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紙の本
昔、ラジオに夢中になったことがあった
2019/05/15 15:20
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
テレビ放映が始まったのが昭和28年(1953年)だから、昭和30年生まれの私にとっては生まれた時からテレビが、といっても自宅でテレビを見られるようになるのは昭和30年代の半ば過ぎだったが、ともにあったといっていい。
昔はテレビっ子という呼び方もあったぐらいで、ラジオという媒体はあまりなじみがない。
そんな私の生活にラジオが深く関わった時期がある。
それが高校から大学にかけての深夜放送だ。
時代は昭和40年代だ。
永六輔さんはよくラジオの人といわれる。
決してラジオという媒体だけにかかわったわけではなく、テレビの黎明期には永さんも深く関係していたはずだ。
私の個人的なラジオ時代、永さんは尺貫法復権運動に熱心だった頃で、永さんの話はよく耳にした。
とにかく永さんの話はとてもわかりやすく、永さんの大ベストセラー新書『大往生』の刊行に関わったこの本の著者である岩波書店の井上一夫さんがいわれるように「伝える人」という印象は確かにあった。
「伝える」ということにも関係するが、永さんはよく聞く人でもあったのではないだろうか。
だから、永さんが岩波新書として残した9冊の著作の柱となるのが、普通の人たちのさりげない、しかし重い、言葉の数々になったと思う。
聞く、そして記憶し、それを伝える。
永六輔という人はそれに長けていたといえる。
この本は永六輔さんの軌跡をすべて記したものではない。
9冊の岩波新書をつくるにあたって、永さんが見せた横顔だ。しかし、そこには間違いなく「伝える人」永六輔がいる。
久しぶりに永さんの、ちょっと高い声が聞きたくなった。
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