紙の本
片岡義男さん、ご無沙汰してました。
2018/10/31 19:53
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nabe - この投稿者のレビュー一覧を見る
久しぶりに、片岡義男さんの本を読みました。
ずっと、気になっていたのです。
40年ほど前は、毎日のように片岡義男さんの本を読んでいました。
あるとき、気のせいか、書店に片岡義男さんの本が少なくなっているなと感じたことがあり、それからずっと気にしていました。
先日、「おすすめの本」のメールに、片岡義男さんの本を発見しました。
即、購入です。
片岡義男さんでした。
独特の表現、視点は、私の好きな片岡義男さんでした。
最後に、この本、引用されている写真がよいです。
写真好きな私には、これが最高でした。
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『片岡義男』という四角張った漢字の連なりを見ると、どこか懐かしさを感じる。赤の背表紙の文庫本。表紙の写真には夏の光があふれ、風が吹いていた。強烈な太陽の下で自転車に乗っていた、僕らの青春に重なるから。
その思いがある限り、僕は片岡義男を読むだろう。でも、彼に意見できる編集者がいるだろうか。まもなく80歳を迎える大御所に向かい、駄目を出せる編集者はいないのではないだろうか。本書のエッセーの中には、これは・・・・、と駄目を出したくなるものもあるが、そんなものは読み飛ばし次のエッセーに移れば良い。きらきら光る片岡義男の世界があるから。
音楽、映画、言葉・・・その語り口は、やはり永遠に僕らの青春だ。
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ビートルズ4人のサインが入ったポートレイトの話が良かった。頻繁に寺町通りのスマート珈琲のことが出来ますが、なんか敷居高くて行ったことないよなと思ったり。
昔から片岡義男の文章との波長がいまいち合いません。
なんなんだろうか。
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正直わかんない話ばっかりだったけど(スザンヌ・ヴェガとパルプ・フィクションくらい),そうだなぁと思えるところもちょこちょこ。もっと知識が厚かったら,あちこちでうなずけるんだろう。
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珈琲、珈琲のある場所について、これほど書けるのかと驚いた。347頁のボリュームある珈琲エッセイ。
東京の喫茶店に行ったことはないが、店名から美味しい珈琲が飲めそうだと想像させられ、行ってみたくなった。
喫茶店A→BではなくB→Aのはしごが好きと書いている。そういう好きなものがあるのは素敵だ。
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珈琲にまつわるエッセイ集。珈琲といえば、喫茶店、音楽、映画、煙草…と連想されるものは色々あるが、最初の3つの出てくる頻度が多かった。あとは珈琲を通した人々の人間模様とか。
音楽と映画は少しマニアックな感じもあり、たまに知ってるものが出てくると少しニヤッとしてしまった。
喫茶店に行って珈琲が飲みたくなる本。
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久しぶりの片岡義男。短編小説だけ読んできたので、エッセイは初めて。片岡さんの肉声っぽい文章、独特のリズム感が心地いい、片岡さんとこんなに生活圏が近かったのかと驚き、これもまた懐かし。。
下北沢近くの住宅街での風景を書いた一編が好き。著者の家から喫茶店への道順書いてるだけなのに、なんだか読ませる、、音楽みたいな文章。地名だけで心おどる、私の大好きな思い出の街。ブログも!
https://hana-87.jp/2018/12/22/coffeeyobu/
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コーヒーって、と考えさせられるエッセイ。
お供はレコードだったり、一緒に歩いた街だったり。
昭和の珈琲店や欧米の映画。
ノスタルジックな空気感が心地良い。
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79歳ですよ、片岡さん。なんでこんなにカッコいいの。カッコ良すぎでしょ。トム・ウェイツのブルース、早速iTunesで買っちゃったじゃないか!
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片岡義男か、なつかしい。
80年代バイクに乗っていた者で
片岡義男を知らない人はいないだろう。
雰囲気はあるけど
何がどうというのもなかったので
熱心には読んでいなかったが
バイクのオイルの匂いと共に
片岡義男は青春の思い出になっている
片岡義男の本は
『彼のオートバイ、彼女の島』
(三好礼子が美しい)と
『ボビーに首ったけ』ぐらいしか
読んでいないかな
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『珈琲が呼ぶ』は昭和レトロが心地いい。
昔の街(銀座や神保町、高田馬場など)や
喫茶店、映画の話が興味深い。
それとジャズとレコード。
これってほんと珈琲にあう
特に「『よくかき混ぜて』と、店主は言った」
は秀逸
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P275
風情はほとんどないけれど、
風情のなさが妙な魅力になっている階段は、
思いのほかあちこちにある。
この階段は、そのような階段のひとつだった
P275
その階段の上となる位置に
木造2階建てのアパートがあった。
ほとんど廃屋の雰囲気だったが
まだひとりくらいは住んでいただろうか。
すべての部屋に住人がいて
アパートとして存分に機能していたのは
僕が学生だった頃ではないか。
そのときのその時代が、その頃は
アパートの隅々まで充満していたはずだ。
しかし、僕と佐藤さんが見た
そのアパートからは、その時代は
とっくに過ぎ去っていた。
内部に満ちていたものは消え失せ、
あとに残ったのは、木造二階建てアパートの、
ほぼ完全な抜け殻としての建物だけだった
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190608 片岡義男のコーヒーのエッセイ。期待通りのかっこよさ。自分の記憶とかぶる話題は共感と反発を考える。これからも日々コーヒーとは付き合うのだから少しでも多くの場面と出会いたい。
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淡々としかし事細かに描写されるコーヒーを取り巻く情景。映画の一場面なら客とウエイターの間で交わされる言葉、音楽ならレコードの内ジャケットの写真、時には著者の記憶の中や構想中の作品の中に現れるコーヒー。時間や場所が様々に折り重なり、またコーヒーが飲みたくなる。
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コーヒーが登場する、あるいは関連する音楽、映画、小説などについてのエッセイ。
以前にも書いたような気がするが、かつて片岡さんは、我が家の近所に住んでいたようだ。界隈の描写が実に正確なのが嬉しい。
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2018年1月の上梓と、意外や、比較的近年の著作。でも、中身は、どっぷりと昭和だった。
「僕が最初に喫茶店に入ったのは、1957年、17歳の頃、下北沢のマサコだったと思う。当時の下北沢には喫茶店がすでにたくさんあった。」
そんな高度経済成長期の頃から、昭和の良き時代を過ごしてきた感が横溢する、なんとも贅沢な書下ろしエピソードが44篇、いや、あとがきまでもがエッセイのようで、45編の、片岡義男が語る、一杯のコーヒーをめぐる物語が展開する。
同時に、昨今のサードウェイブ、スペシャルティコーヒーの楽しみ方の指南書も並行して読んでいたが、半世紀の間に喫茶店に求める機能や、コーヒーの楽しみ方もずいぶん変わったなと、その変遷をしみじみと噛みしめながら両書を読んだ。
本書の「一杯のコーヒーが百円になるまで」という章で著者は、こう記す。
「(喫茶店に入って)注文したのは常にコーヒーだった。しかしコーヒーそのものが目的ではなく、椅子にすわって一時間ほど人と話をして過ごすための、切符のようなものがコーヒーだった。」
分かるなあ。自分もそんなためにコーヒーを飲んでいた頃の癖が抜けないからか、コーヒーはじつにチビチビとやるほうだ。テレワークしながら、読書しながら飲むコーヒーも、すっかり冷え切った最後のひと口がカップにいつまでも残っていて、よく奥さんから「まだ飲んでないの?!」と、あやうくカップを下げられそうになる。 切符は最後まで持ってなきゃ!笑
注文の仕方も、「コーヒーをください」、あるいは「コーヒー」のひと言だけでも良かったものが、いつしか、
“「ホットですか」とか「ホットでよろしいですか」などと訊き返されることが多くなっていった”
その次は、「アメリカンで」という傍流が一時主流の勢いで広がったかと思うと、
「ブレンド」か否かを確認されるようになり、
“「ブレンドでよろしいですか。ホットですね」という訊き返しも多くなった。”
と、その変遷を振り返る。
喫茶店を原稿書きの書斎、編集者との打ち合わせ、待ち合わせの場所として長年使って来た著者ならではの感慨だろう。面白い。
あとがきに、編集者との会話がある。
「男にせよ女にせよ、ひとりの人がしみじみコーヒーを飲む場面は、そう言われば、ないですね」
「しみじみは展開ではないから」
と真面目な顔をして僕は言った。
飲み方云々もあるが、ストレートの豆の種類をあれこれ選び、焙煎まで指定して愉しむ。昨今のスペシャルティコーヒーを小説の小道具に使ったんじゃ、片岡義男の物語も違ったものになってしまうのだろう。
それにしても、彼が訪ね歩いた、神田神保町の喫茶店街や、通った京都の様子も、近年どんどん変わっていく。
「ミロンガとラドリオを、ほんの数歩ではしごする」の章で語っている神保町の三省堂裏の界隈も、ランドマークの三省堂そのものが、老朽化による建て替えのため2022年に営業終了、移転となるニュースがつい先日(2021年9月)に報じられた。
「いかにおわす京の都、つつがなきや京都タワーだから、こう���て京都タワーに挨拶しないことには、僕の京都は始まらない。」
と記す京都タワーも、改修解体の話は折に触れて浮上する。令和の世に、いつまで、あの姿をとどめていることか。
であるが故に、一杯のコーヒーを軸に、どっぷりと昭和目線で眺めた世相は、ある意味とても貴重なのかもしれない。
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珈琲を切り口にしたエッセイ集。喫茶店、音楽、映画などさまざまなストーリーが語られている。洒落た雰囲気で、片岡さんのファンにはたまらないエッセイなのだと思いますが、少し自分にはリズムが合わないというか、スッと入ってきませんでした。