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司馬遼太郎の「峠」で描かれた河井継之助。「峠」を読んで知っているよって思っていたけれど、帯に「司馬遼太郎が描かなかった、もう一つの生き様」なんて書いてあったので、それなら読んでみようと手に取った。
峠と照らし合わせて読んだわけではないですが、人間ドラマより、彼の経済官僚としての施策の中身が詳しく書いてあった印象です。なんせ、日経からでていますから。
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1840 長岡藩川越への国替えを命じられる 三方領知替え
新潟湊は密貿易の拠点になっていた 幕府に没収(上知)される
佐久間象山門下の2虎(吉田寅次郎(松蔭)、小林虎三郎)
陽明学者 山田方谷の教えを請うべき備中松山
小千谷談判 慈眼寺
八十里 腰抜け武士の 越す峠
書生 外山脩造
河井継之助 死亡 享年 42歳
1868/8/10 西郷隆盛 柏崎に着く
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司馬遼太郎の『峠』から、童門冬二による『小説 河井継之助』を読み、そして本著に至る。河井継之助に何故こんなにも惹かれるのか。三冊読んで自己分析すると、大きく二つの事に絞られる気がする。一つは、家老まで昇格する継之助のリアリストかつ改革者としてのスタイル。本著では特に山田方谷に教えを請う所から、改めて読み直した。もう一つは、定まらない評価。幕末の揺籃期に新政府対幕府の判断を迫られる中、結果は、幕府側について賊軍の汚名を背負う事になった上で負けたのだ。財政改革に成功し、ガトリング砲などの近代兵器を取り入れながら軍備強化をした所で、結果的に長岡藩を不利な立場に置かせる事になった。この判断は、正しいとは言えない。
この時、幕府に対する義を美談として捉える見方もあるだろう。しかし、慶喜が戦う意思を示さぬ中で、薩摩長州が裏で操作している事が分かっても、結局、何を求めて戦うべきかは定まらない。松平兄弟への義理か。何れにせよ、こうした点がミステリアスでもあり、しかし、この道理とは別次元の義に対し、評価を分けながらも、未だ惹かれてしまう由である。
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司馬遼太郎の『峠』読了から間をおかず、図書館で借りて一気に読む。
書名は『河井継之助』だが、幕末から戊辰戦争の流れが丁寧に書かれており、長岡藩以外の維新史が総復習できる。
河井から見れば裏切り者だと思っていたが、戦後の稲垣平助の根回しにより、減封で済んだことを初めて知った。どちらも長岡藩を護りたかった故の衝突であり、読後清々しい気分になった。