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分厚いけれど、濃い。
ポーランド人に迫害され、ドイツ人に痛め付けられ、イギリス人に殺されそうになり。自分の人生をどうしたら歩めるのか探し続けた著者の話。
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作者が実際に体験した実話。作者ブロネク・ヤクボヴィッチは後にアメリカに渡り、表記の名前に変えたとのこと。
ささやかだけど平和な日々を過ごしていたブロネク。しかしユダヤ人に対する迫害は日増しに凶悪になり、遂に父親と強制収容所に送られる。そこではおよそ人間に対する扱いはされなかった。理由もなくののしられ、暴力を受け、食事は家畜の餌かというようなものが少し与えられるだけ。そして働かなければ殺される。
しかし、ブロネクは幾度の運に助けられて、また善良な性格もあって多くの人々にも助けられて生き延びることができた。もちろん歯科治療の心得がある程度あったことも大きい。(強制収容所に連行された時はまだ歯科の学生だった)
ブロネクの家族は兄以外は全て殺された。父親はブロネクの助けもあって、1944年までは生存していたが、殺された。
その父親の死後も想像を絶する酷い体験の連続でいつも死と隣り合わせだった。
終盤、連合国が有利になり、強制収容所から出ていくことになり、遂に主人公も自由になれるのかと思った。ところが収容者が何千人も乗った客船が、イギリス軍によって爆撃され、ほとんどの人が死んでしまった。これはカップ・アルコナ号の悲劇と伝えられるそうだが、なぜか日本ではほとんど知られていない。5000人もの人々が犠牲になったというのに。戦争ではこのような埋もれた悲劇が多く存在するのかもしれない。
ところでユダヤ人に対する迫害はドイツ人だけが行ったわけではない。収容所では収容者の中からリーダーを決め、そのリーダーも悪の限りをつくす者がかなりいた。
人というものは極限状態になると変わってしまうのだろうか。
戦争の残虐さを見つめさせられる一冊。しかし表紙は飄々としていて、心を落ち着かせることができる。良作。
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“あのころは、老いも若きも、善人も悪人も、みな似たり寄ったりの暮らしをしていた。どんな人も喜びや悲しみを感じ、愚かさやうぬぼれを抱えて生きていた。だれもが同じように生まれて、生きて、そして死んでいった。けれども、いまやわたしたちは異種の生き物であり、怪物なのだ。”(p.306)
“この光景をいつかだれかが世界に知らしめるべきだ。”(p.220)
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作品アウシュヴィッツの歯科医
ポーランドは消滅し、ユダヤ人は強制収容所へ収容そこで著作の知識をそこで歯科医として働くさまを描いている作品。
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芸は身を助くを地でいく展開と、主人公の逆境にも挫けず、自分のその時できることを見つけていく知性と行動力に、一気に読み進んでしまった。
改めて、教育は一生の宝物だと実感した。
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信じられないような幸運が幾度と重なり生き延びた主人公。
フィクションのように感じるけれど、
それほどの奇跡が起きない限り
生きてこの本を書くことはなかったということ。
数百万の犠牲者を出したホロコーストの凄まじさが感じられる。
作中に何度も描かれるユダヤ人の死に様は
どんな映画よりも痛ましく、想像だけで涙が出る。
いま服を着ていること、靴を履いていること、家族がいること、
恋ができること、食べ物があること、明日があること、
それがどんなに平和であることか、教えてくれる一冊。
とはいえ作者の文才と翻訳の妙で
作品自体は非常に読みやすく、軽快。
すこしのジョークも交えていたりして
最後まで楽しく読むことができた。
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強制収容所に送られたユダヤ人歯学生が、過酷な状況に翻弄されながら生還するまでの実話が描かれている。まるで記録映画であるかのように淡々と描くことによって、彼らがおかれた過酷さや悲惨さが痛いほどに伝わってくる。ドイツ人、ユダヤ人、イギリス人、ポーランド人、それらをひと括りに出来ないところも、リアリティに溢れている所以だろう。収容者の実生活を知るにつれ、ナチスだけではなく人間の残虐さが私自身に突き刺さる。何かのきっかけであちら側に行ってしまう怖さを感じ、自らを戒める作品ではないか。
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ユダヤ人虐殺、ナチスの収容所について書かれている書籍を初めて読みました。
この世のものとは思えない数々の残虐行為に打ちのめされました。
主人公のブロネクと兄ヨゼクが過酷な境遇の中、ほんの少しの幸運で生き延びることができたのが救いでした。
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彼の過酷な運命と幸運に一喜一憂するとともに、彼のように自分の人生を語る自由も踏みにじられて殺されていった何百万の人の命を思い、平和の尊さを強く感じました。
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「人が人に対してどこまで残酷になれるのか」、「人が人をどこまで信じることができるのか」
ホロコースト関連の作品は人間の尊厳を私たちに問い続ける。
差別や優生思想が再び顔を覗かせるようになった今だからこそ、過去の残虐性から目を背けてはいけない。
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本書の著者は強制収容所で「歯科医」(実際には歯科医学校の学生)を務めたおかげで、ホロコーストを生き延びた。歯科医のように収容所にとって有用な存在は、過酷な肉体労働を少し減らしてもらえたり、他人より多く食料を割り当ててもらえたり、身内の労働環境を改善してもらえたり、色いろと便宜をはかってもらえたようだ。もっとも、本人の生きる意思や、あるいはもっと大きな要因と思える「幸運」がなければ生きて戦後を迎えることはなかっただろう。非ユダヤ人女性ゾーシャとの出会いなど、本書を読むと著者の運の良さにおどろく(ユダヤ人であるという理由で逮捕され、強制収容所に収監されることをスタートラインと見るならば、だが)。けれども、幸運を重ねられなければ生き延びられなかったのだから、ある意味では当たり前なのかもしれない。
本書を読んで衝撃的だったエピソードの1つは「カップ・アルコナ号の悲劇」だ。赤軍から逃れるためにナチスは収容者をカップ・アルコナ号へ乗船させた。定員を大幅に超えた船はイギリス軍飛行中隊の攻撃をうけて撃沈し、5千名もの収容者が戦争終結を目前にして溺死したというものだ。ようやく収容所を出られ、戦争が終わる予感を抱きながらの無念は想像するに余りある。監訳者あとがきで書いているように、この出来事はあまり一般に知られていないように思う。
アウシュビッツ博物館で収容者が残したおびただしい数の靴やカバン、大量の髪の毛などの実物を目にしたり、本書もふくめ、生き延びた人びとの証言をいくつも見たり読んだりしても、実感が湧かない(筆者自身はそうだった)。現実に起きたことと思えない。体験者以外には完全に理解することができない、それがホロコーストなのだと思う。それでも著者が書くように、世界中の人びとがこの出来事を後世まで記憶するために、本書を読む意味があるだろう。
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ヨーロッパ人の人の名前や地名が
馴染めず混乱しがち
ユダヤ人がどのように迫害されたのか
どんな歴史があったのか
少しわかった
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読みやすい文章だけど、内容は重い。
今では考えられないような出来事の連続です。(たぶん当時でも信じられない出来事だったでしょう)
中でもわたしは、付録の覚え書きにある、資料館からの報告を見て心に冷水を浴びせられたような気持ちになりました。
筆舌に尽くしがたい苦難の連続に、いくつもの奇跡が重なり、なんとか守り抜いた命。その筆者の経験も、過去に残されるのは、たった2文の情報なのです。
この本を書いて下さったことが本当に有り難いと思います。
忘れてはいけないのは、ドイツ人も同じ人間であり、彼らにも家族や生活がある「普通の人間」だったということです。
わたし達は、状況によっては、ユダヤ人にもドイツ人もなり得るのだと思います。
自らの心や行動を、自らの頭で考え、自らコントロールできなければいけません。肝に銘じます。
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この本には筆者の壮絶な人生が書かれていました。
筆者の視点から、家族との理不尽な別れ、ユダヤ人であることだけで迫害される筆者の4年間にわたる収容生活について語られています。
「いつ、誰が、何をしたか 」が分かりやすく書かれていて、登場人物が多い場面でも混同せずに読めました。
同じ人間にも関わらず、なぜここまで他者を虐げることができるのか疑問に思いました。
筆者の感情や体験を全て理解することは、現代のような恵まれた環境で生活する私にはきっとできません。
ですが、この出来事は事実であること胸に刻み、多くの人々の犠牲によって今があることを忘れないでいたいです。
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〜悪には多くの顔があるものだ〜
・強制収容所の残酷さもさることながら、人間の内面性の恐しさを感じた。内面は、決して良心だけで構成されていない事、おそらく全ての人に悪の顔があり、悪の顔も含めてそれが人間なのだ。そして自分も考えが及ばないと情報を鵜呑みにしそちら側に落ちてしまう可能性がある。または暴力をもって強制的に、そちら側につかされることもある。
・平和であれば道徳的・倫理的な判断をするかもしれない人が、人権や人命を奪うような悪のプロパガンダを理由に、非道な行動する可能性がある。「社会で認められていたから非道かもしれないが正しい」と自己正当化するのだ。
・そして大勢が変化した時には、「あの時はそれが正しかったから」「強制されてそうするしかなかった」となるのかもしれない。映画の「愛をよむ人」を思い出す。
・本の中では「あの人が」と思える人が、当然のように「ユダヤ人だから」という理由で残虐に殺害したり、ユダヤ人同士でさえ「非ユダヤ人が言うように働いていないから」と自発的に身体の弱った仲間を暴力を振るって殺害したりしていたことが書かれていた。
・人の心はいかに簡単に操縦されやすいことか。強いものから聞いた事を信じやすいか。でもそれは正しいとは限らない。なぜ鵜呑みにしやすいのだろうか。ここではこう言っているけど、なぜそれは正しいのか。そもそも正しさの基準になるものは何か。
・恐ろしい社会の流れになるとそこから逃れるのは難しいように思える。だからこそ、恐ろしい社会の流れが生まれないように願いたい。
〜なぜ生きられたのか〜
・沢山の偶然と、歯医者としての知識と、先を読み抜け目なく道を外さない判断力、服従されてばかりではなく自分の為に行動する行動力、忍耐力、若いゆえの体力などがあったからなのだろうか。本当にすごい事だ。