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今でこそ、パソコンでクリックすれば、本を初めてとして生活必需品が送られてくる便利な時代となりましたが、物流を整備・維持することが覇権を握るために必要な時代がありました。
ギリシアから始まって、イタリア、オランダ、イギリス、アメリカと多くの国が覇権を握ってきましたが、彼らに共通していたのは、その時代における「世界」の物流を制していた点にありました。覇権が移ったのも、時代の変化とともに、定義される「世界」の範囲が変わってきたことにあるようです。
英国がなぜ栄えたのか、私の習ったころの歴史の授業では、産業革命だったと習いましたが、この本では、物流を制御するために彼らが制定した「航海法」にあるとして面白い視点です。
最近、いままでの通説を覆す、または異なった視点で書かれた歴史解説書が増えてきていると思います。読書をするのが、より楽しい時代になったと嬉しく思うこの頃です。
以下は気になったポイントです。
・地中海型の経済は、奴隷のように安価な労働力があったから反映できた、彼らがいなくなると、経済が機能しなくなった。ここに地中海の経済成長の大きな限界があった、ギリシアは政治的な帝国をつくらず、商業的には商人のネットワークを利用したのに対して、カルタゴとローマは帝国化して広大な領地を有した(p28)
・フェニキア人なくして古代ローマはなかった、古代ローマはカルタゴの物流システムがあったからこそ機能した、物流面からみればカルタゴの後継者はローマである(p33)
・中国の始皇帝により、中国という広大な領土が単一通貨圏となった、これにより春秋・戦国時代に始まっていた経済成長がさらに加速されることになった(p37)
・漢王朝の劉邦(高祖)は、直轄地には中央集権体制である、郡県制を、それ以外の地には、地方分権体制である、封建制を採用した。このような政治システムは、郡国制と呼ばれる(p39)
・イスラムのアッバース朝(750-1258)になって更なる飛躍を遂げた、アラブ人の特権を否定し、非アラブ人がジズヤ(人頭税)を支払う必要がなくなったので。アラビア人の王朝ではなく、ムスリムによる王朝へと変貌した(p48)
・15世紀初頭、永楽帝の統治下には宦官でムスリムの鄭和が、宝船という巨大船によってアラビア半島にまで遠征するなど、積極的な対外政策を行ったが、1424年に永楽帝がなくなると、やめてしまう。1436年には大航海用の船舶建造が中止された。ヴァスコ・ダ・ガマが15世紀初頭にインド洋に到着していれば、ポルトガルはアジア領土を拡大できなかったであろう、中国が抵抗したので。アジアの商人が輸送していた香辛料を、ポルトガルは自国の船で輸送するようになり、インド洋の物流は欧州の手に奪われていった(p57)
・商人としてのヴァイキングは、ハンザ同盟の商人が後継者となり、さらにその後継者がオランダ商人であった、相手が代わるたびに、北海・バルト海の商業圏は大きくなり、密度を増やした、オランダは航海技術の発展により、潮流の速いエーアソン海峡を航行するルートを開拓したことで、バルト海貿易の覇者となった(p58、66)
・15世紀末になると、マラッカが重要性を帯びるようになった、インド洋で使われていたダウ船と、東南アジアで使用されていたジャンク船の結節点であり、海上貿易の最大の要所であった(p71)
・中国が世界で一番豊かな国であるなら、近隣諸国が朝貢品を自国船でもってくるというシステムを使い、流通を軽視しても問題は生じなかった。中国は自国船を使うことによって得られる利益など考える必要もないほど豊かな国家であった(p76)
・スペインにとってマニラを通じてアジアの市場に参入することが、唯一の方法であった。ヨーロッパ外世界の貿易は、まずポルトガル人によって、ついでオランダ人によって支配されていたから。スペインのガレオン船は、毎年200万ペソの銀を輸送していたが、その量は、ポルトガル領インド、オランダ領東インド会社、イギリス東インド会社のすべての銀輸送を合計した額である(p79)
・地中海では一度森林がなくなると新しく森林地帯として復活することはなかった、それに対してバルト海沿岸はいまなお多くの森林がある(p83)
・ヴェネツィアとジェノバは長期にわたり欧州側の地中海貿易の覇権をめぐって争い、やがてヴェネツィアが勝利した。18世紀のイギリスでは、中央銀行であるイングランド銀行が国債を発行し、その返済を議会が保証するという「ファンディングシステム」が発達したが、都市国家にすぎないイタリアではそうしたシステムを構築不能であった、銀行業、保険業の両方において、イタリアの発展そのものに決定的な限界があった、中近世イタリアの経済システムは、そのまま近代的システムへ発展することはなかった(p85)
・イギリスの石炭は、北海経済圏(デンマーク、ドイツ、オランダ等)に輸出された、地中海経済圏においては森林枯渇により木炭調達が難しいし石炭も産出されなかった、奴隷が櫂をこぐガレー船が長く使用されていた、なのでこの漕ぎ手(安い労働力)の供給がストップしたら繁栄は終わった(p87)
・ポルトガルが1509年、イスラムのマルムーク朝艦隊を破り、アラビア海支配を決定的にして、1510年にゴアを占領、ポルトガルのインドにおける拠点となった。1511年にはマラッカ王国を滅ぼし、モルッカ諸島からの香辛料を入手しやすくなった。喜望峰ルートで輸送されるようになり、紅海・アレキサンドリア・地中海ルートは、衰退した。1641年以降は、英蘭東インド会社が喜望峰ルートのみを使用するようになり、地中海ルートは消滅する、イタリアはインドと東南アジアのルートから切断される(p95)
・ポルトガルのアジア進出を皮切りに、オランダ、イギリス、フランス、デンマーク、スウェーデンなどが東インド会社を設立、アジアとの貿易を開始した。当初はアジア産品の輸入が主であったが、やがてインドから茶や綿製品を輸入するようになる。徐々に、欧州からアジアへと流通経路が逆転し、これが経済力の逆転となる(p97)
・ポルトガル商人は、国家とは関係なくアジアに進出していた、ポルトガルの領土が他国に奪われても、ポルトガル人は商業活動を続けることができた。19世紀初頭になるまで、ペルシア湾からマカオまでの地域の共通語はポルトガル語であった(p98、99)
・1690年にブラジルで金山が発見されると、ブラジルーリスボン間の貿易が発展した、ポルトガルのイギリスとの貿易赤字は、ブラジルから輸入される金によって補てんされた。この金は、イギリスの金本位制に大きく役立った(p102)
・当初、欧州からアジアに輸出できるものはほとんどなく、英蘭以外の国がアジア交易に参入することは難しかった、なので英蘭の東インド会社は、アジアからの輸入品を度億戦できた。17世紀においてアジアからの輸入品として重要だったのは香辛料、その代わりとして武器が輸出された、アジアにおいて欧州の船舶が輸送を担うようになっていった(p107、115)
・1857年にイギリス東インド会社が解散したのは、本国政府が直接統治するようになったから。蒸気船と電信の発展により、東インド会社がなくても直接統治が可能になったから(p110)
・オランダ経済にとってもっとも大切なものは、バルト海地方との海運業であった、バルト海地方から輸入される穀物、海運資材を欧州各地に運搬することで、オランダは巨額の利益を得て物流の中心になった。アジアとの貿易はコストがかかり、船が難破することもあり、リスクが高く安定した利益はもたらさなかった(p118、127、128)
・イギリスは18世紀後半に起こった産業革命によって世界経済の中心になったとされるが、実際に経済力が強くなったのは19世紀後半、イギリスの蒸気船により、世界の商品が輸送され、人々が移動したから(p131)
・オランダに対抗するために、輸送コストが低い船舶を建造し、オランダ人の手中にあった欧州の物流システムを自国の輸送システムへと転換することで、経済力を高めようとした国が、イギリスであった。1651年から数度にわたり、航海法を制定した。イギリスが輸入を行う場合、イギリスの船か輸入先の船でなければならないと定めた、輸出はすでにイギリス船となっていたので、イギリス以外の国々(フランス、スペイン、ポルトガルなど)は、大西洋貿易では自国船を使っても、北海・バルト海地方との貿易ではオランダ船を使用していた(p133、135)
・南アメリカの輸出品は主に宗主国である、スペイン、ポルトガルに輸出されていたが、ナポレオン戦争後には、ロンドンが輸出先の中心、その次はハンブルク、宗主国との経済的紐帯が弱まったことが、独立となった要因の一つであろう(p136)
・イギリスは1710-1910のあいだ、世界の工場であったが、貿易収支が黒字であることはほとんどなかった、19世紀以降、海運業からの収入が大きく増えた。物流を重視することで、イギリスはヘゲモニー国家となった(p141)
・ポルトガルに居住していたユダヤ人でカトリックに改宗した人を、ニュークリスチャンと呼ぶが、1500年初頭、ベルギーのアントウェルペンに定住しはじめた。しかしスペイン領となった1585年には、オランダ共和国、ハンブルクに住むようになった、宗教に寛容であったから(p159)
・中国役人からの干渉を避けるために、中国商人と欧州商人は通訳をできるだけ使わないようにして共通の言語を創出した。それは、中国語、マレー語、ポルトガル語、英語が混ざった人工的な言語であった(p168)
・スウェーデン東インド会社が主として、オランダとオーストリア領ネーデルランドに輸出した茶が、おそらくイギリスに持ち込まれ、低所得者層が飲むものとなった、茶に対する関税が高かったので、フランスからは高級茶、スウェーデンからは低級茶が密輸された、両国はイギリスが世界最大の茶消費国になることを助けた(p172、177)
・アメリカが本国に議員を送っていない以上、イギリス政府はアメリカ植民地に課税する権利がないと主張した、これは正しいと思われているが、イギリスとしては、自分たちが多額の戦費を出費し、フランスから保護した相手から反抗されたという意識があったあろう。アメリカの独立は1783年のパリ条約によって正式に終了し、国際的に独立が認められた(p192)
・1861年には、アメリカ合衆国で、奴隷州と反奴隷州に分かれて戦ったが、アメリカで反奴隷州とは、あくまで奴隷を国内で使用しないことであって、国外で奴隷が生産した商品を輸送しないということではなかった、スペイン領キューバの奴隷制は、1880年まで廃止されなかった(p197)
・人々はGDPや国民所得の上昇ではなく、日常生活が豊かになるかどうかで経済が成長していると判断する、そのために必要な流通はじつに細かなものであり、計画経済で形成できるものではない、ことに気づかなかったのが社会主義経済の大きな弱点であった(p219)
2018年2月18日作成
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面白い、とか面白くない、以前にもっと世界史を勉強しないと理解出来ないな……という部分が多い本でした。私の知識不足が問題でしたね。
解らないなりにも、ヴェネチアの森林伐採による資源不足の事や、教科書で名前くらいしか知らなかった東インド会社の事、スウェーデンの茶の輸出入の事は興味深かったです。
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これを紐解いた理由は二つ。ひとつは、現在読んでいる全51巻の「大水滸伝シリーズ」がクライマックスを迎えているのだが、南宋時代に梁山泊の若者は、物流で中華を支配して、「民の国」をつくろうとしていた。それと、実際の歴史との整合性を確かめるため。もう一つは、弥生時代末に、どこまで物流をつくることが出来るか、調べておきたいためである。
結果、どちらとも十分な情報を得ることはできなかった。もともとは、著者の専門がヨーロッパ史である関係で、東アジアの物流はあまり紙数が割かれてはいない。中世から近代にかけての歴史に重きを置いているためである。また、それを勘案しても、貨幣の歴史や、物産の意味付けなど、更に疑問が出てくる記述も多かった。
以下、私が勉強になった、気になった処のみメモする。
・フェニキア人の地中海貿易のルートは、BC800年には確立。アルファベットの元になる文字。レバノン杉で海運業へ。ティルスに集まった商品は、銀・金・錫・鉛・奴隷・青銅商品・馬・軍馬・ラバ・象牙・黒檀・小麦・きび・蜜・油・乳・香・ぶどう酒・羊毛・布地・羊・山羊。
・漢の武帝時代(BC141-87)に、東アジアはヨーロッパに先駆けて経済発展した。基礎は始皇帝時代(BC247-210)に。鉄製農具・武器。青銅貨幣。度量衡・文字・貨幣の統一。中央集権体制。国土の拡大、朝鮮に楽浪郡以下四郡設置、直轄地に。桑弘羊による改革(鉄と塩の専売、均輸法で国から物品購入と輸出する官吏を出す、平準法により物価の安定、商工業の財産税の増税、中央による貨幣鋳造)これによって、特権商人はいなくなり、多くの商人が物流に関わる。
・宋代の中国の経済成長率は、歴史上極めて高かった。国内では資源開発と技術革新、特産品が増えて交換取引か増える。
2018年3月読了
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競合している相手がいなくなったら、その相手の販路を利用してシェアを増やすなんてのは当たり前のこと。
だから、ローマ人がカルタゴを滅ぼしたら、フェニキア人の交易路をそのまま継承するのも当たり前の話だろう。
だけど…その交代劇は突然だったのだろうか? 歴史の転換期、ローマの商人とカルタゴの商人は同じ港で船首を並べていたに違いない。
ローマがカルタゴを滅ぼした時、カルタゴは徹底的に破壊されたというけれど?
商人たちは、相手の国をどう思っていたのだろうか?
そういう想像をし始めると、教科書だけで歴史を学ぶのって、本当に味気ないなぁと思ってしまう。
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歴史学者が解説する、物流を切り口に世界史を読み解く本。世界史=覇権を握った国々の歴史であり、国力の源泉は経済力なので、視点を変えて物流目線で歴史を眺めるのも興味深いのです。
続きはこちら↓
https://flying-bookjunkie.blogspot.com/2019/03/blog-post_30.html
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思い返すと赤面してしまふ。
世界史を選択したことを後悔しながら
己の至らなさを言い訳にして
こういう形での世界史の解釈は実にエキサイティングです。
情報・物流・経済・消費・・・
もっと引き出しをお持ちの先生だと思います。
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情報だけ届いても、実は世界は動かない。
実際に物が(経済的に許容できるコストで)動くってのは凄いよねってのと、今読んでいる「東インド会社とアジアの海」にも繋がるなあと思って読んだモノの、いくら新書でもさすがに軽すぎる。浅すぎる。ちょっとがっかり。
特に、著者独自の見解?であるディアスポラ後のアルメニア人、ポルトガル系ユダヤ人の役割の大きさについて、裏付けるモノが少なく、語尾が「思われる」ばかりになっていて、ちょっとそれでは困る…
産業革命よりも、航海条例こそが、英国の世界帝国化に大きな役割を果たしている!とか、「世界の工場」よりも「世界の物流の支配」の方が大きいとかについては、裏付けが提示されていた(様に思えた)事と、中国が「世界の工場」とかした後も揺るがない、現在の米国の優位性に繋がるモノを読み取れた。
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あらためて、歴史をひも解くとそこに人・もの・金の流れがあるこを感じる。
投資家は歴史から学ぶということで、当たり前だが、お金(投資)は歴史と切り離せないところがあると感じる。その中で、物流という視点が面白そうで購読してみた。ヨーロッパ史を中心にまとめられており、オランダ・イギリス・スペイン・ポルトガルあたりの世界の支配手段として機能したのが物流。物流を牛耳れば、経済・お金を牛耳ることもできるという視点は、今のアマゾンと紐つく。
物流×ITの世界を作ったアマゾンの牙城を崩すのは難しいのだと思う。そこに新たなビジネスが生まれるのも事実だが。
お金という視点で歴史を学ぶことに楽しさを見いだせる本です。
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政治的覇権と同様に、それを支える経済的覇権に注目する必要あり。
近世以降に世界覇権国家が誕生した理由は、物流の進化にあり
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人間の営みである物流が、人間自身に及ぼしてきた影響を解説している一冊。
物流とは物の流れだけでなく、人や情報、科学技術や文化も運びます。
しかしそれらは素敵なものですが副産物に他ならず、根底には経済という原動力があります。
フェニキア人の地中海貿易からソ連崩壊までを扱い、人類の黎明と衰退に対する物流の影響力を理解できました。
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一度読んだだけでは理解するのが難しい本でした。
数値的データが多くて、漢数字で書かれてるのが読みづらかったけど国家を超えた民族の活躍があり、物流が発展したことが興味深いなと思いました!