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この『[文庫版]からくりサーカス』も、ついに(10)です
改めて、この『からくりサーカス』が読める時代に生まれて良かった、と喜びと感謝の気持ちを噛み締めています
大袈裟な、と笑わないでくれるでしょう、きっと、藤田先生のファンであるなら
これまでの、(1)~(9)も最高のその先にいましたが、この(10)は更に凄まじいです
ティンババティに腕相撲で“勝利”した鳴海が他のしろがねに対して、人間味を感じる事が出来た休息時間も終わり、次の勝負に挑まんとするしろがね達
しかし、ここで衝撃の事実が発覚してしまう。「真夜中のサーカス」を殲滅させるための作戦が、全て、自動人形らにバレてしまっていたのだ。しかも、外で待機し、テントを包囲していたしろがね達も全滅させられてしまっていた
窮地、それでも、テントの中に足を踏み入れた以上は、突き進み続けるしかない、自動人形を倒し、フランシーヌ人形を破壊するまで
四チームに分かれたしろがねらは、到着した部屋で、フランシーヌ人形に会いたかったら、最後の一人になるまで殺し合え、と命じられてしまう
普通のしろがねなら、仲間意識はあれど、たった一つの目的を達成する為に仲間と戦うだろう。けれど、しろがねとして戦う決意は決めようとも、加藤鳴海として生きるしかない鳴海は、仲間、いや、友人と戦う事に、ハッキリと「NO」を言う
これからの展開を私達は知ってしまっているので、顔無しに関しちゃ、白々しいと言うか、「よくもまぁ、こんな作り話を」と呆れる。ただ、ふと思う訳ではある、言葉の端々には、真実とまでは行かないにしろ、彼の本音が滲み出ているのだな、と
守りたかったのに守れなかった、己の無力さに苛まれていたドミートリィは、死に場所を求めていたが、鳴海の「自分が出来なかったとしても、他の奴に想いを託せる、繋ぐ為に戦う、それが人間だ」の言葉で目が覚める。そして、ドミートリィは鳴海に「任務」を託し、笑顔で逝った
そして、この世で最初に生まれたしろがねの一人、ルシールは、ついに、息子の命を己の目前で奪ったドットーレへの復讐に成功する、己の命と引き換えに絶望をその胸へ突き刺す事で
復讐者、しろがねになる事を選んでしまったルシールの200年、その苦しみと辛さはとても長かっただろう。娘に対する罪悪感も、想像できないほど重かっただろう
ただ、鳴海とミンシア、この二人との出逢いと、それによる変化が、彼女に、ほんの少しでも良いから、良い思い出となり、幸せを感じてくれたのであれば、私の気持ちは救われる。ルシール、どうか安らかに眠れ
この台詞を引用に選んだのは、そりゃ、もう、グサッと来たので
藤田先生は、そんな事はない、と謙遜するかもしれませんけど、少なくとも、私には、藤田先生は、自分が描きたいものを描けている、と感じられます
そんな藤田先生の漫画だからこそ、読める人間の魂を震わせ、自分の人生としっかり向き合って、やりたい事、やるべき事をやろう、と思わせてくれるんでしょうね
私は、正直なとこ、まだ、何を描こうか、迷っている段階のような気がします
「人生は・・・・・・そういうものだよ・・・生まれた時、人は白い画用紙と、色とりどりのクレヨンを渡されて、なんでも描いていいよ、と言われる。さて、何を描こうか・・・考えているうち・・・たっぷりあったはずの時間は過ぎてゆく・・・ようやく描きたいものが決まった時には・・・もう帰る時間さ・・・・・・描きかけの紙とクレヨンは・・・取り上げられてしまうんだ・・・私はね・・・ずっと・・・紙の端を黒く塗っていたよ・・・ミンシア。ウサギを描きたかったんだけど・・・気付いた時には・・・フフ・・・もう、白いところは、全て塗り潰してた・・・泣くのはおよし・・・ミンシア。あんたは・・・私には、なるんじゃない・・・よ・・・ちゃんと・・・良い絵を・・・クレヨンをしっかりにぎって・・・真っ直ぐに紙を見て・・・・・・迷わず・・・お描き・・・・・・自分の・・・絵を・・・さ」(byルシール)