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単行本未収録作を年代順に集めただけなのだが、無作為な感じが却って、1人の男の顔をくっきりと浮かび上がらせる。彼は何処までも彼なのだ。その存在感が良い。
冒頭に「妹」があるのが重要。これは珍しくチェーホフ的と言うよりアメリカンで解りやすいカフカの様だが、近親相姦的な兄妹の愛の中に、芸術の実体(ミューズ)とそれを描き止める者(作家)との関係が浮かび上がる、という永遠の深みを湛えた、たったの4頁。どうだ。唸ったよ。
人間とはどんなに脱臭しようが人間臭いものであって、著者はその姿を既存の価値観によって裁く事なく陳列して見せる。そこに何故か人間の肯定感が滲むという温かみ。
文章を書き、また読ませるという行為は一種の暴力なのではないか。特に小説。
大作であるとか衒学的であるとかすれば、その傾向は特に著しくなる。物語と知識という暴力を読み手にふるい、書き手の思考をなぞらせる。その力の不均衡が、快を生む。
フィクションや知識への没入とは力に屈服し、従属する事に対してのノスタルジーなのではないのか。或いは知という権威におもねる快か。
その構図に意識的であり、またその在りように懐疑的であったのが、アンダーソンやチェーホフだったのだと思う。彼らは物語と読者との力の均衡を図る様にして、まるで弥次郎兵衛の駒の様な位置に立って書く。
逆に言えば暴力に慣れた読者はその自由に戸惑いを隠せないだろう。
折角えらい先生のお話を拝聴しようかと思ったのに、先生は結局、何も教えてはくれなくて、自分で考えなくてはならない。何故?と。
上から下へと一方的に流れる物語の封建制を廃した、民主主義文学。
そこに置いてありますので、勝手に取ってください。そんな感じの素っ気なさ。それが心地よい。
そういう意味では、ちょっと出来すぎた感動作の「トウモロコシの種蒔き」と「土地所有者」は異色感がある。勿論大好きだが、ここにあると何となく居心地が悪い。
私は何これ?何が言いたいの?というぐらいが好き。
*ただし、最後の「嘘は、吐き通せば、嘘でなくなる」はイヤだな。どっかの国の政府や政治家みたいで。
**イチローが本は一冊も読まない、と言っていたのを思い出した。他人の思考をなぞる事に意味を見出さないのだとか。読まない側からの封建制への異議。