投稿元:
レビューを見る
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。娘がプールで溺れた―。病院で彼等を待っていたのは、“おそらく脳死”という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。
投稿元:
レビューを見る
最初のプロローグがなかなか思わせ振りだが、娘がプールでの事故で生きてはいるが意識が戻らない状態なった時、親はどういう選択をするのかという、なかなか重たい出だし。
とは言え、この作者、重たいばかりではなく、科学の力を借りていつ果てるともしれぬ命を長らえさせる仕掛けを施す。
そうした科学(BMI=ブレイン・マシン・インターフェース)の最新の知識や、あわせて脳死や臓器移植についての日本の法律の課題などについて丹念に語られる一方、『こんな物語を自分が書いていいのか?今も悩み続けています』との作者自身の言葉のままに、テーマに引っ張られて物語が生硬な感じも。
子供を生きながらえさせたいという親の気持ちは分かるけど、意識がない娘を最新技術を使って生を取り戻したように見せるのも最後はいささか狂気じみて、最後は作者お得意の展開と言うか、どこかで見たような話になったような…。
投稿元:
レビューを見る
脳死は人の死か?
終始重いテーマだった
脳死をめぐる親・親戚・近所の人の目…
介護と言えるのか?
親の愛なのか ただのエゴなのか
生かしたいと奇跡を願う親と
周りを巻き込んで、お金をつぎ込んでいく姿に賛否両論。
確かに重篤な症状が出た場合、脳死のまま生かしておくのが親にとって幸せかどうかは分からない。
何も解決にならないまま、最後までストーリーは進んでいく。
投稿元:
レビューを見る
深く深く考えさせられる話でした。
何を以て「死」なのか。
私は臓器提供の意思を示しているけど、これが自分の家族だったらと思うと答えが出ない。
この作品は綺麗事だけで終わらず、移植手術に関する法律の問題点を提起し、読者に投げかけている。
医療関係者と法律を作る政治家に読んでもらいたい一冊。
投稿元:
レビューを見る
【あらすじ】
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。娘がプールで溺れた―。病院で彼等を待っていたのは、“おそらく脳死”という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。
【感想】
投稿元:
レビューを見る
小説はあまり読まないため、東野さんの作品も初めて読んだ。
小説からも学ぶことってたくさんある。(今更w)
投稿元:
レビューを見る
狂ってでも守らなきゃならないものがある。
そして
子どものために狂うことが出来るのは
母親だけ。
子どものためだけ。
投稿元:
レビューを見る
プールで溺れ脳死状態となってしまった愛娘との生活を選択した夫婦を中心に話が進んでいく。
脳死については、今も議論がされているのか不明だが
自分の家族が同じ状況であったら、どうするだろうと
考えてしまった。話としては、うまくまとまっている。
著者ならでは。
投稿元:
レビューを見る
久々だぁ。東野圭吾。
一気に読みました。
宮下奈都読む宣言していたのに。
脳死、には昔から関心があり、私は臓器提供には否定派でしたが、少し考えさせられました。
映画化の話も決まっているようですね。
見ようかな。
投稿元:
レビューを見る
泣きました。
終盤(と言ってもエピローグの挟まれる手前)、通夜の会場、祭壇の前で語らい合う、子を見送り終えた夫婦の会話に堪えきれず号泣です。外とかで読んでなくて、良かったなほんとに。
本書を手に取ったきっかけはまぁ、東野圭吾の新作だからって、それだけのことなんですがね。ちょうど少し前に、子供の脳死に題をとった海外映画を観た所だったりして。タイミングも相まってかガッツリ入り込んで読んでしまいました。
#朝が来る前に
いや~しかし。
小説読んで泣くのなんて、ほんと何時ぶりの事でしょうかね。
(と思って過去の自身のレビュー読み返したら、2年前の8月に『君の膵臓をたべたい』で泣いてた。笑)
♪本日の読書中BGM
『Endless Summer』/ Soley
EDテーマ『朝が来る前に』/ 秦 基博
投稿元:
レビューを見る
離婚を真近に控えた夫婦の元に娘がプールで溺れ意識不明との報が入る―。読み易い文章ながら、脳死と臓器移植、化学療法の是非といった重い題材への問い掛けが詰まった作品。こういう社会的題材が違和感なくエンタメ作品に溶け込むのは正に東野作品の醍醐味。播磨夫妻と江藤夫妻は対照的な存在ながら、共に【最後までやり切った】からこそ現実を直視出来たが、現実の一般家庭には資金面、行動面で同様の対応は困難だろう。延命治療を続ける程に生じる当事者と周囲の軋轢には胸が詰まる。天秤に掛けられる愛情と倫理観、絶対的な正解は存在しない―。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりの東野圭吾作品読了。
脳死という考えさせられるテーマでした。
母の狂気になってでも子を守る愛に涙。
投稿元:
レビューを見る
物語の進行に合わせて、瑞穂の印象がコロコロ変わった。
頑張って→なんかおかしい?→怖い→良かった という感じ。
どこで人の死を判断するかは本当に難しい。
一度死んでいると思ったら全て奇妙に感じる。
その奇妙さえも乗り越える狂気が、きっと母にはあるのだろうな。
最後の宗吾の話がこんな形が絡むとは。
こういうの好きです。
投稿元:
レビューを見る
娘がプールで溺れ脳死状態になったが、脳死判定を受けることなく生命維持を続けることにした夫婦の物語。
脳死となった1人の少女を巡る話だが、群像劇のような描かれ方だ。それぞれの立場や思いが語られ話が進んでいくのが読みやすかった。
ミステリーのような展開も若干あって、脳死をテーマにしたヒューマンドラマだけにはしてないところが東野圭吾のスゴさかもしれない。それでいてラストは感動させてくれる。
結構地味な話だけど、なかなかの名作だと思う。
投稿元:
レビューを見る
我が子が脳死状態かもしれないと宣告された時、臓器提供について真剣に考えられるだろうか。
ある夫婦には小学校に上がる前の可愛い娘がいた。活発で健康的で、それはそれは可愛い子だ。ある日、妻の母親と妹が見ている前で、娘はプールに溺れ、そのまま昏睡状態に。生命維持装置をつけられたまま、これ以上の回復は見込めないと医師に告げられた。自らの命を引き換えにしたいと泣いて詫びる母親。だけど、どんなに謝られても、悔やんでも、娘の状態は変わらない。
失意のどん底にいる夫婦にも、冷静に臓器提供の意思確認が行われることに。脳死していない可能性を信じた夫婦は、脳からの信号を機械を通して体に伝える技術開発を行っている夫の会社の社員に頼み、娘の筋力アップや呼吸器の体内挿入などを試みる。「機械仕掛け」だと嫌悪感を示す夫の父親。
仮に脳死した状態ならば、娘はもう死んでいることになるのだ。だけど脳死判定は臓器提供に応じる場合にのみ行われる。娘の死を確かめるかどうかを、自らが決めなければいけないのだ。
子どものために狂えるのは母親しかいない。
主人公の薫子の言葉が鮮烈に心に残る作品だ。