味では、読解力の差がさまざまなことに影響することは否定しない。
本文は著者のキャラクターがよく出ていて面白いし、スラスラ読める本だった。
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AIとは人工的に作られた人間と同様の知能をもつものである。AIを作るための方法論は①人間の知能の原理を数学的に解明して、工学的に作る②原理はわからないけど、あれこれ工学的に試して作る、の2種類。数学的に実現できるのは、論理・確率・統計である。また、フレーム問題は避けられない。その上で、現在AIは大学受験者の上位20%くらいまでと同等の偏差値を実現している。
経済学的には①一物一価②情報の非対称性③需要と供給の一致を鑑みた上で、人間ができることを探していくことが重要。例えば、ほぼ日のようにセーターなどの創作物にストーリーを付けたもののような手作り品など。人の感性に訴えかけるものは生き残るだろう。
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一に読解力、二に読解力、三四が遊びで、五に数学。
教科書を読む力が如何に重要なことか。
しかし読む力を高めるに近道はない。
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AIに漠然とした恐怖心があったので、AIの理解の仕方をわかりやすく解説した前半は特に興味深い。
数字での判断が案外見せかけだったり、計算力があっても文法の理解までは行きつけなかったりと、AIのできないことを明らかにしています。
筆者が東ロボくんに携わっているからこその説得力とわかりやすさでした。
AIは意味を理解しない、だからシンギュラリティは起こらない、というところにホッと一息しました。
同時に、人間の理解の仕方についてもいろいろなことを考えさせられましたし、言葉の曖昧さが、多様な意味を生み出せるということも再確認できました。
後半は、AIにできない言葉の理解について、基礎読解力を図るテストを用いて統計をとったことについての内容でした。
この部分については教育現場にいれば、実感できるところ。
普通の文章でも理解が難しく、大学生になっても、基本的な文献を読みこなせない、そのために生徒、学生も苦しんでいるのでは。
学校では、生徒や学生が社会に飛び立ったときに必要な汎用的能力について保障する義務があると思います。
もちろん情操教育であったり、文学作品から新しい価値観を生み出す作業も大切ですが、意思疎通そのものが難しい段階に、今の子供達は置かれているのかもしれない。
まず、土台としての言葉の問題を見直す必要もあるかと思います。
論理を鍛えようとすると、なんだかロボットのように思う人もいるようですが、この本は、ロボットの数的な理解と、言葉の論理を捉えながらする理解の違いを明確にしていると思います。
アクティブラーニングのような、共同で答えを作り出す作業の前に、論理的思考を身につけるための、読解力を身につけさせるべき、という筆者の主張はとても納得できました。
AIについては、今の数字やデータの積み重ねでの技術であれば、恐るるに足らず、という形でしたが、AIに代替される職につくはずであった人たちのことをいかに保障していくのか、今後早急に考えていかなければならないと感じました。