光源氏は理想の男じゃない
2018/08/07 20:56
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投稿者:ひまわりまま - この投稿者のレビュー一覧を見る
よく「モテ男」の代表みたいに言われている光源氏だけれど、原作を読めばそれだけでは決してない。確かに子どものころは母の愛に飢えた「母性本能くすぐり系」な部分があったけれど、大人になってからは略奪愛、人さらい、息子の嫁への横恋慕と相当ひどいことをする。でも、彼をのさばらせているのは女たちであることを指摘し、その女たちが結局は光源氏から解き放たれることで幸せになっているのが源氏物語なのだ。男も女も、育てるのは女。だから紫式部は女は賢くあらねばならないという物語を紡いだのだ。はじめは友達の間だけの、他愛のない「萌え話」だったのが、物語が進むにつれてその要素は薄れ、女として生まれたことへの呪い、女だから受けねばならない矛盾、けれどもそれを超えて新たな境地へと自らを導くことができるのも女だけだ。恋愛や政治の物語と思われているけれど、紫式部は女の生きるべき道を物語に託したのかもしれない。
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刊行されたタイミングで買って、ずっと積読になっていた(当時高校生だった長女はたぶん読んでる)。大河ドラマで「源氏物語」ブームなので、思い出して発掘してきた。大塚ひかりさんは、学生時代に『源氏の男はみんなサイテー 親子小説としての源氏物語』を読み個人全訳(現代語訳)も読んでいたので、大体の路線の想像はついていたが、この本はそのなかではかなりマイルドで、当時の読者(貴族たち)にとっての「物語」の立ち位置、女性たちへの教育の実態、この物語に託された紫式部の考え(自らの体験と広い見聞から得た女性が幸せに生きるための教訓)がわかりやすくまとまっているし、それ(自己肯定感や自己決定の大切さなど)が案外いまもまったく古びていないことがわかる。
「光る君へ」は「紫式部日記」や当時の史実に基づきつつ「源氏物語」のさまざまな要素をまひろと道長の物語にちりばめたような構成になっているので、こういう知識があるのもドラマを楽しむ助けになるかも。
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この1年、源氏物語を原文で読む勉強会に参加することになった。瀬戸内寂聴訳で一通りは読んだけれど、内容はさほど覚えてもいない。少し復習するつもりで、本書を手にした。しかしまあ、よく分からない切り口で進んでいくので、結局、ストーリーの復習には全くならなかった。いつの世も、人の色恋は同じということだけがはっきりした。勉強会はほとんどが女性のようだが、男の立場での意見なんて言えるのだろうか。私自身は、次から次から不倫をするというようなタイプではなく、どちらかというと、ねちねち嫉妬ばかりしている人間だからなあ。最後に抽出されたテーマとして「かけがえのない人なんていない」という考え方には半分賛同できる。仕事で自分が何とかしなければいけないと思い詰めている人には救いになる。代わりはいくらでもいるのだから。失恋をしたての人にも。一方で家族を失うということを考えると、かけがえのない人はいるということになるだろう。
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何度も読んだ源氏物語だけれど、新しい視点から色々と知れて、再び読みたくなりました。人との関わり方やかわし方を現代の自分たちの生活にも結びつけて考えていくと、なるほど納得のいくことも多く勉強にもなりました。源氏物語は面白い。
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高校時代の古典の時間が思い出された。
すっかり人物相関図は忘れてしまっていたけれど、それぞれの立ち位置で生きるための駆け引きがこんな風にあったとは!
源氏物語に現代に通じる教えがあるという考察は、面白味があった。
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かけがえのない人など居ないは
こと恋愛に関していえば年齢を重ねたからこそ分かる言葉なのでしょか。私の若い頃は同僚の女の子は「彼しか居ない」
と断言してて今は全く会ってないしどんなか分かりません。
仕事の事は思い出したのは過労死した広告代理店の女の子の事で彼女は聡明だからドロップアウトした自分の将来が見えてしまったんじゃないかと思います。
NHKのドラマ「半分、青い。」は最終的に主人公と幼馴染みが結ばれるみたいですよね。じゃあ運命の人だったんだと・・。
私は源氏物語は金子光晴と同じで面白いと言えば面白い。
つまらないと言えばつまらないって感じです。
話が纏まらずすみません。
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源氏物語は読んだことがないが,登場人物のうち既知の人もおり,それなりに楽しめた.女性が男性社会の中でしたたかに生きていくノウハウを教えるために,紫式部が執筆したという説は非常に面白いと感じた.貴族社会では身分が重要な価値を持っていたようで,その中で巧みに生き延びるすべを教えてくれる由.理想的な女やダメな女,不幸な女など現代に通じるものが多い.軽妙な訳文が楽しめた.
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この本を読むと紫式部のイメージが変わるなぁ〜
単純なので大好きになってしまった。
また野暮なことと言いつつ「教訓」という側面から物語を解いた作者もまたすごい。
とにかく!!
女はつらいよ、でも…
自分だけは唯一の自分
他人にとっては誰かの代わりでも自分だけは自分なので大切にすること
人の幸せは人が決めることじゃない自分が決めること
(難しいけど)
人として扱ってくれる人といること
人は変わること
とまぁ、不変的なことなんだけどそれがまぁいかに大変か。正直、こんなにも過去の偉人から励まされるとは思わなった。
その紫式部の思い、当時は自分の子供世代に思いを馳せて書いたのかもしれないけど、1000年後に生まれた私もなるほどと共感しながら読み進めた。
そして昔も今も人の営み、男女の営みのベースはあまり変わっていないんだぁということに少し驚く。もちろんいろんな人がいることは承知の上で。
ただ声を上げるようになったということだ。物語の中でも声を出せなかっことが現実で声をあげられるようになった。ここまでで1000年(笑)長いな…
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「女系図でみる驚きの日本史」と同様に、同じものを素材にしても、扱い方ひとつで見え方が変わる面白さを味わった。
平安貴族の「セクハラ満載の社会で女が生き延びる」ために、何が必要かを説く物語として読むことができるなんて。確かに、抄訳や「あさきゆめみし」でしか読んでなくても、全然光源氏ステキ、とは思えなかったんだけど、そうか、これは源氏をダシにさまざまな女の姿を描くことが主眼だった、かもしれないから、仕方ないんだ。
もちろん、どんな物語からだって教訓は引き出せるわけだから、これが正しい読み方なのかは分からないけど。でも、こういう読み方もできるってことを知るのは、面白い。
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紫式部は、それまでのおとぎ話的な現実離れした物語ではなく、宮廷女子の抱える身近な問題のリアルな話を物語にしました。大塚さんは、「史上最強の家庭教師」が書いた幸せになる方法だとして、この本を書きました。
https://www.honzuki.jp/book/285823/review/277338/
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大塚ひかりさんの独特の視点で書かれた
源氏物語を実用書として読むとどうなるか。
とても面白い!
まず、源氏物語の時代には
有力な実家の後ろ盾のない貧しい女性には厳しい社会で
ブスは言うまでもなく、美人でも貧しければ
人間扱いされない、と指摘する。
だが、そんな環境でも、自分らしさを保てば
ブスで貧しくても、生きられることもあるという。
末摘花などがその例。
一方、経済的に豊かで、美人なら、
きちんとした扱いは受けるものの
受け身で愛されるだけの女性(=なめられる女)は
死ぬ運命にある、という。
例えば、桐壺の更衣のように。
そして、宇治十帖はダメ女たちの物語で、
特に浮舟は、貧しくて、特に取り柄もないという
最下層の超ダメヒロイン。
その超ダメヒロインが自分の気持ちに気づき、
自立に目覚めていくというのが、ラストシーン。
このきっぱりした語り口には、感動した。
は~、なるほど!
ちなみに、源氏物語の中で最強の女は藤壺、という
鋭い指摘。
この人は桐壺に似ているというものの、
人柄は全く似ていない。
全然なよなよしたところはない!
むしろ、不義の子を産むというものすごい大罪を犯しながら、
しれっとその子を皇位につけることを考え、
その実現のためには、不屈の意志で、
自分も、かの光源氏もコントロールするというツワモノ。
この視点で読むと、ホント、藤壺ってすごい女性。
ホント、最強!
やわなイケメン光源氏の敵ではない、って感じ。
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源氏物語が純粋な娯楽や文学ではなく、そこに平安の女子が現実を生き抜くためのメッセージが潜んでいたなら...という視点から読み解いた本。
あながち検討外れでもなさそうなのが面白い。
古典の授業で感じた、何故こんなにも気持ち悪い事をわざわざ物語にしてそれを面白く読んでいたのかという疑問が、この本を読むと少し納得した。
現実と照らし合わせているのならば、若紫を拉致して妻にしたり、女性同士がドロドロの対立をするところを愛や憧れという綺麗な物で飾る事も腑に落ちる。
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紫式部は最高の家庭教師でしたね。
だからこそ、彰子はあんなに成長した。
昔から知っている『源氏物語』ですが、深い。
研究していくと、どんどん深みにはまっていきますね。
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紫式部が源氏物語を通して伝えたかったことをわかりやすく解説している本。
今年の大河ドラマ「光る君へ」の影響で気になって読み始めたが、当時の文化(通い婚など)を踏まえて源氏物語の描写がどういう意味を持つのか、が描かれており、大河を観ているとより楽しめる。
紫式部は彰子の教育係という立場ではあったものの、それは決して立場が強いということではなく、人数(ひとかず)にも数えられないようなものと知り、私が思っていた以上に当時のヒエラルキーがあったことに驚いた。
またパワハラだけでなくセクハラもかなりあったことにも驚き。何となく平安時代は雅で煌びやかなイメージしかなかったが、源氏物語には女性を”まわす””誰かの代わりに犯す”といった表現が堂々とセリフとして描かれているなど、女性にとって生きづらい時代だったと思う。社会的運動として改善され始めている現代に生まれた私よりもずっと苦しかったはず。
「そんな時代、源氏物語では女性自身が強く、自立する必要性を「男は女の往生を妨げる罪深い生き物」として書かれている」という著者の表現はかなり興味深かった(「女は男の往生を妨げる罪深い生き物」として描かれる仏教説法との対比)
「パワーカップル」や「キャリアウーマン」などの言葉が流行ってきたのは最近。これらの言葉は経済的な自立に近い意味だとは思うが、女性の自立という観点では1000年も前から同じことが言われていた。
精神的な面で言えば、「親や男に決断を委ねるな」「他人から見てダメでも落ちぶれて見えても、自分自身がダメなわけでは決してない」という教えは今にも通ずる。紫式部自身もそんな考えを持ちつつ、「不倫」をテーマにした源氏物語を書いている。
平安時代は一夫多妻制で、誰かの身代わりとして愛されることからも、「結局他人にとってあなたは代わりある存在である。でも、あなたにとってあなたの代わりはいない、かけがえのない存在である」ということは源氏物語からの大切なメッセージである。
源氏物語において、なぜあんなに光源氏が関係を持つのか不思議だったが、そういうメッセージがあったのか、と考えると腑に落ちる。
“わりなしや人こそ人と言はざらめみづから身をや思ひ捨つべき"(理不感ね。他人が私を人間扱いしないとしても、自分で自分を見捨てていいものか。いいはずがないよね)(『紫式部集』)”
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紫式部に関連するものだけでなく、古文にも関心を持つことができた。昔読んだ「あさきゆめみし」もまた違った読み方ができるかも。
今まで古典は苦手意識があり、どこか遠い物語のような感覚だったが、いい意味でも悪い意味でも同じ人間。根本は1000年前から変わらないのだと思い、親近感が湧いた。大河も後押しして色がついて来た感覚が得られておもしろかった。
自分が学生の時に出会えていたら、もう少し古典も頑張りたいと思えたかもしれない。
若干同じ内容の繰り返しに感じるページもあったものの、全体的にはかなり興味深く読むことができた。