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「ユゴー「ノートル=ダム・ド・パリ」」鹿島茂著、NHK出版、2018.02.01
125p ¥566 C9497 (2018.03.01読了)(2018.01.26購入)
【目次】
【はじめに】前近代から超近代へ
第1回 天才ユゴーの驚くべき「神話的小説」
第2回 根源的な葛藤を描く
第3回 もてない男の純愛は報われない
第4回 炸裂する映画的想像力
☆関連図書(既読)
「ああ無情」ユーゴー著・塚原亮一訳、講談社、1986.10.17
「「レ・ミゼラブル」百六景」鹿島茂著、文春文庫、1994.07.10
「パスカル『パンセ』」鹿島茂著、NHK出版、2012.06.01
内容紹介(amazon)
時代を越える神話的想像力
幾度も映画化され、またミュージカルに翻案され続けるなど、1831年の発表以来人々の想像力を刺激し続ける『ノートルダム・ド・パリ』。その魅力の源泉は、人間の「根源的な葛藤」にある。人間はいかにして宿命と向き合い、生きていけばよいのかを、この傑作から読み解く。
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ディズニー映画から入って、大学生んときにもとになった小説を図書館で借りて読んだ。ものすごく脱線ばっかして(いろいろと難しいし)、当時どんな内容だったかあんまり覚えてないんだけど、100分de名著を見てなんとなく思い出す。ディズニー映画よりは小説のほうがしっくりきて好きだった。あっちは主人公がヒロインと結ばれず、イケメンと結婚するので、小説と同じく、この本でも言っているように「モテない男は幸せになれないんだ」と当時思ったもんだった。
小説での登場人物の勝手な考察
カジモド:ちょっと悪そうな部分はあるにしろメイン4人の中で一番いい人
クロード:ほんの少しだけ同情したくなる若ハゲヤンデレ坊主。
エスメ:悪い男に騙されているのにカジをこきつかうクソ女
フェビュス:遊ぶだけ遊んで女を捨てる、しかも死なない4人の中で一番のサイテー男
というわけで、いまだに原作を買おうという気もなしにこれを読んで2度読んだ気になってます。
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「NHK100分de名著 ユゴー「ノートル=ダム・ド・パリ」鹿島茂。2018年。NHK出版。
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今、僕は45歳で押しも押されぬ立派なオジサンなんですが、去年だったかおととしだったか、
遠方からのかなり幼い客を迎撃するために、ディズニーランドについて調べていたことがあります。
職場の喫煙所で別のオジサンとおしゃべりをしていて、
僕「そういえばさ、ディズニーランドって、最後にいつ行った?」
相手「…うーん…せん…きゅうひゃく…」
僕「もういいです」
1900年代…。
もうほとんど「宇宙世紀0079年」とか「遠い昔、銀河の彼方で…」というレベル。「山のあなたの空遠い」感じがたまりません。
僕が初めて、鹿島茂さんの本を読んだのは、それこそ1900年代だったなあ、というだけの雑談です。
19歳のとき。1992年だったはずです。恐らく後年の歴史学者たちによって、ざっくりと「固定電話時代」と呼ばれる時代です。
(あるいは「テレホンカード時代」か…)
僕が在籍していた大学は「西の京都大学、東の○○大学」と並び称される「授業に出なくても単位が取得できる大学」で、お陰様でずいぶんと授業に出ずに過ごしていました。
ただ、ゼミ、もしくはゼミナール、と呼ばれる「少人数で」「議論前提」「自由な感じ」の授業があり、これは大好きでした。
2回生の春。発作のように「せっかく大学にいるんだから、マルクスの本でも読もう」と思ったんです。
そして、「マルクスの歴史学についての本を読むゼミ」を受講することに。
これだけ書くと、とても感心な大学生なんですが、同時並行で
「やっぱりドイツ語をちゃんと勉強しよう」
「どうせならフランス語も身に付けよう」
「社会学の古典を読もう」
「芸術学を学ぼう」
などなど、恐らく10を下らない学問への野心を毎年毎年、春にたぎらせては授業を選択して、夏どころか梅雨が来る前には受講していることすら忘れている…というサイクルが普通でした。
ところが、「マルクスの歴史学ゼミナール」だけは、多分一度もサボらずに皆勤したんですね。
なぜかというと、蓋を開けたら、受講者が僕と、もう1人だけだったからです。ふたり。あと、恐らく当時50代くらいだった、先生。
さんにん。
3人で、教室だったり先生の研究室だったりで、読んできた本の部分について議論をする。
(無論、大抵は先生の意見を聞くんです)
そして、この先生が(もうとっくにご退職されている筈です)、たったふたりしか生徒がいないのに、(それもかなりレベルの低い学部生なのに)
実に楽しそうに活き活きとしゃべってくれる。
ほんとに、今考えても淀川長治さんのような(笑)。ラブリーな。
僕以外のもう1人の学生が、男子だったんですが、もうはじめから
「やべっ!ふたりしかないの?(しかも相手は男…)逃げたいっ!」
と青ざめた顔に書いてありまして(多分ですけれど。少なくとも僕はそうでした)。
ただ、この人も(恐らく)僕と同じで、
「この少なさでは、第1回か第2回で脱出しなかった以上、余りに気まずくて脱出できない」
という事情で(多分ですけれど)ほとんど皆勤していました。
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で、このときに、マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」という本をテキスト?教科書?にしつつ、
サブテキスト?参考書?みたいな感じで、鹿島茂さんの「絶景、パリ万国博覧会 サン・シモンの鉄の夢」も読んだんです。
これは、フランス近代史に興味がある人だったり、フランス文学史が好きだったりする人以外は、「なんぢゃらほい」だと思うんですが、
(1900年代の僕自身もそうだったんですが)
つまり、ナポレオン三世の時代です。1世ぢゃありませんし、ルパンでもありません。ナポレオン三世。(でも孫では無くて甥です)
1850-70くらいの間、フランスで皇帝として権力を持った人です。日本で言えば、まさに「幕末~明治維新の裏の時代」ですね。
マルクスの本は、まずタイトルですが、「ブリュメール18日」というのは、フランス語で、恐らく大まかに言うと「昔の暦で11月18日」のことらしいんですね。
そして、フランスで「ブリュメール18日」というのは、どうやら日本で言うところの「515事件」とか「226事件」みたいに、それだけで、とある歴史事件を表します。
それは、ナポレオン1世が、1799年の11月に、フランス革命後の混乱に満ちた幼稚な議会政治に対してクーデターを起こして成功した事件なんです。
つまり、フランス革命後の第一共和政が、ナポレオン時代に変わっていくきっかけです。
「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」というタイトルはつまり、「ナポレオン三世版の、ナポレオン1世が起こしたような、クーデター事件について」という意味です。
1851年に、ナポレオン三世は議会に対してクーデターを起こし、権力を掌握したそうです。翌年に皇帝になったはず。
マルクスさんは、フランス革命後の「第1期議会政治」を打ち砕いて喝采で迎えられた1799年のナポレオン1世を意識しつつ、大まか同じように「第2期議会政治」を打ち砕いた1851年のナポレオン三世のクーデターについて論考を述べている。
そして内容はそれなりに難しいのですが、まあつまり階級闘争、「持たざる者たち」と「持ってる人々」の闘争の疲弊感の隙間に、
ノスタルジックな願望が巻き起こって、ナポレオン三世の独裁を許しちゃった、みたいなことですかね。
そのゼミでは、そういう見方や本を味わいながらも。
別段マルクス的歴史観を絶対善として見るわけでは全く無くて。
「19世紀のフランス、パリ」みたいなものを面白がる感じ。
特にこのナポレオン三世の時代に、パリは今のカタチに作られたし、1855年とその数年後だったか?に行われたパリの万国博覧会というのが、「20世紀を先取りした消費文化を予言していた」という視点なんですね。
極めて幼かった僕としては、それなりにイデオロギーなテイストの本を楽しみつつも、その善悪を問うので無く、その背景やディティールを面白がる精神というか、そういう「学問という遊びの楽しみ方」みたいなものに、けっこう衝撃を受けた気がします。
楽しか��た。
(確かその流れでベンヤミンの「パッサージュ論」なんかも読んだ気がします)
どこまで「背景や思想の流れを的確に把握できるか」ということをあまり追求せず、「知的な感じの、つまりある物事を”知る”ということの快楽」を垣間見せてくれました。
(まあ、何しろ、19歳とか20歳とかそういう学部生向けのゼミでしたし)
学問にせよ本にせよ芸術にせよ、
「わかるかわからないか」ではなく「楽しいか楽しくないか」
いや、「楽しめるか、楽しめないか」。
いや、「楽しむか、楽しまないか」...。
先生が、今考えるとその道の大家だったはずなんですね。
でも大家の人だったからこそ、餓鬼みたいな学部生相手に(それもたったふたりの、可愛くも無い男子学生相手に)でも、
その世界、19世紀のパリを政治的に、文学的に、消費的に、文明的に、都市的に、哲学的に、色んな角度から眺める楽しさというのを、
実に平易な言葉で、楽しそうに話してくれました。
ほんっとに、振り返ると、ぜいたく極まりない時間でした。
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閑話休題。
「ノートル=ダム・ド・パリ」です。もうタイトルだけで、「=」と「・」がどうして両方必要なのかちょっと途方に暮れます。
これはヴィクトル・ユゴーというフランスの小説家が1831年に発表した小説「ノートル=ダム・ド・パリ」について、
フランス文学者であり翻訳家であり作家である鹿島茂さんが、
「誰も原作読まないと思うんです。まあ、読んでもダルかったり分からなかったりするから、長すぎるし、読まなくても良いんですけど、でもね、ほんとんところはこんなに面白い小説なんですよ」
ということを語ったテレビ番組の書籍版です。
ちなみに僕はこのシリーズで同じ鹿島さんの「パンセ」を読んだことがあって、それも大変に面白かった。
このシリーズは面白いのか!と喜んで、別の人が語ったものも読んでみたら、大変につまらなかった。
なので、本や番組のコンセプトが素晴らしいと言うよりは、鹿島さんが語り手として素晴らしいんだな、と思い知りました。
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1831年に発表された「ノートル=ダム・ド・パリ」は、物語の舞台は1400年代です。
もうこれだけでかなり入り口のハードルが高いですね。
タイトルは、実写映画では「ノートルダムのせむし男」になったり、ディズニーアニメでは「ノートルダムの鐘」になったりします。
とても大まかに言うと、
●ひねくれた若き神父フロロ。この人が、ジプシーの踊り子エスメラルダのエロさに目がくらんで、何とか我が物にしようとする。(※もちろん、異性交遊自体が神父としては御法度)
●ノートルダム寺院で鐘撞きをしているカジモドという男。孤児で、フロロに拾われ育てられ、精神的にフロロの奴隷。せむし男で、世にも醜い顔。エスメラルダに無償の愛を捧げる。
●ジプシーの踊り子・エスメラルダ。美人でエロい。だが気高く清く気が強い。中身の無いイケメン軍人フェビュスに夢中。
●イケメン軍人フェビュスは、エスメラルダとは「遊び」。財産と地位のある��が本命。
という、1人の女と3人の男の葛藤と破滅、疾風怒濤の王道骨太物語。
孤児で醜いカジモドと、ジプシーのエスメラルダというのは被差別な階級ですね。
カジモドが何か、いわれなき罪で、むち打ちの刑になる。当時は暗黒残酷の中世、刑の執行は見世物です。大衆?の嘲笑を受けて鞭に苦しみ、泣く、醜いカジモド。
カジモドが「水!水をくれ!」とのたうちまわるけれど、誰も笑ってばかりで水をくれない。
それを見かねて侠気溢れるエスメラルダが、水を与える名場面。
これは確か映画版でも記憶に残っているような。
最終的に、どこかでようやっと、カジモドは
「え?俺にとって神様であるフロロ様が、エスメラルダを犯そうとしてるの?」
ということに気づきます。
そしてエスメラルダには(フロロの奸計で)理不尽な「魔女指定=処刑」という運命が。
カジモドはエスメラルダを守るために、なぜだか権威や権力に対して蜂起した民衆とも、戦う羽目に。
このあたりの、運命の皮肉と、権力と大衆というスケールの大きなエンターテイメントのぶん回し方は、
「カムイ伝」の原点がここにあったのか!
という感じです。
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ことほどさように、豊潤でスリリングな小説らしいのですが、翻訳や時代のディティール、物語の展開のスピードなどに阻まれてか、まずもって現代では原作は読まれません。
そしてどうやらユゴーという人がもそういう個性の小説家なようですが、「レ・ミゼラブル」も同じくで。
物語のもっているドラマチックさはどうやら素晴らしく、かなり換骨奪胎されて、時代を超えて、映画やアニメやマンガやミュージカルになっているのですが、原作はあまり読まれない。
鹿島さんが素晴らしいのは
「原作を読め!俺は読んだもんね~」
という温度では全くなくて、
「読むのは無理だろうけど、こんな面白い原作なんですよ」
という視点。
これは本当に正しくて、「源氏物語」を原文で読むことを絶対価値として君臨するような文は、結局は「俺は読んだもんね」というだけにすぎません。
読み手としては、原文だろうがなんだろうが、「面白いな」と楽しめるかどうかなんです。
そしてこの「100分de名著 ユゴー「ノートル=ダム・ド・パリ」」という本は、まず、面白い本でした。
19世紀のフランス文学、あるいはフランス文学全般、あるいは古典文学、フランスの歴史…、今後の人生で、そういったものを「知る」ということが、実用を超えてすごく魅力的である、という気分にしてくれる本でした。もうそれだけで素晴らしい。
1900年代から2010年代まで。リアルタイムで鹿島茂さんを楽しめる喜びを、改めて噛みしめました。パチパチ。
ちなみに、読書会の課題図書でした。
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ちょうど去年、鹿島茂さん翻訳の「ペール・ゴリオ」(バルザック)を読んで、大感動。
これは普通「ゴリオ爺さん」という日本語題になることが多い傑作なんですが、
鹿島さんがバルザック選集を出すにあたって、
「とにかく、古典海外文学なんて読みたくない、という人に、1人でも届いて欲しい。だって面白いんだもん!ゴリオ爺さん、ってタイトルぢゃあ、そりゃ読まないよ」
という理由で「ペール・ゴリオ」にしたそうです。(どうやらゴリオ父さん、みたいなことが厳密な意味らしいですね)
このなんというか、
「とにかく面白いんだから、是非よんで!オモシロイから!」
というどこか子供じみた情熱みたいなものが、僕は好きです。上から目線ぢゃなくて。
その感じって言うのが、1900年代にゼミでお世話になった、横張誠先生にもどこか、あったんですよね。
お元気でいらっしゃることを祈りたいです。
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番組では紹介しきれなかった「ノートル=ダム・ド・パリ」の時代背景、伏線などにも触れられている。
作者ユゴーの人生もまた波乱万丈だったことも踏まえて原作に挑みたくなった。
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2019.11―読了
岩波文庫の上下巻で1000頁超に及ぶ翻訳を読み切るのは、かなりの負担とて、本書を求めたのだが、
ユゴーの長編小説の世界を、事の運びに沿いつつわかりやすく解説してくれている。
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全4回の放送は全てブルーレイに収めている。容貌魁偉な鹿島教授と伊集院光は『ノートル=ダム・ド・パリ』、好個の語り手と聞き手と言えよう。