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安野光雅さんの絵本はほとんど読んだことがない。ふしぎなえもしっかりみたことはなかったけど、最後の「ふしぎなえについて」が面白かった。自分にはない感じ方だなと思った。
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安野光雅さんがこの世から旅立たれた。子どもについて、とっても大事なことをやさしいやさしい言葉で語ってくださったこの本を引っぱり出して読んだ。やさしい。子育て中、毎日読むべきだった。ありがとうございました。
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作者が亡くなったと知り、著書をいくつか見てみるととても興味深かったため、そのうちひとつを図書館で初めて借りてみた。
育児書のひとつとして読んでいたはずなのに、最後は自分の生き方と照らし合わせて、ふむふむ考えながら読んでしまった。
うちの子どもたちは、考えることができているかなー?とちょっと心配になりつつも、過干渉になりすぎず、このままの子どもたちを認めて付き合って行けたらいいなと、自分なりに考えてみた。
一方で私は、最近読書熱が再燃していて、ああ、なるほど、私は考えるようになったのかと思った。乳幼児育児の毎日は、目の前の問題をその場で処理していって、物事を深く思考することがなかったりする。
長男はもうすぐ3歳で保育園に行きはじめる。彼は物事をちょっとずつ理解し始めており、今までのようにその場凌ぎやあしらうようなことはできないなと私は感じ始めた。
長男の育児は今までと比べて深くなってきてるなと思う。知識量はなくとも、深く考えて子供と向き合っていきたいなと思った。
そして、過干渉にならず、子どもと深く考えて認め合える家族にしていきたいと思った。
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絵本に詳しい保育士の友人から安野光雅さんの旅の絵本を紹介してもらった。
その後ブクログの本棚を眺めていたらこちらの本があったので図書館で取り寄せ。
表紙のいろんな表情の豊かな子どもたちが可愛らしい。安野さんの愛溢れる優しい眼差しが感じられる。
「子ども」「学ぶこと」「考えること」について、子どもに関わる全ての人に向けたエッセイ。
文章が簡潔で本当に美しい。
駄菓子屋の賭博性のある面白さ不衛生の、あやしい、忘れられない子どもの世界として触れていて、ああ、駄菓子屋さんに行きたい。叔父が駄菓子屋を昔していたので懐かしく感じた。
読書と旅についてやひとりのすすめなど、じんわり心に響く内容でした。
昨年末に逝去されたと知らず、これから絵本もじっくり見ていこうと思った。
機会があれば美術館も行ってみたい。
覚書
本を読むこと
読むスピードとの関係も大切で、目が文字を追う動作なので、これは運動神経だ
本を介して、作者と、時代も世界もこえた会話ができます
本を読むことと自分で考えることはつながっている
本を読むのと同時に、旅にでるといい
本を読むことは心の体操
学ぶこと
自分で学ばなければ、何にもならない
くらべてかんがえるではどこがちがうかを考えるのですが、それは一方でどこが同じかを考えることでもある
美術作品は、文化が凝集されている
スケッチをするのは、景色とのお見合いだ
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こうあるべきだ!という強い感じではなく、子どもってみんな豊かな心を持っているよねという目線が優しかった。
自分で見て、感じて、考えることを大切にしたい。
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素晴らしい絵本作家は、もと教員てパターンが多いのかな?共通するメッセージは、子どもを対等なものとして扱う、自由に遊ばせる。図画工作で伝えたかったこと、は名文。
あと、最近読んだ教育本にほぼ必ず藤井君が言及されている藤井三冠のすごさよ。安野光雅さんのエッセイにすらでてきた。
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今の時代、すぐにネットで調べてしまう。
自分で考えるってことがほとんどない。でも、この本を読んで“考える“ことをしてみようと思った。
まずは身近なところから…
『あの漢字どういう時だったっけ…』『あの芸能人なんて名前の人だったっけ…』考えることで案外、自分が漢字が書けることや思い出せることに気づいたりする。笑
大袈裟かもしれないけど自分自身も見えてなかった自分の可能性に気づけたり、ふとした時に広い世界で物事を見れたりするのかもしれないと思った。
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「自分で考える」ことの大切さを手を変え品を変え語った本。
教師や親が敷いたレールの上で、教師も親も子どもも何も考えず安穏のしていることがいかにつまらない人生なのかを様々な視点から述べられている。
・子どもの生活が、親の考える「ものさし」と合っていれば安心。
→ きちんとしている子ども? → 何も考えられない子ども?
・子どもの「勉強」を、大人の思う「勉強」に当てはめるのは、ほとんどの場合勘違い → 教師や親の枠の中での知識の入れ込み → 勉強は「解像度」をあげる道楽 → イエスマンな何も考えられない子ども?
・学校で「野球をやりましょう」not= 遊びで「野球をやろう」
→ 教師や親が敷いたレールの上で、安穏とした遊び → 何も考えられない子ども?
・子どもは早く大人になるより、子どもらしい世界に存分に生きて、自分から「お行儀良くした方がいいらしいぞ」と感じる時を、待つ方がいいとおもいます。
→ 教師や親の枠の中での「行儀よく」 → 必要感を感じることで子どもが考え出す。
・親が自分の都合で子どもを叱っていることが多い。大人のさまたげになるときに叱っている。
→ 教師や親の枠の中での都合のよさ → 自分で考えない子ども、考える隙がない
・子ども自身の成長に必要だから、ということで叱っている方は少ない。
→ 自分で考えない子ども、考える隙がない
・ほかの子を傷つけたり、いじめたりした時には叱ることも必要であると思っています。 → これは是になりうることは決してない。他者の人権を尊重することは必要
・はだかで現実にぶつかることが少ない
・その中でもまれるといった生活体験は、のちに必ず生きてくると思います。
→ 自分で考える子ども
・子どもにとったら「いま」が大切
→ 子どもにとって人生はミクロな分かれ道の選択の連続 → 自分で考える子ども
・全ての教科において、自分で考え、答えを見つける癖をつけさせる。たいせtではなく、おもしろい。算数は比べて考える
・全てのものを一応疑う。確実だと思うものに出会うまで、すべてのものを疑う。疑って、疑って信じない。しかし、「疑う自分がいる」ということだけはほんとうだと。というほかなかった」デカルト
・本を読むことは自分の考え方を育てること
頭が柔らかいうちに、世の中には様々な考え方があることを知りたいもの。
全てが前述した
「自分で考える」ことの大切さと教師や親が敷いたレールの上でイエスマンであることにそもそも気が付かない人生ががいかにつまらない人生なのかを様々な視点から述べられている。「自分が主人公なんだ」
そんなた安野さんの考えが根底に流れている本。
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子どもの頃、母が与えてくれた絵本、『もりのえほん』。十数年経った今でも、また読みたいと思える絵本である。このような絵本はなかなか無い。その作者である、安野光雅さんのエッセイ。
私にとっては、教科書以外で初めて触れるエッセイだった。
自分で考えるということをテーマに綴られたこの一冊は、全ての大人に読んでもらいたいと思える一冊である。特に、親や教育に携わる大人にお薦めする。
『子ども自身の成長に必要だから、ということで叱っている方は、少ないのではないでしょうか。』
という言葉にはハッとさせられた。
読みながら、自身が子どもの頃のことを思い出した。
ぬいぐるみでおままごとをしたり、夜寝るときにはベットの下に何かいるかもしれないと怯えたり。一日中よく色んなことを考えていたな、と思い出した。そして、とても楽しかったことも思い出した。
現代は、考えなくても楽しめる環境なのかもしれない。だが、考えることをやめてしまっては、本当の楽しさ、豊かさには出会えないのかもしれない。そんな風に感じさせられた一冊であった。
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サクサク読める。
地動説を発見したコペルニクスの喜びはどんなに大きなものだったろうか。
こどもの発見の芽を摘んではならない。
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こどもに真摯で丁寧な安野さん
空想の世界で遊ぶ娘たちを
現実世界で間違いないしつけに押し込もうとしてしまいつつある私をふりかえりつつ
ゲームとゲームのYouTubeが好きな娘たち
ゲームができない日は、なるべくゲームの解説動画をみて過ごしてる
はて。それでいいんだろうか?
テレビをみるのも動画をみるのも似たようなもの、とおもう妻はとくに疑問なく1日1つならOKと
『わが家のルール』はどこでもすくなからずあるでしょうが、うちはかなりきびしめ。「なんでゲームするために英語べんきょうしないといけないの?」と小3小4の娘が反対するのも頷けます、、
せっかちなだけ。なのかもしれません
つくりたいのはルールよりも習慣です
本を娘たちが好んで読むようになったように
私が好んで英語をたしなむ姿を毎日みると、むくむく興味がわいてくるものなのでしょうね。明日から7時起きにしよう
•••ますますせっかちになりますね汗
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かんがえる子ども
遊びのなかでも、
家での関わりの中でも、
自然や美術の中でも、
子どもがかんがえて感じたり、行動している瞬間を、
躾や親の気分だけで遮らないように、
ワンテンポおいて俯瞰できるようになりたいと思いました。
大切な子どもの世界をたのしんで大きくなってもらいたいです。
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床の上に鏡を置いてのぞき込む遊びは良いですね。大人の都合で子どもを叱っていないか、という一言にははっとした。
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子どもは子どもだけど、
大人が思うよりも
子どもじゃない。
子どもは子どもなりに、
考えもある。想いもある。
子どもっていう括りの前に、
その子ども自身には
魂がある。意思も意志もある。
同じ人間だから
あなたはあなた。僕は僕。
として尊重していたい。と
再認した本だった。
無意識のバイアスにかかってしまっている
元子どもだった事を忘れた大人へ贈りたい。
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画家の安野光雅さんが、「自分の頭で考える」ことの大切さについて綴った一冊。
安野さんは、ネットやゲームの受け身の世界に生きている最近の子ども(大人も含め)は、自分の頭で考えなくなっているのではないか、と警鐘を鳴らす。
たくさん空想したり、身体を使って遊んだりするほかに、本を読むことも自分の考えかたを育てることに繋がると。
本を読むのは目が文字を追う動作なので、運動神経ともいえ、小さいうちに身につけておくのが大切。というようなことが書いてあり、なるほどと思った。
”本を読まないでも、生きていけます。でも、本を読んで生きた人は、同じ十年生きていても、二十年も三十年も生きたことになります。”
素敵な言葉が、心に残った。読書は世界を広げてくれる。
安野さんのやさしい文章と、これまで出版された絵本から抜粋された、挿絵たち。
共感する部分がたくさんあったし、ゆったりとした気持ちになれる一冊だった。